<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
永劫の償い
二頭立ての馬車が、がらごろと道を走っている。その上で揺られているのは、二人の男女――ご機嫌な様子で深まる秋の景色を楽しんでいるユンナと、どこか腑に落ちない顔をして馬車から覗き見える御者の後頭部にじっと視線を注ぎつづけるジュダ。
この間とほとんど変わらないシチュエーションながら、馬車に刻まれている家紋は王宮のものではなく、とある裕福な事で知られる貴族のもの。当然のように内装も凝っており、揺れる割にはクッションが効いていてあまり激しく揺れを感じずにいる。
どういうつてを使ったのか、ユンナはこの専用馬車を御者付きで借り出して来ていた。
……それは、遡る事数刻前。
「静養にとってもいいって言われてる温泉地を見つけたの。行きましょ? 行くわよね? ジュダのためなんだから、ね?」
街じゅうを駆け回って探したのだろうか。
普段なら決して粗末になどしない自分の真っ白い手を秋の日の冷たさで赤くしながら、ジュダの手を取って半ば無理やり立たせるユンナ。
「……」
何か言おうとしたジュダだったが、その口が開いて言葉になる前に、ジュダはユンナに馬車の中へと押し込まれており、今の状況へと繋がっていると言う訳である。
ユンナが、こうまでして必死になるのには理由がある。
つい先日、少し前に受けた恩を返そうと、王宮からの招待状にかこつけてジュダを舞踏会に連れて行ったまでは良かったのだが、その舞踏会のさなかにジュダが倒れてしまうというアクシデントが起こった。
立ちくらみのような軽いものでは無かった筈の倒れようにしては、回復した後のジュダはいつもと変わりなく、やや不審を抱かずにはいられなかったが、それでも少しでも体の足しになれば、とユンナならではの静養方法を考え、調べていたものらしい。
「……ハルフにでも行くのか?」
「いいえ。温泉と言えばそこなのは分かってるんだけどね。今回行くのは、あまり一般的じゃない場所にあるの」
静かで良い所らしいわよ、とユンナがジュダの顔色がこの間よりも良い事にほっとした表情を見せて、にこりと笑いかけた。
それから、幾分緊張した、けれどもそう心地悪くは無い沈黙の時が長い間続き、
「着きましたよ」
御者台から降り立った男が、足台を扉の下に置いて二人を降ろし、
「それでは、お帰りの頃伺います。――良い休息を」
上品な笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「ここよ。富裕層の言わば『隠れ家』ね」
がらごろと馬車が去って行く音を背中に聞きながら、林の中に細く続いている道に立つユンナ。そこは一見して獣道のようでありながら、良く見れば丁寧に手入れされ、作られた細道だと分かる。
「行きましょ」
手ぶらのジュダに、珍しく自分で自分の荷物を持ったユンナが言葉を掛けて先に立って歩き出した。
*****
歩いて間もなく、それまでまるで見えなかった広い敷地に作られた建物が突如現れて戸惑いながらも中に入ると、予想通りあっさりと宿が取れて「ね?」とユンナがジュダを見返した。
「――こちらのお部屋になります。少々離れたところに共用の浴場もございますが、各お部屋にも内風呂と露天風呂が設えてありますので、そちらでもごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
しっとりとした雰囲気の女性が柔らかに微笑むと、手入れの良い広い部屋へ二人を案内して下がって行く。
「わあ、見てみて。凄い景色」
林の中にひっそりと隠れるように作られたこの建物は、宿泊部屋からの景色にも相当気遣ったものらしい。
窓から見える視界の中に、紅葉を散りばめた風情のある滝があった。
よく耳をすませば、どうどうと滝壷へ流れ落ちる音が低く響いているのが分かる。が、それすらも心地良い音となるように、距離感も眺めもかなり配慮されているのがよく分かる。
「すぐ近くには専用の狩場もあるみたいで、狩猟を楽しむために来る人もいるんですって」
少し肌寒いながらも、その風景を見ていたいと窓を全開にして微笑むユンナ。
「……ここは、どういう場所なんだ?」
ようやく、ジュダがそんな言葉を発したのを聞いて、そう言えば言ってなかったとユンナが微苦笑を浮かべた。
この地は知るひとぞ知る温泉地であり、ここに建つ旅館のみがその源泉を持つ隠れ里のような作りになっている。
主な利用客は、喧騒や取り巻きから逃れたいと思っている貴族や豪商、王族など。
