<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


いつまでも、変わらぬこの想いを。

 ――朝。
 いつもと同じ一日の始まり。
 ある日を境に人生が変わったとは言え、一度その境遇に慣れてしまえば、それもまた変わらぬ日常になる。
 ただ、日常を過ごすための考え方は変わった…そう、思う。
 どこか鬱屈したものを抱えていたあの頃に比べれば、毎日変わらず日が昇る事の有り難さが嫌と言うほど分かる。
 ほんの少し見方を変えただけで、ここまで変わるものかという新鮮な驚き。
 それも全て、彼女がいてくれたから…。

*****

 国を離れて、どれほどの時が過ぎたのか覚えていない。
 いや、途中で数える事をやめたのだ。それが過去を振り返るきっかけになるような気がして…今はぼんやりとだが、数えてみても良かったかもしれない、と思っている。
 離れてすぐは落ち着かず、旅をしていてもまるで逃げるようなものだった…と、良い香りのお茶を口にしながら、シャナ・ルースティンは目を細めていた。
 今は秋の日差しを浴びて、こうして穏やかな気分でいられる。それもこれも、目の前で産みたて卵から作られたスクランブルエッグを幸せそうな目で口にしている彼女がいてこそだろう。
「どうか、しましたか?」
 シャナの視線に気付いたユシアが不思議そうに顔を上げた。いや、と小さく口の中で呟きながら、外へ目をやる。
「いい、天気だ」
「…そうですね」
 今、逗留している宿は小さな村に一軒しかないと言う小ぢんまりした所だったが、2人ともこの宿をとても気に入っていた。
 だが、ここも仮の宿。また数日もしないうちに別の土地へと向かう事になる。
 定住することなく、流れるような日々。…それも、悪くないと思い始めたのは、いつだったか。
 昼食を終えても席を立つ事無く、ただ無言で過ごす午後のひと時。だが、それは元々あまり口数の多くない2人にとってとても心地よい空間だった。
「……散歩でもするか?」
 その沈黙を破ったのは、外へ視線を注いでいたシャナの言葉。あまりの穏やかな日差しに誘われてか、ぽつりと呟いた言葉に自分で気付いてから、ゆっくりとユシアを見る。
「はい」
 そんなシャナに、ユシアはゆっくりと微笑を浮かべて頷いていた。

*****

「あ…」
 小高い丘の上に一面に広がる青々とした草原に、ちょこんと腰を降ろしたユシアが小さく声を上げた。
「どうした?」
 何か座ったときに踏んだかとシャナがかがんで訊ねると、聞きたいことが分かったらしく小さく首を横に振ってにこりと笑い、手招きで隣へシャナを座らせる。
 途端、じわりと自分を、いや、2人を包む不思議な暖かさに気付いた。
「…ね?」
「ああ」
 上から降り注ぐ日の光。その光を受けて温まった大地の熱がじわりと体に染み込んでくるのが、思いがけず楽しかったらしい。
 宿を出て、ゆったり歩いた後、2人はこうして丘の上にいた。
 ――村の周りは見渡す限り草原と山、そして村の生活を支えている畑や牧場の姿しかない。そんな中を、のんびりと歩き回る。
 時間は、いくらでもあった。

 そうして見つけた丘の上に、今2人は座っている。

 当たり前の事なのに、どうして、こんなにも――微笑みが漏れてしまうのだろうか。
 視線を降ろすと、見えるのは素朴な村の風景。その中に、ひとがいて、毎日の生活を営んでいる。今は、それが知識としてでなく実感できる。
 最近では、それこそが『ひと』としてあるべき姿なのではないか、と思う事さえあった。
 きらびやかな世界、飾り立てられた言葉と、誰が糸を縒り機を織り、デザインし、仕立て、刺繍をし――そんな事を考えもせず、ただ有るのが当たり前と思っていたあの頃には、思いもしなかった事。

 ――はさり、と草の上に何か物が落ちる音がして、はっと考えを中断したシャナが音の方向を見て、思わず目を丸くした。
 この暖かな日差しに誘われたか、妻のユシアが草の上に横になりながら寝入ってしまったものらしい。すやすやと静かな寝息も聞こえてきて、起こそうかと手を伸ばしかけたシャナがその手を止める。
 …寝かせておこうか。
 幸い、空気はあたたかで風も強くない。それなら、無理に起こす事はない。
 すると、突然。
「………っ」
 眠りながら、何かに顔をしかめて手を持ち上げ、かすかに横に振る仕草をする妻に、何か悪夢でも見ているのかと心配になり、今度こそ起こそうかと身を寄せる、と、柔らかな草の穂がユシアの頬を撫でているのに気づいて、そーっとそれを外してみた。
「……」
 途端。ぱたん、と手を下ろして、満足そうな笑みを浮かべるユシアをまじまじと見下ろして――そして、声を立てず口元を押さえて笑う。
 その仕草が、あまりにも可愛かったから。
 さらさらと前髪が風に流れて顔の上に移動したのを、そっと手で額の向こうへ流してやりながら、見慣れた筈のユシアの顔を、まるで初めて見るもののように目を細めながら見詰め続けた。

