<東京怪談ノベル(シングル)>


7の酒


「なかなかに、骨が折れますね」
 ざっと木々の間を分け入りながら、アイラスはぽつりと呟いた。
『世界で7777番目に美味しいお酒』
 果たしてそんなものが存在するのだろうか。
 大体において、7777番目などと一体どこの誰が数えているというのだろう。はっきり言って疑わしい。
 けれど――
「まぁ、美味しい、といわれて探さないわけにも行きませんし……僕も、興味がありますし、ね」
 別段美味しいお酒でなくても良いのだ。
『7777番目にまずいお酒』という依頼だって受けている。
 けれど、どうせ探して回るのならば美味しいほうがいい。
「ぃしょっと……」
 草木を分け、少々きつい坂を上り、目指すは街で耳にした奇跡の酒場だ。
「しかし……どちらかというと……僕は頭脳派なんですけど、ね」
 最後の木々を分けた先、坂と言うよりも崖に近いその斜面に、アイラスはちょっと笑って大きく地を蹴り上げる。
 頭脳派と言うにはあまりにも良くできた――綺麗な弧を描いた彼の体が、僅か音を立ててゆるりと降り立った。



「7777番目ぇ? 聞いたことねぇなぁ」
 酒の話を聞くなら、酒に詳しい人間に限る。
 けれど巡る酒場、そのどこでも「7777番目」の酒の話など聞けやしなかった。
 もしや今回もハズレだろうか。
 そう思いかけたときに背後から聞こえた女の声。
「アタシィ、聞いたことあるよー。美味しいかどうかは、知らないけど」
 振り向くと派手な女性が一人、立っている。
「『客』が、言ってたんだよねぇ。……情報、買ってくれるなら、話すけど。どーする、ボウヤ?」
 言葉最後に艶やかな唇で付け加えられた「ボウヤ」の言葉に、アイラスは頷いた。
「買わせていただきますよ、お嬢さん」
 ささやかに単語に棘を含みながら返したセリフが、眼前の女は酷く気に入ったようだった。



 奇跡の酒場、という。
 正確な名前はついていない。
 ただ、森の奥の、そのさらに奥にあるという、知る人ぞ知る小さな酒場。
 マニアや通好みのその店は、世界各国からマスターが趣味で酒を集めているらしい。
 そこに行った件の女の『客』が言ったそうだ。
「7777年前のワインとかって。少しずつしかマスター分けてくんなかったけどな、美味かったぜ。
 7777番目に美味いんだ〜、なんてマスター笑ってたけど、ほんとかねぇ?」
 ――7777年目のワイン。
 それはともかくとして、7777番目に美味しいというのだから、それならば一度足を運んでみなければならないだろう。
 思い立って、そうしてようやく辿り着いた。

「ここが、奇跡の酒場、ですか」

 森の奥深くにあるその酒場は、見た目はあまり良いものではなかった。
 果たしてここに本当にあるのか――アイラスは、一度目を瞬かせて扉に手をかける。
 キィと古い音が響き、中に足を踏み入れると、男が一人。怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。
「……マスターでいらっしゃる?」
「おうよ。どうした、兄ちゃん。昼間っから酒でも飲もうってか?」
「アイラス、と申します。
 実は、こちらに7777年前のワインがあると聞きまして」
 男は目を瞬かせて、あぁ、と頷いた。
「誰か客が喋りやがったな。……まぁ、いいか。
 あるぜ。オレの先祖の先祖の、そりゃもうご先祖様が作ったワインだ。なんだ、それが飲みてぇのか?」
「飲みたい、といいますか。友人にプレゼントしてさしあげたくて。
 それに7777番目に美味しいお酒、だとも聞いてます。不躾かもしれませんが――本当、ですか?」
 少し首をかしげて口にしたアイラスに、男が今度はいきなり豪快に笑い始めた。
「はっははは! 兄ちゃん、7777番目に美味い酒ってのを探してるのか?」
「え、えぇ、そうです」
「はぁん、なるほどねぇ……まぁ、待ってな。払うもん払ってくれりゃ、ちぃっとなら分けてやっても構わんぜ」
「それじゃあ、7777番目に美味しいっていうのは、本当なんですね?」
「――さぁて」
 ちょっと待ってろ、と悪戯な笑みを見せた男が僅かな時間店の奥へ消え、そして片手にグラスを持って戻ってきた。
 ほらよと渡されたグラスに、アイラスが目を瞬かせる。
「飲んでみな」
「はぁ。それでは、いただきます」
 軽く頷くようにして、一口。――確かに、芳醇な香りが鼻を擽って、口の中一杯に広がる。美味しい。
「7777番目に美味しいワイン、ですか……確かに、美味しいですね」
 けれど、実際のところ、ものすごく美味しい! と触れ回るほどのものでもないような気がする。いや、美味しい、美味しいには美味しいけれど、しかし――
「7777番目。7が4つだ。な、そうだろ?」
 くくくと笑いながら眼前の男が言った。当たり前のことを。
「そうですね。7が4………え?」
「言ってる意味、わかるか?」
「7が4つ。なな、よん。……「な」「し」?」
「御名答!」
 頭柔らかいなぁ、兄ちゃん! と。男が手を打って笑う。「7777番目に美味い酒なんて、『無し』なのさ」。そんな言葉を付け加えて。
「どういうことですか?」
 アイラスが空になったグラスを片手に興味深げに口にした。



 いつのまにそんな噂になっていたのか知らんがね――と、そんな始まりで男は語った。
 以前、このワインは世界で何番目に美味しいんだとケチをつけた客がいた。
 さて、一番だといえば、きっと証拠を見せろというだろう。世界にはもっと美味い酒があるんじゃないのかと。なんせ客は酔っていた。
 ワインの味に自信はあったけれど、正直に言ってやっかいゴトになるのはごめんだ。
 そう思った男は、「7777番目だよ」と答えた。
 7777番目。7の4並びが気に入ったのか、客はそうかそうかと納得。以来、7777年前のワインは7777番目に美味しい酒として世間に広まることになった。男も知らない間に。
「7777番目、と言ったのはわけがあるのよ」
「7777年前のワインだから、ですか?」
「いんや。さっきも言っただろ? 『無し』だからだよ」
 悪戯をした子供のように、無邪気に笑った男が、だからな、と口にする。
「酒の美味さなんざ、一緒に飲むヤツや、その場の雰囲気や、そんなもんで変わっちまうんだ。
 オレは確かに、このご先祖様の作ったワインは最高級だと思ってるが、客にとってみればただのワインだ。自信を持って勧めたところで、好き嫌いもあろうしとても順位なんぞつけられんね。
 そりゃもちろん、オレにしたって、最高級だと思ってるこのワインに順位なんざつけれねぇし。
 だから、7777番目だって言ったのさ。――順位なんぞ『ナシ』ってね」
「なるほど」
 そういうわけだったんですね、とアイラスが頷いた。
 その論理でいくのなら、この酒は「7777番目に美味い酒」にも「7777番目にまずい酒」にもなりうるわけだ。
「で、どうする、兄ちゃん」
「え?」
「買っていってくれるんだろ? ――まぁ、7777番目に美味い酒になるかどうかは、アンタとその友達次第だと思うけどよ」
 笑って口にした男に、アイラスも小さく口端を上げて返した。
「購入させていただきますよ。
 きっと、7777番目に美味しいお酒になるでしょうから」
 友が飲む酒ならば。そして、友と飲む酒ならば――きっと。
 彼の言葉に満足げに男が頷く店内は、甘いワインの香りが柔らかく支配していた。

- 了 -