<PCクエストノベル(2人)>


++   紺碧の水   ++




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【冒険者一覧】

 【2478/エミリアーノ・オリヴェーロ/男性/17歳/海賊】
 【2666/エンプール/男性/20歳/皇族(王様)】


【助力探求者】

 なし

【その他登場人物】

 【村人A・B】
 【小さき魂の欠片】
 【虚ろなる魂の欠片】
 【空虚なる肉片】
 【患いし肉片】
 【凌駕せし焔】


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 ゆらり


 漂う様が面白いと 彼がぽつりと呟いた

 水音は


 ぴしゃり


 静かに響き 紺碧の闇の中へと吸い込まれてゆく


 ぴしゃり ぴしゃり

   ぴちゃ  ん……


 意識の底に語り掛けられた

 夢の縁で 彼がぽつりと 呟いた












村人A「あぁ、あそこに行こうってんならよ、兄ちゃん、ちぃとばかし気をつけた方がいいぜ?」
村人B「やめた方がいいと思うけどなぁ」
村人A「魂が、心を惑わせるんだとよ……」
村人B「一人で行っちゃなんねぇんだとよ。自分を救う相手がいねぇと、二度と「こっち」には帰ってこれねぇって噂だぜ?」
村人A「まぁそんなのただの噂だろ? 肝試しにゃぁ持って来いだぜ、なぁ?」

 村人達は、さも愉快そうにげらげらと笑い声を立てた。








エミリオ「まぁ……俺は別に、構わねぇけどよ」

 エミリアーノ・オリヴェーロ。彼は不貞腐れたようにそう言うと、目の前に悠々と立つ金髪の男を一瞥する。

エンプール「うん、じゃあ決定ね」

 ――――りん

 エンプールはかすかな鈴音を響かせながら、エミリオにすっと手を差し出した。

エミリオ「………何だよ?」
エンプール「行こう」

 エミリオは、彼の「いつも」の微笑に軽く溜息をつくと、差し出された手を握るのではなく、手の平を打ち付けて心地良い音を鳴り響かせた。
 そのままエンプールの脇をすり抜け、戸口のところで軽く振り返る。

エミリオ「ま、行くっていうならついてってやるよ」
エンプール「……………」

 ぶっきらぼうな語調の影から微かに覗く穏やかさ―――確実に、出会った頃とは違っていた。
 何かを見捨てたかのような冷たさや、突き放すような刺々しさ。
 それらはほんの少し、影を顰め――呆れたような「溜息」へと変化していた。
 エンプールは微かに首を傾けて目を瞬きすると、無言で戸口をすり抜けて出て行った彼の後姿に、くすりと微笑んだ。

エンプール「少しずつ、進もうね……」

 呟くように そう口にした。




 二人は湖の底に沈むという都市―――「落ちた空中都市」を訪れていた。
 嘗て栄華を誇ったであろうその都市は、何が起こったのか、今は水中深くに沈んでいるという―――

エミリオ「なぁ、どっから入るんだ?」
エンプール「さぁ?」
エミリオ「………お前な」
エンプール「あはは、冗談だよ」

 にっこりと微笑むエンプールに、エミリオは溜息を零す。

エンプール「観光兼腕試しに行くんだ―――って言ったらね…酒場のおじさんが、湖底の都市部へ続く洞窟があるって教えてくれたんだよね」
エミリオ「洞窟? そんな話、聞いたことないぜ?」
エンプール「だよね。俺も初耳だし」
エミリオ「…お前なぁ」
エンプール「あはは」

 エミリオは微かに拳をふるふると震わせると、じっとエンプールを見据える。

エンプール「何かね、魂が心を惑わせるから気をつけろとか何とか―――ただの、噂だって言ってたけど」

 エンプールはその視線を気にするでもなく、マイペースに辺りをぐるりと見回している―――

エンプール「二人で行けば大丈夫だよ。お互い助け合えばいいじゃないか」
エミリオ「……あんたって簡単に言うのな。それに噂だって言うなら……」
エンプール「ぁ、でも…ほらエミリオ、あそこ見て?」

