<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
例えばこんな冒険譚
先日とは似た形の真っ白な本を広げて、コールはまた白山羊亭のカウンターで軽くペンを走らせる。
「始まりは前と同じ?」
コトっとその傍らに飲み物を置いたルディアは、書き記された本のタイトルを読んで、そう問いかける。
「うん」
コールはルディアに答えるように大きく頷き、そしてまた本に視線を戻すと、
「物語の中ならば誰だってどんな人にだってなれるでしょう? だから登場人物が変わればお話もまた変わっていくと思うんだ」
そうニコニコと口にしてコールは思いを巡らせるように天井を仰ぐ。
「おう、コールじゃねぇか!」
「あらあら」
最初に声をかけたのはオーマ・シュヴァルツ。そしてその傍らにはおっとりと微笑んだシルフェが立っていた。
何かしら接点のなさそうな二人だが、先日考えた冒険譚で一緒になった事がきっかけになったのか、何かしら親しくなっているように思う。
その事を尋ねてみれば、ちょうど白山羊亭へと向かう途中に偶然出会い、共通の話題もあった事も幸いしてここまでお喋りしながら来たらしい。
「あ、丁度いいや」
コールは二人の訪れにぱっと顔を輝かせると、ペンを走らせたばかりの本を持ち上げる。
「……あら」
シルフェはその真っ白なページを見ると、合点がいったとばかりに微笑む。
「また参加させて頂けるんですか?」
そんなシルフェの言葉にコールはうんうんと頷く。
「話は前と同じなんだけどね」
「てーと、前とは違った役がいいよなぁ」
オーマは顎に手を当てて考え込むように、ううむと唸る。
「失礼するぞ」
サラリ…と、耳に心地よい衣擦れの音をたて、その場に現れたのはシェアラウィーセ・オーキッド。その腕には丸めたタペストリーが抱えられている。
「先日の話のタペストリーが完成したので見せに来た」
丸めていたタペストリーを両手で広げるようにして、シェアラは自分の物語の1枚を皆に見せた。
「凄いね!」
「あらあら」
「中々の意匠だな」
その場に居た3人はシェアラのタペストリーを覗き込み、それぞれ感嘆の声を漏らす。
シェアラはクルクルとタペストリーを片付け、目的は果たしたとばかりにその場を去ろうとした瞬間、
「そうだ! 僕新しいお話を書こうと思うんだけど、シェアラちゃんも出てくれないかな?」
シェアラちゃ…?
生まれてこのかた(?)自分の事を『ちゃん』付けて呼んだ人間など居ない…と思う。
しかし、それよりもコールの言葉の中には、それ以上に興味深い部分があった。
「ほう……」
シェアラは近場にあった椅子に腰を下ろすと、どうやら今回は話の舞台が用意されているらしく、その冒頭を聞く事にした。
炎の山−フレアランス。
フレアランスに、1匹の獰猛なサラマンドルが住み着き、近隣の村々を炎へと包んでいっていた。
サラマンドルが住み着いてから、フレアランスはその働きを思い出したかのように噴火が続き、その熱い空気を世界中に吐き出す。
森だった山の周りも一切が枯れはて、今では荒野が広がるばかり。
人々は、サラマンドルを倒す勇者を待っていた。
話の出だしを説明したところで、ぴくっとグラスを持つ手を止めた者がいる。
「そのサラマンドルとは…精霊ではなく竜なのだろうな」
完全に自分のグラスをテーブルに残して、コールたちの元へ足を向けたのは、フィセル・クゥ・レイシズ。
「フィセルさん!」
フィセルさんも出演だね。と嬉しそうに口にしたコールに、フィセルは言おうとした言葉を飲み込んで、
「まぁいいだろう。しかし、話の中とは言え、眷属のものを倒さねばなるとは少々心が痛むが……」
感慨深くそう呟いたフィセルに、コールが首を傾げる。その視線に気が付いたのか、フィセルは軽く首をふる。
