<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


地図にない街へ


 あてもなく伸びた蔦が一枚だけ葉をつけて、その重みでひよひよと揺れていた。滑らかな動きは、アクセサリでは到底再現できないだろう。小さく跳ね上げられては重力に引かれて沈み、また勢い跳ねられてを繰り返している。
 それを髪から伸ばしている当人は、自身の頭上で間抜けに揺れる蔦のことなどお構いなしに、足元に散らばる落ち葉を崩すのに執心していた。一歩ごとに落ち葉を狙いすまして、くしゅ、さしゅ、と小気味良い音を鳴らしている。カサカサと逃げる落ち葉は、あえなく小さな靴の下で乾いた悲鳴を漏らすのだった。
 紅葉の季節とはいえ、まだ道に降り積もった葉はそう多くはない。見上げた木々にも、赤く染まったものと緑を残す部分とが入り混じっている。風に音を立てる葉の合間に青い空が覗いていた。夏の抜けるような青さはもう残っておらず、薄い蒼が高いところに横たわる。広くなった空を泳ぐ魚の鱗が、白く光って雲をなしていた。
「どこへ行くのでしょう」
 空へ向けていた視線を自身の右側に戻してシルフェは呟く。おっとりと微笑む水青色の瞳は、繋いだ手の先でくるりと蔦の葉を回転させて顔を上げた少女を捉えていた。どこへ、とは少女のことか鱗雲のことか。あるいはその両方に対するものだろうか。どちらにしても彼女の知らない場所へ行くことには、きっと間違いがないのだが。
「あっちのほう」
 きょとんと上げていた顔を再び前へ向けて、少女は遠く赤碧に霞む森を見やる。手で示さなかったのは、両手ともを預けているからだ。さも嬉しそうにきっと会えるの、と言う少女に、右手を握っているスルト・K・レオンハートはやんわりと笑顔を零す。それは意識されたものではなく、彼が最初から持つ表情なのだろう。横にすい、と結ばれた口の端が自然に上を向いている。
 対照的に機嫌の悪そうな表情を浮かべて、黒兎は数歩遅れた位置についていた。放っておくのは心配に思いながらも、初対面の少女と気安く話せる性分ではなく、結果として眉根を寄せている。おまけに少女の右を歩く青年がどうやら半獣のようで、毛足の短い黒に覆われた尖った耳と、ネコ科のものであろうしなやかな尻尾が視界を過ぎっては尚更だった。
 からりとした笑顔でおうよと応じたのはオーマ・シュヴァルツで、大柄な彼は一行の殿から数歩で少女の真後ろに迫る。ぽむ、と蔦を避けて頭に手を置いて言葉を続けた。
「聖筋界ナウ乙女筋故郷求めて親父千里で、感動むっふーん絶大だぜ」
「……一緒に?」
 彼の言葉をどう理解したのか、しばしの間を置いて少女は尋ねる。乗せられた手もそのままにかくんと首を傾けたが、後ろを振り向けるほどの余力はない。仕方なく斜めに世界を臨んで数歩を進んだところで、ぐりぐりと撫でられてから開放された。
「伝説の親父桃源郷までだって、この腹黒イロモノゴッド親父がガッツリ嬢ちゃんを大胸筋守護お供アニキしてやるぜ?」
 言葉の端々にキラリと飛ばした星を、舞い散る葉の黄色に紛れ込ませる。またその他の何か――あえてその詳細を問いはしないが――も一緒に。
 頼もしいのか危ういのか判断が難しい気がする言葉に、えへへと少女が妙に照れ笑いで返すのを眺めて、そういえば、とオーマに抜かれて殿になったアレスディア・ヴォルフリートが呟く。風に遊ばれる灰銀の髪が、緩い光を乗せて黒にも白銀にも変わった。
「名前は何というのかな?」
 今更といえばそうだったが、エルザードの料理屋で従業員が少女の道行きを心配している最中に、少女自身がふらりと店を出てしまったのだ。それで、同行を引き受けた彼らは慌てて後を追うことになった。加えてそのメンバーが以前にも見たような顔合わせだったので、何となくでここまで来てしまっていたのだった。
「なまえ……?」
 一歩ごとに着地する場所を慎重に選びながら、少女はぽつりと訊き返す。後ろを気にしながら歩いていて石に足を取られかけたのを、黒兎に小さく注意されたからだ。足元、とだけ発された言葉は不機嫌そうに響いたが、彼の場合はその前後に音にされなかった言葉が隠されている。言葉が少女のつまづくのと同時でなければ、気をつけて、の部分はそのまま無かったことになっていたかもしれなかった。
