<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


地下遊園地にようこそ!



------<オープニング>--------------------------------------

「あら、冥夜久しぶり」
 爆音と共に入ってきたのは、黒髪の長いツインテールを揺らした少女だった。店を壊されても、エスメラルダはいつもの事だと気にもとめない。突拍子もない事をやり出す冥夜の登場の仕方に慣れてしまったのだった。
「やっほー! 今日も黒山羊亭は大繁盛で何より、そして冥夜ちゃんラッキー!」
「またなんかとんでもない依頼持ってきたんじゃないでしょうね」
 エスメラルダに訝しげな瞳を向けられ冥夜は、ぶーっ、と頬を膨らませる。
「そんなことないもん。今日はねー、地下にある遊園地に御招待なんだから」
「地下にある遊園地? いつ出来たの?」
「ん? さっき」
 さらり、と告げる冥夜に向けられたエスメラルダの視線は冷たい。
「さっきって‥‥もしかして実験しようっていうんじゃないでしょうね‥‥」
「実験? 違うよ。試運転するからそれに付き合ってくれる人探してるの。作ったのは良いけど、まだ全然動かしてないんだよねー」
 ニパっ、と笑みを浮かべる冥夜。エスメラルダは眉間を軽く押さえながら溜息を吐く。
「それを実験と言うんじゃないの‥‥。まぁ、いいわ。それで一体どういう遊園地なの?」
「色々。お化け屋敷とか絶叫マシーンとか」
 遊園地と言われるところにあるようなものは大抵あるよ、と冥夜は言う。
「それじゃぁ結構まともなのね」
「施設自体は多分。ただ、4つに遊園地内が分かれててそこに一人ずつ案内の人が居るんだ」
「案内する人? どうしてよ」
 あはははー、と明後日の方を見ながら冥夜はとんでもないことを言い出した。
「それがね、うちの師匠ってば茶目っ気たっぷりありすぎて普通の遊園地じゃつまらないって。だからちょっと時空弄って作ってみよう、とか言い出してさー。だから時空案内人が居ないと迷子になっちゃうんだよね」
 帰ってこれなくなっちゃうの、と可愛らしく舌を出して笑う。そこは笑う所ではない。さすが変人師匠の弟子だ。
「まぁ、別に問題ないんじゃない? 戻ってこれるんでしょ?」
「普通の状態ならば」
 冥夜の言葉にエスメラルダの動きが止まる。
「ちょっと待って。冥夜‥‥まさか今普通の状態じゃないって言うんじゃ‥‥」
「あったりー! 4人居る時空管理人が、開店前に情緒不安定なんだよね。だから遊園地楽しみながら、時空管理人と一緒に回って元気にしてくれる人を大募集中〜」
「なんていうか‥‥また面倒な依頼を‥‥」
「誰か居ないかなー」
 そう呟きながらテーブルに肘を突いて、にゃはー、と冥夜は笑った。


