<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


たまには昔語りを


 その男は、なかば呆然と立ち尽くす女に薄く笑んでみせた。
 唐突に踏み込んだ部屋が怪しいというならば、唐突に現れた女も怪しかったろう。なのに、男はただ驚いたように目を瞠っただけで眉をひそめることさえしなかった。

 どこかで会っただろうか――?

 片眼鏡ごしに、女は目を細める。
 すこし焼けた肌、明るい色の髪、笑うと驚くほど柔らかく見える双眸、瀟洒な部屋には不似合いの健康的な体躯。年は女より同じか、もうすこし年下――どちらかといえば、若いのだろうか。
 警戒心を挫くような雰囲気に、女は軽く動揺する。表に出ることはなかったが、それだけでもずいぶん珍しいことだった。
 初めて見る顔だと思うのに、心のどこかが懐かしいと声を上げる。
 きっと、相手の服装のせいだろう。
 改めて男を見直し、女はそう思った。だらしなく着崩してはいるが、男が着ているそれは見慣れた軍服だ。女も豊満な体を漆黒の軍服に包んでいる。懐かしいと感じるのは、きっとそのせいなのだ。
 なかば言い訳のように心中に呟いて、女は自嘲した。らしくない。

「立ってないで、座ったらどうだ?」

 男が初めて口を開いた。低い声が耳に心地よく響く。
 なぜか苦笑じみた笑みを刷いた男は、テーブルに沿う椅子をひとつ引いて女を招いた。美しい女性を誘う男というよりは、馴染みの戦友を呼ぶ姿に似ている。
 女は意識するより早く、足を踏み出した。自分でも驚いたことに、この男や部屋に対する警戒心が水に溶けるように消えていった。いや、この場所自体は怪しいと思う。けれど、それにこの男は入るだろうか――?
 女が椅子に落ち着くと、男も向かいの椅子に無造作に腰を下ろす。窓から差し込む金糸が、女の金髪に絡んで宝石のように煌めいた。
 眩しそうに男が目を細める。テーブルの上には湯気立つカップがひとつ置かれていたが、男はそれを女の前にやって、飲みたければ飲め、と笑った。
「毒は入ってない。戦場でもないし、な」
「……ああ」
 困惑もあらわに女が呟く。座ったはいいが、相手にどう対応したものか迷っていた。かといって、ここで立つのも気が引ける。
「……それとも、紙巻のほうがいいか?」
 女が顔を上げた。煙の匂いでも染みついていたのだろうか。女がなにか言いかけると、それを制するように男が懐から小さな箱を取り出す。箱から一本の紙巻を抜き取ると箱をしまい、別のものを取り出して紙巻に添え、女の前に差し出した。
 陰影も濃くテーブルに置かれたそれを見下ろすなり、女は驚愕に目を見開いた。




「やれやれ、おまえまで吸うようになるとはな」
 初めはしきりと顔をしかめていた父が、ようやく折れたのはいつだったろう。諦めたように苦笑しながら、ほらよ、と軽い仕草で投げてよこした。
 色がくすみ、渋い銀色に落ち着いた使い古しのライター。父がいつも使っていたものだ、と頭の隅で思った。
「今度、新しいライターを買って贈ろうか」
 口の端を上げながら、そう返す。
 父は皺の刻まれた目元を和ませ、色気のない贈り物だ、と笑っていた。
 だが、結局のところ父に新しいライターを贈ることはなかった。――できなかった。
 それがどのような大義を掲げた戦だったのか、もうおぼろげにしか覚えていない。敵味方が入り乱れ、弾丸が絶え間なく飛び交っていた。砂塵に陽はかげり、土は赤く汚れた。
 銃身を構えながら、だれもが敗北を悟っていた。敵の策にはまり、本隊から遠く切り離された隊に生き残る術などないも等しい。それでも降伏しなかったのは、それが無意味だと知っていたからだった。いや、意味があったとしても、捕虜になり、あるいは寝返るぐらいならば――と断崖に追い詰められた心で思っていたのかもしれない。軍人としての矜持を最後まで失わなかったのは、はたして誇るべきことだったのだろうか。
 四方を敵に囲まれ、昨日まで冗談を言い合ったり酒を飲み交わしていた戦友がひとり、またひとりと倒れていった。血に染まって動かなくなった体は、容赦なく敵に踏み潰されて泥に埋もれていく。なんの価値もない、ただの肉塊なのだと誇張されているようだった。
 駆け続けた体はいつ倒れてもおかしくないほどで、暴れる鼓動の音が銃声よりなにより耳についた。息はとうに上がり、四肢には無数の傷がある。肺をやられたのか、咳き込むと赤黒いものが唇から零れた。

