<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


依頼タイトル  :閉じた記憶
執筆ライター  :間垣久実

------<オープニング>--------------------------------------
「どう?」
「……」
 黙ったまま、ゆっくり首を振った男が溜息を吐いて、手の中にあるカップの中の酒を一気にあおる。
 その男を心配そうに見つめる女性…その不思議な雰囲気の2人を、店の中にいる客が何となく息を詰めて見守っていた。恋人にも見えず、家族でも無さそうで、だがどことなく繋がりがあるように見える、そんな2人。
「他に行ってみましょう」
「…ああ」
 かたり、と立ち上がり、女性が代金を払うと先に立って店を出て行く。
「なんだありゃ?」
「あー、あれか?俺も詳しくはしらねーけど、あの兄ちゃん、記憶を無くしたまま浜辺に打ち上げられてたんだと。あの様子だとまだ忘れたままらしいな」
「じゃああの付き添ってた姉ちゃんは?」
「さー?」
「身内か恋人じゃねえの?」
 そんな憶測が飛び交い、そこにいた客が出て行った2人が座っていたテーブルに視線を注ぐ。良い肴になったとでも思ったのだろう。
 だが、その話はそこで終わらなかった。
「……から、……っ!!」
「そんな…ちがう、……でしょう!?――いや、いやああああ!!」
 何か争うような声、悲鳴…物の倒れる音。それらに何事かと店の中に居た人々が外へと駆け出していく。

 そこには。
 男が、地面に膝を付いていた。半開きの口は、何か叫びだしそうで何も言わず、ゆっくりと立ち上がる。
 血まみれのナイフは、その手に。――何の感情も浮かんでいない目が、駆け寄ってきた人々へと向けられ、そして。
 その足元には、腹を押さえて呻いている、女性の姿があった。

*****

「兄貴はそんなことするような奴じゃない!」
 どん!と、固く握り締められた拳が木のテーブルに激しく打ち付けられる。
 カーク・クレイド――記憶を失った男が、恋人のジョディを殺しかけた罪で町の警邏によってその場で取り押さえられ、牢に入れられたその翌日。
 カークの弟のケニスが、騒ぎのあったすぐ近くの店――白山羊亭へと訪れていた。兄に似た顔立ちは良く日に焼けており、普段なら元気の良い笑みを見せてくれるのだろうが、今はその顔も酷く歪んでいた。
 問題は。
 当人が一切の抗弁をしていないという事にあった。カークが犯人と言う事で見解は一致していたが、事情が分からないだけに困り果てている。何しろ、当人は暫く前に一時行方不明になっていた男で、戻っては来たものの、その記憶はすっぱりと切り落とされていたからだ。
 今もまだ自分が誰なのか思い出せていないらしく、時間を見ては以前から恋人のジョディと一緒に思い出の場所を回っていた、その最中の出来事だったらしいのだが…。
「頼むよ…兄貴が、ジョディにあんな真似をする筈ないんだ。犯人は別にいるんだ」
 連絡が行ってから寝ていないのだろう。目の下のクマが疲労の度合いを語っていた。
「俺の出せるだけの報酬全部出すから。何なら船売ったっていいんだ」
「ま、待ってよ。…とにかく、心当たりに話を聞いてみるから。ね?」
 ルディアは、そう言って押し留めることしか出来なかった。
 困ったなぁ――そうありありと顔に浮かべながら。
 彼の事は以前も兄の捜索を頼まれた事があり、知っている。けれど、今回のような犯罪騒ぎで既に捕まっている者を、どう助ける事が出来るのか思い浮かばなかったからだった。
 それでも、目の前の真剣な顔をしている青年の言う事を信じてみようと言う気にはなっていた。