「そう、私はアレスディアという」
 少女とその隣の青年に向けて、小さく笑みを添えて名乗る。彼だけが初めて顔を合わせる人物だったからだ。
 さっぱりとした口調だが、礼儀はしっかりと踏まえられた挨拶を向けられて、それでスルトは立ち止まって振り返り、丁寧に頭を下げた。
 初対面の人物にふいに話しかけるのが嫌いではないからだろうか。名乗るより先にその場に馴染むことも、彼にとっては少なくない。左の肩口から落ちてしまった黒の髪を片手で背中に戻しながら、順に済まされる自己紹介を聴いた。
 その間にオーマは自身の手荷物を漁り、腹黒なんとかと名のついた様々なものの中から目的のものを捜した。そしてフルネームで肩書きとともに名乗ると、
「――で、これが聖筋界一マッスルな腹黒同盟勧誘パンフってわけだ」
 にこやかに腹黒いいつもの笑顔で、全員に薄い冊子を配布した。以前にも渡したかどうかはこの際問題ではない。なぜなら日々キラリ成長するのは大胸筋と腹黒同盟だけではなく、パンフレットもまた然りだからだ。
「あら、以前とは違った内容ですのね」
 鋭く気付いて感嘆詞を漏らすシルフェを視界に入れながら、余程縁があるのだろうか、と内心苦笑いを零すのはアレスディアだ。行く先々で、オーマというこの様々な意味で懐が深い人物と一緒になっている気がする。
 それぞれが冊子に視線を走らせる中で、少女はひとり自分の両サイドを交互に見上げていた。オーマは面白そうに眺め、その首振り運動の意味に気付いたスルトが手を離し、差し出していたパンフレットを受け取るまで黙っていた。カリスマゴッドカカア天下ロードは腹黒愛聖地発見よりスペシャル難しそうだ、と考える。
「それで、なんとお呼びすれば良いのでしょう?」
 可愛らしい行動でしたのに、とシルフェは思いながら尋ねる。別に意地悪くそうしていたのではないが。
「ネィラって、呼んでくれるの」
 呼んでくれるとは、やはり捜している人物がという意味なのだろうか。それが本名なのか愛称なのかは判らないが、それが少女にとって呼ばれて嬉しいものであるのは、確かなようだった。

 何処ともつかない場所までひとりで行こうと試みるわりに、少女の気は散りがちだった。再会を切望しているようでいて、ふいにそれを忘れるようなところがある。好奇心が旺盛なのだといえばそうなのかもしれないが、ふらりと目的を変えそうなところが、もしかしたら迷子の所以なのかもしれなかった。
 急ぎたいのでないならそれで良い。気候もいいし、ただ黙々と歩くよりは風景を楽しむ方がずっと心地良いものだ。ちょろちょろと走り去る小動物や、遠くで響く鳥の声を聴きながらも、ネィラへの注意をアレスディアは怠っていない。
 偉大なる下僕主夫ダーリンゲッチュの心得をとつとつと語るオーマに、何やら真剣な顔つきで頷いているのを微笑ましく見守った。
 そう思う間に、少女は木の高いところに鈴生りになった実を目聡く見つけて示し、オーマに取ってとせがみはじめた。親父愛煩悩知識の伝授は必然中断させられる。
「覚えが早くて嬉しい限りだろう」
「桃色筋未来がお楽しみマッスルってとこだな」
 柘榴色の小さなそれを両手から溢れさせて、おみやげにするのと嬉しそうに話すのが、緩い風に乗って流れていく。少女に気付かれずに零れ落ちたのを、傍を付かず離れずしている黒兎がひとつずつ拾っていた。
「喜んでくれるといいですね。もっと捜してみますか?」
「そうですねぇ、あれはどうでしょう?」
 薄橙色の柿に似た実を示して、のんびりとした時間をシルフェは存分に楽しんでいる。少々の距離も、知らない場所を散歩する時のわくわくとした気持ちがあれば、どうということではない。平地を流れる川の穏やかさを思わせる時間の中で、ネィラはくるくると回りながら滑っていく笹船なのだろう。
 スルトが出してくれた小さな袋に、赤い粒が流れ込んでゆくくすぐったさを一頻り楽しんでいる。それを終えると、水面に落ちた石を避けて急に進路を変えるように、シルフェが見付けた実の品定めに真剣になるのだ。
「おいしい?」
「……洋酒で……美味しくなる……」
「美味しいんですか? あまり食べられるものではないと聞いていましたが……」