------<お化け屋敷?>--------------------------------------

「うん、美味しい♪」
 夕食を食べた後に、デザートのパフェをぺろりと平らげていくティオ・ウォーカーを見つめる兄のシュレディンガー・ウォーカーとリィシェイド・ウォーカー。シュレディンガーの方は、大丈夫か、と心配そうに。そしてリィシェイドはニコニコと微笑んでいる。対極の感情を示す二人にティオは微笑みかけた。
「リィ兄もシュウ兄も食べる? 美味しいよ」
「ホント? それじゃ頂こうかな」
 ニコニコと差し出されたスプーンをぱくりと銜えるリィシェイド。そして、おいしいね、と笑顔で頷く。
「はい、シュウ兄も」
 差し出されたスプーンとティオの笑顔を交互に見つめ、シュレディンガーはしばし戸惑う。しかしティオが食べるまでスプーンを下ろさないのに気付いていた為、いただきます、とそのスプーンに口を付けた。
「美味しいでしょ?」
「…美味いな」
 その答えに自分が作った訳でもないのにティオは満面の笑みを浮かべた。兄たちの笑顔がティオにとっては何よりも美味しいスパイスなのだ。
 普段は家でリィシェイドが作った夕食を食べるのだが、今日はたまたま三人で買い出しに出ていたところ遅くなり、お腹の空いた三人は黒山羊亭へとやってきた。黒山羊亭は混んでいたが、たまたま奥に空いていた席を陣取り、楽しい夕食を取ったのだった。
「ごちそうさまでした♪」
 にっこりと微笑んだリィシェイドがティオに尋ねる。
「今度家でも作ってあげようか? パフェ」
「ほんと?」
「本当だよ。ディンも食べるでしょ?」
「ん? あぁ、リィが作ったものなら……」
「それじゃ楽しみにしててね」
 笑顔の裏でパフェの盛りつけを考えているのか、やけに楽しそうなリィシェイド。
 ティオがそんなリィシェイドの姿を見ながら、楽しみ☆、と声を上げた瞬間、黒山羊亭に爆音が響いた。
「にゃっ!」
 びくん、と身体を震わせ驚いたティオは半獣化してしまい、普段は隠れている猫耳と尻尾が飛び出す。
 兄二人の方は半獣化は免れたようである。
「はわわわわわっ! 耳が、尻尾が!」
 ティオは耳を押さえ、ぎゅっぎゅ、と早く元に戻るように祈った。
 何事かとシュレディンガーは爆音のした方を眺め様子を探る。そこに現れたのは一人の少女だった。この店の踊り子であるエスメラルダが親しげに声をかけているから、危険人物ということはなさそうだ。そこまで考えるとシュレディンガーは危険はないと考え涙目で辺りを見渡しているティオへと声をかける。一生懸命耳を戻そうとしているティオの頭をくしゃくしゃと撫でてやると少しティオは落ち着いたようだった。
「凄い音だったな」
「今のなんだったの?」
「なんかね、今聞いてきたんだけど、いつもの事みたいだよ。気にしなくて良いって」
 情報収集に行ってきたのか戻ってきたリィシェイドが告げる。
「いつもって……扉直すの大変そうだな」
 ボロボロになった扉を眺めつつ苦笑気味のシュレディンガーが言うのを聞き、本当だね、とティオも笑う。
「あとね、面白そうな話をしてたよ。遊園地がどうのこうのって」
 遊園地、という言葉にティオの目が光り輝いた。それにいち早く気付いたシュレディンガー。ティオがいう次の言葉は容易に予想出来た。シュレディンガーとしては人混みが苦手な為ほんの少し眉を顰める。しかしティオとリィシェイドが喜んでいる姿を見ると、行ってやるか、という気になってしまう。シュレディンガーは妹の笑顔にも、そして兄の笑顔にも弱いのだった。
「面白そう♪ お化け屋敷はあるのかな、ジェットコースターとかはあるのかな」
「本人に聞いてみたら良いんじゃない?」
 リィシェイドはエスメラルダと話している冥夜を指差した。そうだね、とティオは笑みを浮かべる。
 それでも行くとなると人混みの苦手なシュレディンガーは頬を引きつらせ、ティオを眺めてしまう。しかしそんなシュレディンガーの表情になどティオは気付かない。
 ティオに手を引かれ、兄二人も一緒に冥夜の元へと向かったのだった。