*****

 白山羊亭に、6人の男女と、依頼側のケニスが集まっていた。青年は気を揉んでいるのか、浅黒く焼けた肌に似つかわしくない冴えない表情で、集まってきた皆を縋るように見詰めている。
「まさか、また集まるなんて思いませんでした」
「確かに」
 その中で、ケニスとも顔見知りらしい2人の男女は、彼と同じように憂いの表情を浮かべていた。
「どうか、したんですか?」
 心配そうにその2人に問い掛けたのは、リラ・サファト。神父らしき格好をしている銀髪の青年、高遠聖の隣からそっと訊ねるのを、みずねと水留の2人が、ちらと顔を見合わせて、
「…この話、以前に関わった事があってね」
 水留がそう言って話し始めた。過去にも一度、ケニスに依頼された話があったのだと。それが、今も記憶喪失のままでいるカークを探す事だった、と聞く。
 話は、暫く前に遡る。
 腕の良い漁師の家に生まれながら、その腕の良さのあまりつい難しい場所を漁場に選んでいた父と兄を失ってから、一家を支えてきたのは、カークのみ。その当時まだ少年だったため、船に乗る事を許されなかったケニスがようやく一人前の漁師として海に出られるようになったのは、皮肉にもカークが海で行方不明になる少し前の事だった。
 そして、まだ年若い弟のためか、それとも恋人のためか、新たな漁場を開拓するんだと言ったカークは、危険区域の辺りで嵐に遭い――そして、記憶も、船乗りとしての腕も全て忘れてエルザードへと戻って来た。
「…なるほどなぁ。案外、まだ終わってねえのかもしれねえな、そいつは」
 集まった中でも頭が抜きん出て大きい男、オーマ・シュヴァルツが腕組みをしながら言った。
「――そうだな……」
 その後で、静かに話に耳を傾けていた如月一彰が、ぽつりと呟きながら同意する。
「今回は怪我人も出ているし、カークは一応まだ牢の中にいる。この事件の原因を突き止めるためには、手分けした方がいいと思うけど」
 水留の言葉に、次々に賛同した皆がちょっと考え、
「俺はそうだな…医者の立場からもジョディとカークの様子は見に行きたいな。まあまずはジョディだが」
「私も同道いたします。お話が聞ければいいのですけど…駄目でしたら、事件が起きた現場へ参ります」
 と、取り合えずジョディの方に行くというオーマとみずねの2人が立ち上がる。
「僕はカークさんたちが辿った道筋を歩いてみる事にします。それと、現場の方にも。何か残っているかもしれませんからね」
「あ、それなら私も。通った場所はカークさんの思い出が深い場所なのでしょ?」
 かくん、と首を傾げるようにしてリラが笑い、その2人は周囲の人間に聞き込みながら彼らが通るルートを調べる事になり。
「僕は現場付近を念入りに調べておくよ。――それから、後ででいいから彼女にも話を聞いてみたいな。…如月さんは?」
 最後に残った一彰へ水留が訊ねると、かたん、と静かに立ち上がりながら、
「…牢の彼と、少し話がしてみたい。……後は、その場の判断で」
 そう言って、皆が顔を見合す。
「それじゃ――そうだな。一度途中で集まる事にするか。それによって、時間がかかりそうかどうかが分かるからな」
 午後のおやつの時間くらいに一度ここで、と最後に取り決めると、その場で別れて各自の持ち場へと移動して行った。
 何にしても時間はあまりない。いつ、カークに対する処分が決まるのか分からないのだから。

*****

「あー、あれね。誰だっけか。噂で聞いたことあったような気がするんだけどなぁ」
「ほら、あれだろあれ。記憶喪失とか言う、なーんも覚えてない男が恋人を殺したって話」
「いやいや。怪我だけしかしてないですよ」
 現場付近で聞き込みを始めた水留が向かったのは、2人が騒動を起こす直前までいたという店の中。そこで誰かが何かを見たり聞いたりしていないかと、常連らしい男たちに細かく聞いて回るみなと。
 そうしてみると、少し不思議な話が浮かび上がってきた。
「俺?ああ、いたよあの日も。えーと、そこ。そこのテーブルの定位置で呑んでた」
「俺はあっち」
「んー…俺は、そこだったかな。んで、あの日いたやつは、そこと、ここと、あっちと…おう、ほとんど店のどこでも見える場所に座ってるな俺たち」
「それでは、あの日の事を教えてもらえないですか」
「いいともさ。えーとなあ」
 酒が入っていた事もあり、話を聞けば聞くほどに彼らがこの店に入ってきた時間から、何を注文したのか、そしてどのくらいで席を立ったのかと言う事が見事にばらばらで、どれが正しいのか、それともどれが間違っているのかが全然分からない。
「ねえちゃんは何にも飲んでなかったな。兄ちゃんだけだ」
 共通した事と言えば、飲んだか飲まなかったかの違いくらいだが、それすら『何を』飲んだかは皆ばらばら。ここまで意見が違うのも珍しいと思えるほどだった。
 まるで……皆が違う映像を見ていたかのような答えにほんの少し頭が痛むのを感じながらも、水留は時間が変わるごとに現れる常連や、常連から噂を聞いた人たちから少しずつ話を聞きだしていた。
「あーここだよここ。ここが現場だってさ」
 その中のひとりは噂に聞いた現場を教えてくれ、
「あっちが2人が来た方向らしいよ」
 と、当夜の行動を知人から聞いたのだと細部にわたり言う者もいる。

