<東京怪談ノベル(シングル)>
花愛でる人
●紫苑
穏やかを絵に描いたような昼下がり。
オーマ・シュヴァルツは自室にて1人、篭っていた。
部屋の片隅には明り取り用の窓を背にして、どっしりと大きな木製のデスクが据えられている。
机上は思いの他、整頓されており、一輪挿しに季節の花すら生けられていた。
紫苑である。小さな紫色の花弁をいくつも付けたそれは今朝、自宅の花壇より一掴み摘み取ったものだ。
花姿は決して人目を惹きつけるようなものではない。
可憐ともまた違う。
しいて表現するならば、趣があるとでもいおうか。とにかく、素朴で儚げな色形が、また良い。
今まで机に向かって読み耽っていた医学書から目を離し、暫し紫苑を眺める。それから、すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。
……当然のことながら、お世辞にも美味しいとは言いかねる味だ。
世間にはアイスコーヒーなどというものだってあるというのに、なぜホットコーヒーが冷めると、こうも美味しいと感じないのか。
人の味覚もあまりあてにはならないものだと、自然、苦い笑いがこぼれた。
気分転換に外に出、まずは空に向かって両手をぐっと伸ばす。
仰げば、白に近い薄い青が天に広がっている。秋の風景が何となく物寂しく感じてしまうのは、この空の色のせいでもあるのだろう。
陽は差していても、外気は冷ややかであった。先程まで眠気が襲って来ていたのだが、何度か深呼吸しているうちに、やがてそれも吹っ飛んでしまう。
ふと、庭の片隅を見やる。
紫苑が一叢、微かにこうべを揺らしている。一輪挿しの紫苑を拝借したのも、こちらからであった。
花を愛でる。
純粋に、美しいと思う。
当たり前の行為を当たり前に行い、当たり前の幸せに浸る。
ソーンとはまた別の世界にいた頃には到底考えられない日常に今、彼は在る。
ヴァレルの裾が、秋風に揺れた。
ヴァレル――すなわち、ヴァンサーの証である。
●異世界の原理、その規則
『ヴァレル』とは何かを説明する前に、まずは『ヴァンサー』について語りたいと思う。
先述の通り、このオーマなる御仁は元々、ソーン外の世界よりやってきた種族である。
異世界ゼノビアにて、八千年という気の遠くなる程の歴史を誇る国際防衛特務機関ヴァンサーソサエティ。
己の精神力を具現化せし力を持つ異端の中でも特に特化した者をヴァンサーといい、ヴァンサーソサエティはそれらを統括する位置にある。オーマもヴァンサーの1人として、この機関に所属していた。
特筆すべきは、ヴァンサーの具現化能力であろう。羨望の光を浴びると同時に、非常に強力過ぎるが故、忌み嫌われ畏怖されし象徴でもある。あるいは、ヴァンサーたる必然的な定めといっても良い。
悲しき宿命を背負いつつも、同類の具現能力を持つ『ウォズ』に対抗出来得る唯一の存在であるのもまた事実。彼らは『ウォズ』の世界と化したゼノビアの人工浮遊大陸『ゼノスフィア』を守護するという大儀を担っているのである。
このヴァンサー達が身に纏っている専用戦闘服を、ヴァレルという。
ゼノビアでは、具現は全ての存在と法則理念概念が異なる。ただ、その力を揮えば『ウォズ』を屠りし禁忌に等しき代償を、己と全ての在りしものに及ぼす。
よって具現発動時にそれら全てが消滅しないための封印的な力を持ったヴァレルこそ、絶対不可欠なのである。蛇足ながら着用しない状態での具現は、着用時のそれを遥かに凌駕するがために禁忌とされていた。
ヴァレルは具現発動時、ヴァンサーが正式にソサエティに認められた際、身に刻まれるタトゥを媒介として具現召喚により着用するものだ。無論、ヴァレルからちらりと覗くオーマの胸元にも、タトゥはしっかり刻まれている。