 彼はそう言いながら一定の方向を指で指し示す。

エミリオ「………あれって…?」
エンプール「ぇ? 何か、不思議な光が……あれ?」

 エンプールはエミリオに向けた視線を再度自身の指差す方向に向けると、幾度か瞳を瞬いた。

エンプール「……消えちゃったねぇ。仕方ない、近づいてみようか」
エミリオ「………は?」
エンプール「何ぼーっとしてるの、エミリオ。ほら、早く行こう」

 戸惑うエミリオの腕を掴み、エンプールは其方へと向かっていく。

エミリオ「ぇ? ……いや、ちょっと待てよ」

 そんなエミリオの呟きを物ともせず、彼は突き進んでいく。
 やがて――二人の視界に、漂う一つの光が入った。

エミリオ「……何だ、あれ」
エンプール「………声が聴こえる」

 エミリオはその光からじっと視線を逸らさずに、エンプールの言う「声」を聞き取ろうと耳を澄ませる。

『 ―――――― 痛 い 』

 遠かった声が急に近くなり、まるで己の耳元で囁きかけられたかのような感覚を覚える。
 エミリオの背筋を、何かがぞくりと駆け抜けた。

エミリオ「………なぁ」
エンプール「ん?」
エミリオ「今……何か言ったか?」
エンプール「いや、俺は何も言ってないけど……エミリオ、どうかしたの…?」


エミリオ「……声、が……」

 ずきん

 僅かな痛みが全身を駆け巡り、心に響いた。

 ずきん

 それは、気のせいかと思うくらいの「変化」だった。

 『小さき魂の欠片』が、エミリオの心に入り込んだ。
 何か「違うもの」が入り込んだ感覚だけは掴んでいた。けれども……




 エミリオの意識は、そこで途切れてしまった。

















 ぴしゃり


 水音は静かに響き 紺碧の闇の中へと吸い込まれてゆく


 ぴしゃり ぴしゃり

   ぴちゃ  ん……


――――水音が響き渡る。


 失いかけた 意識の僅か片隅で




エンプール「………エミリオ、聴こえる?」

――――あぁ

エンプール「……俺たち…変な所まで、来ちゃったね」

――――………あぁ

エンプール「ねぇ、見えるかな? ゆらゆら 漂ってる…面白いよね」

――――何、が……?




エンプール「……ねぇ」

――――……何だよ

エンプール「………エミリオってさ」

――――……… …… … 何、

エンプール「俺が居なくなったら、寂しい……?」

――――は? 何、言ってんだよ…お前

エンプール「……そうだよねぇ」






――――俺たち、まだ会ったばかりだもんね






エミリオ「―――――待てよッ」

 叫んで伸ばしたエミリオの指先に、風を切る感触だけが残った。
 夢から醒めた虚しさだけが 僅かに心に跡を残す。

エミリオ「……………なぁ、あんたって…」

 一人、虚空に向かい語りかけていた事に気付くのに、そう時間は掛からなかった。

エミリオ「……何処だ?」

 僅かな光すらも奪われた、漆黒の世界で。
 彼は一人 眠りから目を覚ました。

 僅かな痛みが駆け巡る。
 この黒塗りの世界では、何が痛いのかすらも判断がつかなかった。
 心か、体か―――痛い理由はわかっていた。

 『小さき魂の欠片』

 痛みによって砕けた魂の欠片。

エミリオ「あぁ、……あんたを探してやらなけりゃ…な………」

 胸元を押さえつけ、彼は一人立ち上がった。

エミリオ「………意味、わかんねぇし」

 夢だったのかすらも、判断がつかない。

エミリオ「一人で、勝手に……言ってろ」

 確かに出会ったばかりだ。でも、少し、違うのではないかと…彼は微かに思い始めていた。

エミリオ「あぁ……もう…………」

 いつもなら、放っておく。

エミリオ「仕方…ねぇなっ………」

 関係が、ないから。

エミリオ「……………」

 係わりたく、ないから。

エミリオ「―――――くそっ」

 でも、違う。――――今回だけは。

エミリオ「………らしくねぇ」

 エミリオは、闇の中を駆け出した。
 自分の居る場所はわかっている。
 此処が、例の「洞窟」だろう。
 魂が心を惑わせるという、洞窟。

 エミリオは疲労からか、震える足を叱咤していた。
 少し、引っ掛かっている事がある。
 自分が「声が聴こえる」と言った時、エンプールは何も聴こえなかったと言っていた。
 でも、それより前に、エンプールが「声が聴こえる」と言った時、自分には何も聴こえなかった―――
 もしかすると、何かの魂の欠片が彼の中に入ってしまっているのかもしれない。
 微かにそう思った。