「………」

 不思議としか言いようが無い。
 その晩そこにいた者の『答え』よりも、噂に聞いただけの者の話の方が順序だっているなんて。
 そして不思議な事はもうひとつ。
「いや?俺は見てねえよ。捜査してた人にも言ったけどさー。あいつなら見たんじゃないかな」
「俺が見たって?とんでもない。そんな殺傷沙汰の事件を直接目にした事なんて1度もないに決まってるだろ」
「俺じゃないよ。俺は見てない。あの日一番近くにいたのはあいつのはずだけどなぁ」
「何言ってんだよ。俺はそんなに近くにいたわけじゃねえってば」
 賑わいを見せる酒場のすぐ近くで起こったにも関わらず、そして通行人もいたにも関わらず、直接事件を目にしたと言う者が見当たらないでいる。
 たまたま、見ていない者ばかりが集まったとしか思えない、そんな場所に水留は首を傾げていた。
「じゃあ、誰も見ていないと言う事に?」
「……おう。そうだな、そういや」
「おっかしいなぁ。俺、確か騒ぎが起きた時に顔を向けた筈なんだけどなぁ。酔ってて勘違いしただけなのかなぁ…」
 そう言って確認した時に、俺も俺も、と何人かが同時に首を傾げる。
 現場がここだ、という確信が無ければ、もしかしたら本当は何も起こっていなくて、ただ皆で幻覚を見せられたのではないか、と思いたくなるような出来事に釈然としないまま腕を組む。――そこに、
「どうでした?」
 ジョディのところへ行っていたみずねが早足で近寄って来て水留へ聞いた。
「それが、不思議な事に――皆、見ていないと言うんだ」
「見ていない?…それは、現場を、と言う事ですか」
「正確に言えば、事件が起こった瞬間かな。それだけじゃない、彼らが店に入って去るまでの記憶が皆ばらばらで、どうしたらよいのかと迷っていた所だよ」
「なるほど――人の記憶は当てに出来ないというわけですね。それなら、私の力が役に立てそうです」
 そう言って、みずねがつかつかと店の中へ入っていく。
「水分は……やはり、お水だけでなくお酒も混じりそうですけれど…」
 苦笑を浮かべながら室内を見て、完全に締め切った状態でない事を確認すると、これなら、と小声で呟きながら、
「あの時の声だけを拾ってみます。室内ですので、聞き取りにくいかもしれませんけれど」
 そう言って、すっ、と手のひらで何かを招くように動かした。

