<東京怪談ノベル(シングル)>
紅色の輝き
――彼は、今日も立っていた。
紅い花が一面に敷き詰められている、この場所で……。
*****
夏から秋への動きを感じさせるひんやりとした風が流れる河原の土手一面に生えているのは、彼岸花と呼ばれ地元の者にもあまり歓迎されていない。
それは葉も無くただ茎の上に花が咲くと言う奇妙な植物だからか、それともその鮮やかな色が何か不吉な者を連想させるからか。
――最も、その植物を避ける一番の理由は、彼岸花が毒を持っているからに他ならないのだが。その部分を差し引いたとしても、この花が何よりも好きだという者は稀だろうと思われる。
そんな花が咲き乱れる土手に『彼』が現れたのは、花が咲き始めたその日からだった。
青い髪の、ひやりとした何かを感じさせる無表情な顔。行き交う女性たちを振り向かせながら声を掛けさせない、そんな雰囲気を持つ彼がどうしてこの花を見かけて土手へ降りてきたのかは分からない。
ただ、その玲瓏たる美人がその場に立っているその姿は、足元の赤と相まって映え、一幅の絵を感じさせるものとなっていた。
青年は何を見ているのだろう。
花の毒性を知っているのか、それとも野の花を摘むつもりはないのか、目線を僅かに下に落としたまま、手で花を愛でる事も折り取る事もしない。
ただ、その場に立っているだけ。
それなのに、どうして不思議な程存在感があるのか――それは、青年の目の奥に見える揺らめきの故だろうか。
無表情でいながら、深く思いに沈んでいるようにも見られるその姿は、薄曇りの空の下、いつまでも立ち続けていた。
*****
――誰が名づけたのだろう。かの花の花言葉に、『悲しい思い出』と。
それはあの静かに蟠る咲き方からか。目を奪う色からか。
秋に咲き、七日ほどで萎んでしまう短い命を憂えて付けられたのか、知るひとぞ知るその言葉を知る由も無い花々は今日もしっとりと露を受けて花開いている。
その傍らには、今日もまた青年がその場に立っていた。
……だが、今日は少し様子が違う。
青年は、あからさまに分かる表情ではないが、間違いなく戸惑っていた。
自分で来ようと思ってこの場に来たわけではないらしい。それなのに、気が付けばこの場に足を運んでいた――誰か訊ねる者があればそう応えそうな、どこか自分にさえ言い訳をしている様子が窺える。
地元の者もあまり訪れない場所に、誰が来るわけもないのに。
やがて、男は髪と同じ淡い青い瞳をゆっくりと下に向け、そして今日も昨日と同じく足元の色に目を奪われたように、咲き誇る花々に見入っていた。
彼の目の中にある風景には、何が映っているのだろうか。
常人では捕らえ切れない表情の変化を見れば、深い憂いに沈んでいるらしいと言う事だけは分かるのだが。
そんな折、今日は昨日とは違い、青年が少し膝を折って周囲に滲んでしまいそうな花へとそっと手を伸ばす。
だが、その目は花の方向を向いているにも関わらず、目の奥には眼下に広がる花々が届いていないようだった。
――何故なら、青年はこの場所に来て初めて、顔を僅かながら歪めたのだから。
瑞々しい茎の上に広がる艶やかな赤。
その色に、過去の何かを揺り起こされたように。
つと花に指先が触れて、青年がはっとしたように顔を上げる。
指が触れた感触に、目の前にあるものが『花』だと気付いたらしい。
それまでの自分に戸惑うように、折っていた膝を伸ばし、その場にすっと立ち上がった。
その時。
今まで淡い灰色を撒き散らしていた空が、音も無く割れた。
そこから差し込むのは、数条の細い細い光。
立ち上がった青年の目にもそれは映っていたのだろう。花から少し視線を上げて、空を――落ちてくる光の筋を眺めている。
それから、そっと彼は自分の手を見下ろした。
指先を濡らしていた花の露――それを、まるで流れる事を忘れてしまった自らの涙を見るような目で。
*****
花は、今年もその短い命を終えて萎れていた。
これから芽吹く葉に、次を託しつつ。
そして。
赤が消えたこの場所に、あの青年の姿はどこにも見当たらなかった。
-END-
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