 半ば独り言に近かった黒兎の言葉を捉えて、そのままで食べ辛いものを美味しくできる方は凄いものですね、とスルトは感嘆する。
 目標を決めたらしい少女に抱っこしますよ、と笑って、手を挙げて準備するのを抱き上げた。艶のある実をもぎ取る少女は、思った以上に軽い。
「おいしくできる?」
 突然話しかけられておろおろと思考をめぐらせていた黒兎に、少女は取ったばかりの果実を差し出す。最大限に首を傾けて期待の眼差しを向けるのに、再び口の中で単語を転がした。やや置いて、時間と紡いで、かかるけどと残りを押し出した。
「腹黒親父ラブ筋味付けでイロモノ美味しさレベルぐんぐん上昇だぜ」
 その背後から言葉を投げて、次いで熟したものをもう二、三個選んで取ると、振り返った黒兎に放り投げた。
「――危ないなぁ!」
 咄嗟のことながら器用に受け止めて、焦る代わりにキッと睨む。けれど当のオーマはからから笑って気にしなさんなと軽く流した。
「楽しみにするの」
 包み込むように持った実をゆっくりと引き寄せて、目を閉じると軽く唇を当てた。まるで騎士の誓いのように、眠り姫の目醒めのように、秘密の約束のように。
 不意に視線を取られて、気付いた時には少女はもう別所へ駆け出している。これはー、と間延びした声が離れた場所から流れた。低木の前にしゃがんで、白の縁取りのあるスカートを地面に付けてしまっている。
「あら、綺麗なお花」
 その横に同じようにしゃがんで、土から覗いて咲く濃紫の花に細い指をあてがった。薔薇石英の色をずっとずっと濃くしたような色だ。ひやり、と冷たさをはらむ硬い花びらは石そのものの感触を思わせる。
「店でも熱心に見ていたっけ?」
 料理屋のテーブルに飾られていた深赤の花を思い出して、それが少女の瞳の色に良く似ているとアレスディアは気付く。振り仰いでくる赤い瞳に、花が閉じ込められて咲いている。
「烏瓜の赤なのですね」
 思考に割って入るような言葉に、驚きと納得を混ぜてああそうか、と頷いた。
 厳密なことを言えば、烏瓜は蔦のものではないのだが、少女を形容するのには十分だ。蔦の絡む深緑の髪がふわふわと頬を掠め、あどけない顔に深い赤の実を抱いている。
「カラス? 鳥?」
 置いてきぼりのネィラは難しい顔をして、赤い鴉か何かを想像しているのだろう。ふたりはクスと笑って、違いますよ、とひとつずつ説明に追われた。
「食べられる?」
 判っているのかいないのか、最後には結局そこに辿り着いた少女に、
「……休む?」
 と提案したのは黒兎だった。おやつの時間かいとオーマは、荷物からシートを出して場所作りを始める。デフォルメのかかったウサギが愛嬌を振りまくそれは、桃色遠足お楽しみゴージャスシートというらしい。プリント柄のバックは確かにピンクのチェックだ。
 一言ツッコミを入れたいところではあったのだが、あえて言葉にはせず全員がそれに座った。黒兎が用意していた手作りのお菓子とお茶、そしてオーマが取り出した特製の長い名前のおやつとが並べられる。
「赤い色が好きなのか?」
 林檎を使ったものだろう紅に染まる焼き菓子をネィラが一番に手に取ったので、アレスディアは何とはなしに尋ねた。
「赤、紅、赤紫、薄紅……言われてみればそうですね」
 思い返しながら同じ焼き菓子を口へ運んで、口に広がる甘さと暖かな感覚――それは焼き菓子のもつ温度とは関係がない気がする――をスルトは楽しむ。以前に食べた林檎の焼き菓子の味と比べて、作る方によってこれ程差が出るものなのですねと思う。おいしい、と素直な感想を述べるネィラに同意だった。
「腹黒人生彩る桃色ピンクの重要性ビシッと判ってるじゃねぇか」
 彼自作の正体の知れない――といってもそれは名前と見た感じだけのことだが――桃色のおやつを渡して、盛大にオーマは頷いた。もしゅもしゅと口を動かして少女は、
「きれいって。赤色きれいって。だから好きなの……おそろい?」
 黒兎とオーマの瞳を覗いて、シートのウサギ柄にも林檎菓子にもにこりと微笑む。それを眺めて、探し人に大切にされているのだな、と穏やかな気持ちで香茶を口に運んだ。