先に「ヴァレルは専用戦闘服」と説明したが、ここソーンでは、具現はゼノビア以上に全てへの異たる侵食が強く、オーマ達はそれを防ぐため基本的に常にヴァレル姿を心掛けていた。いや、例えヴァレルを着用せねばならない根本的な理由がなかったとしても、やはりオーマは纏っていたに違いない。彼のそれは、ヴァンサーと異なる精神感応型具現能力者『ヴァレルマイスター』の作品であったのだから。
●追憶
オーマはアルマ通りを歩いている。
通りに沿って規則正しく植えられた落葉樹は、既に紅葉が始まっていた。
さて、ぶらり散策と洒落込んだのだが、特に目的があるわけではない。ただ、路上に軒を連ねた出店を見て回っていたのだ。
と、馴染みの店員が声をかけてくる。
「おお、オーマじゃないか。久しぶりだな、おい!」
頭のてっぺんが見事に禿げ上がった初老の男性――店主が、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべている。
軽く手を上げて、挨拶を交わす。
「景気はどうだい?」
「ぼちぼちってところかね」
お定まりの文句を言い合った後、店主が「そういえば」と商売道具を詰め込んだ麻袋をごそごそし始める。何の気なしにその光景を眺めていたオーマは、やがて後悔することとなった。
「ほら、これなんかどうだい? 海の向こうの異国から流れてきたものなんだがね、この宝石がちょっと珍しいだろう」
そう言って商品の1つをオーマに差し出した。
見事な玉簪であった。
鼈甲に波の細工が施され、頭には球状に加工された赤黒い珊瑚が配されている。これを血赤珊瑚という。一般的にはあまり大きくならない種類である。そのため、10ミリ以上のものは特に希少価値が高いのだが、この目の前の品は優に10ミリを超えている。
商売上手な店主だ。
「ったく、かなわねえなぁ、あんたにゃ」
溜息をつきながらも、オーマはついつい財布を取り出していた。これでは店主の思う壺であるのだが……。
「毎度ありぃ!」
今にも揉み手しそうな店主の満面の笑顔に見送られて、オーマは再びアルマ通りを歩く。
簪をかざしてみた。
柔らかな陽光を一身に受け、きらりと反射したそれが、オーマの瞳を軽く射る。
この珊瑚の美しさを前にしては、この世の全ての赤が皆、偽物に見えてくる。
もっとも、大した持ち合わせがあるわけでもないのに衝動買いをしてしまったのは、珊瑚の美しさからだけではない。
ふいにあの人の面影を思い出したからであった。
簪を見つめていると、今にも意味深な色を含みながら、オーマを呼ぶ彼女の声が聞こえてきそうだ。
「ま、財布を落としたと思えば、これもまた安い買い物だろ。なぁ?」
半分、自分自身に言い聞かせるつもりでぽつりと呟くその言葉は、誰も答えてくれぬ代わりに大気へ溶けていく。
これは再会した時の手土産として、デスクの引き出しにでもしまっておこう。
軽い足取りで一昔前の流行りの歌を口ずさむ。
やがて、オーマの姿は通りの向こうへと消えて行った。
―End―
【ライター通信】
こんにちは。ライターの日凪ユウト(ひなぎ・―)です。 お世話になっております。
この度は、シチュノベ(シングル)をご発注いただきまして、誠に有り難うございます。そして、お疲れ様でした。
「ヴァレルを題材にしたお話」ということで、発注内容を大変興味深く拝見させていただきました。オーマさんのPC設定やプレイングは細部までしっかりと作り上げられており、毎度のことながら感心してしまいます。
今回、ストーリー自体はお任せとのこと。では季節感を取り入れてみようかと、自然(紫苑)の描写が多めですが、いかがでしたでしょうか。
なお、違和感などありましたら、テラコンにて遠慮なく著者までお申し付け下さいませ。
それでは、またご縁がありましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2005/11/11
日凪ユウト
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