<PCクエストノベル(5人)>


はじまりの時 〜ハルフ村〜

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【冒険者一覧】
【整理番号 / 名前 / クラス】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2080/シェラ・シュヴァルツ/特務捜査官&地獄の番犬(オーマ談)   】
【2081/ゼン        /ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー   】
【2082/シキョウ      /ヴァンサー候補生(正式に非ず)     】
【2085/ルイ        /ソイルマスター&腹黒同盟ナンバー3(強制】

【助力探求者】
なし

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シェラ:「よおし、決まりだね?」
オーマ:「おおおおおお…ッ」
 シュヴァルツ病院は、今日は何故か朝になっても開くことがなかった。その代わり、閉まっている扉の中からは奇妙な叫び声にも泣き声にも似た声が聞こえてくる。
 そっとその中を覗いてみる者がいれば、その声の理由は歴然としていただろう。

 テーブルの上に散乱しているのは、カードと思しき紙束、そしてカップに酒瓶らしきもの。
 そのテーブルを囲むようにセッティングされているソファの上では、にまりと笑みを浮かべた女性、その右脇でにこにこと笑顔を見せている長髪で眼鏡をかけた男性が見るからに優位性を見せつつゆったりと体を落ち着けており、それと対角線上にいる2人は魂の抜けた顔をして2人を見つめていた。

