<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
ささやかな賭け
秋は夜こそが楽しいと思う。
――くい、と手に持った猪口を空にしながら、空にぽかりと浮かぶ満月を眺め、馨はそんな事を考えていた。
喉越しの良い穀物酒と、エルザード近くの海で取れる魚の干物。
秋の夜長を楽しむにはこれが一番――と、気分良く和装に身を包みながら切れ長の目を空へ向ける馨。
こくりと喉を通った酒がじわりと胃の腑に落ちる感覚を楽しんでいると、
「ここにいたのか」
一人きりの静かな雰囲気をあっさりと消しつつ、清芳が現れて馨の隣へ腰を降ろした。その姿勢のまま、馨の視線の向きを見て空を眺める。
「今日は満月か。……本当に丸いんだな」
当たり前ではあるのだが素直に感心している清芳の様子に馨がくすりと笑う。そんな馨にくるりと向き直った清芳は、すかさず彼の手にある猪口にじぃと視線を注いだ。
「……一人で飲むのはずるいと思う」
非難めいた口調ではなく、どちらかと言うと拗ねた子どものような声色に、
「それもそうですね。じゃあ一緒に飲みますか。少し待っていて下さい」
ことりと縁側に猪口を置くと、すいと立ち上がってこの場から消えて行った。
「……」
置かれた猪口の中には半分くらい酒が残っている。
「……」
何故かちょっと首を伸ばして、馨の去った方向を窺う清芳が、そぉっと猪口に触れ、持ち上げた。口元まで運んでみて、もう一度馨が戻ってこないか首を回して確かめながら、緊張した面持ちで猪口に口を付けようとして――そこでぴたりと動きを止めた。
「む、むむ。……の、飲み残しに口を付けるのは意地汚いな。やめておこう」
ほんの少し抵抗はあったものの、再びことりと縁側にそれを置く清芳。そして、じぃと猪口を見詰めて、先ほど馨が置いた位置と向きを寸分違わず再現し始めた。
「お待たせしました――って、何をやっているんですか」
「えっ?ああいや、趣味の良い猪口だと思って見物を」
猪口に身体を丸めて見入っているように見えたのだろう。少し不思議そうな顔をしながら、手にお盆を持った馨が戻って来て、縁側に腰を降ろす。
お盆の中には新たに軽く炙った干物と酒瓶、それに猪口より一回り大きいカップが二つ。
「二人で飲むならこっちの方が良いでしょうから」
そう言って、馨はにこりと微笑んだ。
「そうだ。どうせ二人で飲むのでしたら、賭けなどはどうでしょう。潰れた方が言う事を聞くとか」
二人分のカップに静かに酒を注ぎながら馨が言うと、
「それはいいな……じゃあ私が勝ったら……馨さんに料理を作ってもらうかな」
勝負好きな清芳が身を乗り出してこくりと頷く。
「それで良いんですか? じゃあ私は添い寝で」
秋の一人寝は寂しいですからね、とさらりと馨が告げた言葉に一瞬怯みかけたものの、
「む……いいだろう」
持ち前の負けん気に後押しされて、清芳は少し力を入れて自分の分のカップを握り締めた。
負けられない、と内心で呟きながら。
「……美味しい」
一口飲んだ清芳の第一声は、ちょっと驚きながらのこの言葉だった。
「でしょう?最近見つけた中でもちょっとしたものですよ、このお酒は」
嬉しそうに馨が言うのも最もで、香りの良さと後口の軽さにすいすいと飲めてしまう。これならそう簡単には負ける事は無いだろうと自信を付けながら。
「飲み比べと言っても我慢大会ではありませんしね。ゆっくり行きましょう。おつまみもどうぞ、悪酔いしにくくなりますよ」
自分の口に合う酒を見つけられたのが嬉しかったのか、くいくいとカップを傾けながらこの酒を見つけるまでや、材料と飲み口の批評をゆるゆると語る馨。その言葉に相槌を打ちながら、清芳は少し塩の効いた干物に噛り付いていた。
つい最近までうだるように暑かった夜が信じられないくらいひんやりとしている。
空に浮かぶ月の光までが冷たさを増したかのような輝きにぼんやりと見上げながら、その手に持つカップを口に運んで――カップの中にも月が落ちている事に気付いてふっと小さく微笑んだ。
それから暫くして。月が随分と傾いた縁側で、顔を真っ赤にした清芳が伸びている光景があった。
「もう降参ですか?」
途中で新たな瓶を開けて、まだ美味しそうにカップを口に運ぶ馨が、ほんのりと色付いた目元を向けて微笑む。
「……水」
はふぅ、と苦しげに息を付いた清芳はこくりと頷き、力の無い声でそう呟いた。
「それでは、私もこの辺りで切り上げましょうか。……賭けの約束もありますしね」
「うぅ。……そんなに強いなんて言わなかった癖に……」
「それはそうでしょう。勝負の前に手の内を晒すのは良くないじゃないですか」
立って水を持って来た馨が、お布団の用意をして来ますね、と言いながら立ち上がる。
そう言えばそんな賭けをしていた、と思い出した次の瞬間、酔いがすっと覚める。それなのに、顔にはもっと酔ったみたいにかぁっと血が昇って来た。
……いや違う。違うぞ。なんで赤くなっている?これは酔ってるからだ、うんそうに違いない。
血が昇った事でまたアルコールが身体の中を巡り、頭がぼうっとして来る。
「お待たせしました。――大丈夫ですか?」
「え? ……大丈夫。約束を違えはしないぞ」
トマトみたいに真っ赤になっている顔を覗き込む馨に、こくこくと頷いた清芳が少しよろけながらも立ち上がる。そうして、動き始めた事で少し落ち着きを取り戻した清芳が、馨の後に続きながら何度か深呼吸を繰り返した。
*****
……とは言え。
