<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
愛しきは亡きかの世界
そこを寺院と呼ぶのが、果たして正しいのかわからない。
人間によって『異界寺』と認識されるその場所に祀られた存在は、感情を持つ者が必ず抱える暗黒面を身に受けた『反慰霊』が一柱――ルシャナ。
もっとも、人間がどう己を忌み嫌い疎んじようとも、ルシャナの本質は変わらない。
時にはルシャナの気まぐれが善行として映る事もあったが、時の流れから逸脱した彼女にとっては些細な事だった。
埃をまとった重い扉を押し開ければ、うず高く積み重なった、物、もの、モノ……いつかの時代においては最新の、そしていつかの時代においては太古の技術の残骸が、無秩序に集まっている。
いや、一見無秩序に見えるそれらに一つだけ共通の要素があった。
全ての物には持ち主が無い、捨てられた存在であるという事。
そしてそれらに意識を向けるのが、今はルシャナただ一人であるという事。
深く鮮やかな赤がティーカップの中で揺らぎ、ルシャナの舌に華やかな香りと渋みを残した。
艶のある白磁の皿にカップを戻し、ルシャナは黄ばんだページを捲った。
高い位置にある窓が、闇の中切り取ったような四角い光を床に投げている。
そこにクッションを重ね、ティーセットを傍らの床に置いたルシャナは、他の世界の歴史が記された書物を読んでいた。
戦乱と繁栄、虚飾と欺瞞。
同じように見えるその繰り返しはほとんどが退屈でルシャナの関心を惹かなかった が、時折ハッと胸をつかれる記述が見つかる。
幼さの残るルシャナの口元が微笑みの形を作り、紅茶と同じ色の髪が揺れると、白い指先のたどる文字を追う黒曜の瞳は細められた。
その表情は蝶を蜘蛛の巣にかけて行方を見守る無邪気な残酷さと、わずかな違いも見逃さない冷徹な観察者を思わせる。
記述にあったものは瓦礫に埋もれる鋼の寄せ集め。
けれど不思議と醜くはないそれに、ルシャナは心惹かれる。
命という猥雑な物音を立てない、この者が好ましい。
ただ純粋に、力だけで出来ている存在。
分厚い書物を閉じると、ルシャナはふわりと膨らませたワンピースの裾を引いて立ち上がった。
「それが俺か」
白いクロスを皺無く引いたテーブルに、ルシャナの夕餉がしつらえられている。
今夜のメインディッシュはフォアグラ。
そして客人は漆黒の魔殺機ディガンマ。
テーブルから少し離れた影に溶け込むようにひっそりとディガンマは佇んでいた。
人の形とは明らかに異なる四脚の歩行部の上、琥珀色の光をたたえたコアが明滅している。
汎用戦闘機械であるディガンマには、現在様々な渾名が付いている。
多すぎる渾名はどれも血と硝煙の香りを含んでいた。
ディガンマの発する言葉は、問いかけよりも確認の意味合いが強いようだった。
「そういうこと〜」
ルシャナは喉の奥で笑うと、整えられたシルバーのフォークの輝きを楽しむように取り上げた。
曇りない銀の輝きに、ディガンマの宿す光が映りこむ。
頭部に灯る赤い輝きが感情を滲ませる事は無い。
西洋梨のソースをフォアグラに注ぐルシャナの手は、慈しみをまとわせて優雅に踊った。
これから奏でられる美味への舞踏。
悪戯な光を宿してルシャナの視線がディガンマに向けられる。
「あの山から発掘するのそりゃもうたいへんだったのよ〜」
その口調は揶揄する響きを巧みにのせていたが、ディガンマの思考が判断した感情は『快』。
ルシャナは楽しんでいる。
今も、そして過去にディガンマ自身を瓦礫から取り上げたあの瞬間も。
「……何がそんなにおまえを惹きつけた?」
ディガンマの言葉が疑問を形作る。
今度は明確に、問いの響きを発した。
ルシャナはナイフで切り取ったフォアグラの一片の艶を確かめ、桜色の唇をフォークの先に寄せた。
フォアグラにかかったソースが爽やかな香りを放っている。
ルシャナがそっと唇で触れると、フォアグラはわずかに震えてソースを滴らせる。
初夜のベッドで破瓜の恐怖と愉悦に期待する花嫁のように、繊細に慎ましく。
だがルシャナはすぐに口に入れようとはしない。
「過去に私と同じ失敗をしたからかな〜。それが一番の理由」
「その過去とは?」
秘匿された過去を知る喜びは何にも勝るもの。
その喜びに抗える者はいない。
ソースにこめられた季節の甘い輝きを楽しむルシャナが、歌うように言葉を繋ぐ。
「知りたい?」
紅に近い色の舌が唇の間からのぞき、フォアグラをその上に乗せようとした瞬間。
ディガンマから返ってきた言葉はルシャナの予想を裏切っていた。
「……やめておこう」
ルシャナはフォアグラを皿に戻し、くすりと笑い声を立てた。
「なぜ笑う」
時の流れから切り離されたこの場所にもまだ日々予想を覆して変化するものがあった、その驚き。
それを知る喜び。
それがルシャナを微笑ませた。
「あなたにも余裕ができたんだなあと思って。すっかり人間くさくなっちゃったね〜」
「もう行く。次のエリアを指定しろ」
機械的に、文字通りディガンマは無機質な体躯を翻してそう言った。
背を向けたディガンマを一瞥し、ルシャナは再びフォアグラを取り上げる。
フォアグラは冷めてしまった。
しかしディガンマとの会話は、とても魅力的なスパイスとなってルシャナを楽しませる。
口元に運ぶまで、一時甘美な自己拷問に耐えたのちにルシャナはフォアグラを飲み込んだ。
喉を滑り落ちる滑らかな脂肪の舌触りを、甘く爽やかな果実の香りが後を追う。
掲げるように手にしたワイン越し、ルシャナは統括機構としての言葉を告げた。
厳かな響きは巫女が下す神の託宣にも似ている。
「あなたの意思に従いなさい。ディ、あなたを縛るモノはもうどこにもいないのだから」
ディガンマの無言は了承を表していた。
異界寺の床を静かに軋ませながら、ディガンマは外界を目指して重い扉を開ける。
我が意志は殺戮。命ある者の抹殺。
そう作られた以上、そうあらなければならない。
熱を持たないその足をルシャナの言葉が止める。
その言葉はディガンマの鋭敏なセンサーにのみ届く言葉だった。
「だってあなたが壊しちゃったもん、その世界」
ルシャナはワインを口に含み、焔に包まれた都市を、逃げ惑う人々を幻視する。
ディガンマの来訪はルシャナの夕餉に赤い幻の華を添えた。
(終)
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