 ――それは昨夜の話。
 凝りもせずにリベンジ話を持ち出したオーマ・シュヴァルツとゼンの2人が勝負の方法を言う前に、
ルイ:「それではカードで楽しみましょうね」
 何故か決定権をあっさりと奪われてしまい、ゲームが開始された後も一方的にリードを取られ…気づけば、朝になっていた。
 もう病院を開く時間なのだが、積み上げられた負債の前に心が深く沈んでしまいその事にさえ気づかない。
ルイ:「さて、何をしていただきましょうかね?」
 そんなオーマとゼンの様子に気づいているだろうに、ルイはにこにこと楽しげに笑うばかり。具現でオーマが作り出したチップは、仕事を終えてで仲間たちと楽しげにテーブルの上でフォークダンスを踊っている。
 その数は、オーマとゼンの小遣いの何年分に相当するだろうか。
シェラ:「そうだねえ…」
 ルイと組んで圧倒的な強さを誇っていたオーマの妻のシェラがにっこりと笑い、
シェラ:「少し肌寒くもなってきた事だし、温泉にでも行きたいねえ。ほら、ハルフ村で最近面白い温泉が増えたって言うじゃないか」
ゼン:「俺パスっ」
 ハルフ村、と聞いた途端ゼンががばと立ち上がって叫び…そして、その事で自分が大失策を犯した事に気づいた。彼もまた、徹夜騒ぎでそうした単純な事にさえ考えを浮かべる余裕も無かったらしい。
 ――すなわち。
ルイ:「…ほほう?それはいったいどういう正当な理由を持って主張なさるのでしょうか?」
 きらーん☆と、ルイの眼鏡もその奥の目も、獲物を見つけた猛禽類の如き輝かせてしまう絶好のチャンスを作ってしまったわけで。
ルイ:「そういう事でしたらわたくしもハルフ村へ行きたいですね。いえいえ、皆様と肌と肌のお付き合いがしたいというわけではありませんよ。わたくしは非常に繊細でして、人前で肌を晒すなどとてもとても出来ませんのでね」
ゼン:「………」
 嘘つけ、と突っ込みたかったに違いないゼンが、ぐっと握り締めたテーブルの角をみしりと軋ませる。
シェラ:「決まりかね?それじゃあ…そうだね。本当なら数泊してゆったり温泉に入っていたいところだけど」
 ぴくり、とその言葉にオーマが魂の抜けた体のまま反応し、それを見たシェラがくすりと笑って、
シェラ:「連れて行く人数にも限りがあるんだから、今晩の夜泊まりにしようじゃないか。それでいいかい?」
ルイ:「わたくしは構いませんよ。明日朝ゆっくりご飯をいただいて帰ってくるのも悪くありませんしね。――ちょうど良い送迎の『乗り物』もある事ですし」
 ルイの目が、オーマに変身してでも連れて行けと語っている。
 少なくとも今回の決定権は明らかに向こうにあり、借金を背負っている以上オーマとゼンの2人に抵抗する術は無かった。
シェラ:「さてそれじゃ資金だけど、足りるのかい?泊まりと温泉代と明日の朝食の分だけど」
オーマ:「それを俺に聞くか…しかも今夜っつったら資金調達も無理だぞ」
ルイ:「ゼンは――と、聞くまでもありませんね。ゼンがお金を持たない事はわたくしがよーく知っていますから」
ゼン:「やかましい。っつうか何でそこまで詳しいんだよ」
ルイ:「――ふふふ」
 笑顔で答えないルイに、ゼンがけっ、と吐き捨てるように言って横を向いてふてくされる。
 その側で、シェラがそうだねえ、と言ってから、
シェラ:「昨夜の負け分は今回の事でチャラにするとしても…とりあえず今回はあたしが立て替えておくよ。けれど忘れないでおくれよ?これは家のお金なんだからね。オーマは一日でも早く別の仕事でもなんでもいいから受けて返しておく事。いいね?」
オーマ:「へいへいー」
シェラ:「最初の20日以内に返せたら無利子にしておいてあげるよ」
オーマ:「って金取るのか!?家の金で!」
シェラ:「おや?20日『も』猶予を上げているのに不服だとでも?そういう事を言うなら最初からトイチにするよ?それとも日掛けにするかい?」
オーマ:「あああああ…っ、わかった、わかった死ぬ気で返すからやめてくれっ」