「へぇ、兄妹なんだ。アタシは冥夜。よろしく☆」
 簡単な三人の自己紹介を聞き冥夜は笑みを浮かべる。その頃にはティオの半獣化も収まっており、人との違いを示す部分は何処にも見あたらなかった。
「それでお化け屋敷のゾーン希望? 大歓迎しちゃうよ」
「はいっ。お化け屋敷志望します。でも、本当に無料で楽しんでしまっていいんですか?」
「うん、いいのいいの。こっちも調整したいからだし、それで楽しんで貰えれば万々歳。気になるところとか見つけたら遠慮無く時空管理人に言ってやって」
 ありがとうございます♪、と全開の笑顔を向けるティオの頭に手を置いたシュレディンガーは言う。
「ティオ、恐いの苦手だろーが」
「恐いのは苦手だけど、お化け屋敷は別!」
 ムキになって反論するティオにシュレディンガーは珍しく意地の悪い笑みを浮かべて告げた。
「それじゃ、俺を盾にしようとなんてするなよ?」
 その言葉に、うっ、と詰まるティオ。どうやら初めからそのつもりだったようである。
「えーと、だったらシュウ兄を壁にして進むね」
「壁も盾も一緒だろーが! だから俺を盾にするなっつーの」
「シュウ兄、頼りにしてるからね☆」
 ぐっ、と目の前で拳を握りしめるティオを見てシュレディンガーが叫ぶ。
「気合い入れて頼りにすんなっ!」
 二人のじゃれあいをニコニコと笑みを浮かべてリィシェイドは見つめる。三人のいつもの光景だった。
「良いねぇ、仲良くて。アタシもお兄ちゃん欲しかったなぁ」
 羨ましい〜、と冥夜に言われティオは恥ずかしそうに頬を染める。
「私の自慢のお兄ちゃんたちなんです♪ だから一緒ならきっと恐い場所も平気かなって」
「うん、きっと楽しんで貰えると思うんだ。それじゃ明日、お化け屋敷のゾーンまで案内するよ。楽しみにしててね」
「はい☆」
 ティオ達はそれぞれ明日への思いを胸に帰宅したのだった。


------<レッツゴー!>--------------------------------------

 朝から三人の家の中には良い匂いが漂っていた。
 がしがし、と髪を掻きながら起きてきたシュレディンガーの目に飛び込んでくるのは色とりどりの料理達。所狭しと並べられたその料理はいつもの食卓の倍はある。
「……リィ? これは……?」
「あぁ、オハヨ。それね、今日のお弁当だよ」
 ニッコリと朝から満面の笑みを浮かべ、鼻歌を歌いつつ料理を作るリィシェイド。今日のお化け屋敷ツアーに気合いが入っているのはどうやらティオだけではないようだった。窓から見える空は青空。快晴だった。
「……美味そうだな」
「今、作り終わるからそうしたらご飯にしようね」
 お茶淹れておいてくれる?、と頼まれシュレディンガーは軽く頷くとその用意を始める。
「おはよー☆天気良くて良かったね」
「おはよう。あ、ティオ。そこのお弁当箱に料理を詰めてくれる?」
 そこへティオもやってきて、リィシェイドに頼まれパタパタと手伝い始めた。
「はーい♪ うわぁ、美味しそう。お昼が楽しみ☆」
「そうかな。そうだといいんだけど。それじゃ詰めるのよろしくね」
 コポコポと音を立てるヤカンからシュレディンガーはお湯をティーポットに淹れる。
 賑やかな朝の始まりだった。

 冥夜に案内され、お化け屋敷のゾーンへとやってきた三人。
 そびえ立つ巨大な門の下に一人の少女が立っていた。
「あ、セラ!」
 冥夜が声を上げ手を振ると、その少女は小さく会釈してきた。
「こんにちは♪」
 ティオが駆け寄って自己紹介をすると、セラはおどおどとしながらも、よろしくお願いします、と小さく告げた。それに続いてシュレディンガーもリィシェイドも自己紹介をする。余り異性と話す事に慣れていないからか、ティオと接するよりもおどおどしている様に見えた。落ち着かない少女を見かねて、ぽん、とシュレディンガーが頭を撫でてやると、びくっ、と激しく反応をしたものの、少し落ち着いた様子で挨拶をするセラ。
 それを見て冥夜が、大丈夫そうだね、と小さく呟き言った。
「それじゃアタシは用事があるから此処までだけど、楽しんできてね」
「はい、どうぞ」
 ヒラヒラと手を振り去ろうとする冥夜に、リィシェイドが包みを手渡す。受け取ってしまってから冥夜は首を傾げる。
「えっと……これは?」
「お弁当です。多めに作ってきたのでどうぞ」
 まだたくさんあるんですよ、とリィシェイドとシュレディンガーは手にしている包みを上げた。
「いいの? わーい、お弁当なんて久しぶり。アリガトー!」
「リィ兄の料理は美味しいんですよ」
「本当? 楽しみ楽しみ。ありがたくいっただきまーす。それじゃ、また会おうね!」
 じゃぁねー、と冥夜はお弁当を手に機嫌良く去っていった。