 ――途端、ふぅぅっと風が外から室内へ入ってくる。…まるで意志を持つかのようにみずねの周りを取り巻きながら。
 そこから聞こえてくるのは、雑踏と、店の喧騒、その合間合間に流れる人の声。
 時間も人数も違うのに、まるであの日この場にいたかのような空間が出来上がる。そこから時折音を拾いながら風を回して行く――と。
『――思い出して――』
 切々と訴えるような声が、一瞬2人の耳を掠めた。
「そこだ」
「…この辺り、という事ですね」
 水留の言葉に、みずねもこくりと頷いて、再び風を動かす。
『…思い、出して――せめて、家族のこと――だけでも』
『駄目、だよ…何度やっ…も……出せな…俺』
「流石に聞きにくいですね」
「ああ」
 何度も何度も、小刻みにその辺りの風が拾い上げた過去の言葉を選んでは流し、聞き取っていく。――その中に、
『――『あいつ』が、見ている――』
『え?…何の…? ――それは……! そんな――違う、あなた――カークじゃ…ない……!!』
「……え?」
「どういう事? 別の犯人が来たにしては、変な言い方…」
 もう一度聞き返そうとその辺りを風を集めなおし、再び組み立てなおして聞いてみようとした時、
『――オマエは邪魔だ』
 不意に、はっきりとした女性の声が浮かび上がり、
「あ…風が」
 あまりに思いがけない事が重なってか、みずねの手にあった風がその手を離れ、散り散りになって消えて行く。
「今のは、誰だったんだろう」
「…良く分からなくなって来ました。それじゃあ、水鏡でその時にあった出来事を映し出してみましょうか」
 そうだね、と同意した水留たちの目に、何か熱心に話をしながらこの店へ近づいてくるリラと聖の姿が映り、声をかけようとした途端、
 ぱしぃん!
 突如、聖の身体の周辺を包んでいた何かが弾けて消え、リラが慌てて聖へしがみ付いたのが見えた。
「どうなさったんですか?」
 訊ねてみれば、聖はにこりと笑って、
「あの辺りに悪意あるものの残滓が残っていたらしいです」
 何でもない事のように、そう答えたのだった。
 ――そして。リラと聖に先ほどの出来事を説明した後、その2人にも見てもらおうとテーブルの上に、酒場に最も当たり前に存在する液体――酒を広げて手をかざした。途端、流れ出すのを忘れたかのように円形に形作ったエールが、その表面をゆらゆらと波立たせながらほんのりと輝きを見せた。

 ――そこから覗き込んだ4人の目に映ったのは、あの日、誰ひとりとして何故か見る事が出来なかった映像。
 それは、カークが――悲鳴を上げる様子を見せるジョディに、2、3度刃物を突き出そうとして痙攣しているかのように身を捩り、何か叫びながら、最後の最後で刃をジョディに向けた姿だった。
「…………」
 何となく押し黙ってしまう皆。そこに、恐る恐るというようにリラが口を開いた。
「…カークさん…ですよね」
「でも――様子が変じゃありませんでしたか?」
 それは全員一致でおかしいと頷く。だが――それでも、刺したのは彼自身だったと言う事に、皆少なからずショックを受けていた。