 普段の家計のほとんどを稼いでいるのはオーマの仕事だ。それに加えて今回の資金…それを別に稼ぎ出せと言われているようなもので、オーマが泣きそうな声を出すのも無理は無い。
 そして、
シェラ:「そういうわけで、あたしは少し寝るよ。お昼は任せたから用意しておいてね。出かけるのは夜くらいに…ふあぁ。徹夜なんてするもんじゃないねぇ」
 あまり疲れた様子も見せないシェラが、猫のような小さなあくびをして部屋へ上がっていく。
ルイ:「よろしくお願いしますよ。楽しみですねえ、ハルフ村は」
 その後に続いて、ゼンへ向けてにっこりと笑ったルイも自分の部屋へと下がっていった。後にはヤル気無さそうな男が2人ぐったりとソファの上に横たわる。
ゼン:「……しくじったぜチクショウ」
オーマ:「でもまあ。目的が温泉っつうわけだし…な。まだマシじゃねえのか?エルザードで一番高いレストランでフルコース、って言われたら多分その金だけで俺様死ねるぞ」
ゼン:「ああ…そりゃそうだ」
オーマ:「つうわけで、おまえさんも小遣い少し融通してくれよ。どっかでバイトでして稼いで来てくれ」
 惨めな顔をした下僕2人。その2人が顔を見合わせてはぁあああっ、とため息を付くと、オーマが仕方ねえっ、と立ち上がる。
ゼン:「どこ行くんだ?」
オーマ:「ハルフ村だ。今温泉ブームっつうんなら宿空いてねえかもしれねえしよ。それじゃ明日の太陽を拝めそうにないんでな。今晩の予約を取って置こうと思ってよ。今からなら昼前には戻れるだろうから、行って来るわ…おまえさんも来るか?」
 ゼンが顔をしかめながら、どうするか、と少し迷いを見せていた、その時。
???:「――――――ぁぁぁぁぁぁぁああ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」
 歓喜の声と分かる声が、家の奥からこちらへ向かってまっすぐに近づいてきて、その勢いでばたーん!と扉が開かれる。
 そこにいたのは顔を真っ赤にして、目をきらきらと輝かせる少女の姿。駆け込んだ姿勢のまま、ゼンへ向かってダイビングし、
シキョウ:「おんせん、おんせん、おんせんっっっ!!!!ほんとなの?ほんと〜におんせんなのっ!?」
 抱きついた勢いでゼンの首をぐいぐいと締め上げた。オーマが止めに入る隙も無いまま。
ゼン:「ぐはっ、シキョウ、ちょっと首、首…っっ!!」
 じたばたと、こちらは息苦しさで顔を真っ赤にしたゼンが暴れまわり、その勢いに振り落とされまいとシキョウがますますぎゅうぎゅうと力を込めて抱きつく。
 やがて、ゼンの顔色が赤から紫に変わったところで、オーマがぽんぽんとシキョウの頭を柔らかく撫でた。それでオーマに気づいたシキョウが、ぱっと顔色を輝かせて体の力を抜く。
シキョウ:「あのねっ、あのねっっ、いまねっ、ルイがねっっ」
 ちっちゃい体でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、足元でぐったりとゼンが横たわっているのに気づいていない少女が、ルイがシキョウも温泉に連れて行ってくれる事になったと言いに来たのだと説明する。
シキョウ:「ゼンがね、みんなをつれていってくれるんだってーーーーっ。だから、だからねっっっ」
オーマ:「あー、わかった、わかったから少し落ち着け」
 再びヒートアップするシキョウの頭を撫で撫でと撫でまわして落ち着かせるオーマ。
 恐らく、ルイが気を利かせてか、ゼンが家を離れる間の事を考えたのかして、シキョウも共に連れて行く事に決めたのだろう。そんな事を聞いたシキョウがおとなしく部屋にいる事など無いという事が分かっていて、彼女を落ち着かせる事無く開放したのだろうが。
 『ゼンはまだあちらの部屋にいますよ』とでも言ったに違いない、とオーマがぼんやり考えていると――目の隅で、何かがきらりんと輝くのが見えた。
 それはほんの一瞬の事だったが、まだ苦しそうに床の上で転がっているゼンを見下ろして、ああやっぱり来たんだな、と漠然とだが納得して、シキョウに良い子で留守番をするように言ってから家を出た。
 ――太陽が、やたら眩しく目に映った。