「いや、なんでもない」
そして問題は役の方だ。
「よし!」
今回どんな役にしようか考えていたらしいオーマが、何かを思いついたのかパンっと手を叩く。
「俺ぁ今回学者だ。どうだ、中々いいだろう?」
俺にぴったりだと一人ウンウン頷いているオーマ。
「そうですねぇ、わたくし今度は迷惑をかけようとする役なんて楽しそう」
シルフェはにっこりと微笑んで、
「だってわたくしいつも言われるんですよ?」
と言葉を続ける。
どうやらシルフェの話を聞くに、普段の彼女は存外トラブルメーカーの存在であるらしい。しかし、当のシルフェ自身はその行動はまったくの無意識であるようで、失礼ですよねぇ。と、おっとり笑顔を崩さずに心外だと口にしては、自ら望んで選んだトラブルメーカーの役に楽しみを見出していた。
「役か…」
話の冒頭にあう役を選んでも良かったのだが、シェアラは以前コールが作った物語を気に入っていたため、
「前と同じで頼めるかな」
と、頼めば大きな肯定の頷きが帰ってきた。
後決まっていないのはフィセルだけである。
フィセルは自分に視線が集まっている事に気がつき、
「ならば、私の役は、火の精霊使いでどうだろう。サラマンドルを追い、フレアランスまで来たのだ」
理由は、お任せしよう。と、言葉を終らせるとコールは、
「分かった」
と、大きくなずいて、しばらくして徐に話し始めた。
【其の者の名はエピドート】
―――――数ヶ月前
フレアランスに程近き村外れの民家に、村人からは変人として避けられている一人の学者が住んでいた。
しかし何をとち狂ったのか村の者と思われる青年が一人、そんな学者に興味を持ったらしく足しげく民家に通い始める。
「なぁオーマこの薬何に使うんだ?」
燃えるような赤い髪を持ち、赤い瞳の青年は研究室と思わしき部屋からルンタッタとスキップで出てきた桃色白衣の大男―オーマに向けて質問を投げかけた。
「何って、そりゃぁ桃色桃源郷―――」
「へぇ」
最後まで言う事無くそんな一言で片付けられ、折角ポーズまで取ったのに、その格好のままオーマはその場で固まってしまった。
「なんか喉渇いちゃったな、お」
青年は家の中を見回し、蓋の開いていない1本の牛乳瓶に目を留める。
「おいそれは!!」
しかしオーマの静止も時既に遅し、青年は牛乳瓶に入っていた液体を飲み干して、きょとんとした瞳で口元を拭いている。
「これがどうか……ぅぐっ!?」
青年は口元を押さえ、その場で蹲る。
「なーんてね」
が、青年はぱっと顔を上げるとケロリとした表情をオーマに向ける。どうやら慌てたオーマに何かあると感じ、ちょっとした悪戯だったらしい。
オーマはほっと肩をなでおろし、一応と中和剤を手渡して、手を振って去っていく青年の背中を見送る。
数日後、風の噂でフレアランスにサラマンドルが住み着いたらしい噂を聞きつけ、オーマはただ首を傾げる。
サラマンドルはこの辺りに住む竜ではないはずだ。
首を傾げつつも、まかりなりしも生態学者である血が騒ぎ、オーマは持てるだけの荷物をリュックに詰め込むと、フレアランスへと旅立った。
普通の人間であったならばその暑さによって数秒とその場に入られないであろう。
しかし、シェアラは白い椅子に座り、テーブルの上の紅茶を優雅に口に運ぶ。
「私に頼みごとをするのだから、それなりに覚悟しているのだろう?」
テーブルの逆側、ちょうどシェアラと向き合うように椅子に腰掛けている壮年の男性は、情けなさに鼻から息を吐いて口を開く。
「そんな事くらいは分かっている。しかしあのバカ息子何をやっとるのかまったく帰ってくる気配さえもない」
表面上は冷静さを保っているように見せて、どうやらその腹の内はかなりご立腹らしく、人型を取っているにも関わらず熱気が漏れ出している。
