<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
通り雨
サーーーーーーーーー……
「あ」
屋根を叩き、窓を通り過ぎていく雨音に、思わず小さな声を上げる馨。
突然振り出す秋雨を警戒して、朝は晴れ間が見えていたのだが洗濯物を干さず良かったと思う。
だから、声を上げたのはそんな事ではなかった。
『大丈夫大丈夫。すぐ戻るから』
このところの気まぐれな天気の中、傘も持たず出かけた彼女の事を思い出したためで。
「濡れて帰らなければいいんですが」
まだどこかの屋根の下にいるに違いない、と思う。
彼女はきっと機転を利かせて、始まりと同じくらい気まぐれに止んでしまう雨と見て、どこかで雨宿りしていると思う。
――それなのに、ざわざわと胸騒ぎがするのは何故だろう。
雨だと思った途端、彼女の事を思い出してしまったのは――。
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーー………
ぴたぴたと屋根の下の地面を叩く水音が聞こえて来る。
予想に反して、雨は強くなりこそすれ止む気配は無かった。
そして、彼女はまだ帰って来ない。
「これならきっと、のんびり雨宿りをしているか、さもなければ傘を手に入れていますよね」
誰かに問い掛けるような言葉は、心配の裏返しでしかないと言う事は、気付いていたとしても認めたくない。
そして……
「ただいまー。あーもう降られちゃったよ」
それから少しして、清芳が帰って来た声に、ほっとして立ち上がりかけ、うん?と眉を寄せる。
「気持ち悪い〜。ううぅ〜、あー、気持ち悪い」
あちゃーとかひえーとか妙に玄関が騒がしいため、急ぎ足で迎え出た馨が思わず目をまん丸にする。
そこに立っていたのは、ベールもシスター服も雨をたっぷり含んでぺったりと身体に張り付き、それでも水気を送り足らないとでもいうのか、ベールの下の髪までも重そうにぽたぽたと大粒の水滴を垂らしながら立っている清芳の姿だった。
絞るまでもなく、袖口から裾から水滴を滴らせているその姿を見れば、傘の調達どころか雨宿りすらして来なかったのが簡単に予想出来る。
「あ、ただいま馨さん。ごめんねこんな姿で、すぐ着替えるから…」
「ってちょっと待って下さいっ」
「?」
かっくん、と首を傾げると、ベールの裾から溜まりに溜まった水滴がだーっと彼女の服を流れ落ちる。
「『?』じゃないですよ。乾かしてからです。そこで待っていてください。動いたら駄目ですよ」
何も考えずにそのまま上がってこようとした清芳を止めた馨が、間もなく何枚ものタオルと籠を持って来て、ベールを外して籠の中に入れ、ふわりとタオルを頭にかけた。
「…あ。タオル、あったかい」
「清芳さんが冷え切ってるからでしょう。はい、じっとして」
言うなり、わしゃわしゃとタオルで髪の水分をふき取っていく馨。途中ふき取りにくいからと髪留めを外し、はらり…とも落ちず水でしっかりと固められている髪をほぐしながらタオルを動かしていく。
そうして軽く髪を吹き終えた後、今度は服を軽く絞って水を落としながら、服がしわにならない程度で止めてそこにもタオルを当てていく。
ぽたん、と髪に溜まった滴が頬に当たると、それがくすぐったかったらしくぷるぷると顔を振る清芳に、何だか塗れた子犬のようだ、と目を細める馨。
「…………」
対して、最初は大人しく女王様気分で拭かれていたものの、次第にどういうわけか落ち着かなくなって来た清芳が、
「自分でやるから、もういいよ」
ぶっきらぼうに言って馨からタオルを奪い取ると、まだしっとりと水を含んでいる頭をわしわしと掻き回した。
――もちろん、無意識に顔をタオルで隠しつつ。
でもそれが何故かは分からない。ただ何となくそんな気分だったから、と清芳はそれ以上考える事を止め、乾かす事に専念した。
ぷるぷるぷるっ!
髪を大きく跳ね上げ、首を振ってちょっとさっぱりした清芳が目を開け、きょとんとする。
「あれ。なんで馨さんまで濡れてるの」
「…………」
そう、至近距離にあった清芳が大胆な動きをしていたため――要するに大雑把でオーバーワーク気味の動きを見せながらタオルでがしがしと拭いていたので――彼女から発生した水滴はすぐ近くの布の中へどんどんと吸い込まれていったのだった。
…つまり、馨の和服に大量に付いた雨粒そっくりの水滴に、清芳は勘違いしたわけで…。
*****
「ごめんってば」
「…いいんですけどね。和服の手入れがほんの少し大変だと言う事以外は、実害はありませんでしたし」
清芳が、正座をして目を閉じ、つんとしている馨の機嫌を取ろうとさっきからしきりと話し掛けている。
「全然許してないだろそれ」
「いーいえー。もう怒ってはいませんよ。まあ私としても、傘がほとんど通用しない霧雨ならともかく、ここまでしっかり降っている大粒の雨の中を歩いて帰って来たと言う事が本当に少し信じられないだけですから」
「う…だ、だって、途中で降られた時にはもう一瞬でびしょ濡れだったし、ここまで来たら全部濡れても同じかなと思ったからさ…」
「倍以上濡れているじゃないですか。一瞬川に落ちたのかと思ったんですよ」
2人とも、あの後別の服に着替え、清芳は今日はもう出かけるつもりはないから、と髪を下ろしたままでいる。
「…あれ?じゃあ、それって心配してくれたって事?」
「私だって人の子ですからね。心配くらいします。けれどもうやめました。あんなに濡れても平気で歩いて帰って来るんですから、心配する方が損です」
「まだ言うし…」
はあー、と清芳がため息を付いてすっくと立ち上がる。
「………」
ちょっとむっつりした顔を維持するのにも疲れた馨が、ちらと目を開けて――目に見える範囲に彼女がいないのに気付いてきょろきょろと辺りを見回した。
「…ちょっと、言い過ぎましたかね」
悪戯でしているわけではない、と言う事は分かっているのだが、普段の機転は何処に行ったのだろうという行動を時々取るため、どう対処して良いのか分からなくなって来るのだが…それにしても、何処に行ってしまったのだろう。
正座を崩して身を乗り出し、本格的に探そうとしたところで、2枚の皿を持った彼女と目が合った。
「………」
「………」
こほん、と咳払いをした馨が姿勢を正し、無意味に襟をぴしりと伸ばす。
「…えーと…これ。今日のおやつ、半分あげるから、さ」
さっきは本当にごめん、悪かったから、と清芳がす…と皿を馨へ差し出した。
和風の皿の上に乗っているのは、『一応』和菓子だった。
多分大福と言うものだろう。一般的には。
――普通はその上に2重に餡を置いたり、黒蜜を大福が溺れそうなくらいかけたりしないと思うけれど。
「さ、食べよう?」
甘いものが苦手なひとにとっては、これは地獄だろうな、と思いながらも、あれほど甘いもの好きな清芳が自分の分を遠慮してまで出して来たのだから、と半分諦めながら、
「いただきます」
「いただきまーす」
満面の笑みを浮かべて甘味を堪能している彼女に微苦笑を浮かべながら、楊枝で切り取って少しずつ口元へ運んでいった。
――雨は、いつの間にか止んでいる。
そして、雨に濡れた2人分の衣服が、仲良くひとつの竿にぶら下がって、午後の涼しい風の中をゆらゆらと揺れていた。
-了-
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