*****

オーマ:「そら、付いたぞ」
 銀髪をさらりと掻き上げて、オーマが4人を村の入り口にまで連れて行く。
 朝食つき素泊まり、と言う事で夜に訪れたため、村の近くまで獣姿のオーマが来ても誰にも気づかれる事無く、無事に村へ入る事が出来た。
シェラ:「おや。思ったよりも明るいねえ」
 月明かりもそうだが、この所の観光客の増加によって村が潤っているのか、村のあちこちにかがり火が焚かれて村全体が明るく染まっている。
ルイ:「夜は夜で風情があるものですね。ビルが並ぶ夜景も良いものですが、こういうものも捨てがたく感じますよ」
ゼン:「…………」
 面倒くさそうなゼン以外は、オーマも含め楽しげな笑みに彩られている。そして、こうなれば楽しまなければ損だとオーマが選んだ落ち着いた雰囲気の宿もまた3人に好評だった。

オーマ:「ほれほれ。ゼンもいつまでも膨れてねえで気分直せよ。前の温泉に入れなんざ言わねえんだからさ」
ゼン:「頼まれようが何しようが全力で拒否してやらぁ。第一ありゃあ俺が知らねぇ所でやらされたようなモノじゃねえかよ」
 ぶつぶつ呟くゼンも、お風呂セットを手に立っている。ここまで来たからにはじたばたしてもしょうがない、と思い直したらしい。
シェラ:「おや?これはなんだろうね」
 まだ今も様々な特別な効能がある温泉コーナーで、新たな種類が出たらしく、シェラが首を傾げる。
 そこに書かれていたのは『はじまりの湯』と銘打たれた温泉で、効能書きを見れば、記憶のある無しにかかわらず、浸かった人にとって関わりのある『はじまり』を再体験出来る、とあり、最後に『長時間浸かれるようにぬるめに設定してありますが、湯あたりにはくれぐれもご注意ください』と締められていた。
シキョウ:「おもしろそう〜〜〜〜っ、ねえねえ、みんなではいろうよ〜〜〜〜〜」
ゼン:「みっ!?」
 皆でかっ、と突っ込みを入れそうになったゼンの言葉をかき消すように、
ルイ:「それは面白そうですね」
 と涼しげな声で言う。
ルイ:「ですがわたくしは言いましたように、人前で肌を露出出来ない繊細な心を持っておりますのでここで勘弁願いましょう。皆さんで行ってらしてください」
 そう言いながら、何も無い所から取り出したのは人数分の湯あみ着。
ルイ:「お待ちしていますよ。どのような体験が出来るのか、お聞きするのが楽しみです」
 その横で、ほかほかと温まった顔の集団がどやどやと通り過ぎながら、
男たち:「いやいや、そういえばそうだった。いやーまさか落とし穴に嵌ったのが今の俺のルーツだったなんてすっかり忘れてたよ」
男たち:「ああそういえば作ったの俺だすまん。でもそう言うのはいいな、俺なんかあれだぞ?初めて浮気が発覚した時の妻の刺すような目を思い出しちまったじゃねえかよ」
男たち:「何言ってやがる、奥さん泣かしたって一晩こっちに酔っ払って愚痴吐いてたのはどこのどいつだ」
 和気藹々と笑いながら通り過ぎているのを、なんとなく5人が目線で追い、
ゼン:「落とし穴に嵌ってどう変わったのかが凄ぇ知りてえ」
 ぽつりと呟いたゼンに、思わず4人は頷いていた。

 それはともかく。
 効能には偽りなしと言う事が分かったため、ルイが出した温泉用の服を受け取って、様々な温泉が並ぶ間を歩いていく4人が、壁で仕切られた中へ入っていった。
ゼン:「何か頼りねえ薄さだな、これ」
 脱衣所で2人と別れ、ひらひらと湯あみ着を広げたゼンが呟くのを、まあまあとオーマが笑いながら上着を脱ごうとした時、
オーマ:「!?」
ゼン:「――っ!」
 温泉から感じ取った独特の波動――強烈な具現のそれに気づいて、着替える事なく温泉へと扉を開けて飛び込んでいく。と、温泉の湯の上にゆらゆらと張られた具現の膜へ、飛び込んでいくひとりの、黒尽くめ男の後姿が見えた。そのままするりと中へ消えていく男。
オーマ:「待てっ――」
 オーマが続けて飛び込もうとした刹那、ゼンがオーマの服を掴む。
ゼン:「待てよオッサン。…あいつらは?」
オーマ:「――!?」
 オーマの髪がぞわりと浮き上がる。そして、女性側の脱衣所の扉を開け放ち――。
 気づくのが少し遅れた。湯の上に張られていた気配が、一瞬遅れて一気に膨れ上がり、ゼン、オーマの順に飲み込んでいく。
シェラ:「オーマッ!?」
 同じように、その気配に気づいていたらしいシェラの姿に、突然戸を開けてしまってすまないと謝る暇も無く。
オーマ:「シェラ――逃げ」
 手を伸ばす事前に戸を閉めようとしたのに。
シェラ:「馬鹿ッッ」
 ばしん、とその手を引っ叩かれて扉を開け放たれた、その僅かな瞬間に、その一帯は具現の波にうねりながら飲み込まれていった。

ルイ:「――っ」
 外のみやげ物屋を冷やかしていたルイがぴくりと反応し、顔を上げる。
ルイ:「…これは…」
 外に出て、絶句するルイ。
 そこにあったものは、特別に作られた『はじまりの時』を体験出来る温泉のあった辺りだけに、天まで届きそうな真っ白い光の壁。わいわいと言いながら集まって来ている客たちにも見えるらしく、空を指して何か言い合っている。
ルイ:「あの4人以外は入れまいとしているようですね…これはまた、小癪な」
 今までにないくらいきらんっ、とルイの眼鏡が輝き、
女の子:「う、うわああああんっっ!」
母親:「あらあら、どうしたの?急に泣き出したりして。ああ、そうか、あの光が怖いのね?大丈夫よ――さ、こっちに行きましょう」
 すぐ近くにいた少女が何かに怯えたように突如泣き出して、母親らしき女性がその手を引いてルイから離れていった。
ルイ:「…ほほう」
 きらん。
 幼い子どもには、人の本性を見抜く力がある、とは良く言ったものだが、
ルイ:「これはこれは、驚かせてしまいましたかね…ふふ」
 くすり、と去り行く親子を見送ったルイが邪悪からは程遠い微笑を浮かべて呟いた。