シェアラはそんな壮年の男性に、肩を竦めて笑って見せながら、
「わざわざ息子を連れ帰らせるためだけに、私を動かそうとするなんて貴方くらいだよ」
クスクスと何処か楽しそうに笑いながら、シェアラは椅子から立ち上がる。
「ふふ…、どんな物を頂けるのか楽しみにするとしよう」
シェアラは徐に肩にかけていたショールを外すと、微かな薔薇の花弁を残して、サラマンドルの王からの頼みを果たすべく姿を消した。
どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
フィセルはそんな事を考え、フレアランスが近くに見える干からびた村に足を踏み入れた。
「火の精霊が活発すぎる……」
確かにフレアランスと名の付くこの地方では火の精霊が他所よりも活発ではあったが、此処数ヶ月前からあまりの火の力に自らを燃やしてしまう火の精霊の力によって森や村が干からびていっていた。
きっと水が出なくなった事で村人はこの村を捨てたのだろう。
人っ子一人見当たらない。
数ヶ月でこの被害だ。
一体どれだけの被害が出ているのか、考えるだけで胃が痛くなりそうだった。
『フィセルさま〜』
身長15センチほどしかない火の精霊が、泣きつく様にフィセルにくっ付く。
「どうした?」
なぜ火の精霊が活発な土地で、火の精霊がびーびー泣かなければいけないのだ。
フィセルは怪訝そうに眉をよせ、火の精霊が泣きついてきた方向へ歩き出す。
「まったく不機嫌だわぁ」
何故かその言葉と共にいっきに水の気配が増える。
(人型…?)
フィセルの目には青い水で出来たような髪を持った女性が目に入る。
「熱すぎます」
ひたひたと女性が歩くたびにその地面が水で濡れる。
「最高位の水の精霊か!」
人と同じだけの大きさを保つ事が出来るのは最高位の精霊のみ。そんな精霊がなぜこの地に降り立っているのか。
水の精霊――シルフェは声に振り返ると、フィセルの姿を確認するなり、にっこりと微笑んだ。
「あらあら、火の精霊使いさんこんにちは」
話す言葉はおっとりと、シルフェは深々とお辞儀する。
フィセルもつられるようにお辞儀を返すと、シルフェは頬に手を当てて困ったように眉を寄せると、
「火の精霊使いさんは洪水か大雨、どちらがお好きかしら?」
と、今日の晩御飯は何にする? とでも問わんばかりのテンポで口にした。
一瞬何を言われたのか分からずフィセルはきょとんとするが、この言葉にはっとして大声で叫んだ。
「そんな事をしたらこの辺り一体の火の精霊が死んでしまうだろう!」
「だって、熱いんですよ?」
何が悪いの? とその瞳は語り、フィセルはぐっと息を呑む。
確かにこの乾いた土地には雨という水は必要だ。だがそれはシトシトと癒すように振る雨であって、断じて大雨ではない。
「原因を取り除こうとは思わないのか!?」
「あぁ」
シルフェはフィセルの言葉に今気がついたとでも言わんばかりの口調で頷いたのを見て、フィセルはがくっと大仰に肩を落としたのだった。
流れる薔薇の花弁がショールに変わり、シェアラはゆっくりとそのショールを肩にかけると辺りを見回した。
「熱いな」
サラマンドルの王とお茶を共にしておきながら、今更熱いなどという言葉を口にして欲しくないものである。
なんとなくの気配を辿って降り立った地は、フレアランスと呼ばれる高い山が聳える大地。
「こんなものであったか?」
何年前だったかは忘れたがこの地を訪れた時は、自らを焦がすほどに火の精霊が活発な土地だった記憶は無い。
いや、精霊がその身を燃やす事自体、何か異常が起きている印とも言えるのだが。
シェアラは辺りを見回すように歩き出す。
周辺にあったと思われる村からは人が消え、村の中心にある井戸に桶を落としてみれば、カラーンという乾いた音が底から響いてきた。