 ――――馴れ馴れしくてお節介なヤツ。
 初めの頃は、そんな印象だった。
 でも…いつも妙に明るくて、絶えず笑っていて、何にも臆せずに突き進んで周りの者をぐいぐいと引っ張っていくような……「彼らしさ」が、あの時感じられなかった。

 暗闇の中に、微かに浮かび上がる薄い金色の髪に、エミリオは足を止めた。

エミリオ「おい、あんた大丈夫か」

 ぶっきらぼうにそう問い掛ける。
 しかし青年はその問い掛けに振り返ることは無かった。

エミリオ「………エンプール」

 名を呼ばれても、返答が無い。ぴくりとも動かずに、彼はじっと闇の奥底を見詰めていた。
 少しずつ、近づいて傍らに立つ。
 その間にもエミリオの中の魂の欠片は、痛みに震えていたけれども―――

エミリオ「なぁ、あんた…」
エンプール「………これ、あげるよ」

 何処か悲しげな微笑みを湛えた青年が、何かをエミリオの胸元に押し付けてくる。
 ぴちゃ…微かに音が暗闇に響き渡り、ぬるりとした感触の「何か」が布越しに感じられた。
 それはまだ、温かかった。

エミリオ「………? お前…な、に……」
エンプール「………患いし、肉片」

 りりん……

 鈴の音が鳴り響き、同時に翳されたエンプールの手元に、月明かりのような光が燈される。
 彼の前に力無く横たわる、巨大な「イキモノ」だった物の塊が視界に入り、自分の体に押し当てられたのが何であったのかを自ずと悟った。

エミリオ「っ……!?」
エンプール「君の中に在る 痛みの為の器…だよ」

 そう言って、彼はゆっくりと瞳を閉じた――と、同時か。
 エミリオの心の中に在った痛みが、するりと解け…程なく消えた。

エミリオ「………あ」
エンプール「痛く、なくなった…?」
エミリオ「あ、あぁ……その………サンキュ、な」
エンプール「…………どういたしまして」

 彼は力無く笑う。
 エミリオは微かに眉を顰めると、魔物の気配を感じてガントレット握り締めて感触を確かめる。

エンプール「でも、俺が無理矢理連れてきたんだから、当然の事だよ」
エミリオ「……お前は…その…大丈夫、か?」

 エミリオの言葉に、エンプールは少し顔を傾けると、くすりと微笑んで見せた。

エンプール「あぁ、大丈夫だよ。先へ進もう」







 エンプールの手元から発せられる淡い光が、今は彼らの導く光だった。
 闇は薙ぎ払われる訳ではなく、絶妙な溶け具合で光を受け入れている。
 不思議な光景だった。

エミリオ「なぁ、あのさ……お前の世界って、そういうの…普通なのか?」
エンプール「……そういうのって?」

 エミリオの指差した自身の手元を眺め見、エンプールは少し首を傾げる。

エンプール「いや……使えない人も居るよ。俺の世界じゃ……差別されてるみたいだけどね」
エミリオ「…そうなのか」
エンプール「うん。まぁ…「彼女」みたいなのは特別だし…………、喋ってる暇もないみたいだね」
エミリオ「………あぁ、そうみたいだな」

 目の前から小さな炎の塊が揺らめきながら此方へと向かってくる。
 エミリオはショートソードを構えると、黙って立ち尽くしたままのエンプールを横目で見遣る

エミリオ「おい……あんたどうしたんだ?」

 敵―――と思われる対象を目前にしておきながら、エンプールは武器を構えない。
 明らかに不審な行動。

エンプール「何か……もう、どうでも良くなってきちゃって」

 エミリオはエンプールの口から発せられたとは思えないような内容の言葉に、僅かに体を揺らす。
 「どうしたんだ」だとか「何が」等と訊くのもおかしいような気がして、彼はほんの少し押し黙る。

???「虚ろなる魂は、心を蝕む…」

エミリオ「………誰だ」

???「少年よ…私の小さき欠片を何処へやった」

エミリオ「小さき…欠片?」

 エミリオはぴくりと眉を動かすと、構えたショートソードの刃先を僅かにずらした。

???「お前の隠された痛みに触れただろう? 私の小さき欠片…が」

 相手の言葉と同時にエミリオは薄暗い大地を蹴った。
 目前に迫る小さな炎の固まり目掛けて刃を振う―――が、

エンプール「……駄目だよ、エミリオ」

 攻撃対象の身に触れる直前で、エンプールの大剣が彼の刃を防いだ。
 エミリオは刃を弾かれた反動をそのままに、空中で身を捻らせ 一回転して闇に足音を響かせる。
 軽く、心地良い着地音が反響した。

