<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
『オウガストのスモーキークォーツ』
<オープニング>
黒山羊亭に酒を飲みに来た詩人のオウガストは、エスメラルダに突発的に仕事を頼まれた。依頼者がいるからよろしくと言う。
青年は、時々店のテーブルを借りて、客にカードを引かせ言葉を選び、その言葉を織り込んだ夢を見せるという商売をしていた。
「今日は純粋な客で来たんだがなあ」
今夜はカードもないし、大きな水晶もない。今、身につけているのは左手中指のスモーキークォーツぐらいだ。だが、自分を覚えていてくれて、リクエストを貰えるのは嬉しかった。
「わかった。
観客無しで、二人一組、好きな言葉を二つ選んでもらう。但し、この『黒山羊亭』の店内に有るもの。“テーブル”とか、“酔っぱらい”とか。自分の持ち物でもいい」
「ありがとう、オウガスト。さっそくお客様を呼んでくるわ」
* * * * *
「いいかな?」と、軍服に似たコートをまとう青年が椅子に腰を降ろした。華やかな金髪が美貌の面を飾っていた。
青年?、否、衿を締めず緩く開いた胸元から膨らみが覗く。男装の麗人と言う言い方は古いか、とオウガストは心の中で苦笑した。
「言葉は?」
「<酒>と・・・。コレではどうかな」
キング=オセロットと名乗った客は、先刻から一時も指から離さない紙巻き煙草を静かに持ち上げた。ふわりと紫煙が踊る。
「<煙草>ですね。了解です」
オウガストは、手元に置いたメモ紙に付けペンで書きつけた。さすがに13組目となると、言葉が混乱しそうだ。
二つ目の椅子には、治癒術士の青年が座った。小柄で痩身、柔らかい顔立ちだが、こちらは正真正銘、青年のようだ。
「カイン・ヴィンドヘイムといいます。よろしくお願いします」
無邪気に笑うと、「ええと」と椅子から中腰になり、ポケットの中身を探った。南国の鳥のものだろうか、鮮やかな赤と黄色のツートンカラーの羽と、藍色の濁りが混じったビー玉と、それから少しの糸くずのゴミがテーブルに置かれた。
オウガウトは笑みを噛み殺した。まるで子供のポケットだ。
「<羽>と<ビー玉>でいいですか?」
少しも悪びれず、カインはニコニコと笑っている。善良な仔犬のような笑顔で。
二人は、紐の先で揺れるクモーキークォーツの振れに、コトリと眠りに落ちた。
< * >
昔は安酒場だった安食堂のカウンターに腰掛け、カイルはパスタを啜っていた。右手のフォークで長い麺を巻き取りながら、左手は腰に下げた袋の<ビー玉>をカチャカチャと鳴らした。これをくれた小さな友達の、今は天に召された魂を想いながら。
報復。復讐。天誅。穏やかで優しげな容姿に似合わぬ言葉ばかりが、頭の中を蠢く。
カイルは、機会を待っていた。ただ、待っていた。漠然と。焦がれるような気持ちで、いつものように扉を眺めていた。
突然跳ね扉が踊り、軍人に似た風情の女性が入って来た。
初めて見る顔。よそ者だった。隙の無い立ち姿は戦闘のプロのものだ。輝く豊かな髪を耳元で緩く結び、右目に片眼鏡を嵌めていた。
カイルは最初は『嘘だ』と思った。『まさか』、こんな『千載一遇な』ことが。そして、左手でビー玉に触れ、唇を噛んだ。
混んだ店内で、空席を探しているようだ。カイルの隣が空いている。
カイルは深呼吸すると、銀の髪を掻き上げた後、手で『どうぞ』という仕種を見せた。
女は腰を降ろして一息つくと、さっそくポケットから<煙草>を取り出した。
「吸ってもいいかな?」と、カイルに尋ねた。カイルは笑顔で言った。
「いいえ、ダメです」
女はマッチを擦ろうとしていたところで手を止め、こちらを凝視した。
「あなたは街へ来たばかりですね?この街は喫煙は禁止されているのです」
「街全部が?この店が、でなくて?」
青い切れ長の瞳が、驚きで丸く変わった。そして諦めたように煙草ケースをポケットにしまうと、カウンター内のマスターに声をかけた。
「フィッシュ&チップスと、スコッチをストレートで」
今度は恰幅のいいマスターが肩をすくめる番だった。
「すまんな、この街には<酒>は無いんだ。飲んでもいかんし、売ってもいかん」
「酒も、か?」
「城主様が出した法律でなあ」
マスターも、口髭をもごもご動かして不服そうだったが、「飲み物の方はオレンジジュースでいいかね?」と苦笑してみせた。
「ここの城主様は、よほど禁欲的な方だな」