この辺りに噂が立ってからまだ数ヶ月しか経っていないというのに、村人の行動の早さに感服する。
もしかしたら他にも何か村人がこの地を去るような理由があるのかもしれないが、そこまでシェアラが知るはずも無い。
シェアラは一度フレアランスを見上げると、火の気配が強い方へと歩き出す。
フレアランスに近づくにつれ、木々が弱っていっているように思う。
それはまぁ当たり前だろう。
此処まで水の気配が少なければ、水を受け日の光を養分に替えている植物はその内枯れるしかない。
「こんな所に……」
世捨て人の住処であろうか、それなりに大きな民家が1件ぽつんと建っていた。
人の気配は耐えて久しく、どうやらこの住処の主もサラマンドルの噂と共にこの地を去ったのだろう。
それでも村よりは何故か生活感の残る民家へと足を踏み入れる。
「…ん?」
足元でクシュっと何かを踏みつけた音に視線を落とせば、文字がびっしりと書き込まれた色あせた紙が落ちていた。
シェアラは指先を少し動かしその紙を目の前へと持ち上げる。
そして、ふっ…と口元から短く笑いを漏らす。
「やれやれ……」
それは、オーマが作り上げた薬のレシピだった。
火の精霊使いである自分でさえ汗だくの状態で、フィセルは額を流れる球の汗を袖で拭う。
ふと後を盗み見れば、どうやら自分の周りだけ水のヴェールで覆っているのだろう。シルフェはしれっとした表情でフィセルの後を付いてきた。
「ん?」
「あら?」
フレアランスの麓、山道へと続く入り口の前に、思いっきり手造りらしい小屋が一軒。
どうやら小屋から流れてきているらしいシチューのような香りに、二人は顔を見合わせる。
今は村人さえも逃げ出すこの土地でなぜシチューの香りなのか。
二人は怪訝そうな表情を浮かべつつも、小屋へと近づく。
「お? こんな所に客か」
小屋の前で、あからさまに手作りと思われる竃の上で、大きな鍋をかき混ぜている親父ことオーマ。
「いや、あなたに会いに来たわけではない」
フィセルは矢継ぎ早に手を振って違うと伝える。
「貴方はここで何をしてらっしゃるんです?」
瞳をきょとんとさせ、シルフェはオーマに向けて首を傾げる。
「いやな、ちょっと前にこの山にサラマンドルが住み着いたってー話を聞いてな」
それを調べるために此処に小屋を建てたらしい。
「なるほど」
火の精霊が活発になった原因は、やはりフレアランスに住み着いたサラマンドルのせいだろう。
フィセルはオーマのキャンプまで歩を進め、その先のフレアランスを一度見上げ、オーマに視線を戻す。
なんというか、この熱いのにシチューか……
しかもこの男、この暑さの中でありながら汗一つかいている気配がしない。しかもなんだかこの場に居るだけで体感温度が3度ほど上がったような気さえもする。
地面に小さな水たまりを作りながら、シルフェはオーマが作るシチューを覗き込む。
「あら、結構まともなんですね」
それは何を指して言っているのか。
まぁそんな事よりも、この暑い中でシチューであるという事実には突っ込まないらしい。
「俺ぁ、在りしの生命を腹黒尊びラブ筋し生物全般について日々腹黒フルミックス☆イロモノビバノンノン☆親父愛染め染めマッチョマニアで研究している生態学者のオーマつーんだ」
キラン☆と、決めポーズを付け加え、そして遠慮せず食べろ。と、お椀に注いだシチューをフィセルとシルフェに差し出す。
フィセルは首を振り、シチューのお椀を押し戻す。
「わたくし、人の食べ物は食べられないんです」
シルフェの方はニコニコと微笑んだまま、ごめんなさいと首を傾げる。
お客二人にあっさりシチューを断られ、オーマは何気に地面にのの字をかいて蹲った。
「それより長い職業だな……。いや、いい。私は火の精霊使いのフィセルだ」
フレアランスを見上げたまま完結に自己紹介を済まし、本題に入るために振り返る。