エミリオ「……何かあるのか」
エンプール「うん……多分」
エミリオ「……多分って、あんたな…」

???「蝕まれた心で良く動く……あの少年を止めた事、後悔するがいい」
エンプール「後悔? ……しないだろう、そんなもの…今なら、ね」

 すらりと刃擦れの音が虚空に響く。
 エンプールがエミリオに向けて放った月明かりが、ゆるゆると柔らかな曲線を描きながら彼の手元へとたどり着く。

――――やっぱ放っておいちゃ拙いんだろうな

 エミリオの頭の中に、一瞬だけ浮かんだその考えが、彼の体を突き動かした。
 エミリオは受け取った月明かりを成る丈高くに放ると、彼らの元へと再度駆け出した。
 振われたエンプールの刃先を反らすようにショートソードで押さえ、ガントレットを握り締め、小さな炎の塊目掛け、臆する事無く拳を叩き込んだ。

 ぼっ

 炎が妙な音を立てて身を散らす―――その隙間から、何かの鋭い輝きが垣間見えた。

エミリオ「……くっ」

 「しまった」と、エミリオがそう思った時には既に、彼の体は何かの強い力に引き込まれるかのように其の侭後部へと転倒していった。
 同時に何かを引き裂くような音が闇に鳴り響き、続いて小さな爆発音が彼ら二人の聴覚を支配する。

 音がやんで―――エミリオははっとして、片膝をつき、ぼんやりと転がり落ちた月明かりを眺めるエンプールの腕を押さえつける。

エミリオ「何考えてんだよお前ッ!!」
エンプール「いや……俺は…………何、考えてるって……聞かれても」

 押さえつけるエミリオの手―――指の隙間から、溢れ出るように鮮血が滴り落ちる。

エミリオ「……恩でも売ったつもりかよ」

 少し、皮肉を篭めて言ったつもりだった。
 予測不能なエンプールの行動に、エミリオは戸惑うばかりで押し留める事が出来ない。
 微かに、それを悔やんでいるのだろう。

エンプール「俺は、ただ……守りたい、だけ」
エミリオ「……………は? 何言ってんだ、あんた」
エンプール「………おかしいかな」

 苦笑しながらエミリオを見詰めるエンプール。
 エミリオは呆れたように首を振った。

エミリオ「一人で何でも出来る訳、ねぇだろ」
エンプール「………うん。そうだね」

 言われなくても、そんな事は解っている筈の男に、呟くように言う。
 エミリオは何処からか取り出した布でエンプールの傷口を縛る。

エミリオ「……戻るか?」
エンプール「……何言ってるの、漸く空中都市についたのに」
エミリオ「……だよな。行こうぜ」

 エンプールはこくりと頷くと、傷口を庇う事も無く立ち上がった。

エミリオ「…虚ろなる魂って言ったか、あいつ」
エンプール「……うん。虚ろなる魂の欠片」

 エンプールはそう囁くように言ったまま、目の前に広がる巨大な建造物をじっと眺め見、そして歩いてゆく。
 エミリオはそれをただ、じっと眺めていた。






 いつ、どうして滅んだのかすら解らない、謎の遺跡―――落ちた空中都市
 滅んで尚、静謐さを保ち―――まるで、この聖獣界に存在する「世界」のあり方とは異なるかのような錯覚すら抱かせる。
 しん―――とした世界。
 透明な世界。

 蒼と、白だけの世界――――

 静けさの中に、微かに水中を流れ行く泡の音が耳に届き――どういった構造であるのかは謎だが、普段と変わらずに呼吸をすることが出来る。
 白い砂がさらさらと 割れた地面の暗闇へと吸い込まれてゆく。

エミリオ「―――白い、砂…?」

 エミリオは傍らに転がる石片を拾い上げようと、指先で其れに触れた。
 途端に ぱりん と、内包する何かが爆発的に内部から押し出されたかのように、空中に砕けて粉となった。

エンプール「エミリオ、あれ…見て」

 二人が出た何処かの広場と思われる場所の中心部。
 少し小高い位置に作り上げられた 何を意味するのかは分からない紺碧のオブジェがすらりと天高くへとその身を伸ばし、彼らを見下ろしていた。