*****

「――それじゃあ、分かった事を交換しましょう」
 みずねの言葉に頷いた皆が、分かった事、考えた事、それぞれを口々に告げる。
「それじゃ、見たってのか。あいつが刺したところを」
「ええ、見ました。でも――やっぱり、私が考えていたように、あのカークさんはおかしいです。最初から刺すつもりなら、何故カークさん自身が必死に抵抗するような姿を見せるんでしょうか?」
 リラが不思議で堪らない、と言った顔で言う。
 みずねの出した『水鏡』に映った光景は事実には違いないが、彼の意志とは考え辛い――と言うのがリラたち4人が出した結論だったのだ。
「そちらのお2人は、どうでしたか?」
 みずねが一彰とオーマを促すと、
「カークさんと、少し話をした」
 一彰がぽつりと言う。
「オーマさんにも言ったんだが…彼はどうも、『あいつ』と言う存在に怯えているようだった。それから……これは、推測にしか過ぎないんだが」
 ちら、とオーマを見ると、いいぜと言うようにこくりと頷くオーマ。
「…私が見たところ、もしかしたら、彼は、心の奥底では忘れていないのかもしれない」
「記憶が、戻っていると言う事ですか?」
「――上手く説明出来ないんだが。思い出す事も、感情を表に出す事も、無理やり抑えているような…そんな気がするんだ。理由は分からないが」
 牢を出る間際の、オーマの問いかけた言葉『海へ戻りたいか』と言うその言葉に、何故あれほどまでに激しく動揺したのか。
 『あいつ』という言葉を問い掛けた途端、怯えたのは何故なのか。
 その言葉に思い当たる事があるのなら、記憶は戻っていてもおかしくない。けれど、普段の彼は全く記憶が無いと言う状況で今までやって来ている。
 その辺りがおかしいのだと、口が回らないもどかしさを感じながら一彰が語る。
「でも、完全に思い出しているわけではなさそうですよね」
 矛盾してますね、と聖が首を傾げ、
「普段は、それこそ無意識の位置で思い出さねえように封じてるからだろうな」
 オーマがそこで、何か掴んだのかぼそりと告げた。
 それで、皆が一斉にオーマを見る。
「……ちいっとな。あいつの記憶を探らせてもらったんだ」
 軽くこんこんと自分の頭を指先で叩きながら言うと、
「いや、記憶と言うより『想い』かね。確かにあいつの頭のなかは真っ暗で良く分からなかったからな」
 そう言って、
「解決のきっかけは掴んだ――と思うんだが、いまいち確証はねえ。それでな。俺、これから海に行こうと思う」
「海に!?」
 突如出た言葉に驚きの声を上げる水留。
「そ。上手くいきゃあ、原因を退治してめでたしめでたしになれる。下手すりゃ俺も危険域の向こうに流されちまいかねねえけどよ」
「…なるほど。彼が行方不明だった時期に現れた、海上の霞のあった辺りへ行くつもりなんだね」
 水留が呟いてからすっと顔を上げ、
「僕もお付き合いします。多分、オーマさんよりはずっと、水に強いからね」
 そう言って微笑んだ。
「私も行きたいけれど、ジョディさんに話も聞きたいですし…今回はお譲りします。他の方は?」
 みずねの問いかけに、水留とオーマが軽く苦笑を浮かべて、
「全員が海に行く事はないよ。危険だし」
「まあな。俺はひとりで何とか戻ってこれるだろうが、全員と言うと確約は出来ねえ」
「僕も。――だから、この街にいて欲しい。ジョディさんの事もあるし、ケニスさんが万一海に来ないようにしていて欲しいし…それに、カークさんだってきっと苦しんでいるから」
「分かりました。それじゃあ、精一杯お留守番をしていますね」
 にこり、とリラが笑う。
「適材適所ですからね。それでいいでしょう」
「……分かった」
 こうして、陸と海に分かれた6人が、夕闇が来る前にと分かれて急ぎ向かう。
 ひとつは、海。――この事件が起こる元となった元凶が在る場所に。
 ひとつは、陸。――事件に巻き込まれた小さな家族が身を寄せ合っている家へと。

*****

「で、おまえさんは何が出来るんだ?」
 海側へ吹く風を利用して快調に船を飛ばしながら、オーマが水留へ問う。
「一応、水に関する事なら何でも――と言うのは大げさだけれど」
 海風に気持ちよさそうに目を細めながら、同じ質問をオーマに問い掛ける水留。
「俺か?俺はな、愛と世界を救うためなら何だって出来るんだ。わはは」
 冗談なのか、それとも本気なのか分からないが、2人とも全く気負う事は無く、船は流れるように進んでいく。少し滑らか過ぎると思うくらい。
「やるね。水に関するっつうのは伊達じゃねえな」
「誇張するほど、自信過剰ではないからね」
 小さな船を運んでいるものは、いまや風と――海自身。そうして、日の高さを確かめながら急いで進んでいく。
 危険域――安全第一の船乗りなら、絶対にそこを避けるだろうと思う海域を目指して。
「2人いた方がいいと思ったのは、僕のささやかなリベンジと、『仲間』が無茶をしないように、と言う事もあるんだよ」
 次第に魔の海域が近づいてくる、そんなタイミングでさらりと水留が告げた。
「たったひとりで何かあったら、それこそ今度はオーマさんがカークさんと同じ立場になってしまうから」
「………」
 オーマが、うううむ、と一瞬唸ってから歯を見せて笑う。
「あー参った。参ったね。いや俺様何やってもひとりきりだって戻れる自信はあるぜ?まあそりゃいいさ――そう思ってくれる相手がいるっつうのは、何よりも嬉しい事だからな」
 ありがとよ、と笑ったオーマが、
「そろそろ船を止めた方がいいな」
 『何か』を見ながら呟いた。
「了解」
 ぴたりと船が静かにその場に止まる。
「さあてそれじゃあやりますかね」
「どういう風に?」
「そうだな。……最初はな。ちぃと面倒な事をやろうと思ってたんだが――おまえさん、水だけじゃなく、もしかして水中に生きる連中とお話は出来ねえか?」
「それは基本だと思うな」
「…そうか。そうか、基本か…それなら、本当に簡単に済むかもしれねえ。まず最初に言っておくが、どうやらヤツは海竜の類らしい。でもってなぁ…面倒な話なんだが、ソレがせっせとカークにラブコール送ってやがるんだなこれが」
 本当なら、その時と無理やり繋いでその時点から『消して』しまおうと思ったんだが、とオーマが彼にしか分からない呟きを漏らし、
「この辺まで流れて来ちまった珍しい生き物への執着を…想いを、可哀想だが断ち切らねえといけねえんだ。でねえと、カークは、再びここに来てヤツの腕の中に入るか、あっちで壊れるしかねえ」
「……なるほど……異種愛の最たるもの…か」
 ぽつりと水留が呟いて、
「必死で逃げて来た筈だが、相手のこころを持って来てしまったらどうしようもねえな。おーまけにカークへの執念がカークが親愛の情を持つ連中に対する激しい嫉妬になっちまうんだから」
「…僕はどうしたらいい?」
 そう訊ねると、
「俺が無理やり彼とヤツとの絆を断ち切ってみせるから、おまえさんはヤツを説得してくれ。この辺りの海域は人間との境界線でもある。あまり近づいちゃ、逆に一族が火傷しちまうこともある、ってな…」
 オーマが手、と言うより指先で奇妙な動きを繰り返しながら言うのを見て、こくりと頷いた水留が、
「それじゃあ、行って来るよ」
「あ、おい――」
 オーマの静止も聞かずに水中へと潜っていった。