「何か分かった事はあったのか?」
キャンプにかなり慣れた感のあるオーマに向けて、フィセルは問いかける。
「とりあえず、元気だぞ」
そりゃ暴れていると噂で聞いているのだから、元気なのだと思う。
そういう事が聞きたいのではないと口にしようと思ったが、それよりもオーマの行動の方が早かった。
オーマはシチューをテキパキと片付け、代わりに思わずちょっと言葉を失う往診鞄を片手に小屋から出てきたのだ。そして、ピクニックにでも行くかのような口調で、
「ちょっくら、言ってみるか?」
と、フレアランスを指差した。
「元からそのつもりだったんだが……」
それをただこんな場所に小屋まで建てて住み着いている人物に思わず足を止めてしまっただけ。
桃色白衣が風でヒラヒラと舞っているのだが、どうにも暑苦しさしか感じないのはなぜだろう。
「あの〜。わたくし行きますわね」
そう言えば自分は山道を律儀に登らなくても空を飛べたのだと、シルフェはポンと手を叩くと、そのままふわりと浮かび上がる。
「あ、おい!」
シルフェはフィセルが止めるのも聞かず、山道から一気に空へと飛び上がると、山頂を見下ろしてニーッコリと微笑した。
そしてニコニコと微笑んだ表情のまま、その顔の隅っこの方に小さく怒りマークを浮かべて、フレアランスを視界に捉える。
「おいたをする子ですね」
例え成獣であろうとも、シルフェが生きてきた年月とこのサラマンドルが生きてきた年月には親子ほどの違いがあるらしい。
シルフェはすっと腕を上げると、急速に雨雲がフレアランスへと向けて集まってきた。
「そう怒るものではない」
そこへ、突然静止の声が掛かる。
シルフェはゆっくりと振り返ると、空に浮いて足を組み、その膝の上に肘を突いて頬杖を付いたシェアラが、静かなる怒りを撒き散らすシルフェに向けて、ただ静かな微笑を向けていた。
「でもね、クレマチスの魔女様。わたくし暑いのはもう嫌で此処へ来たんですよ?」
一見口調ものんびりと穏やかではあるのだが、此処までいっきに言葉を発する事自体がシルフェにはあまりありえない事。
「原因は分かっているからな」
そう言って一枚の黄ばんだ紙をピシッと指の間に挟んでシルフェに向ける。
「それは?」
「ふふ…あの子を狂わせたものさ」
ふと視線を落とせば、飛べないオーマとフィセルは山道を上り、サラマンドルが居る頂上へと向かっている姿が見える。
「あの学者も、面白いものを作る」
心底楽しんでますと言わんばかりに、シェアラはコロコロと笑いを漏らす。
「あのね魔女様。解決する方法が分かっているなら、実行してくださいな」
やれやれと肩を落として、シルフェは深くため息を付く。
「願い事か? 水の精霊よ」
くすっと、人を喰わんばかりの微笑みをシルフェに向けてシェアラは一人楽しそうだ。
「まさかそんな事。でも、まかりなりしもクレマチスの魔女であるあなたが、何の理由もなしに此処へ来るとは思えませんけど?」
「ふふ…確かにその通りだ」
しかしそれでも動こうとしないシェアラに、シルフェはただため息を付いた。
頂上まであと少しだというのに、フィセルの息はかなり上がり、あまりの熱気と湿気に脱水症状を起こしても可笑しくない状況まできていた。
「おー大丈夫か? これでも飲んどけ」
そういってオーマから投げてよこされた薬の色は、ピンク。
「…………」
得体の知れないものを飲まされるのでは…と、フィセルはあからさまに眉を潜めて薬のビン一瞥すると、オーマに向けて視線を上げる。
「腹黒筋おピンクミステリー☆で思わず一気飲みしたくなるだろ」
オーマは豪快にはっはと笑うと、自信満々でその場に仁王立ちしている。しかし当のフィセルは、倒せるのが先か、薬を飲む勇気を持つのが先かという状態。
そして、
(どうにでもなれ!)