 激しい熱とともに頬を掠めた弾丸が、父を捉えた。

 悲鳴を上げたのかどうか、覚えていない。背後で重いものが倒れる音がしたと思う暇もなく、手は勝手に銃を操った。絶叫を上げ、砂埃の向こうで敵兵が倒れていく。
 無意識に見下ろした父は、すでに絶命していた。こめかみからはおびたたしい血が溢れ、投げ出された体はぴくりとも動かない。駆け寄って揺するような愚行はしなかった。だが、体を貫いた衝撃は覚えている。あれが怒りだったのか絶望だったのか、いまでもわからないのだが。
 空になった銃を放り、父の銃を奪うように取った。もう、ほかに立っている味方はいない。頭の片隅ではひどく冷静にここが自分の墓場になるのだと思っていた。そして、それを受け入れようとしている自分がいた。
 あとはもう無我夢中だった。何人倒したか、など最初から数えてもいない。できるかぎり道連れにしてやる、とでも思っていたのだろうか。立っているのが不思議なほどだったが、感覚が麻痺したのか、痛みはもう感じていなかった。

 そして、その時がきた。

 ――まるで世界が止まったかのようだった。放たれた弾丸はゆっくりと迫り、容赦ない力で胸を穿った。体は後ろへ仰け反り、なす術もなく踏み荒らされた土の上へと倒れこむ。自分のものだとは思えない奇妙な音が喉から漏れて、口から鮮血が散った――。




「でも、おまえは生きている」
 男は遠くを見るような目でそう呟いた。陽光はとうに沈み、部屋には薄闇が満ちている。火を灯せば部屋を照らしてくれるのだろう燭台が部屋の片隅にあったが、ふたりとも動こうとしなかった。
 カップからは湯気が消えている。
「……そうだ、私は死ななかった」
 倒れ、霞んでいく意識の中で違和感に気づいて手を伸ばせば、そこには父のライターがあった。懐に入れておいた古びたライター。ひしゃげて歪んだその中心に沈んだ金の弾丸。
「私が受けるはずだった鉛玉を、それが受け止めてくれた…」
 どうしてか泣きたい気分になって、それを握り締めたところまでは覚えている。そのまま意識を手放し――気づいた時には、それはもうどこにも見当たらなかった。ようやく到着した本隊が気絶した女を助け出した混乱の最中、どこぞへなくしてしまったのだろう。
 ――そう、思っていた。
「……これは、どういうことだ」
 女の声は低く、かすかに震えているようでもあった。その目はテーブルの上に張り付いたまま離れない。
 幻だろうかと目を眇め、手袋に包んだ指を伸ばすと硬い質感に触れた。ひやりとした感覚までが布越しに伝わってくる。
 男が紙巻に添えて差し出した、それはひしゃげたオイル式のライターだった。懐かしい、くすんだ鈍色の。
 ただ似ているだけの品だろうか?
 そう思うにはあまりにも記憶と重なって、女は困惑の色を浮かべた。
「これは――」
「それはおまえが持っていたやつだよ」
 微笑を含んだ男の声に、女は顔を上げる。
「鉛玉は取ったけど……あのまんまじゃ痛いからな。カーネリアンが治してくれた。でも、それでも痕はまだあるんだ」
 いびつな形になったライターを一瞥し、男は自分の腹に片手を添えた。傷でもあるのだろうか、小さく顔をしかめて苦笑してみせる。
「……どういう、ことだ?」
 女は繰り返し疑問を口にし、眉をひそめた。からかわれているのだろうか、と思うにはあまりにも男の態度は柔らかい。懐かしさがどうしても否定できなくて、猜疑心を抱くのは難しかった。
 男は静かに席を立つと、燭台へと歩み寄る。寂しげに並ぶ三つの蝋燭に、ふっ、と息を吹きかけた。
 とたんに、闇に滲むように三つの火が灯る。それはゆらゆらと揺れながら部屋を照らし出した。
「痕は残ってるが、まだ火はつけられる」
 男はそう笑って、燭台を手にテーブルへと戻った。燭台を静かにテーブルに置く。
「紙巻は吸わないのか? 久しぶりに使ってもらえるかと思って期待したんだが……」
「あなたは一体、なんなんだ?」
 だれなんだ、と聞かなかったのは女の勘というものだろうか。
「俺は俺さ。よく知ってるはずだぞ。戦場にだって、一緒に行ったじゃないか」
「何……?」
「――てっきり忘れられてるかと思った。覚えててくれて、良かったよ」
 その顔があまりに嬉しそうなので、女は一瞬罪悪感を抱いた。抱く理由なんてないはずなのに。
「さぁ、そろそろ帰ったほうがいい。あいつの気まぐれがいつまで続くかわからない」
「何?」
「俺はおまえのもので、その前は親父さんのものだったけど、いまは違う。カーネリアンは一度手に入れたものをそう簡単には手放さないし……おまえは、俺がいなくてもやっていけてるようだから」
 俺は俺で、いまの生活をそれなりに気に入ってるのさ、と男は笑う。
「……もしあいつがまた気まぐれを起こしてくれて、おまえが俺に会いたいと思うなら、会うことだってできるだろう。生きてればそのうちな」
「…………」
「わからなくてもいい。ただ――そうだな、大切にされてれば、物にだって心が宿ることはある」
 ――それは、つまり。
 女はなにかを言いかけて、口を閉ざした。男が制するように手を掲げたからだ。
 男は太く笑うと、女に立つように促した。そのまま扉へと導いていく。
「……名前を」
 ふと、女が声を漏らした。
「名前を訊いてはいけないか? ……いまは、名前があるんだろう」
 男は足を止めて女を見返す。意外な言葉を聞いたというように、目を軽く見張って。
「もちろん私の名前は……覚えているのだろうな?」
「ああ」
「なら、教えてくれるのが公平というものではないか?」
 女の言いように男は苦笑を零した。
「そう、だな。――俺は……」
 耳元に囁くように。
 軽く目を開いた女に、男は愉快げに笑みを浮かべる。その手を扉のノブにかけて、静かに扉を開いた。
 扉の向こうに広がっていたのは磨き上げられた廊下でも、見慣れた風景でもなかった。昼の陽光に似た眩い光が一面に広がり、瞬く間に女の視界を塗りつぶしていく。
「――無茶はするなよ」
 温かい声が耳に届いたと思った刹那、意識が急速に呑まれていく。背を押されたような気がしたが、確かめることはできなかった。