「ではこちらへどうぞ……」
 門が開かれ中へと通される。
 ティオは入る前からガッチリとシュレディンガーの服を掴んでいた。
「ティオ、服が伸びる」
「大丈夫。伸びちゃったら私がまた作るから」
 そういう問題じゃねー、と喚くシュレディンガーだったがティオは気にもとめずシュレディンガーの背を押す。ティオは入る前からしっかり自分の前に壁を作っていた。
「こら、ティオ! 壁にするなって言ったろーが」
「壁じゃないもん。やっぱりお化け屋敷って一番初めの方が楽しめるでしょ? シュウ兄にその権利をプレゼントー☆」
「そうか、そうか。謹んでその役を譲ってやっからな」
 くるり、とシュレディンガーは背にティオを付けたまま振り返る。回る景色の中に歩いてくるゾンビが見え、ティオは声もなくぎゅうっとシュレディンガーにしがみついた。
「感激の余り言葉もなかったりして?」
 背でぶんぶんと首を左右に振るティオを感じ、あんまり苛めてもな、と仕方なく盾になってやろうかと身体を反転させる。しかし気付かないうちにゾンビが集まってきていたのか、ティオの背にそのゾンビの冷たい手が触れた。
 恐怖に怯えたティオは声を発することなく半獣化してしまう。
 それをリィシェイドと共に後ろからついていったセラが目撃し、目を丸くした。
「あ。ボク達元は猫なので驚くと半獣化しちゃうんですよ。そしてディンが転ぶと、ティオがくしゃみをすると、ボクが水に濡れると完全に猫化してしまって名前を呼んで貰わないと元に戻れないんです。その時はお願いしますね」
「は、はい……」
 でも大丈夫ですか?、とティオを心配そうに見つめるセラにリィシェイドはにっこりと微笑む。
「大丈夫。ティオにはディンがついてますから。でも面白いでしょう?」
 あの二人、と今も前方で全力で逃げ回っているティオと引きずり回されているシュレディンガーを指差しリィシェイドは笑う。ほんの少しだけセラに笑みが戻った。