ポンっとビンのコルク栓を取ると、オーマの薬を一気飲みした。
「いー飲みっぷりだったな」
薬を飲んでぜーぜーと肩で息をしているフィセルの肩をバンバンと叩く。
「…!?」
確かに、この薬を飲んで、先ほどまで感じていただるさが一気に解消されていた。
「う……」
そして頂上へと足を踏み入れると、あまりの蒸気にフィセルとオーマは思わず手で顔を覆う。
蒸気に遮られた向こうで、頂上の中心部辺りで何か丸まった赤い生き物がその動きを上下させているのが見えた。
薄らと瞳を開き目を凝らすと、その丸まっているのがサラマンドルだと分かる。
「元気がないな」
此処数ヶ月山に登ってはサラマンドルを見ていたオーマがふと呟く。
「確かに……」
度合いは少々(?)酷いが、あのサラマンドルはまるで熱を出した子供のよう。
「やっと来たか」
「誰だ!?」
聞こえた声に顔を上げれば、シェアラとシルフェが空からその場へと舞い降りる。
シルフェは精霊であるから、空ぐらい飛べるとして、ただの人間に見えるシェアラが空から舞い降りた事に瞳を白黒とさせていると、
「これは、お前が作った薬だな?」
シェアラが取り出したレシピはオーマの家から持ってきたものなのだから、明らかにオーマが作ったという事は聞かなくても分かるものである。しかし、シェアラは念を押すように問いかける。
「ああ、そうだな」
「飲んだ奴が、いるだろう?」
その言葉にオーマの瞳ははっと見開かれる。
この薬は作って牛乳瓶に入れていたものだ。そして、それを飲んだ人物は、あの赤い髪の青年。
どうやら核心に近づくような込み入った話をしているらしいのだが、いまいち話が理解できない。
「水の精霊よ、あの女性は誰なんだ?」
そう言えば今更名前を知らなかったなと思いつつも、知らなくても話は通じていく。
「クレマチスの魔女様ですよ?」
知らないんですか? と、首をかしげてさらりと事も無げに言われた内容に、フィセルは思わず動きを止める。
「本物を見たのは初めてだ」
精霊使いとはいえ、魔法を扱うものならば、必ずその名を耳にする稀代の魔女。
「ってこたぁ……」
どうやら二人の間にも話が付いたらしく、オーマがかなりばつの悪そうな顔を浮かべ、持っていた桃色の変なプリントが施された往診鞄から1つの薬を取り出した。
しかし、張られているラベルが思いっきり『誰でも簡単イロモノゲッチュパラダイス』とか書かれているのは気のせいか?
オーマは時々吹き上がるサラマンドルの蒸気を堪えながら、地面へと垂れ下がった顔へと回り込むと、その口元にビンごと薬を投げ入れた。
その瞬間、ボシュっと音がして、辺りの景色をみえなくしてしまうほどに、サラマンドルから一気に蒸気が噴出す。
「うわ!」
「きゃ…」
「おっ?」
ゆっくりと瞳を開ければ、今までサラマンドルが居た場所に赤い髪の青年が蹲っていた。
「このばか者どもが!」
雷を落としたのはシェアラだ。
いや、怒りを落としただけではない。本当に二人の上に雷が落ちた。
「あーオーマ……お花畑が見えるよ」
「俺もだ。エピドート」
二人はシェアラの前で正座させられ、雷によって真っ黒焦げになりながら、ごめんなさいと土下座している。
作られた薬に対しては面白みを見出していたシェアラだが、それを牛乳瓶に入れて保管していたオーマと、何か分からないのに口にしたサラマンドルに対して、情けなさに頭を軽く押さえていた。
「やれやれ」
フィセルはその姿を見て、ただただ苦笑を浮かべずには居られない。
まさか原因が、オーマが作った薬を飲んで、それがサラマンドルの生体構造に合わずに暴走してしまった。という事なのだから。
確かに暴走によって村1つ潰してしまったが、あの村だって水が戻ればまた人が戻ってくるだろう。
「ちょっと残念です」
大雨でも降らしてやろうかと思っていたのに…と、本当に残念そうな声音で漏らすシルフェは、ぶすっとした表情を浮かべながらも、軽く指先を動かす。
すると、呼び出したままだった雨雲からシトシトと優しい雨が、フレアランス地方を潤すように降り始めた。
終わり。(※この話はフィクションです)