 とん、と足が地につく。
 揺れる金糸を視界の端に、見渡せばそこは馴染みの店の中だった。
 夜の闇を払うように灯りがともされ、店内には酒香とざわめく人の声で溢れている。
「あ、キングさん、いらっしゃいませ!」
 幾度となく顔を合わせてきた店のウエイトレスが、酒瓶とグラスを載せた盆を片手に破顔した。忙しく働く彼女の姿はいつもと変わらない。
 ちょっとどいてくれ、という声に道を譲れば、汗臭い男が数人入店してきたところだった。揺れる扉の向こうには濃い闇が沈み、葉擦れの音や虫の鳴き声がかすかに聞こえてくる。
「…………あれは……」
 呟く声に応えはない。何度瞬いても、あの部屋の名残はどこにも見当たらなかった。
 立ち尽くす女に眉を寄せ、ウエイトレスが声をかけてきた。
「あのぅ、どうかしたんですか?」
「……いや」
 言葉を濁し、女は苦笑めいた笑みを浮かべる。指先を見下ろせば、あのときのひやりとした感触が蘇ってくるようだった。
 どこか懐かしい、あの姿。
 嬉しそうに笑う顔が脳裏に浮かぶ。

――覚えててくれて、良かったよ。

 よほど嬉しかったのだろう。少年のように笑っていた――それだけで幸福だと言いたげに。
 女は知らず、目元を緩ませた。
「……なんでもない。ルディア、酒をもらえるか?」
「はい、わかりました。いつものでいいんですよね? すぐ持ってきます〜」
 夢だとしても、悪い夢ではない。
 駆け去るウエイトレスの背を眺めながらそう思い、女は静かに微笑んだ。

 たまにはこういう夜も、悪くない。





fin.


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●登場人物
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2872/キング=オセロット/女/23歳/コマンドー】


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●ライター通信
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参加PL様へ


お待たせしました。
ゲームノベルへの参加、ありがとうございました。
冒険記と含めて2回目の執筆になりますが、今回はいかがだったでしょうか?
楽しんでくだされば光栄です。

それでは、また機会がありましたら宜しくお願いします(礼)。


雪野泰葉