 第二皇子という立場に疑問を持った事は無かった。正室の子ではない、という位置は非常に微妙であったものの、隙を見せなければ潰される事は無いと徹底した教育と躾が彼になされていた。
 ――特に。
 『例え下々の者であっても心を許してはならない』と言う方針により、表向きの言葉と内心とのギャップを常に抱え込まざるを得なかったのは、シャナにとっては厳しい措置だったと言える。
 だからこそ、口は言葉を刻むのを止め、曖昧なものよりはと鉄面皮と陰口を叩かれた無表情を貫いて来たのだから。

 ――自分ではもう、剥がす事が出来なくなっていたそれに両手をかけて微笑んだのは、まだ妻になる前のユシアの微笑みだった。

 今はまだ、硬い表情だと分かっているけれど、少しずつ変えられればいいと思う。
 隣に彼女がいてくれさえすれば、それも遠い夢ではないと、思う。
「………」
 さわさわ、と草に手を這わせてほんの少し躊躇った後に、自分もごろりと横になってみた。その途端、目に入ったのは広々とした空。薄い雲が空にへばりつくように広がっているのを、何となく見詰める。
 背中の下はじんわりと暖かく、野草の花からなのかほのかに良い香りも漂って来ていた。なるほど、これは心地よい、と隣で寝息を立てているユシアの状態に納得しつつ、広くて高い空を眺めつづけていた。

*****

 ……唇に、頬に、何かが触れている。
「……!」
 ぱちりと目を開いて勢い良く起き上がると、
「おはようございます」
 にこりと笑みを浮かべたユシアの顔がすぐ近くにあった。…その手には、近くのものを折り取ったらしい草の穂がゆらゆらと揺れている。
「ぐっすり眠っていましたよ。……良い夢は、見られましたか?」
 そう言われて見る空は赤と青が入り混じり、それを映すユシアの頬も赤く染まっている。どうやらあの後、ユシアと共にすっかり寝入ってしまったものらしい。
「寝ていたのか」
「はい。それはそれは、気持ち良さそうに」
 にこりとどこか嬉しそうに笑うユシアに、なんとなく照れくさくなって、口元がむずむずする。
「…先に寝たのは、ユシアだ」
 ぽそりと言い訳がましく言ってみるが、ええ、とこくりと頷いたユシアが、
「あたたかくて、気持ち良かったものですから」
 一緒です、と囁くように続けてのんびりとした笑みを浮かべる。
「そうだな」
 最近、宿以外で眠った場所でここまで落ち着けたのは無かったかもしれない。そう考えてから、空を見上げ、
「もうじき日が暮れる。…戻ろう」
「はい」
 シャナと同じように、愛しそうに夕の空を見上げたユシアがこくんと頷くと、シャナと一緒に立ち上がる。
「…あ…草が」
 その背や髪ににいくつもの枯草が付いている事に気付いたユシアが、ぱっぱっと手際良く払い、行きましょう、とシャナを促した。
「……」
 どうやら、自分の事は全く気付いていないらしいユシア。シャナはふっと小さな笑みを浮かべると、黙って彼女を裏返した。
「え…あ…っ」
 ぱたぱた。
 最後に、髪の中に絡んだ草を、丁寧にほぐしながら外していくシャナに申し訳なさそうな、でも嬉しそうな、そんな複雑な表情を、夕日混じりの赤い顔でちらちらと見上げながらシャナにされるままになっていたユシアが、ぽん、と肩を叩かれて終わった事を教えられ、
「ありがとうございました」
 丁寧に礼を言った。その姿に微苦笑を浮かべたシャナが、
「お互い様だ。俺も、ありがとう」
 さあ、行こうか、と改めて促す。
「…はい」
 こくんと頷いたユシアとさりげなく手を重ねながら、宿のある村へと戻っていく2人。

 明日にはまた、別の土地へ移動するのが分かっていても、もうそれは2人にとって苦痛ではない。
 行く当ても知れなかった当初と違い、今は互いのいる場所こそが自分の家だと分かっているからなのだろう。
 それこそが、シャナが、ユシアが手に入れた何よりの宝物。
 ――互いを想う、この気持ちこそが。


-END-