 ――辺りはいつの間にか、黒々とした雲が空を覆い隠している。『彼女』たちのような存在は、空の天候も操れるのか――。

「………」
 大丈夫だ。前のように、相手の気に飲み込まれてはいない。
 個と個、だけではなく、海に生きる一族としてなら、対等なのだから。

 やがて――海面のオーマと、海中の水留が同じ存在を見つけ――向こうもまた、2人に気付いて、全身で敵対のオーラを放つ。
 その様子を見て、水留も、オーマも気付いた。
 これだけ大きな姿をしている存在だが、その魂は酷く幼いのだと――。

 それならば。
 断ち切る作業はオーマに任せておいて、水留が全身に『力』を溜める。
 そして、海中全てのモノに届くよう、『叫び』を、自らを中心に水中へ流し込んだ。
 これは、警告であり、忠告である、と。

 幼きものが律を乱していると。

 統べるべき存在を、そうして呼んだ。自らの血と誇りにかけて。

*****

 結局、決定的な目撃者は誰ひとりとして見付からなかった。その時間、その場に居た者でさえも事件を『目にしていない』のだから、どうしようもない。
 まるで、その間は時が止まったようで。

 現在、カークは乱心…心身喪失状態であったのだろうという事で、とある病院の中に入っている。
 そして――唯一、目撃した筈の『被害者』ジョディは、事件の事を語れるまで精神的に回復したものの、その時に何かショックな事があったらしく、被害に会った直前に目撃された店に居た事さえ忘れてしまっていた。
 これもまた、カークに不利に働いた。突然『恋人』から刃物を突き立てられてショックを受けたためにその時の事を忘れてしまったのだ、という話に納得する者が多かったためだ。
 だが、こう言う者もいる。
「ジョディは今も毎日のように面会に現れて、献身的に尽くしている。もしその時の事を恐怖のあまり忘れてしまったとしても、彼に会う事を躊躇わず、彼が犯人だという一片の疑いも無くこうして毎日来れるものだろうか?」――と。
 ケニスも仕事の合間を縫っては訪れているらしい。
 そして、ジョディの怪我が思ったより軽かったと言う事、被害者本人、加害者家族からの訴えもあり、監視付きという条件はありながらも、本人の意思と体調を見て退院出来る事に決まったのは、ほんの数日前だった。

 良かった――と、一概に言えない気持ちはある。結局、『犯人』を挙げる事は叶わなかったのだから。もしかしたらカークがやったのでは、と今も周囲に僅かながらも疑いをもたれているのは確かだ。
 けれど、この一件以来、カークに少しずつだが表情が戻って来たのも事実だった。

