<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


神の子

 ユニコーン地域を少し外れた町で、警備の依頼があった。依頼主はとある宗教団体で、胡散臭いかと思いつつ引き受けてみたのだが実際は「神の子」と呼ばれる子供たちの警護であった。白いその建物には、親のない美しい顔をした子供たちが大勢暮らしていた。
 警備の仕事を続けるうちに、一人の子供と親しくなった。その子供にこの団体がなにをやっているか話を聞くことができた。
「毎月一度、満月の日に儀式が行われます。この儀式で私たち神の子は、信者たちから集められた願いを神に伝えるのです」
今月は私の番ですと子供は、少し青ざめた顔で儀式の行われる大きな建物のほうを見上げていた。
 それから時が経ち、満月まであと少しという夜。あてがわれた部屋で眠ろうとしていたら扉が開き、子供が入ってきた。今にも泣きそうな顔をしていたので、どうしたのかと訊ねたら
「やっぱり私、儀式なんてできません」
全身をがたがたと震わせながら、子供は儀式の本当の意味を告白した。
「神は、私たちとは違う世界に住んでいます。願いを届けるためには儀式で心臓を突かれ、神の世界へ旅立たねばならないのです。でも私は、私は恐い」
信者の願いが満月の夜までに叶えば、自分は命が助かるのに、と子供は泣きじゃくった。
 信者の願いよりも、子供の願いのほうがよほど真摯であった。どんな願い事だと、尋ねずにはいられなかった。

 一、二、三・・・・・・。茂みの中に身を隠し、ワグネルはさっきから洞窟に出入りする人を数えていた。近くの村を襲っているという盗賊のアジトをようやくにつきとめ、踏み込むタイミングを計っているのだ。この盗賊を退治すれば、神の子と呼ばれる子供が犠牲になることはないのである。
「ったく、神様に頼むくらいならギルドに依頼しやがれ」
ただ働きになるとかはともかく、これまでにも似たような願いで罪もない子供が死んでいったのならこれほどやるせないことはない。人間の手で解決できることをなぜわざわざ、神に頼もうとするのだ。それほどに人間は信用できないかと教団の信者たちに問いただしたかった。
「七・・・八、八人か」
五人までなら一人で片づける自信があった。しかし八人となると、多少無理をしなければならない。が、しなくてはならない。ワグネルは薄い刃を持つスライシングエアを構えると、足音を忍ばせてアジトへ近づいた。
 入ってすぐの場所に立っていた見張りには素早く当て身を食らわせ、気絶させることに成功した。まず一人、と心の中に数を刻んでワグネルは男を縛りあげる。時間の制約がないのであれば、ここでしばらく待機して仲間が通るたび気絶させていけばいいのだけれど、悠長なことはしていられない。残りの七人はいきあたりばったりだと決めて、ワグネルは洞窟の奥へと進む。
 太陽の光が届かない洞窟は、暗闇の中にところどころ松明が灯されているだけで、足元はまったく見えなかった。隆起している岩につまずかないようにと足を滑らせるようにして前へと進む、と、左足がなにかぴんと張り詰めたものに引っかかり、同時に木の板同士がぶつかり合うやかましい音が洞窟内に反響した。
「鳴子か」
気づいたときには遅かった。盗賊たちが向かってくる足音はどんどん近づいており、ワグネルには逃げ場どころか身を隠す場所もない。それでも近くの松明を叩き落し、視界を封じたのは冷静な判断であった。暗闇では味方の少ないほうが有利である。
 なにも見えない場所で、ワグネルはとにかく刀を振り回した。当たろうが当たるまいが、それが相手にどんな傷を与えようとも関係ない。本来は手裏剣のように投げて使う武器であるスライシングエアを余りに強く握り続けたせいで、気づいたときには手の平から肘まで血が伝っていた。
「・・・そろそろ、いいか?」
向かってくる敵の気配が完全になくなったところで、ワグネルは松明に火をつけた。自分の周囲に、無数の傷を負った幾つもの死体が倒れているのを確認する。数えてみると確かに七人、表で縛られている見張りも合わせれば盗賊の数と符合する。
「これで、あいつは助かるんだな」
死体の傷を見ると、やりすぎの感がないでもなかったが子供の命には代えられなかった。ワグネルは己の手の平の手当てもそこそこに、教団へ戻るために夜道を駆けた。
 そう、ワグネルが盗賊と戦っている間にいつの間にか太陽は沈み満月は上ってしまっていた。