実際に寝間に布団が敷かれているのを見れば、気にしまいとしていた意識がどっと押し寄せて来て。
「……ええっと……そんなに固くならなくても大丈夫ですよ」
流石に馨が苦笑を浮かべてしまうくらい、隣に横になった清芳は天井へひたと目を向けたまま、丸太のようにがちがちに固まってしまっていた。
「そ、そんな事を言われても」
「呼気も乱れてますよ?はい、少し深呼吸しましょうか」
「子ども扱いしなくてもいいじゃないか……」
と、言いつつも素直にすーはーすーはーと何度か呼吸を繰り返す。そのせいでか、最初よりは少し落ち着いた清芳が顔を少し動かして、すぐ近くにいる馨を見た。
――幼子を見るような目で微笑んでいるのが、何だか物凄く悔しい。少し口を尖らせたのが分かったのか、更に馨の目が細められて、もぞりとその身体が動いた。
「だあっ、背中に手を回すな!」
馨はただ、少し落ち着いた清芳の首の下へ手を回し、腕枕をしようとしただけだったのだが……その過剰反応が面白くて、ついつい笑ってしまう。
「清芳さん、それじゃあ添い寝になりませんよ。腕枕くらいさせて下さい」
「う、腕枕……それならそう言ってくれればいいのに」
起き上がる事にまで考えが至らなかったのか、毛布の端を掴んだままごろんと布団の外へ転がり出る清芳。
「さあ」
自分がいないうちにそこに腕を置け、と言う事らしい。
「はいはい」
苦笑しつつ、清芳の首の位置を考えながら腕を置くと、それ以上馨が動かない事を確認して、またごろんと転がりながら戻って来た。
「……清芳さん。また固くなってますよ。深呼吸しましょうか」
「い、い、いちいち、言わなくても大丈夫……っ」
自分でも分かっているのだろう。震える声で言うと、横を向いて必死に呼吸を繰り返す清芳にくすくす笑いながら、空いた手でぽんぽんと髪を撫でる。
それから布団をかけようと手を下に伸ばすと、ぎょっとしたような顔で見上げられて、もう一度苦笑する。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですから」
まさに父親代わり、と自分でも思いながら、馨は実はちょっと目の前の女性を抱きしめてみたくなっていた。
勿論、そんなそぶりをすればどう言う反応が返って来るか分かっていたので、やらなかったが。
今もこうして、布団の上から子どもにするようにぽんぽんと叩こうと手を動かしただけで逃げようとしているし。
「だから、清芳さん。そんな目で見ても何にもしません、寝るだけですから落ち着いて」
怖がっている訳ではなく、自分でもどうしようもないくらい緊張しているのだろうと分かるのだが、かといっても緊張の原因が自分にあるだけに、解きほぐすのは容易ではないと言う事も良く分かる。
この場合は相手を宥めるよりは、そのまま寝てしまう方が良いかもしれない。
そう考えた馨が、相手のさらさらの髪をもう一度撫でてから、
「さあ、寝ましょうか。……清芳さんは寝相酷くないですよね?蹴ったりしないで下さいね」
「そんな事するわけないじゃないかっ」
この分ではなかなか寝付けないだろうと自分でも思いながら、天井を睨みつけた清芳が言う。
「それじゃあ、清芳さんも身体の力を抜いて下さい。そのままじゃ眠れないですよ」
寝る前に、と一旦腕枕を外し、部屋の灯りを消した馨が再び布団に潜り、今度はさしたる抵抗も無く腕を清芳の首の下に敷いて、
「おやすみなさい」
そう囁いて、口を閉ざした。
……当然、暗くなったからと言って清芳がそう簡単に眠れる訳が無い。
こんな事なら、賭けなんかするんじゃなかった――そう思っても仕方ない事。いくら飲み口が良いからと言って酒は酒。身体に溜まれば酔いもする、それくらいすぐに思い至れた筈なのに。
とくん、とくん。
まだ早い自分の鼓動が恨めしい。こんな事も平然と出来なければ、と思うのに。まだ修行が足らないのだろうか――何か好きな事を絶って修行に努めるべきだろうか。
例えば甘いもの絶ちとか。
「……いやそれは置いておいて」
これだけはどうやっても外せない。
とくん、とくん。――とくん、とくん。
何かと鼓動が重なった気がして、不思議そうな顔をする清芳。何かと言っても隣にいる馨くらいしか相手はいないのだが、いくら近くにいると言っても胸に顔を埋めているわけではなし、ここまで聞こえるとは思えないのだが。
「……あ」
そこでようやく、そう言えば腕枕をしているんだった、と思い出した清芳がまたちょっと顔を赤くして――そして、もうひとつ気が付いた。
自分の鼓動と重なるくらい、馨の鼓動も早かったのでは、と。
なあんだ。緊張していたのは同じだったんだ。
声に出さず呟くと、暗闇の中、馨のいる方向へそっと顔を向ける。
「……おやすみ」
囁きは、闇の中に溶けて消えた。
――その後。
酒と賭けと言う言葉に、清芳がやや敏感な反応をするようになったのは言うまでも無い。
だが、それは少しばかり遅かったのかもしれない。
「清芳さん、だからそんなに端っこに寝ていると風邪を引きますよ、って」
「ううううるさい! 一つの布団で狭いからに決まってるじゃないか!」
『一回だけとは言いませんでしたよね?』
と。
まるで丸め込まれたみたいだ――と思いながらも、それからも時々楽しそうに布団を敷く馨に何故か言い出せず、今日も清芳はがちがちになって馨の隣にいたのだから。
-了-
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