<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


キミの隣


 果物屋の店主はなんだかタコに似ている。
夕陽に照らされて少し眩しい頭を眺めながら、ルキスは脈絡もなくそんな事を思った。
それでも顔にはしっかりと柔らかな笑顔を浮かべているのは現在値引き交渉中だからだ。
 にこにこ、にこにこ
 タコの店主とルキス、先に口を開いた方が多分相手の条件を飲む事になる。ここは沈黙あるのみ。
「ルキスー!」
 元気に跳ねるのは夕陽に染まった銀色の髪。買い物客で少し混雑気味の通りを駆け抜けて来るのは――。
「カルン!」
 勢いを殺さず腕にしがみついて来た少女にルキスは少しバランスを崩す。
「危ないよ、カルン。気を付けて」
「大丈夫! ねえ、聞いて聞いて!」
 無邪気に見上げる笑顔は何やらとんでもなく輝いている。その笑顔につられるようにルキスもまた笑顔を浮かべた。
「お転婆姫は今日はどこまで行って楽しい事を拾ってきたんだい?」
「んもう、ルキスったら、私お転婆じゃないわ!」
「どうだか」
 ぷうと可愛らしく頬を膨らませた幼馴染に肩を竦めてると、何やら横合いからつんと肩を突付かれた――店主だ。
「お嬢ちゃん用に一つおまけをつけとこう。それでどうだ?」
 店主が真っ赤な果実をカルンに差し出しながら言う。ルキスは参ったなと苦笑した。本日はどうやら敗北らしい。
腰に下げた袋から店主の言い値だけ硬貨を取り出すと毎度と店主が笑った。
「話は帰ってからにしようか」
「えー!」
「……帰りながら、だね」
 大きく頷いたカルンはルキスの隣を歩き出す。今日あった、あれやこれやを話す幼馴染は楽しげで、ルキスはそっと目を細める。
 子供の頃、ルキスはいつもカルンと一緒だった。
 今もそうでカルンの事は何でも知っている――そう思っていた。
 ところがどうだ。カルンはいつのまにかたくさんの秘密を持っている。
 例えば、今日の冒険譚もいくらカルンがお喋りだって、全て話す事は出来ない。
それはルキスだって勿論同じだ。彼女と一緒に旅に出たけれど、今はいつも一緒という訳ではない。
でもそれはそれでよかったのだ。それでもカルンは変わらずルキスの隣にいたのだから。
 今日までも明日からも。
 ずっとカルンはルキスの隣にいる。
 子供の頃と変わらず、歩いて行ける。
 そう思っていたのに。
 今カルンの右手には小さな指輪が光っている。一体誰から貰ったのか、ルキスは知らない。
 何だかそれが無性に気になった。何故だろう、とルキスは考える。
 そりゃあ、いつか、誰かがカルンの隣に並ぶ日が来るだろうとは思っていた。いつまでも子供っぽい幼馴染もいつかは大人になって、そういう相手が出来るだろうとも。
 それだけの事なのに。気軽に聞けば良いのに。
 何故だか聞き難い。
「ルキス? ルーキースー?」
「……え? 何、カルン?」
 気が付けば前に回りこんだカルンがじっと見上げていた。ぴっとルキスの鼻先に指を突きつける。
「聞いてなかったよね! ね、どうしたの? ルキス、疲れてるの?」
「そういう訳じゃないよ。ちゃんと話も聞いてたし」
「そう? じゃあ、一緒に行ってくれる?」
 どこに、とは聞いてると言った手前、聞けなかった。けれども、カルンの笑顔を見ていれば、それが悪い場所や心配な場所ではない事くらいすぐに判った。
「いいけど……突然だね」
「だって!」
 くるりとカルンはルキスに背を向けて歩き出す。
「最近ルキスってば忙しそうなんだもの。いつも置いてけぼりなんだから、たまにはいいでしょ?」
 どうやら彼女もまた自分と同じく淋しかったらしい。カルンはやっぱりいつまでも子供だな、とルキスは安心する。妹みたいな少女の指輪もきっと大した意味はないのだ。
「置いていってるのはカルンだよ。そうだね、明日行こうか」
「本当? やったぁ!」
 嬉しそうに笑って先を歩き始めたカルンの後頭を見ながらルキスはゆっくりと歩き出す。
 カルンの隣。
ここがいつもの自分の位置。
妹みたいな幼馴染に何かないように見守る、自分の位置。
 先を行くカルンの薬指にはまった指輪が沈む太陽の光に照らされて輝いた。その光にルキスは視線をそらす。
 本当に一体誰があれを贈ったんだろう。
 そんな事を思いながら――。