*****

オーマ:「(…うん?)」
 ふっと顔を上げると、うとうとしていたのか、少し前の記憶が無い。
オーマ:「ふああああっ…」
 大きくあくびをして、頭をすっきりさせるために両腕を上へ伸ばして伸びをする。
 研究はなかなか実を結ばない。それは仕方ない事だと分かっていても、時々投げ出したい思いにかられてしまう。
 あと、何千回何万回同じ工程を繰り返せば、望んだ結果が得られるのだろう。
オーマ:「それとも別の切り口で攻めたほうがいいんだろうか…」
 ついつい、そんな気弱な事を呟いてしまうが、それにすぐ気づいて苦笑を浮かべた。
 何しろ、ここ数週間もずっとラボに詰めっぱなし。徹夜どころではなく、最近ではラボに住み着いていると笑われているのだから。
 それでも、理論上は間違っていない筈だ、とその事だけを支えにオーマは働いている。白衣姿で普段着を包み、試薬を手に、また実験を繰り返す。
 これが成功すれば、居住区へ堂々と戻る事が出来るのだ。そうすれば――。
オーマ:「もしかしたら…この漂流から逃れる術も見つかるかもしれないからな。よぅし、もう1度やってみるか。次は室内の気温をこのくらいに設定しなおしてと…」
 自分のしている事に迷いは無い。
 その事を再確認しつつ、オーマは口元に笑みを浮かべながら、再び器具を手にとって、時間を計りつつ実験を開始した。
 ――それが、既に終わってしまっている世界なのだと、過去の話なのだとオーマが気づくにはまだ少し時間がかかりそうだった。

*****

 世界が終わろうとしている。
 『その場』に降り立った瞬間、シェラはその事に気づいていた。
 何故なら。
シェラ:「…また…見せるつもりかい」
 気持ちの良い空、あの日もとても良い天気だった、そんな事を思い出しながらシェラが空を見上げ、視線を下に動かす。
 そこに広がるのは、人が住んでいる証――大きな都市もある大陸のひとつ。捨てられた地である大地と違い、ここはまだまだ希望に溢れていた。
 活気付いている世界は空気が違う。
 道行く人の顔も輝かんばかり。
 それも、後少しで終わる。

 ――災厄――いや。

シェラ:「…オーマ」
 呟きはとても弱々しく、辺りに聞こえるようなものではない。
 その者が来る事が分かっていて、誰ひとり救えない…その事が酷くもどかしい。
 しかし、これは『はじまりの湯』から繋がるものだった筈。だというのに、何故、『ひとつの大陸の終焉』をシェラに再体験させようとしているのだろうか。
 もしかして――この現象が、何かの始まりだった?
 自分は知らずにそれに立ち会っていた…そうなのか?
 シェラの問いに答えられる者はいない。

 終わりまで、あと、僅か。

*****

 走らなければならないような気がしていた。
 それが何故かは分からない。けれど、そうしないと、とても大切なものが、手のひらからこぼれてしまうような気がして――。
ゼン:「はあっ、はあっ、はあっっ」
 ゼンは気づいていない。今の自分の背丈がいつもよりも低い事も、髪の色が真っ黒に戻っている事も。
 彼の頭の中にあるのは、ただひとつ。

 止めさせる。

 何を?どうして?どうやって?
 いくつもの疑問が頭に浮かぶが、そんなものは知った事ではない。
 だから、自分に出来る事はただ走るだけ。
 追いつかせる。どうにかして――。
ゼン:「―――」
 けれど、その思いの裏で、ここまで必死になっている理由を探す自分がいる事も否めない。
ゼン:「(何故急ぐ)」
ゼン:「(既に終わっている事を)」
ゼン:「違う――違う!終わってなんか…!」
 なら、どうしてそこまで必死に急ぐ、そう聞く声は、悪魔の囁きのようだ。
 足を止めてしまえ、どうせ間に合わないのだから、と。

 だから、足は止めない。
 間に合わなかったとしても。あの時出来なかった事を――もう1度後悔したくないから。

 あの時?