「ティオ、引っ張んなっ! そっちはゾンビの巣だろうがっ!」
 ティオがゾンビから逃げようとあらぬ方向へと駆けていこうとするのをシュレディンガーは必死に止める。ティオは目を瞑っていたのだろう。シュレディンガーが振り返った時にはティオは恐る恐る薄目を開けて辺りを見渡している所だった。
「えーっ、もう分かんない。シュウ兄、どっち?」
「こっちだ、こっち」
 ティオはシュレディンガーに手を引かれながら、先へと進む。ちらりと背後を眺めればセラとリィシェイドがついてくるのが見えた。それを確認すると安心したようにティオはシュレディンガーの後に続く。
「ねぇ、シュウ兄。お化け屋敷って、棺桶とかの中から人が出てきたりするんだよね……」
「そういうところもあるだろうな。ここはどうだかわからねーけど」
「先に行かないでね……?」
 上目遣いでティオがシュレディンガーに言うと、シュレディンガーは振り返りつつ告げる。
「こんなにしっかり掴まれてて逃亡出来るかっ!」
 腰の辺りをがっちりと掴まれていては逃げる事など到底無理だ。
 ティオは辺りを気にしながら進んでいくが、暗闇に慣れても恐いものは恐い。
 その時顔に触れる柳の葉。鼻を擽られ、ティオはくしゃみを必死に堪える。
「っ……はっ……はっ……」
 くしゃみをしそうな気配に気づき、シュレディンガーは慌ててティオの鼻を摘んだ。ここでくしゃみをされたらティオが猫になってしまう。名前を呼べば元に戻るが、兄妹が呼んでも駄目なのだ。第三者がいなければ元に戻る事は出来ない。頼みの綱のセラはリィシェイドと共に回っていてまだ来る気配はなかった。もしここで猫になってしまったらお化け屋敷を楽しみにしていたティオが可哀想だ。
「頑張って我慢しとけ。猫になったら楽しみ半減だぞ」
 こくこく、と頷いてもう大丈夫だとシュレディンガーに告げる。手を離してやるとティオは大きく息を吸い込んだ。
「ありがとう、シュウ兄♪」
「どういたしまして。もう半分くらいきたか?」
「どうだろう……」
 辺りを見渡しながら進むティオの目にキラリと光るものが見えた。ティオはその光が気になり、立ち止まって観察する。それは綺麗な石だった。天井から漏れる光に反射して煌めいている。
「なんだ、これ。綺麗だけど……」
 取れる訳がない、と思いながらシュレディンガーはその石を弄ってしまう。するとぽろり、といとも簡単に外れてしまい二人は慌てた。まだ後ろからやってくるリィシェイド達は来ない。今の内に直しちゃえ、とティオはそれを台座のようになっていた場所へと置く。しかし外れてしまった為かコロコロとそれは転がり台座の上で揺れる。すると光の反射角度が変わり、その光は天井をちらちらと照らし始めた。
 それを止めようとティオは台座になんとか石をはめこもうとした。しかし無理にはめ込もうとしたせいか、台座がかけてしまう。しかしそれにシュレディンガーは気付いた様子はない。ほっと溜息を吐きながら、ティオはその石をその場に置いた。
 やがてそこに飛び回る蝙蝠の群れがやってきた。足下を掬われるような感覚がしシュレディンガーはバランスを崩す。シュレディンガーは転びそうになるのを必死に堪え、立ち止まった。驚いたせいで半獣化している。可愛らしい耳がぴょんと出てきていた。
 そこで終われば良かったのだが、シュレディンガーが咄嗟に掴まったものが悪かった。それは隣から出てきていたミイラ男の張りぼてだった。掴まり、ほっと一息ついた所でシュレディンガーの視界に入ったのはミイラ男。咄嗟の出来事で、玩具だとは分かっていても思わずそれを殴り倒してしまう。
 無惨にもその張りぼてはシュレディンガーの馬鹿力で破壊されてしまった。
「あっ…………」
 ティオとシュレディンガーは暫くぽかんと口を開けてそれを見つめる。
「これって……拙いよな」
「多分……リィ兄に言わないと……」
 しかし未だリィシェイドとセラがやってくる気配はない。二人は顔を見合わせ、あとでこの報告はすることにし先に進む事にした。