ため息をついてグラスを握る女軍人に、カイルが苺ジュースのグラスをかちりと合わせた。カイルが名乗ったので、女もキングと名前を告げた。
「城主様の肖像画が、ほら、壁に飾ってあります」
カイルが指差した壁には、ごてごて花や<羽>で飾った帽子を被った、まだ少女のような赤毛の娘が描かれていた。
「ルディア様です。亡くなった前のご城主様のお嬢様で、お父上が健在な頃は、世を知る為に酒場で働いていたとか。
その時、煙草の紫煙がとても不快でいらしたそうで。世襲されると、すぐに禁煙の法律をお出しになりましたよ」
愛煙家であるらしいキングは、眉根を寄せて聞いていた。更に、眉間の皺が深くなるような話が続く。
「酒は悪の源だそうで、『おじさんって、お酒を呑むと女の子のおシリを触るから、イヤっ!』ということで、禁酒令です」
「私はおじさんではないから、女性の尻は触らないがな。女性客には酒は解禁にしてもらいたいものだ」
「僕だって、触りませんよ」とカイルは笑ってみせた。
食事を終えて店から帰ろうとする客の一人が、カイルの元へ寄った。
「薬を一本、もらえるかね?」
カイルはスツールの足元に置いた木箱から、緑色のボトルを取り出した。客は銀貨十枚をカウンターに滑らせた。キングが不思議そうにカイルを見た。
「僕は治癒術士なのです。病人も診ますが、薬も作って売っています」
また薬を買う客が寄り、カイルが「最後の一本です」と言って渡した。
「薬、か。買って行くのは元気そうな奴らばかりだ」
「薬士だけ、薬用に酒を造ることが許されていますので」
「なるほど、そういうことか。私も欲しいが」
「家まで来ていただけばお売りします。でも、薬酒ですよ?ワインに甘草等の薬草を漬け込んであります。それでよければ」
キングが頷くことはわかっていた。食事が終わると、カイルは彼女を連れて外へ出た。
この街は夜も明るい。満月のせいでも飲み屋街のランプのせいでも無い。
キングが気付いてそれに触れる。
「建物の壁に、切ガラスやら銀やら金やらが埋め込まれていますから。窓にも、高価なのにガラスが張ってある家が目立つでしょう?」
カイルは簡潔に説明した。
「ルディア様は、キラキラした綺麗なものがお好きで。建物を奨励してこのように変えました。昼間はもっと眩しくて綺麗です」
「・・・。少し“変わった”城主様のようだな」
キングは、お嬢さまのわがままで街が治まるのかと思っている。
「他に、知っておいた方がいい、この街特有の決まりはあるか?」
「うーん、そうですね。あ、キングさんの髪の色は、ここでは金髪とは言わず、黄色髪と呼びます。金髪は城主様のあの髪の色です」
ルディアの髪は、贔屓目で言えばオレンジがかった金色・・・普通に見た人は『赤毛』と言うだろう。
「なるほど。それから?」
「街を歩く時には、キラキラする物を身につけること。キングさんはその片眼鏡で大丈夫ですよ」
「よほどキラキラが好きと見える」
「本当の勅令は、“宝石を身につける”です。でも、貧しい者は偽の宝石でもいいことになっています。僕は、コレを付けてます」
カイルは、腰に下げた袋を目の高さへ挙げた。太い糸で編まれた袋は中身がよく見える。青や緑のビー玉が幾つも重なりあっている。それは月の光を通し、そして反射し、複雑に輝き合った。
既に扉の降りた店の前で立ち止まり、カイルは鍵で中へ入った。キングも続く。
壁の両側には天井近くまで薬草棚が並ぶ。ここはカイルの聖地だ。薬の匂いがカイルをほっとさせた。
乾燥葉の透明な壜と、刈りたての薬草の束。床には樽やカメも並べてあった。
「一本でいいですね?」
カイルは木箱から瓶を取り出す。キングが樽の蓋に金貨を一枚置いた。
「細かい持ち合わせが無いのだ、すまん」
「お釣り、無いですよ。それとも十本持って行きますか」
「そんなに持てるか」
「お釣りの分、診察しましょうか?」
「私はサイボーグだ、治癒術士の担当じゃないだろう」
カイルはその答えに含み笑いを返した。なるほど、ただの戦士では無いと思っていたが。
「薬の料金はいりません。その代り、お願いがあります」
カイルは部屋の机から街の一枚地図を引っ張り出し、キングへ差し出した。スラムの通りに赤で印が付いたものだ。
「警察兵を連れて、この場所へ行ってもらえませんか」
言ってから、もう後に引けないと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「・・・?」