ごくまれに、一生の思い出に、と一般客も来る事があるようだが、馬車でも使わなければ街から少々遠い位置にあると言う事と、頻繁に訪れない客を最高級のおもてなしで迎えるために、その値段が相場を大きく超えているという事から、利用しようとしても滅多に出来るものではなかった。
「でね、そんな場所をお得意様から教えて貰ったっていうわけなの」
ソーンでも徐々に歌姫としての呼び名が高まっているユンナは、大衆の前で歌うよりも、貴族や豪商などのパーティの余興として呼ばれる事が多い。その中のひとりがユンナをいたく気に入ったらしく、四方山話をするうちにここの施設にまで言及したと言う訳だった。
「……高そうだな」
「あら。ジュダがそんな事を気にするなんて思わなかったわ」
くすっ、とユンナが笑って、「冗談よ」と続ける。
「安心して。馬車を貸してくれたひとが話を付けてくれているから、ここでの支払いは無いの。その代わり、暫くはその貴族の呼び出しを優先するっていう契約は結んであるわ」
当然それは只働きではなく、報酬付きの仕事。
それは、その貴族にとって、お抱えの歌姫――それも実力も見た目でもトップクラスのユンナを、暫くの間という制限付きであれ持つと言うのはステータスとして望む事であったため。丁度、互いの利害が一致したとも言える。だからこそ、気前良く招待という形でこの場所を教えてくれたのだろう。
「ここまで良い雰囲気なら次は自腹でも良いわねえ」
弾んだ声のユンナ。その言葉に反論は無いものの、支払いの事を思ってか、ジュダからの応えは無かった。
*****
部屋に付いて景色を眺め、一息付いた後。せっかく温泉に来たのだから、とはしゃいだ様子のユンナが各部屋に設えてある家族風呂サイズの露天風呂に入ろうと湯船を覗きに行って戻った後、ようやくジュダと二人きりで室内にいる事に気付いたように口数が妙に少なくなっていった。
「どうした?」
「え……う、ううん、何でも」
湯上り衣装もタオルも揃えておいて、何故か気恥ずかしそうにしているユンナへ、
「……入りたければ入ればいい。今更恥じる程のものでもないだろう?」
ほんの僅か、語尾を上げてジュダが言った。まるで、からかうように。
その言葉にユンナがむうっとちょっとだけ頬を膨らませ、少し無言の時間の後、二人は静かに湯船の中に使って外を眺めていた。
「……綺麗ね……」
二人の間に流れるそこはかとない緊張感を消し去るように、ことさらに情感を込めてユンナが呟く。
外は、一面の紅葉。はらはらと舞い落ちる様は風の中を踊るようで、音も無く地面を染めて行くそれは、怖いくらい引き込まれそうな色をしていた。
「……」
ふうっ、と、ため息なのか何なのか良く分からない息を吐くジュダ。
その目はどこか遠い所を見ているようで、ユンナにはその中を覗きこむだけの勇気は無い。踏み込んでしまえば、二度と戻れなくなりそうな、そんな予感があった。
そういえば……と、ユンナがふと遥か遠い昔の事を思い出す。
空飛ぶ大陸には、作り上げられた文字通り人工の自然しかなかった。合成で出来上がった、ただ空気を浄化し、循環するだけの機械が都市のあちこちに配され、目を潤す緑の木々などは金持ちの温室の中でしか目にする機会が無かった。
そんな中、ジュダは独自の技術で過去大地に置き去りにされた植物たちの蘇生研究を行っていた。その中に、小さな小さな紅葉の木があった事を、急に思い出したのだ。
その木は、大事に育てすぎたために、逆に綺麗に色付く事無く枯れてしまったのだけれど。
――ジュダも、その時の事を思い出しているのだろうか。
いつになくしんみりとした様子の彼の目を見れば、目の前の光景に何か心惹かれるものがあるように見えるのだが。
「……」
こんな時に、相手の心を透かし見る力があれば良いのに。
そんな事を考えたユンナが、ジュダの横顔を見ながら微苦笑を浮かべた。
*****
紅葉を見てみたいと、生きた木の姿を見たいと、そう望んだのは、生涯を通して共に過ごしたいと誓った彼女。
その実験が成功したか否か、その辺りを思い出そうとするといつも頭に靄が掛かってしまうのだが……それでも。あの日見た笑顔は、真実だったのだろう。
*****
早めの夕食を終え、宿の者の勧めもあって二人が訪れたのは、窓から見た景色の中。
どうどうと水が絶え間なく落ちる滝は意外に大きく、淵に近づいても手に触れるのはその細かな飛沫だけ。
「ここが縁結びの滝だなんて、不思議な名前ね」
好奇心にかられ、ユンナがその謂れを聞いていたために、どこかしんみりとした調子で呟く。
――昔。
この辺りにまだ村があり、人が暮らしていた時代の事。
一組の男女が、互いに愛し合い、惹かれあっていた。
だが――その恋が現実のものとなる事は無かった。何故なら、そこにはどうする事も出来ない壁が立ちはだかっていたから。
そう。
その二人は、決して結ばれてはならない血の繋がりを持った、実の兄妹だった。