 エルザードの街を出てからしばらくは道なりに進み、やがて逸れて手入れされない森の中を歩いてきた。最初こそ木々の間隔も広く低木も疎らだったが、奥に進むにつれてそうはいかなくなっている。
 狭い木々の間を縫うように進んで、けれど低木が少ないのが幸いだった。起伏の緩やかなのも歩き易い一因だろう。さすがにネィラは両の手を繋いでもらうわけにはいかず、今は左手をスルトに預けているだけだった。
 ぱさりぱさりと落ち葉がしきりに舞って、光が届くか届かないかのギリギリの明るさの中を、朱に黄茶にと彩っている。それをニヤリとオーマは見やって、聖筋界ナマモノがご挨拶くれそうな雰囲気マッチョじゃねぇか、などと思う。僅かに開けた場所に出た時など、来やがれと呟きかけた程だ。
 多分にして、そういった思考は風に乗って流れていって、どこかで呼応して戻ってくるのだ。
 だから、その場所を突っ切ってまた木々の中へ入ろうかという時に、木陰から子供の背丈ほどの、星か楓かいまいち判断のつかない黄橙のそれが現れたとしても、何ら不思議ではなかった。のったりとした舞い散る落ち葉に全く似ない動作でそれは一歩を踏み出し、陽の当る場所へ出る。
 先頭を歩いていたシルフェはまぁ、と一言洩らして後退する。それの怪しさに驚いてというよりは、戦いを得意としていないからだろう。何も起こらなければ良かったですのに、との気持ちが大きい。
 本体の中央上部の葉脈と思われる凹凸が、目か口かあるいは眉かといったものになっているようで、それにギロリと一瞥された時には、アレスディアは溜息を洩らした。突然変異をするのは別段構わない。しかしもう少しまともな変異の仕方はないものだろうか。
 ちらりとオーマに視線をやれば、爽やかなほどに黒い笑顔を浮かべて大歓迎というようだった。
 安全圏へさがるシルフェにネィラを任せて、スルトはそれに視線を戻した。その瞬間、吹き上げられる落ち葉の勢いで、それは不意に一同の中心めがけて飛び上がる。落ちる勢いを利用して、蹴りかあるいは踵落しを繰り出した。
 飛び退き様に腰に帯びたダガーの片方に手をかけ、スルトは周囲に意識をめぐらせる。こんなものが二体も三体もうろうろしていた日には、夢だとでも思う方が賢明な気はするが。
「大丈夫……居ない」
 同じように耳を澄まして様子を伺っていた黒兎が、持ち前の聴力で判断して、眼前の一体に集中する。戦わずに終われないかな、と思う。食べ物で誤魔化せればよいのに、と。
「こらこら、いけねぇなぁ」
 声を掛けてオーマは人面紅葉――と名付けたそれの前に立つ。子供の前で殺生は、と言いさしたアレスディアに、ひらひらと下僕主夫特製桃色らびゅ〜んギラリマッチョおやつを振ってみせた。もちろん休憩時に出していた桃色のおやつである。
「頼りにして良いのかしら」
 変なのーと俄かにはしゃぐネィラの手を引いて距離をおく。いざとなれば水を出して――何が出来るかしら。人を癒すしかできませんもの、とペンダントに形を変えている海皇玉に手を当てた。
「――大丈夫なのですか?」
 任せてしまって、と続けてスルトは、ダガーを抜かないまでも戦える位置につく。相手を真剣に見据えても気が抜けてしまいそうだった。
「ま、ま、ここは腹黒桃色親父にお任せ筋全開で」
 軽く請け負って、再び体当たりに近い蹴りを繰り出す人面紅葉と対峙する。マッチョおやつを示して魅了手懐けを試み、続けさまに腹黒同盟への勧誘。それを振り切って掬い上げるような突きを繰り出してきたのを片手で逸らして、カウンター狙いで親父愛秘奥義悶絶美筋抱擁アタックをかける。
 僅かの隙にアタックから逃れたそれに、ネィラの声援に後押しされて再び迫り――。
「お疲れさまです、と言うべきところでしょうか」
 人面紅葉が泣いて逃走したのを確認して、ソルトは苦笑混じりに労った。オーマはやや悲しそうに、いつでも歓迎マッチョだぜ、と遠くに消える人面紅葉に叫んでいる。

 こちらから呼んだ気がする危険が去ってからは、再びゆるりとした時間が流れている。
 反して、徐々に深い森の中へと進んで足元は安定に欠け、勾配も加わって歩き辛さは増していた。
 高さを失いつつある陽は高い木々に隠され、周囲は早くも薄闇が漂い始めている。風は急に冷たさを増して、昼時には感じなかった冬の訪れを予期させた。かさ、と散った落ち葉の音すら寒々しく響く。視線は自然と下を向き、長い沈黙が支配することもままあった。
