<東京怪談ノベル(シングル)>
『そらの斗七星』
遅い夜明け。
ようやく空に重く垂れ込めていた雲が割れ、もう地平から完全に姿をあらわしているはずの陽の光が幾筋かの束となって、さっと地上に降りてきて大地を光と影に染め分ける。
天使の梯子だ。
そして夜を吹き払うかのような清しい風が世界を洗うと、さっきまで誰もいなかったはずの草原に、女の子が一人立っている。
長い夕日色の髪が目にあざやかで、どうやら小さな女の子のようだが、ここからは後ろ姿しか見る事はできない。
その少女はしばらくじっと立ち尽くしていたが、おもむろに両手を高々と掲げると高く澄んだ声で叫んだ。
「ソーンだーーーーーーー!」
お日さまのトビラを開けて、光のハシゴでこの聖獣界ソーンに降りて来た天使の名前は、斗七星。
斗七星(となせ)は見習い天使である。誰がなんといおうとそうなのである。どこから来たのかと誰かが問えば知らなーいと答えるし、天使って何をするの?と聞けば、人々に夢と希望を幸せを運ぶプロフェッショナルなの!と元気な返答がもらえるだろう。
どうやって?とさらに尋ねれば、うーんと腕組をして考え込んだあとに、ぱっと嬉しそうな顔をあげてこう言う。
「歌うの!」と。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
誰かがとなせを呼んでいる。
いつもそうだったし、今度もそうだと思った。
ふわふわと空の世界を漂っていた斗七星は遠い遠いところから流れる風の音に耳をかたむける。ひゅるひゅるという風たちの合唱のなかに誰かが添えた、ひとりぼっちのメロディ。斗七星はその音にあわせて歌い出す。どうしても惹かれたから。
はじめて歌う歌だから、ところどころ本来のメロディとは外れてしまったけど、不思議と不快感はない。美しい和音。
斗七星は風の来た処、そして行く先に向けてそっと両手を差し伸べる。両手の間にぼんやりと優しく輝く小さな太陽があらわれた。
広げた翼が金色に光って、お先にと斗七星のそばを通り抜けて行く風がその世界の名前を囁く。
ここは……。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
そんな斗七星は今は遠くにエルザードの都を望むこの草原にいる。土も草も空気も今までいたところと同じなのに、はじめて踏む感触、はじめて触る草、はじめて嗅ぐ風の匂いがうれしくてくるくると踊る。見えない翼を羽ばたかせて、まだ名前も知らないあの国あの都にはどんな人がいるんだろう、どんな暮らしをしているんだろうと歌う。
それは言葉にはならなくて、その意味は空を飛ぶ鳥さんにしかわからなかったけれども。
歌うことは斗七星のお仕事。歌えなきゃ斗七星は死んじゃうよ、と斗七星は笑って言う。歌うことは斗七星の生きることそのものだから。
ひとしきりくるくるした後、斗七星はぺたんと草の上に座り込んだ。きょろきょろとあたりを見回す。
「となせを呼んだのはだーれ?」
応えはない。
斗七星は天使見習いだ。人々に夢と希望を幸せを運ぶ。運べば運ぶほど一人前の天使に近付ける。でも斗七星だって誰彼かまわないというわけではないのだ。今まで斗七星が関わって来た人々とは不思議な縁があったといった方が正しい。
たとえば斗七星がその人を好きになったり、斗七星がその人を大好きになったり。
草原には見渡すかぎり、人の影はない。
もしかして、来るのがちょっと遅かったのかな。
だんだん斗七星はそう思いはじめた。ここは素敵なところだけど、人や建物やお店がない場所ではすぐに待ちくたびれてしまう人なのかもしれない。それとも、自分がちょっと外れたところに出て来てしまったのかも。
都のほうを見る。遠目に白く輝く町並み。立派なお城。斗七星の胸がどきどきどきどきっと高鳴りだした。いったコトのない場所。でもずーっと前に来たことがあるかのような懐かしさをおぼえる。こういう時は絶対にいいことがある。いい出会いがある。
ずっと離れてたココロが、そこにあるような気がする。会えるような気がする。
どきどきが止まらなかった。これを止めるにはそこまで行って、その人に会わなきゃいけない。
ゆるく目をとじて、両の手をひろげるのと同じに羽をふわりとひろげると、風を受けて身体がふわんと後ろにおされるように浮かび上がった。空に体をゆだねると、さっきまでは気付かなかった、あの風の歌がまた聴こえてきた。あのメロディも。呼んでいる。
夕日色の目をひらくと、どこまでも透き通った蒼の空が映る。斗七星はとてもとても嬉しくなる。
「いま、斗七星がいくからねーっ!」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
ほんとは斗七星、神様のこと、見たコトないかもしれない。
ほんとは斗七星、天使見習いのおトモダチのこともあんまりおぼえてない。
天使ってなんだろう?かみさまはいるのかな?
そう思うときもあるの。
だから斗七星は歌う。
神様が斗七星にしてほしいコトって、きっとこれだから。斗七星のしたいことだから。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
空から歌声が響いてきた。
『彼』はおもわず歌声のするほうを仰ぎ見る。
夕闇せまる空から、名残りの夕日色をまとって少女が降りて来る。
小さな天使。
『彼』は微笑んで、手を差し伸べる。
おわり
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