 まるで水の中にも森があるようだった。
鏡のような静かさを保つ泉が赤く色付いた木々を映して赤く染まる。その光景は地上にある本来のそれと寸分違わず同じものだ。
まるで地上に立つ自分が水中にいるような、そんな気にすらなる。
「ね? 素敵でしょ?」
 得意げなカルンの声にルキスはただ頷いた。そんな青年にカルンは嬉しげに笑って手を引いた。
 並んで水面を見下ろすと金色の髪の青年と銀色の髪の少女がこちらを見下ろしていた。
「なんだか不思議だな」
 こんな浅瀬でもその輝きは鏡面と同じで水底を見せない。その事に驚いたルキスにカルンは楽しげな笑顔を浮かべた。
「そうなった理由について素敵な言い伝えがあるのよ」
「へえ、どんな?」
「それはねえ……」
 カルンは人差し指を頬に当てて首を傾げた。その可愛らしい仕草にルキスは微笑んで続きを促す。
「それは?」
「ひ・み・つ!」
 カルンはそう言うなり笑い出してルキスの傍らから駆け出した。
「なんだよ、それ」
「秘密なのー。今はね。そのうち教えてあげる」
「そのうちっていつ?」
「そのうちはそのうち!」
 何故か頬を赤くして言い切るカルンにルキスはお手上げのポーズをとった。
「判った、そのうちだね」
「うん。……あ! 誰か他の人に聞いたら駄目だからね!」
「はいはい」
 おざなりな返事にもうっとカルンは頬を膨らませた。
「そんな態度だとお弁当あげないんだからね!」
「そのお弁当作ったの誰だっけ?」
 カルンだけではない事は確かだ。
「じゃあ、もう歌わない」
「カルン、それは無理だと思うな……判った、誰にも聞かない」
 ルキスは拗ねた瞳に免じて降参する事にした。その返答にカルンは胸を撫で下ろす。
「それでいいのよ」
 それでも言葉だけは強気なのがおかしかった。


 お弁当を食べ終わるとカルンはにっこりと笑って、自分の膝をぽんと叩いた。
何か判らず、首を傾げたルキスに唇を尖らせる。
「寝るの!」
「……ここで?」
「そう、ここで。だってルキス、昨日疲れてたじゃない」
 ほらほらともう一度膝を叩いてみせるとカルンは澄ました顔をする。
「今だったら子守唄付きよ」
 疲れている訳ではなかったけれど、カルンの心遣いが嬉しくて、ルキスは横になる。
カルンを見上げる機会なんてあまりない。いつもと違う角度の幼馴染をルキスは何故だか直視し辛くて、目を閉じた。
 カルンの柔らかな声が故郷の歌を紡ぎだす。そういえば郷里を出て、随分になるような気がする。
あの頃はいつも二人で一緒だった。これからもずっとそうだと思っていた。
子供の頃と同じようにずっと隣を歩んだと思っていた。
けれど、子供のままではいられない。もう18歳――ちっともそうは見えないけれど、カルンだってそうだ――なんだし、いつかはルキス以外の誰かが隣に並ぶ事だって、ある、かもしれない。
 それが普通の事の筈なのに、ルキスはそこまで考えるといつも複雑な気分になる。それ以上考えるのを止めてしまいそうになる。
 ――僕は妹離れ出来ない、兄なのかな。
 カルンは既に先を立って歩いているのにと思うと少し淋しい。
「ルキス? 寝ちゃったの?」
 カルンの問いかけにルキスは目を閉じたまま、黙っていた。寝てはいないけれど、目を開けて今の悩みを気付かれてしまうのも嫌だ。
「ルキスったら、やっぱり疲れてたのね」
 カルンはため息を付くとまた歌い始めた。今度はルキスの頭を撫でながら。
 優しい手付きに本当に寝入りそうになったその時だった。
「……痛っ」
「あ! ゴメン!」
 指輪がルキスの髪に絡まったのだ。
 慌ててカルンは指輪を外すと丹念にルキスの柔らかい髪をほどいていく。前髪が絡んでいてはルキスとしても大人しく見ている他なく、カルンの真剣な顔をただ見上げた。
「……髪を切っても良いよ。大切な指輪なんだろ? 外しちゃ……」
 駄目だよ、そう続ける筈だった言葉はカルンの不思議そうな仕草に止められる。
「なんで外しちゃ駄目なの?」
「なんでって……貰ったんだろう?」
「確かに貰い物だけど、それだとどうして駄目なの?」
 きょとんとした幼馴染をしばし見つめて。ルキスは笑い出した。
 判ってない!
 薬指の指輪の意味も。
 指輪を貰う事の意味も。
 きっとカルンは何も気付いてはいないのだ。
 薬指のリボンは婚約の印、では指輪なら?
 多分似たような意味になる筈なのに――。
「い、いきなり何〜?」
「何でもないよ。ただ、カルンは子供だなって」
「子供じゃないわ!」
 嘘だ。だって報われてない。とルキスは思う。
 指輪の送り主も、僕も、てんで報われてない。
「……あ」
 そうか、とようやくルキスは腑に落ちた。
 何故、この指輪が気になっていたのか。それはつまり――。
 僕は指輪の落とし主に嫉妬していたんだ。
 カルンの隣に並ぶかもしれない誰かに嫉妬していた。僕以外の誰かが隣になるなんて嫌だと嫉妬していたのだ。。
 それは簡単で難しい答だった。
 今、カルンの隣に並んでいるのは兄のような自分。
 でも子供のままでいられないから、きっと新しく隣に立つ人が出来る。
 でもルキスはずっとカルンの隣にいたい。隣の意味が変わってもずっと。
 その事に気付かずにいたけれど、気持ちはそうだったから、指輪が気になって仕方がなかったのだ。子供の頃のままならきっと気軽に聞く事が出来た筈だ。
「ルキス? どうしたの? 今度は黙り込んで」
 覗き込んでくる幼馴染はいつもの無邪気さで。だからルキスは少し安心して、少しがっかりする。
 まだまだ子供なんだから、ゆっくりでいいよな。
 胸の中でそっと呟いて。
「なんでもないよ。ちょっと新たな発見をしただけなんだ」
「何、それ?」
 首を傾げるキミの隣が僕の特等席。


fin.