結局は家族に知られ、同時に他家の者との縁組を無理やり整えられてしまうのだが、婚礼の日が近づいたある夜、二人は――永遠の絆を求め、この滝へと身を投じてしまう。
そして、二人のなきがらが淵に上がる事は無かった。
その逸話が巡り巡って、現在は二人の想いと絆の強さを滝に結び付け、想い人との縁を繋いで貰おうと、縁結びの滝と呼ばれるようになったらしい。
「……幸せ……だったのかしら、ね」
血縁と言う禁忌を犯してまでも貫きたかったものは、愛と名付けて良いのだろうか。
そんな事を考えて神妙な面持ちになったユンナに、ジュダはしかし何も答えなかった。
「――あら」
そこから暫く歩くと、急に懐かしい人に出会ったような、嬉しそうな声をユンナが上げる。
「こんなところにまで根付いたのね」
それは、ルベリアの花々。この季節になっても尚、枯れる様子は無く元気に花を咲かせる様は、先程の少し沈んだ心を浮き上がらせるのには十分だった。
「これも不思議な花よね。異世界に来て、しっかりと根付いたものは、本当はこの花だけなのかもしれないわ。不安定な私たちと違って、ね」
「……そうかも、しれないな」
自分たちが異端であると、自分たちも思っている以上、どの世界に於いても異質な存在である事には違いない。
それが、例え無償で受け入れてくれたとしてもだ。
自分たちの罪を、忘れる事など出来はしないのだから。
*****
「……」
ルベリアの園に、ユンナが子どものように丸まって眠っている。
少し口が軽くなったジュダと話しているうちに眠くなったものらしく、無防備そのものの表情で、ジュダの隣でぴったりと身体をくっ付けて眠っているユンナを、ジュダは静かに見下ろしていた。
――あの二人は悲恋に終わった。が、成就させた者がいたとしたら、それは――罪なのだろうか。
罪には違いない。原初から、許される事の無い禁忌として、それは大いなる罰を確実に与え続けて来た。知らず、愛し合ったとしても、知らぬ事が免罪符になりはしなかったのだから。
「……」
さらり、とジュダの指先がユンナの髪に触れる。
『彼女』を愛してしまった事が、そしてその結果、一人の無垢な罪びとを誕生させてしまった事が、間違っている、とは今も思っていない。
後悔もしていない。したとしたら、それは愛してしまった自分の心をも否定する事に繋がってしまう。そこまで自分に嘘は付けない――が、その事によって生まれた『罪』は、償わなければならないと思う。
最も。
ジュダは、全てを一人で背負うつもりなど最初から無かった。何もかも背負えると思うのは、浅はかな傲慢でしかないと思う。――だから。
自分に課せられた罰は、ただ、見守る事のみ。
運命に手を入れる事も、定められた明日を変える事も、すべきではないと知っているから、ジュダはただ、見詰めて来た。何もかもを……正しきも間違いも無く、そこにあるモノ全てを。そうして、其々の選び抜いた道を、自分の心の動きと重なろうが、或いは逆らおうが、それら全てを『認める』事で、自存在を確立して来たのだから。
もしその事で、自分たちの世界が滅んでしまう事となっても、或いは奇跡のように救われる事があっても、どちらも受け入れるべき定めと、ジュダは知っている。
自分はただの道標だと。
問いは既に投げかけられている。その答えがいかなるものであっても、自分はそれに沿うように導くのみだ――と。
「……ユンナ」
彼女を起こさぬように、そっと、その名を口にする。
それは、苦味と甘味を伴った名前。
何もかもを決めた筈なのに、彼女を前にすると揺らぐ自分がいる。あの、最後の晩もそうだった。伝えるべき事は告げられず、己が望みのままに抱き締めてしまったあの晩は、今も自らを戒めるために、心の深い部分に刻み込んでいる。
そして、今も。
愛しい女へ、口を寄せようとして――ジュダが自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……心を決めきれていないのは……俺自身なのかもしれないな」
いつかは、真実を知らせなければいけないと言うのに。
知られなければ良いと今でも思っている自分が中にいる。
……本当は。
いつでも、この手に――腕の中に、置きたい程、愛しい――。
はらはらと、紅葉が木々の合間を縫って降り注いで来る。
それは、恋を叶えられなかった二人の流した血色の涙のように。
どの道を選んでも、避けられない愛しき者たちが流すであろう血のように。
眠りつづけるユンナを起こそうと伸ばす手を止めてしまう程、赤く赤く、静かに、地面へと降りて来ていた。
-END-
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