「この場所で、煙草よりもっと悪質なモノを吸っている連中がいます。逮捕させてほしいのです。
彼らの一人が運転した馬車が、先日、子供を撥ね殺しました。以前、僕の患者だった子です。薬を甘くして飲みやすくしてあげたお礼に、僕はこのビー玉を貰ったんです。
青年の親は金で証言を買い、子供が急に飛び出したことにしました。息子でなく、別の者を運転者に仕立てました。
事故の時も、ラリっていたのでしょうね、馬車は蛇行して走っていたそうですよ。歩道に半分突っ込んで、子供を撥ねてそのまま去ったそうです」
「なぜ、あなた本人が動かない?」
「僕はこの街で生きています。青年の親は有力者ですから」
「で、よそ者の私に頼むのか」
キングはにやりと笑ったようだった。承諾を告げる為か、謝礼の薬壜をカイルの前で握ってみせた。
「ルディア様の政策、僕は、実はそんなに嫌いじゃないんですよ」
薬草店を出ていくキングの背中に、カイルは語った。わかってもらえるかどうかは確信はなかったが。
「子供っぽいけど、悪政では無いです。本当に酒が飲みたい人は隣街へ行って飲んで来ます。街での喧嘩は減りました。
煙草は、吸わない回りの人の体にも悪いですしね」
翌日、警官が麻薬を喫煙していた不良青年達を逮捕したというニュースを聞いた。『あの青年』の名も含まれていた。目撃した旅人の通報に警官が動いたという噂にカイルは微笑み、左手でビー玉にそっと触れた。
煙草の何倍も麻薬の罪は重く、親の力を持っても刑期は逃れられない。
* *
カイルの別れ際の言葉に納得がいかなかったキングだが。
警察の事情聴取を終えて、深夜に宿に辿り着き、一気に甘い酒を飲んで寝ついた。カーテンを引くのを忘れた。眩しさに目がヒリヒリ痛んで起きた。
朝、窓の外は光の洪水だった。驚いてキングは窓に鼻を擦るように外を眺めた。
通りじゅうの壁や窓が光に溢れていた。建物の輪郭は線が飛び、蜜のようにとろけて見えた。勤めに出る人々も、髪に服に飾った光り物が赤や黄色に反射し、白い壁にさらにプリズムを映し出した。
美しい朝、美しい街だ。この朝は、生きる気力に満ちている。
カイルの言った意味が、わかる気がした。
* * *
カイルも店を開けた。薬草に強い日差しはよくないので、入口に日除けのすだれを掛ける。
危険を侵さず、手を汚さず。自分のしたことは、そうお綺麗なことじゃないと承知していた。
患者の中には、治療に感謝してか、カイルの美しく優しい容姿ゆえか、『天使のような』と言ってくれる人もいるが。もう大人である青年は苦笑するばかりだ。
すだれの適度な影が、カイルをほっとさせた。
* * * *
ぱちりと、カイルは青い澄んだ瞳を開いた。起きるなり笑って抗議する。
「ひどいな、僕、なんだか腹黒でしたね」
「そんなことも無いと思いますが、まあ、“夢の中”の物語なのでご勘弁ください」
「僕、このビー玉のこと、オウガストさんに話しましたっけ?」
詩人は「さあ?」と、大袈裟に両手を広げてみせた。
キングも目覚め、紙巻きを取り出した。が、また納めようとした。夢でカイルに『回りの人の体に悪い』と言われたからだろうか。
オウガストが「ここは酒場です。みんな承知で来ていますから、いいんですよ」と背を押し、カイルも頷いた。キングはほっとした表情で煙草に火をつけた。
離したのはたった数分だったはずだが、一日ぶりに出会えた恋人のように、キングはいそいそと白い切り口に唇を触れ、深く煙を吸い込むのだった。
< END >
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 外見年齢(実年齢) / 職業】
2872/キング=オセロット/女性性/23/コマンドー
1256/カイル・ヴィンドヘイム/男性/21/魔法剣士兼治癒術士
NPC
ルディア・・・夢の中では城主/現実では白山羊亭ウェイトレス
エスメラルダ・・・黒山羊亭の踊り子
オウガスト・・・貧乏詩人
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
夢の話の都合上、剣士の設定が生かせなくてすみませんでした。
今度は是非、戦闘もので・・・(汗)。
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