ゼン:「そうだ――そうだよ。あの時は」
 凶行を止める事が出来なかった。あの男に全てを奪われて、嘆く事さえも出来ずにいたのだから。その後の傷は、今もまだ、心の一番深いところをえぐられたまま、癒える事が無い。
 だから、走る。走る。
 頭の隅では、もう終わった事だと、繰り返す事になるだけだと、叫んでいるにも関わらず。
 そして――。
ゼン:「………」
 ぐったりと横たわっている彼女を、見下ろしている、男を――
ゼン:「ぉ…おおおおおっっ……ッッ!!!!」
 始まったものは、怒り、だ。
 この男を一生かけてでも殺さなければ、そう、思いつめる程の。

*****

シキョウ:「ん〜〜〜〜〜〜〜」
 首を傾げながら、上を見上げるシキョウ。
 シキョウはぽつんとひとり、だだっ広い部屋の中にいた。
 どことなく見覚えがあるような気もするが、それ以上の事は思い出せない。
 とことこと歩いて、部屋の出口を探そうとしても見つからず、もう1度首を傾げる。
 足元には、室内なのにその場にそぐわない柔らかくほぐされた土がしっかりと敷き詰められており、そこからは小さな芽がいくつも飛び出していた。
シキョウ:「どこーーーーー?」
 上を見れば、吹き抜けらしいこの部屋を見下ろせるようになのか、小さく手すりのようなものが見えるのだが、いくらシキョウの身が軽くても届く筈が無い。
 つまんない、そう呟いてとことこと辺りを歩いていた時、ふっと頭上に影が差した。見上げれば、そこには上からゆっくりと降りてくる大きなお皿のようなものが見え。
シキョウ:「???」
 かっくん。
 首を大きく傾けながら、少し後ろに下がって、それが何であるのかようやく分かった。
 手すりのついた円形の動く床――そこから人が降りてきた事で。
 女性、だろうか。柔らかそうな布を身にまとい、シキョウに背を向けて楽しげに芽の出た地面の様子を調べている。
 その女性も、どこかで見たような気がする。けれど、こんな見知らぬ場所の見知らぬ女性に知り合いなどはいない筈だ。
シキョウ:「だ〜れ?」
 シキョウがその背に声をかける。すると、ぴくり、とその女性の背が動いたような気がした。少しだけ動きが止まったものの、振り返りはせずまた植物の世話をする女性。
 ――どんな顔をしてるんだろう?
 もう1度声をかけようと、すぅ、と息を吸い込んだ時、
シキョウ:「あれ?」
 目の前の世界が、歪んで行く。
 薄いスクリーンに貼り付けられでもしたように、急激に薄っぺらいものへと変化した世界に、不思議そうな声を上げたシキョウ。
 その彼女に、植物の世話をしていた女性が気づいたように振り返った。
 ――が。
 顔を確認する前に、するりとスクリーンが落ち、辺りは一気に闇に落とされた。

*****

オーマ:「…お?」
 夢から覚めたように、白衣姿ではない自分に気づいたオーマ。
シェラ:「―――――オーマ」
 そんなオーマに、一瞬だけ強い視線を向けたシェラが、次の瞬間飛びついていく。
オーマ:「おいおい、どうした?怖い夢でも見たみてえじゃねえか」
 おーよしよし、と背中を撫でながら、同じく集まったらしい、荒い息を吐いているゼンと、きょとんとしたままのシキョウを見る。
 いったい何がその目に映ったのか、聞き返しはせずに。
 そして――今度は、4人の目の前にふわりと被さるように、世界が、生まれた。