「シュウ兄〜、なんか水の匂いがするよ」
「そうだな。……それでなくても足場が悪いってのに水なんてあったらドロドロじゃねーか」
 シュレディンガーは小さな溜息を吐きながら前へと進む。やはりティオはシュレディンガーの後ろに隠れたままだった。
 沼地に近づくにつれ、二人の足下はだんだんとぬめりを帯び滑りやすくなる。
「ティオ、押すんじゃねーぞ。こんなとこで転んでたまるかって」
「うん。分かったよ。押さないように頑張るね」
「思い切り引くのもナシだからな」
「うん。恐い事がなければ平気だと思う」
 ぎゅっ、とシュレディンガーの服を握りしめたままティオは言った。しかしその言葉をシュレディンガーは信じる事が出来ない。本気で言っているのだろうが、パニックに陥ったティオはその言葉を瞬時に忘れ、シュレディンガーの事を押しもするだろうし、引っ張りもするだろう。シュレディンガーはそうなったら間違いなく転ぶ自信があった。だがここでシュレディンガーがネコ化する訳にはいかなかった。そうなったら誰がティオを守るのか。好奇心は旺盛だが、恐がりの妹の力に慣れないのは辛い。猫になったら見ているしかないのだから。
 滑る足下に気をつけながらシュレディンガーはティオを伴い歩いていく。しかし目の前に小さな橋があり、シュレディンガーは一度そこで立ち止まった。ティオに足下に気をつけろ、と告げ辺りの様子を窺う為に。
「どうかしたの?」
 ティオは立ち止まったシュレディンガーの背を見上げながら尋ねる。
 その時の事だった。
 トン、とティオの肩に飛び乗る何か。激しく身体を震わせたティオだったが、恐る恐る自分の後ろを振り返る。しかしそこには誰も居ない。震える声でティオはシュレディンガーを呼ぶ。
「……あのね、今、誰かが肩叩いたんだけど誰も居ないよね?」
 振り返ったシュレディンガーはティオと共に背後を振り返る。やはりそこには誰も居ない。
「誰もいねーぞ。恐い恐いと思ってるからじゃないか?」
「そ、そうかな……でも今確かに叩かれたような気がしたんだけど……」
 気のせいだ、とシュレディンガーは告げようとしたが、ティオの肩にティオの振り返る目から必死に隠れる物体を見つけてしまった。ツインテールにした髪の毛に上手く隠れているが、上から見下ろすシュレディンガーからは丸見えだった。必死に隠れる物体は誰かの手首だった。手首以外は見あたらない。それだけで動けるようだった。
 シュレディンガーは必死に考える。今ここでティオに告げたら確実に自分は突き飛ばされるだろうと。しかしそのままにしておいても良いものか。良い訳がない。ネコ化しない為にもティオに気付かれずに確実にそれを消し去る必要があった。
 暫く考えていたシュレディンガーだったが、とりあえずそいつを掴んで遠くへ放り投げればティオの目にも触れる事はないという判断を下し、ティオの肩口に手を伸ばした。
 ひょい、とその手首はあっさりとシュレディンガーに掴まる。それをティオの見ていない間に遠くへ投げようとした瞬間、ティオはその手首を見てしまった。
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
 ティオはシュレディンガーの服を掴んでいた手を離した。いや、正確には突き離した。
 動く手首を掴んだまま、シュレディンガーの身体はバランスを失い、足下の滑りを借りてそのまま地面へと激突した。
 その瞬間、シュレディンガーの身体はネコへと変化する。
『ティオー!!!!!』
「わぁぁぁっ、シュウ兄ごめんなさい、ごめんなさいっ。でも、でもー」
 ネコになってしまったシュレディンガーとは兄妹だからか意思の疎通は可能だった。頭の中に響く声を聞きながらティオは一歩ずつ後退していく。シュレディンガーに近づきたいと思うものの、その隣には動く手首があるのだ。
『押さない、引っ張らないって言わなかったか? ネコになったってことは誰かが来るまでこの姿じゃねーかっ』
 ティオにはしっかりと言葉が聞こえるが他の人には、ニャーニャー、と普通のネコが鳴いているようにしか聞こえない。喚くシュレディンガーだったが、ティオに対してさほど腹を立ててはいなかった。ただ、問題は誰かが名前を呼んでくれるまでこの状態という事だった。これではティオを守るどころの話ではない。今目の前には先ほどの手首があった。
 リズミカルに、ぴっちゃぴっちゃ、と動く手首がシュレディンガーに近づいてくる。
「シュウ兄……ファイトっ♪」
『後ずさりしながら言う言葉か!』