「うーん。ちょっと話し出しとは変わっちゃったけど、まぁこれはこれでいっかなぁ」
と、一人納得しているコール。
だが出演者の人々にもそれは同じ事なのかもしれない。
重要なのはきっかけより内容だ。
ただちょっと(?)知識があるだけの普通の人間になってしまったが、それでも現実の自分と方向性があまり変わらない役柄に、オーマは感慨深げにうんうんと頷く。
「何だな、空想世界の中でもナニっつー事はアレか」
とりあえず何がアレなのか分からないが、オーマはにっと笑うとコールにずいっと顔を近づけ、その背中をバンバンと叩く。
「やっぱこいつぁ聖筋界に在りし親父愛染め染めマーッチョ★しやがれマッスル☆っつー、親父神の啓示ってか大胸筋天命かね?」
しかし当のコールはあまり意味を理解できなかったのか、その場できょとんと瞳を瞬かせる。
「さすがだな、これだけの話をつくりあげるとは…」
フィセルの声に、コールははっと我を取り戻したようにそちらへ顔を向ける。
「作ったのかな?」
何処か遠くを見つめるような瞳で答えられ、フィセルは一瞬瞳を大きくする。
「例えその話の何処かが本物であろうとも、話の中の私は今の私とは異なっている」
フィセルは軽く口元に笑顔を浮かべ、だから――と続ける。
「そんな私の話を聞くのは面白い物だ。楽しかった、ありがとう」
その言葉に、コールはありがとうと返すと、どこからか聞こえる笑い声に、二人は振り返る。
見れば、シルフェがうふふと笑っていた。
「サラマンドルが本当にいたら小さくして一緒に遊びたいですね。周りに蒸気を溢れさせたら楽しそう」
話しの中の役柄と、現実のシルフェの差異は少ないのではないだろうか……
そんな事を想像して何処か楽しそうなシルフェを見て、二人はつい同じ事を思ってしまった。
「コールよ」
「はい?」
なぜか落ち着いた声音で呼ばれた事に、コールは何だろう? と、振り返る。
「サラマンドルのイメージを詳しく教えて欲しい」
「あ、うんいいよ」
どこか意気込んでいるシェアラの問いかけに、コールは軽く頷き、話の中で出した赤い竜の一族であるサラマンドルの特徴を詳しく話し始めた。
「なるほど…」
一通りの話を聞いた後、シェアラは何かを考えるように少し俯き、どうやらしっくりとくる場面でも思いついたのか、
「この話を、タペストリーにしても構わないか?」
と、提案する。
「勿論! シェアラちゃんの好きにしていいよ」
冒険譚が何かしらの形になる事はコールにとっても嬉しい事。二つ返事で答えを返す。
「それと、私の呼び名だが……」
戸惑うシェアラにコールは目をパチクリとさせている。
だがそんな姿を見て、シェアラはふっと溜め息をつくと、やれやれと笑いを浮かべたのだった。
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【1953】
オーマ・シュヴァルツ(39歳・男性)
医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り
【1378】
フィセル・クゥ・レイシズ(22歳・男性)
魔法剣士
【1514】
シェアラウィーセ・オーキッド(26歳・女性)
織物師
【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
例えばこんな冒険譚にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。冒頭の話し出しとの関連性がほぼ皆無となってしまいました。共通点はサラマンドルのみです(汗)
再度のご参加ありがとうございます。うまい事に精霊使いと精霊という役柄が集まりまして、今回のフィセル様はかなりの苦労性っぽくなっております。なんだか周りのトラブルに巻き込まれているだけ……って立派な苦労性ですね、すいません。しかしいいストッパーだったと思います。
それではまた、フィセル様に出会える事を祈って……
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