 普段はどちらかといえば勘の悪く、遠征となれば道を間違えることの多いワグネル。しかし盗賊のアジトから教団への帰り道は不思議と迷いがなかった。募る危機感が、感覚を鋭く高めていたのだ。分かれ道へ来ても右、左を一瞬で選び出す。段々と、見覚えのある場所へ近づいていく。
「あった」
やがて、教団の建物が小高い丘の上に臨む。儀式の夜なので、敷地をぐるりと囲む灯篭に火が入っており、その灯りが四角い石造りを浮かび上がらせている。あの建物のさらに中心に、儀式の執り行われる神殿があった。
 奇跡的にも、ワグネルはここまでまったく道を違えなかった。出来得る限り、最も早い速度で戻ってきた。それもこれも、神の子を儀式から救うためである。それだけのために、自分の怪我もそっちのけで急いだのだ。
 なのになぜだろう。ワグネルの胸騒ぎは神殿へ近づくにつれ、どんどん高まっていた。わけもなく、息切れではなく動悸が早い。高まる不安で胃の辺りがひたすらに痛む。
「なにを恐がってんだ」
声に出して己を叱咤してみても、汗が止まらない。神殿へ急ごうとするのと比例して、近づきたくないという思いも強くなっていく。
「止まれ」
教団の前まで来ると、門番に目の前を塞がれた。ワグネルとは別のギルドから依頼を受けた、よく知らない冒険者だ。この男はなにも知らず、ただ契約として教団に加担をしている。罪はない、ないのだが。
「うるさい」
掴まれた腕を振り解き、突き飛ばす。男は簡単によろめいた。どうしてこんなに弱いのだ、とワグネルは憤る。自分を阻んでくれるくらい、強くあってほしかったのに。
 教団の回廊を抜け、中庭に建てられた神殿を見上げる。高い柱の上に載せられた、六角形の建物。そこまで辿りつくためには長い階段しか道がない。この階段を、教祖と神の子は六人がかりの輿で上るという。
 一段目に足をかけた瞬間、さすがに今までの疲労が襲ってきて膝が震えた。手の平の傷が、焼けるように痛んだ。
「ここで・・・倒れちまいたいなあ・・・・・・」
どうしようもなく、弱音が漏れた。この先になにがあるか、もうわかってしまっていた。見たくない。けれどそれでも、自分が引き受けた責任として目に焼きつけておかなければならなかった。