 フゥーッ!、と威嚇しながらシュレディンガーはティオの元へと走る。
 シュレディンガーはティオを守ってやろうと思っての事なのだが、シュレディンガーに狙いをつけていた手首はもちろんシュレディンガーに向かって突撃してくる。
「シュウ兄! 来ちゃ駄目!」
 しかしネコは走り出したら止まらない。シュレディンガーはティオの元までそのまま駆けた。ティオが来るなと言ってもそれどころではない。
「シュウ兄、来ちゃ駄目って言ったのにー!」
 半泣き状態でティオはシュレディンガーを抱き上げ、手首に向けて差し出した。
『ちょっ……!! ティオ、何する。降ろせっ!』
「シュウ兄、ファイト☆」
『この状態でファイトってどうしろっつーんだよ』
 そう言いながらも、とりあえずネコキックか?、とシュレディンガーは小さな手を振り上げ手首に立ち向かう。何もしないよりはマシだろう。
 それを見た手首もシュレディンガーに向けてジャブを繰り出した。それをティオに押さえられたままで交わすシュレディンガーは見事だ。
『ティオ、いい加減離せっ!』
「ムリ無理ムリ! 絶対ムリ!」
『ティオー!!!』
 身動きが取れねー!、とシュレディンガーは叫びつつ、見事なネコキックを手首にお見舞いする。
 そこへパタパタと足音が聞こえてきた。そしてセラの声が響く。
「シュレディンガーさん!」
 ネコから人間の姿へ再び変化したシュレディンガーを支えきれず、ティオはそのまま地にシュレディンガーを落としてしまう。
 思い切り尻餅をついたシュレディンガーはティオをじとーっと上目遣いで見上げた。
「ティオ……思い切り盾にしたな」
「頼りにしてるからだよ、シュウ兄♪」
 えへっ、と笑ったティオに呆れた表情を見せるシュレディンガー。とりあえずティオの危機も自分自身の危機も去ったようだ。
「ディンもネコ化しちゃってたんだね」
 リィシェイドがシュレディンガーに手を差し出して起きあがらせる。するとシュレディンガーの下から先ほどの手首がよれよれと這いずりだし、沼へと戻っていった。そこで漸くティオは安堵の溜息を吐く。
「…も、ってことはリィも?」
 よく見ればリィシェイドの身体はずぶ濡れだった。ルートが二つあった為、ティオ達とは別のコースを辿ってきたのだろう。
「うん、ボクもさっき水被っちゃって。今日は名前呼び隊の人には来ないように言ってあるから、セラさんに名前呼んで貰って元通りになったんだよ」
 呼んでもらえたおかげでボク達猫の姿で動かなくても済むし、とリィシェイドはニッコリとセラに微笑んだ。ティオもセラに向かい礼を述べる。
「ありがとうございます☆ これでリィ兄も一緒に楽しめます」
「助かった。ありがとな。……それと、セラには悪いんだが……」
 先ほど器物破損をしてしまった事をシュレディンガーが告げると、リィシェイドは笑って告げる。
「あー、ディンも壊しちゃった? ボクもー」
 全く悪びれた様子もなくリィシェイドはそう言ってのけた。その言葉にティオとシュレディンガーは口を開ける。
「えっ? リィ兄も壊しちゃったの?」
「うん。ボクの場合は壊したっていうより、怪我させちゃったんだけど。さっき背後から肩叩かれて反射的に殴っちゃって……」
 自分の兄ながら流石だとシュレディンガーは思う。怪我をさせたと笑顔で言ってのけた。えへっ、と笑うリィシェイドにシュレディンガーは頬をひくつかせながら言う。
「リィ……俺より酷いな」
「その前に水被って大変だったからちょっと歯止め効かなくて」
 笑顔を浮かべてはいるが、腹の内では濡れた事に相当腹を立てているのかもしれない。
「でもその怪我した人大丈夫なのかな……」
「大丈夫です……。先ほどの方はすでに死人ですから。本物のゾンビなんです」
 セラがティオに向けて初めて笑みを見せる。しかしティオは顔面蒼白だった。
「ほ、本物? さっきのゾンビも吸血鬼も手首も全部?」
「えぇ、本物です。……あの、ティオさん?」
「はわわわっ。本物だったんだ……」
 よろけるティオをシュレディンガーが後ろから支えてやる。作り物だと思っていたものが本物だと分かると途端に恐怖心は増す。ティオの恐怖はシュレディンガーにも伝わってきた。
「そうだ、もう少しで休憩所があるんだって。お腹も空いたからそこでご飯にしよう」
 ぱん、と手を叩いたリィシェイドは皆に同意を求める。セラは、そちらにはタオルもありますからその方が良いと思います、と告げた。その案にはシュレディンガーも賛成し、ティオもクラクラしながらそれに同意した。