 ゆるゆると上る斜面をしばらく進んで、登りきった場所で足を止めた。その視線の先に、街があった。
 決して大きな町ではなかったが、高い塔も見受けられる建物の密度の高い街だった。それをやや見下ろして、直前まで気付かなかったのは、街全体を蔦が覆いつくしているからだろうか。暮れつつある空と森の中で、夕陽を受けて緑が鮮やかだった。
 ほぅ、と誰かの口から小さく吐息が滑る。
「あの街ですか?」
 同じように立ち止まって、少女は街を見下ろす。ここにいるかなぁと思うと、嬉しくて笑みが零れた。捜しているのは大切な人だ。ネィラを初めてネィラと呼んだ人物。見失って、どれくらい経つのだろう。その時間より、その事実の方が少女には寂しく思える。
「うん。やっと会えるの」
「暗くなってしまう前に街へ入ろう」
 背を押されて、少女はまた歩みを進める。一歩ごとに嬉しくて、けれど一歩ごとにどこか切なかった。
 まっすぐに下って、堅牢そうな隔壁に沿って移動する。見た限りでは街への入り口は一箇所のようだった。
 隔壁にぽかりと空いたアーチ状の穴が、街の内部へと続いている。門を持たないその通路は、けれどやけに閉ざされた雰囲気を放った。白い壁を覆い尽くすように蔦が這っているからだろうか。烏瓜を思わせる赤い灯が疎らに灯されて、薄ぼんやりと照らしていた。
「静か……」
 過ぎるくらいに。足音さえ吸い込まれて、地を這う葉は絨毯のようだ。
「眠っているみたいですね」
 ぽつり、と呟かれた言葉も響かずに落ちてゆく。
 上に建物が建っていて長めの通路をそれ以上に長く感じながら、少女を先頭にして、抜けた先――、
「お待ちしておりました」
 鮮やかな金の髪をすとんと垂らしたひとりの女性が、静かに一礼して出迎えた。夕陽を受けて金の髪が透けて見える。
「姐さんがネィラの探し人かい?」
「――いいえ。けれど、同じことです」
 僅かに目を見開き、すぐに元の表情を取り戻して女性は続ける。同じ、とはどういう意味だろう。けれど疑問は言葉にならない。
「……セノアリアは、もう行きなさい。――あなた方は、こちらへ。ご案内しましょう」
 前半の言葉は明らかにネィラに向けられていて、彼女も承知しているのか、小さく頷いた。そうしておいて、くるりと頭上の葉を躍らせて振り返る。
「えっと。一緒に来てくれて、ありがとうございました」
 ぺこりとお辞儀をして笑うと、振り向いた時と同じにくるりとターンして、そのまま通りを駆けて行く。ふわ、と膨らんだ短めの髪と、蔦の葉の形を模したスカート部分が広がって、それが妙に目に焼きついた。
 ネィラ、と呼び止めた言葉は声になっただろうか。またねと言ったのは届いただろうか。
 濃橙から朱紅に色を変える空の縁が、街を覆う深緑の蔦に映えている。空の高いところは既に藍色を帯びていて、まばらに煌く星も見えていた。塔の端には欠けた月が引っ掛かって、落ちる陽を笑っている。
 ざぁ、と蔦の葉を鳴らした風が連れてくるのは、冬だけだろうか。


■登場人物■
1953/オーマ・シュヴァルツ
 男性/39歳(外見)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り
2622/スルト・K・レオンハート
 男性/19歳(外見)/護人
2906/黒兎
 男性/10歳(外見)/パティシエ
2919/アレスディア・ヴォルフリート
 女性/18歳/ルーンアームナイト
2994/シルフェ
 女性/17歳/水操師
NPC/ネィラ・セノアリア
 無性/5歳(外見)/ロスティーヴィ

■ライター通信■
「どんな夢を見ているのですか、ネィラム?」
 街へ到着したばかりのアイヴィに彼は声をかけた。幼い少女の姿をしたそれは、眠っている。
「幸せなのですね」
 穏やかな表情だった。おおよそ此処へ辿り着くそれらは、一夜目を泣いて過すものだ。
 揺り籠、と彼が呼ぶ寝台の上には、小さな赤い実が袋から零れて散っている。うずくまる様に眠る少女の手には、薄橙の実。そして、黒い冊子。
「大切なものが多いのですね」
 良い夢を――。そう残して彼は去った。