 重い神殿の扉を押し開く。整然と列を組み一点を見つめていた信者たちが、一斉にワグネルのほうを振り返った。皆、生気の抜けた魚のような目をしていた。彼らを無視し、ワグネルは神殿の中央に高く築かれた祭壇へ歩み寄った。
「ごめんな・・・悪かったな・・・・・・。まったく、できねえ約束なんて、するもんじゃねえよな・・・」
祭壇にはワグネルの背丈ほどもありそうな巨大な刀が鞘に入ったまま突き立てられており、神の子の装束を纏った子供はその下で身を横たえていた。顔色は既に血の気を失って、胸には美しい柄のついた細いナイフが刺さっている。
 どんなにワグネルが急いでも、奇跡を信じてみても叶わなかったのだ。これならいっそ、盗賊のアジトで気絶していたほうがましだった。なにか邪魔をしたものがあれば
「あの時間さえなければ間に合ったのに」
と自分への慰めが立つのに、ワグネルは最短の時間で戻ってきてしまった。自分のしたことは、最初から無駄だったのだと言われた気がした。
「・・・っくしょおおっ!!」
ワグネルは吠えた。凄まじい声に、はめられていたステンドグラスがひび割れた。両の拳で祭壇を殴りつけた衝撃で神殿全体が震え、天井からは細かな砂粒が降ってくる。
「まずい、崩れるぞ」
誰かが叫んだ。しかしワグネルの耳には届かない。ワグネルはもう動かなくなった子供の体を胸に抱き、涙は流さずあくまで吠えることで感情を爆発させ、手当たり次第に神殿を破壊し続けた。我先にと逃げ出す信者たち、神殿の装飾品は蹴り倒され踏み荒らされ、教祖は置いてきぼりにされ、信仰もなにもあったものではなかった。
 気づいたとき、ワグネルは倒壊した神殿の中にぽつんと佇んでいた。目の前には神体として祭られていたあの巨大な刀が、唯一倒壊前と変わらぬ姿で淡い光を放っていた。
「お前の願いはなんだ」
どこからか声が降ってくる。土埃にまみれた顔で、ワグネルは呆然と周囲を見回した。しかし誰もいない、皆神殿から教団から逃げ出してしまっていた。では声は、どこから降ってきているのか。
「お前たちは神の子を遣わした。願いを聞き届けようではないか」
「・・・あんた、神様ってやつか」
ぞんざいに口をきくワグネル。自分の中を荒らしていった怒りがあまりに強大であったため、感情が過ぎ去っていった今は抜け殻も同然であった。
「あんた、なんでも願いを叶えてくれるのか」
「ああ」
「じゃあ、一つだけ願いがある」
子供を助けてくれ、と言おうとしてワグネルは、抱いていた子供の体がいつの間にかどこかへ行ってしまったことに気づいた。守ろうとしていたものを、どうしてこうも手放してしまうのかと嫌になる。
 仕方なくワグネルは、別のことを願うことにした。
「俺の願いは」

「おーい、行くぞ」
仲間に声をかけられ、ワグネルは我に返った。自分が今、武器商人の警護中だということをすっかり忘れていた。途中一泊した村の酒場で、小さな木彫りの人形を抱いて遊ぶ子供たちを見ているうち、なんだかぼうっとなってしまったのだ。
「なにを見てるんだ」
一緒に任務を受けた仲間がワグネルの目線を追った。子供たちが抱いている人形は、この村の守り神を象ったものらしい。
「神様なんて、本当にいるのかねえ」
仲間は半信半疑という口調だったが、ワグネルはなんとも答えずに椅子から立ち上がると、壁に立てかけておいた巨大な刀を背負った。
「出発しよう」
「ん?ああ、そうだな。・・・にしても、お前のその刀、でかいよなあ。ちゃんと使えるのか?」
ワグネルが背負っている刀で戦うところを、まだ一度も見たことがない。どんな戦いかたになるのか興味を抱いた仲間は、抜いてみてくれと両手を合わせた。けれどワグネルは、物言わぬときの無愛想な顔で首を横に振るだけだった。
「この刀にどんな力があるか、俺は知らないんだ。ずっと昔、崩れた神殿で見つけただけだから」
ワグネルには、あの教団で過ごした日々の記憶がなかった。それこそが、ワグネルが神に呟いた「忘れさせて欲しい」という願いだったからだ。
 神という存在がこの世にあるのかどうか、ワグネルは真剣に考えてみたことがない。ただ、もしもいるとすれば彼は非常に冷たい生き物で、決して人間の望む通りには願いを叶えてくれないのだろうなと、漠然とそんなことを信じていた。
 なぜワグネルがそんなことを信じているのかは、その背で鈍く輝く大刀だけが知っていた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2787/ ワグネル/男性/23歳(実年齢21歳)/冒険者

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
微妙な感覚のノベルだったのですが、いかがだったでしょうか。
とりあえず宗教に対する偏見はないつもりで書かせていただきました。
これまで何度かワグネルさまのノベルは書かせて頂いているのですが、
どんどん刀との因縁が深くなっている気がします。
また、辛いことがあったけど覚えていない・・・ということが
あの無意識の冷たそうな顔に繋がるのかなあ、なんてことを
考えたりもしました。
自分の書いたノベルが、新しい過去になれば光栄です。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。