------<お弁当>--------------------------------------

 タオルで頭を拭きながらリィシェイドはティオ達に尋ねる。
「そっちは面白かった?」
「うん、とっても。でも本当に恐かった」
「ずーっとティオは俺の事盾にしてたんだけどなー。本当にちゃんと前見てたのか?」
「み、見てたよ。しっかりと薄目で」
「ティオ、薄目でしっかりと、って……」
 くすくすと笑いながらリィシェイドがティオの頭を撫でる。そうするとティオは幸せそうな笑みを浮かべた。
「楽しんで貰えたようで良かったです。でも少し変更しないと……」
 しゅん、と落ち込むセラの頭をぽんぽんと撫でるシュレディンガー。妹と同じ様な感覚なのだろう。慰める時はいつもそうしていた。セラはシュレディンガーに撫でられ少し安心する。温もりが安定剤になることは多々あるのだ。
「大丈夫ですよ♪ 今日だって十分楽しいし、水被ることがあるかもしれません、って初めに言っておけば平気だと思うし。それに私達はくしゃみだったり転んでしまったりすると猫になってしまうってことがあったから、ちょっと困っただけで。普通の人なら問題ない訳だし」
 ね?、とティオが微笑みかけるとセラは小さく微笑んだ。一番初めの固い表情は何処かへ行ってしまったようだった。

「それじゃご飯にしよう。セラさんもどうぞ」
「はい。ありがとうございます。いただきます」
 目の前に広げられた料理の数々にセラは目を大きく見開く。
「あの、これはどなたが?」
「リィ兄です。リィ兄の料理は絶品なんですよ。お勧めです」
「気合い入れて多く作りすぎてしまったから、一杯食べて下さいね」
 ニコニコとリィシェイドは告げ、セラの淹れてくれた温かいお茶を飲む。水で冷えた身体には心地よかった。
 セラは口に料理を運び声を上げる。
「美味しいです」
 口にあって良かった、とリィシェイドは告げて自分も料理を食べ始めた。
「今日は皆さんに来ていただけて本当に嬉しかったです。ありがとうございます」
「やっぱりこういうとこは皆で楽しまねーと」
 来るのを嫌がっていたシュレディンガーだったが、こういう雰囲気ならばまた来ても良いと思う。
「騒ぎ回るとお腹も空くからお弁当も更に美味しいし」
 幸せ、とティオが微笑むとそれが周りに伝染する。
 セラの顔に笑顔が戻り、三人は残りもしっかり楽しもうと心に決めたのだった。



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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】


●2354/ティオ・ウォーカー/女性/17歳/野良猫?
●2352/シュレディンガー・ウォーカー/男性/17歳/野良
●2353/リィシェイド・ウォーカー/男性/17歳/野良

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■□■ライター通信■□■
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ハジメマシテ、こんにちは。 夕凪沙久夜です。
大変遅くなってしまい申し訳ありません。
ご兄妹での参加まことにありがとうございます。
ドタバタしたコメディ調にしてみましたが如何でしょうか。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
またお会いできますことを祈って。