*****

ルイ:「――おや」
 光の壁を外から眺めていたルイが、何かに気づいたように顔を上げる。
 今はもう、温泉の外は野次馬でびっしりだった。とは言え、問題のある個所は例の温泉ただひとつ。他にはまったく影響が無いと言う事がわかったのか、温泉自体に入りに行く者は後を絶たない。
ルイ:「本当に、気楽な方たちばかりですね」
 そんな、敷地の中に入っていく人々の背中を眺めたあと、先ほどよりも強い視線で光の壁を見つめるルイ。
 そこから感じ取れる波動が、少し変わってきている。
 それは――生き物の鼓動のように。
ルイ:「………」
 あの4人が消えてから、そう時間は経っていないが、何かが変わり始めているらしい。
 それは、もしかしたら自分の求めているものと関係があるかもしれない。そう思ったか、ルイも入浴客に紛れて敷地の中へ入っていく。
 今まで外ればかり掴まされて来たのだから、今回は上手く行くようにと願いながら。
 そして、光に直接触れると、めりめりめり……と容赦ない音を立てながら空間を裂いて中へと体を潜り込ませて行った。

*****

 ここは――と、最初に呟いたのは誰だっただろうか。
オーマ:「そうか――そうだな。ここも、始まりの場所だな」
 オーマがそれに答えて、ロストソイル直後らしい世界を眺め回した。
 全てが1度終わった世界。そこで終わったものもあれば、そこから始まったものもある――だが、これはいったい、『誰の』始まりの場所なのだろうか。
ゼン:「!?」
 『それ』に、最初に気づいたのは、ゼン。
 これから見捨てられる事になる地から、ゆるりと顔をもたげたもの――ロストソイル後から突如発生した、原初のウォズと呼ばれる存在。その、ひとりを。
シェラ:「相変わらず…大きな体をしてるよ」
オーマ:「その後、ずいぶん進化したが、基本的な所は変わってねえからな」
 確か、原初の頃のウォズも、その頃から同時発生した異端たちによってかなりの数が狩られ、封印されていた筈だ。目の前のひとりも恐らくは、そのうち誰かに見つかるのだろうが…オーマもまた、長寿故にこうした初期のウォズの存在を知っていた。血気盛んだったこともあり、自分も進んで封印に走り回っていた記憶がある。
 そういえば、とオーマは言葉に出さず呟いた。VRSと言う存在を知ってから、調べ始めてわかった事だったのだが、オーマの持つ図書館の中にも、それと気づかせないように隠語交じりで綴られていた文書があったのだ。
 遡れば、求めていたものに出会う事もあるだろう――そんな、意味深な言葉も書かれていた事を思い出し、そして…ほんの少しだけ、背中がひやりとした。
 目の前にいるウォズは、オーマたち4人はまるで気にしていないらしい。いや、そもそも見えていないのかもしれない。
 その、原初の頃のウォズを『材料』にしたモノがあったとしたら。
 能力の向上を求めるために、そうしたモノばかりで構成されたVRSがあったとしたなら。
 そこから――その力を制御しきれずに、新たな異端が生まれてもおかしくはないのではないか、と。
シキョウ:「オーマ?どうしたのー?」
 ひょこんとシキョウが顔を出し、オーマの腕にぶら下がる。
オーマ:「…いいや、なんでもねえよ。ただ、こういう光景を見るのが珍しいなっつう事を思ってただけだ」
シキョウ:「そうなのー?」
 そうだよ、と目を細めながらシキョウを見、その頭を撫でるオーマ。
 その世界に、異変が起こったのは次の瞬間。