エミリオ「……聖獣界に存在するようなもんじゃねぇだろ」

 エミリオは呆然とそう呟く。

エンプール「確かにこっちへ来てから、こんな物質は見たこと無いね。……一応、水?」
エミリオ「何かこう……よくわかんねぇけど、神聖? って感じしねぇか?」
エンプール「………う〜ん。紺碧の水……か」

 ―――この男、先ほどから少しも笑わない。
 欠片もいつもの「元気」さが感じられないのだ。
 エミリオは普段そうあったものが「違う」ということに、微かながら不安を覚える。
 最初から、訳の解らない男だった。それだけは変わらない。
 けれど。

エンプール「ぁ」

 彼の小さな呟き声を皮切りに、エミリオは感じ取った違和感に直ぐ様戦闘体勢を取った。

 ところがエンプールはぼんやりとしたまま、その場に立ち尽くしている。
 エミリオは舌打ちをすると、紺碧のオブジェの前に、すぅっと空間の狭間からでも現れたかのような巨大な魔物を一瞥してエンプールを力の限りに引っ張ってそこから遠ざける。

エミリオ「あの紺碧の水の中から出て来た様に見えなかったか?」
エンプール「………何か、ありそうだね。あれ」
エミリオ「……やる気がねぇなら下がってろよ、怪我人」
エンプール「………いや、そんな事……ない」

 ぱたたっ

 エンプールの腕から今だ留まる事を知らぬ血が滴り落ちる。

空虚なる肉片「ゥ゛ァアアアアアアアアアッッ!!!」

 びりびりっ――空間そのものを引き裂くかのような鋭い鳴き声をあげ、その強大な生き物は銅錆色をした三つの瞳をくるくると回転させながら、エンプールの方をじろりと眺め見る。

エミリオ「おい……あんた何かしたのか」
エンプール「………さぁ、血が好きなんじゃないの?」

 エミリオは微かに口の端を引き上げて笑うと、
 「趣味悪いよな」などと軽口を叩きつつ体勢を低くする。

エンプール「……冗談。俺が魂の欠片を持ってるからだよ……多分ね」
エミリオ「……なるほどな」
エンプール「………相手を殺して…「魂」を手に入れる。…………今度はどっちになると思う?」
エミリオ「……縁起でもねぇ事言ってんじゃねぇよ」

 駆け出したエミリオが軽やかな足音を鳴り響かせて宙を舞う。
 落下の勢いをつけて背に突き立てたショートソードからどす黒い血が噴出し、空虚なる肉片が喚き声をあげて大きく体を揺さぶる。

???「欲張りな―――生き物」

 爆風と共に炎を纏った強大な存在がエミリオの目の前に現れる。

エミリオ「……っ何だ!!?」

 頬を掠めて灼熱の焔による攻撃が彼の毛先を焦がした。

エンプール「……離れないとね」

 エンプールは自分が移動する事で、空虚なる肉片ごとエミリオを新たに現れた敵――凌駕せし焔から引き離すと、紺碧の水をちらりと見遣って首を傾げた。

エンプール「エミリオ、そいつ紺碧の水から出てこなかったみたいだよ?」
エミリオ「あぁ……そうかよっ……たく人使い荒いぜ」

 エミリオはショートソードを引き抜いた途端に、痛みによって暴れ狂う空虚なる肉片を蹴りつけ、そのまま紺碧の水目掛けて滑り込むように着地する。
 エミリオの手の平が紺碧の水に触れた。
 彼は其の侭力任せに掴んだそれを、陵駕せし焔目掛けて投げつける!!

 じゅっ――――― ぼっっ!!!

 妙な音を立てて、陵駕せし焔が微かにその炎を揺らがせる。

 ―――よし! 効果ありだ―――

 エミリオは続け様に紺碧の水をもう一度手に掴んだ―――瞬間。

エンプール「エミリオ、離れろっ」

 彼の叫び声と共に、骨のずれるような音と振動とが自身の中で鳴り響き―――気付いた時にはエンプールを下敷きに、地面に突っ伏していた。

エミリオ「……うっ……くそっ………」
エンプール「…………っ」

 エンプールの呻き声に、エミリオは全身の痛みを堪えつつのろのろと退ける。

エミリオ「…おい、大丈夫か……?」
エンプール「………はっ………仕方が、ない……よね」
エミリオ「………何、が?」
エンプール「……この際、あのでかいのはどうでも、いいよ……「陵駕せし焔」の方を…何とかしないと」
エミリオ「……駄目だ。あんたずっとそのままでいる気かよ」
エンプール「………俺の事なんか、どうだっていい」

