<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


秋風に吹かれて

「ちょっと、其処の君」
 暖かな陽気の漏れ込むヴ・クティス教養寺院。――其の渡り廊下の中程で、不意に声を掛けられる。
 振り返れば其処には、中年の女性師長が此方を目標にと真っ直ぐ歩み寄る姿が映った。
「今、暇でしょう?」
 師長の其の有無を言わさぬ笑顔に、自身に拒否の権限の一切認められない事を知り……。
 今日が其れなりに面倒な一日になる事を、其の時悟った。

 * * *

「まぁ……。先程此方へ伺った時にも察しはしましたが、矢張り酷い有様ですねえ」
「ああ、元が湖であったのだとは到底思えない。これは……酷いな」
 眼前に映る、広大な泥溜まりを瞳に収め。自身の水操師としての能力を磨く為、久方振りに寺院へと訪れていたシルフェ(しるふぇ)の発したゆったりとした問い掛けに――偶然にもこの場に鉢合わせてしまった、アレスディア・ヴォルフリート(あれすでぃあ・う゛ぉるふりーと)がある種感心めいた呟きを漏らす。
 そして二人に応じるかの様に、勢い良く飛沫を上げた泥の水面と共に、聞き心地の良い低音が辺りへと隙間無く響き渡った。
「掃除って言やぁ、やっぱよ。日頃番犬ラブハニーに紅色ナマ絞り愛★されてやがる、この下僕主夫哀愁筋ゴッドスキル★のナニっつーか見せ所ってかね?」
 澄んだ秋風の吹く青天の空の下……。ソーンに名を轟かせる腹黒同盟の勧誘、普及の為寺院まで足を運んでいたオーマ・シュヴァルツ(おーま・しゅう゛ぁるつ)も又。具現能力により身に付けた防水加工完備筋うささんマーク入り桃色エプロンと、三角巾をひらひらと風に揺らめかせ――。泥溜まりの中を、威勢も良く仁王立ちして居た。

 ――師長の話によれば、今季に入り、寺院周辺へ長期に渡り降り続けた雨は湖の嵩を著しく増大させ。雨季が去り一応の峠は越した物の、残された不純物等に湖が汚染され、果てには大規模な泥溜まりと化してしまったのだと言う。

 聞くや否や、慎重にも湖の泥を掌に掬い上げ思案するシルフェ、アレスディアを他所に。長い棒の様な物の先端に、オーマ宅在住の人面草や霊魂をきつく括り付けたオーマは、其れ等を些か乱暴に泥溜まりに突っ込むと、彼等を用い塵や不純物の排除を試み始めた。
「おらおら、ガンガン行くぜぇ〜!」
 浅瀬に棒を突っ込み、突っ込んでは後方へ振り切って。
 地道な作業とは裏腹に、オーマの後方へはドロドロとした得体の知れない不純物や、果てには人の人相を持った人面藻等が次々と山の様に積み上げられていく。
「……では、私は中央の深みの塵を除こうか。確か、船は自由に持ち出しても良いのだったな?」
 オーマの疲労を知らぬ様な其の怒涛の手際に、自身の役割を確認したアレスディアも又。師長の手回しした小船を一艘、今は泥溜まりと成り果てた湖の中央部へと向かい、慎重に櫂を進ませていった。

 * * *

 各々が湖の不純物除去を開始して、どれ程が経った頃であろうか。僅かに日の傾き掛けた空から注ぐ、未だ熱を帯びる其の斜光は大地に在る湖が、申し訳乍らにも清らかさを取り戻しつつある事を確かに伝えている。
「あ、其処の方、気をつけて下さいね?」
 しかし。不意に掛けられたシルフェの声に、オーマ、アレスディアが各々其方へと首を巡らせ様とした時――其処に異変が生まれた。
「うお……っ!!」
「くっ――何だ……っ?!」
 低い地響きと共に揺れる大地にオーマが腰を据え、アレスディアは自身の漆黒の突撃槍を構え、利き手に強く握り込む。
 しかし、そんな微弱な抵抗も敵わず、現在迄自身の足元に溜まっていた筈の『湖』が、二人の周囲を抜け全て上空に吸い上げられ。――かと思えば、ほんの僅かの時間空に留まっていた其の大量の『湖』であった筈の物が勢い良く、二人を巻き込み元居た場所へと激しく降り注いできたのだ。
「――あらまあ。びしょ濡れ。御免なさいね」
 何事かと文句も言う暇も無く、向けられたシルフェの笑顔に水滴を滴らせた二人に残された行為はと言えば、つい先程まで確かに異変を来たしていた自身の周囲を見渡す事位で……。
「……こりゃ、凄ぇな……」
「お褒め頂いて光栄です」
 只茫然と、浅瀬に尻餅を突くオーマ、危うげに水を含んで揺れるアレスディアの小船が浸かる……。先刻迄泥溜まりであった筈の其の湖は、周囲に泥が浚われ、何時もの雄麗な様を取り戻していた――。

 * * *

「シルフェ殿は、良かったのか?あれは貴方が受け取るに適う物だろうに……」
「ええ、私には幾ら何でも多過ぎます」
 濡れそぼった衣服を着替え、肩にフェイスタオルを掛けたアレスディアからの問いに、シルフェは澱みも無く答える。
 あれから、掃除を終えた三人は師長方からせめてもの御礼と労いとして、寺院のテラスにて紅茶とお茶菓子が振る舞われ、互い漸くに得た穏やかな時を交えていた。
 驚いた事に、澄み切った湖より除かれた泥の山の中には、懐中時計や指輪と言った骨董の類の物も多分に含まれており……。シルフェの意向により其れ等は全て師長の下に渡され、保管と、落とし主の捜索を合わせて引き受けて貰ったのだ。
「其れよりも……オーマ様、でしたでしょうか?貴方様こそ、本当にそんな物で宜しいので?」
「おお、俺は寧ろこっちの方が有り難い位だからな!」
 緩やかにお茶を口に含み、アレスディアと同様、肩にタオルを掛けた儘談笑する其の姿とは不釣合いに。
 オーマの座る席の、其の眼前には――掃除の際に収得した人面藻が、何とも無造作な様でテーブルへと置かれていた。


【完】

■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【2994 / シルフェ (しるふぇ) / 女性 / 17歳(実年齢17歳) / 水操師】
【1953 / オーマ・シュヴァルツ (おーま・しゅう゛ぁるつ) / 男性 / 39歳(実年齢999歳) / 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2919 / アレスディア・ヴォルフリート (あれすでぃあ・う゛ぉるふりーと) / 女性 / 18歳(実年齢18歳) / ルーンアームナイト】

■ライター通信■

シルフェ様
オーマ・シュヴァルツ様
アレスディア・ヴォルフリート様

初めまして、こんにちは。ライターのちろと申します。
今回は、ヴ・クティス教養寺院による手間の掛かる清掃作業にお付き合い頂き、誠に有り難うございました。
皆様が一人一人とても個性的で、ノベルを書かせて頂いた際にまるでジャンケンの様な性質に楽しくお話を綴らせて頂きました。
ノベルの中でのPC様の言動が、PL様のご希望に適っておりましたら至極光栄です。

聖獣界ソーン初の執筆に、暖かなご依頼をとても嬉しく思います。
それでは、又何れかの物語でお会いする事の出来ます様……。