「…残念です。本当の事を知っていても、口に出してはいけないなんて」
「仕方ねえよ」
 しゅーん、と肩を落とすリラに、オーマがにっと笑い、そうそう、と聖が合いの手を入れる。
「それに――これも仕方ない事。彼は『本当に』彼女を刺してしまったのだから」
 水留がぽつりと呟いて、目の前のカップの中身をゆっくりと口に運ぶ。
 原因がなんであれ、そして理由がなんであれ、『カーク』が刺してしまったのは事実だった。だから、裁定はある意味で非常に正しい。
 問題は、カークが、自分の意志で行ったわけではないという事にある。
 だが、それを誰が釈明出来る?
 『カーク』の体が行った事は事実であり、それはどうやっても翻せないのだ。

 ただ、ひとつ。
 救いは――あった。

「『彼女』は、確実にジョディを殺すつもりでいたんですよね」
 みずねがそっと呟いて、
「そのようですね。…でも、実際には成せなかった」
 聖がそれに応える。
「――ま。結局は、ヤツも底では忘れてなかったっつう事さ」
 正しく言えば忘れさせられてたんだけどな、とオーマが水を飲むようにカップの中の液体を飲み下して、
「でなきゃあ、あんな刺し方はしねえよ。…顔でも腕でも無く、傷が残ったとしても見えにくい個所を選んで、そのうえあんな無様な刺しようじゃな」
「…無様?」
 そう、ほんの少し不思議そうな感情を込めて聞いたのは、何かを考えていた顔を戻した一彰。
「考えてみろや。漁師で、でっけえ魚をさばく事にも精通していたような男がだ。…狙った『獲物』の仕留める位置を間違えるか?」
「…なるほど」
 医者として見たオーマにも、ジョディの傷の位置は不思議なものとして映ったらしい。
 それは――あからさまなくらい、浅く、切られても問題の起こりにくい個所だったのだから。
 それは当然、この世界の医療技術でも治療が可能なレベルで。
 それを告げられた皆が、ほっとした顔をする。
「でも、良かったです。…これで、あのひとも本当の意味で『帰ってくる』事が出来たんですから」
「ええ。そうですよね。それってやっぱり、ジョディさんやケニスさんが諦めずにいたからですね」
 実に嬉しそうな表情を浮かべたリラが、手を合わせてにっこり笑った。

 全てが望む方向に行かなかった事は残念だったが、少なくとも、一番大切なものは失わずに済んだ。
 そして、良い方向へ向かっていると…皆、信じていた。


 そして、更に数日後。
 カークが家族に迎えられながら退院したその日。
 ――海辺に、いくつもの木片が打ち上げられていた。
 初め、それを見たものは宝が打ち上げられていると思ったそうだ。
 何故なら、そこには虹色に輝く何枚もの巨大な鱗でびっしりと覆われていたからだった――最も、その鱗は日の光にあっさりと溶けてしまった、と言うオチまで付いていたため、ただのホラ吹き話、笑い話としてしかエルザードには伝わらなかった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0636/水留        /男性/28歳/雨使占                 】
【0925/みずね       /女性/24歳/風来の巫女               】
【1711/高遠 聖      /男性/17歳/神父                  】
【1879/リラ・サファト   /女性/16歳/家事?                 】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2657/如月 一彰     /男性/26歳/古書店店員               】

NPC
カーク・クレイド
ケニス

ジョディ

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■         ライター通信          ■
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長らくお待たせいたしました。「閉じた記憶」をお届けします。
実はこのお話は、水留PLとみずねPLのお2人はご存知と思いますが、大分前に納品しました「波に消える」の続編にあたります。前回は全ての決着を付けずに、シリーズものとして成そうかと考えていたのですが、果たせぬまま時間ばかり過ぎてしまいました。
このままでは記憶喪失のカークも周囲も可哀想なままでしたので、前後編と言う形で今回書かせていただきました。
一応、前編を知らなくても、この回だけでも読みきりのようにしていますので、新規に参加してくださった方にも楽しんでいただけたら、と思います。

ソーン世界でこうして冒険記を復活できた事、嬉しく思います。
また今後冒険記に限らず、登録いたしましたペットショップに関連するノベルも出して行こうと思いますので、またその時にお会いできれば幸いです。

それでは、参加ありがとうございました。
間垣久実