???:「珍しいと言うのか。本当に覚えていないのだな」

 そんな声が、背後から聞こえて来たからだった。
オーマ:「覚えていないってのは、どういう事だ」
???:「言葉どおりだ。――オーマ。君は、私を1度封印している」
 どこから聞こえてくるのか、その声は淡々と言葉を続けながら、殺気に近いプレッシャーをオーマへ浴びせ掛けている。
ゼン:「どこだ!?」
 咄嗟にゼンがシキョウを内側に隠すようにし、シェラが空いた方向をカバーするように立つ。
オーマ:「…つまり。この風景は俺様にも関係があるっつう事か」
???:「君だけではない。シキョウ、君もだ」
シキョウ:「シキョウも?」
ゼン:「シキョウ、すんなり聞くんじゃねえよ」
 自分の名前が出た事で、きょとんとしながら聞き返すシキョウ。そんな彼女にゼンが声を上げ、どこからともなく聞こえて来る声の場所を特定しようと鋭い視線を向ける。
???:「始まり、とは良く言ったものだ。そのお陰で、ここまで長い間探しつづける羽目になるとは思わなかった」
 ゆらり、と現れた男が、オーマへ鋭い視線を向けた後で、3人に囲まれる形になったシキョウへ柔らかな視線を向ける。
男:「まだのようですね…残念ですよ」
 その声に篭められた何らかの『思い』に、4人が男を見る――そのすぐ脇の空間がめりめり…と裂けて行き、
ルイ:「こんなところにいたのですか。探しましたよ」
 ルイが、すっと裂け目から姿を見せてにこりと笑いかけた。

*****

ゼン:「ったくよう、何であそこで出てくるかな。あの野郎をどうにかするチャンスだったってぇのに」
ルイ:「…おや?わたくしが皆様を助けに来なければ良かったというような口ぶりですね?」
 にっこりと笑いながら、ルイが、ずずいとゼンへ近づいていく。
ゼン:「あ、いや、そりゃ、『道』を開いてくれて助かったけどよ」
 皆がルイに気を取られている間に、男はどこかへと消えてしまった。それを思い出したか、ゼンがルイに口を尖らせながら文句を言う。
 ルイが自分の技を駆使して無事元の世界に戻った後、間もなく光も消えた。そして、どういう訳か温泉はただのお湯に戻っていた。
 そしてルイを除いた4人がとりあえず疲れた体を普通の温泉で癒した後、部屋に戻ってから寝る前に話をしていたのだが、そこでゼンが口を滑らせたのだ。
ルイ:「あの道がなければ戻れないというのも不憫な話ですけれども。仕方ないでしょうね、あの空間はかなり特殊なものでしたし。――そう言えば、あの方は一体?」
オーマ:「…んー。良くわかんねえんだよな。VRS、か、HRS、か、その辺だろうとは思うんだが」
 オーマがそう言った後で、そう言えばその話について詳しく知るものはこの中にはいなかったな、と思い直し、
オーマ:「まあ変わったやつだと言う事で。そう言えばシキョウは大丈夫だったか?」
シキョウ:「え?なにがーーーー?」
 はむはむ、と夜食を口いっぱいに頬張っていたシキョウが、くるんと振り返る。それを見て苦笑したオーマが、「ああ、食べてていいから」と手をひらひら振った。
ルイ:「ふむ?なにやら熱烈に思われていたようでしたが、大変ですね」
ゼン:「何で俺にその話を振るんだよ!」
 急に話を振られてかっと顔を赤くするゼンがいきり立つのを、下から眺めたルイがにこりと笑いかけ、
ルイ:「なかなか良い反応でしたね♪」
 きらん、と眼鏡を輝かせた。更に顔が赤くなるのを分かっていての言葉に、オーマとシェラが苦笑する。
 そして、シェラが小さくあくびをした。
シェラ:「明日はもう帰るんだから、そろそろ寝るよ」
オーマ:「お。それじゃ俺もそうするか。シキョウ、おまえさんも食べ過ぎねえでそろそろ寝た方がいいな」
 夫婦がいそいそと寝る準備を始めたためか、ゼンがルイへこれ以上突っ込みを入れる事も出来ず、ぐっ、と何か言いたそうなのを堪えて自分の寝床へと移動するゼン。
 その後姿をくすくす笑って見送ったルイが、一番最後に床についた。

ルイ:「……………なるほど。調べてみる必要がありそうですね」

 布団をシェラにかけてもらって、ぽんぽんと軽く叩かれて嬉しそうに笑うシキョウ。
 その彼女を見るルイの目には、どこか――氷を思わせる冷たさがあった。


-END-