 妙な所で頑固な一面を覗かせたエンプールは、持っていた鈴を大剣へと変化させ、それを構える。
 構わないつもりでも、腕の痛みは限界を超えているらしく、剣先が定まらずにかたかたと震えている。

エンプール「紺碧の水を手に入れる。あの大きな焔にはそれが有効な筈、だよ」
エミリオ「―――そうだな」

 エミリオの返答と共に、エンプールは一気に紺碧の水目掛けて駆け出した。
 其れに反応して、陵駕せし焔がエンプールの背後に迫り、その目前に空虚なる肉片が立ちふさがった!!

エミリオ「一番注目されてる奴が、注目度の高い行動を起こしてんじゃねぇよっ」

 エミリオも其れに続いて駆け出した。
 エンプールがひらりと避けた空虚なる肉片の拳を、相手の力を利用してショートソードで一気に引き裂く。

空虚なる肉片「グァアアアアアアアアアアアアッッ」

 怒り狂ったかのような叫び声をその耳に聞き取った瞬間、振り向いたエミリオの視界に、エンプールの大剣が紺碧の水を斜めに切り倒す姿が入った。

















 『    侵  入  者  は    排  除  す  る    』
















 それは ほんの一瞬。
 視界一杯に、爆発的な炎が広がる。
 もう、駄目だろうと思ったのだろうか―――二人は、『陵駕せし焔』の巻き起こした爆焔に、思わず腕を眼前に構え、頭部を護ろうとする。
 エミリオは、思い切り腕を振うと、何かを振りぬくように投げつけた。


 カカッ…

 酷く訊きなれぬ音と共に、ぐらり…と、自身が目眩でも起こして倒れ込むかのような錯覚を覚えるほどの、大きな揺れを感じる。

エミリオ「くっ………?」
エンプール「っ…………!」

 エンプールの薄く開いた瞳に、陵駕せし焔の爆焔と共に、視界一杯の巨魁がぶち当たる。

エンプール「ぅっ………!!」
エミリオ「!?」


 何があったのか―――問い掛ける声すらも、焔に掻き消されてしまった。




















 静かな湖面が…風に揺れ、波紋を広げる音が耳に残る。

エミリオ「………ぅっ」

 彼は微かに体を起こすと、視界の端によく知った青年の姿を見つけ、その青年をじっと見詰めた。

エミリオ「もう……大丈夫なのか?」

 湖の傍らに、屈み込んでじっと湖の底を眺めていたその青年は、ゆっくりと声のした方を振り向く。

エンプール「あぁ、エミリオ。目が覚めた? 何処か痛い所はないかな?」

 そういって、いつもの笑顔で微笑みかけてくる。
 先の暗闇の中で浮かべた、酷く虚ろな表情ではなく。酷く悲しげな微笑でもなく――いつもの、柔らかな微笑みで。
 どうやら最後にエミリオが振りぬいたショートソードは、運良く空虚なる肉片へと命中させることができたらしい。

エミリオ「俺の心配なんか、してる場合かよ」
エンプール「あはは。ごもっともだね。でも、もう俺は大丈夫だよ?」

 ―――「心配、してくれてたんだ?」そういってくすりと微笑む様が、妙に頭に来る。
 エミリオは、自分がどうしてそんな下らない事に腹を立てているのかすらも気付かずに、エンプールから顔を背けた。
 エンプールはエミリオのその様子を見て、流石に笑みを堪えきれなかったらしい。
 手の平で口元を覆うと、小さく肩を揺らした。

エミリオ「あっ! …あんた何笑ってんだよ!!」
エンプール「わ、笑ってない……笑ってないよ?」
エミリオ「嘘吐くんじゃねぇよ、絶対に笑ってるだろ、それ!!」
エンプール「あ、あははっ」




 ――――『落ちた空中都市』

 二人の目指した冒険の果ては見えたのだろうか。

 例え 未だ見えていなかったとしても。

 それでも 二人は微かながらも その心に共有すべき「何か」を掴んだようだ。

 手の平に残る、ひとしずくの 紺碧の水 と共に。




――――FIN.