<東京怪談ノベル(シングル)>
Satan's child
人は「己」と違う者――つまりは他人を意識する傾向にある。それは好意であったり悪意であったり様々だが、それでも許容出来る範囲の違いであれば共存の道を歩んでいける。
しかしその他人が、未知なる力を有していたらそれは恐怖の対象となる。恐怖を抑え切れなければ、やがて排除しようと考えるだろう。自分達にとって正当な理由を弾き出し、それを掲げて断罪を行う。――そうやって己の心の安息を求めて、人は何度も繰り返す。
マリス=デスサイズの脳内にも、忌まわしき記憶が刻まれていた。
まだ、マリスがデスサイズの姓を持たなかった頃の話……。
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幼いマリスが育ったのは、僅かな農作物と家畜とで生活を送る町だった。規模はそこそこでけして寂れた印象は無いものの、これといった名産があるわけでも無い上に街道から逸れた場所に位置する為、ほとんど孤立していた。
人々も何の変哲もなく、極々普通。
日々は普遍。
生活から、宗教から、人々から、全てが逸脱したものを持たない。
故にマリスの存在はある種の禁忌だった。
変化に乏しい町で当たり前に生きてきた人々にとって、霊感等といった能力は認めていても自身らには遠く関わり無い事。
マリスとしては会話をしているつもりでいても、町民から見れば何もない空間で独り言を喋る気味の悪い子と映った。
それでも優しい両親の愛情に庇われ、怯えながらもまだ幸せを感じられた。
「悪魔の子」と密かに呼ばれても、石を投げられても、理不尽な悪意に晒されても、それでも温かい手は直ぐ近くでマリスを守っていてくれたから。
けれど、悪夢はやって来た。
町に突如として疫病が蔓延したのだ。外から来たものは何も無かったのに、一体どこから来たのか――しかしそんな疑問を抱く暇も無く、人々は次々と病に倒れた。
薬草は利かなかった。
発病したものは三日三晩高熱に苦しみ、最後には体を掻き毟って肌を裂き、もがきながら死んだ。
原因が分からない。治療法が分からない。あざ笑うかの様に少しずつ町を侵していくそれに、人々は冷静を失っていった。
「何故こんな事に!!」
「何が主を怒らせた!?」
「何が町を変えた!?」
「何故我等がこんな目に……っ!!」
怒りの矛先は当然というべきなのか、マリスに向いた。
「普遍を違えたのは誰だ!?」
彼らの知る限りそれは、マリスの生誕が始まりだった。
「悪魔の子が原因ならば、アレを殺せば……」
「そうだ、アレを殺せば我等は救われる!!」
「そうだそうだ!!」
集団心理とは恐ろしいもので、そうやって一気に邪悪な思想は広がった。
動ける者は皆鉈や包丁、鎌を手にマリスの家へと詰め寄った。
荒々しく扉が開けられるオト。
窓が割れるオト。
お母さんのヒメイ。
お父さんのサケビ。
マリスは穏やかな眠りから無理矢理に引き剥がされた。
がたがたと震えて部屋の隅で蹲っていると、両親が飛んできてマリスを抱き締めた。滂沱の涙を流すマリスの青い目に、狂った様に暴れる悪鬼の集団が映った。
ダイジョウブ、コワクナイ。
母親が耳元で呟く声が、右から左へ通り過ぎた。
ダイジョウブ、マモルカラ。
父親の力強い腕が、するりと離れた気がした。
突然、縋り付ける全てが消失したような感覚に襲われて、マリスは悲鳴を上げる。
喉から走った奇声に一瞬町民が怯んだ。
父親に抱きかかえられて、三人は家を飛び出した。
荒いイキヅカイ。
小さなオエツ。
煩いシンゾウ。
これは悪い夢だ。今まで見た中で一番の、ただの悪い夢だ。
向けられた殺意にマリスは心から怯えて、そして何処かで逃避した。
ダイジョウブ。
ダイジョウブ。
何時もは安心できる筈のその言葉が、ただの硬質な異音としか聞き取れなかったのに。
マリスはそれでも、その言葉に縋り付いた。
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追ってくるよ。
近づいてくるよ。
終わりの時がやってくるよ。
悲鳴を上げながらマリスは、近づいてくる大きな手を必死に振り払った。
けれど男が投げた鉈が父親の足を捉え、父親は呻いて倒れた。その腕から投げ出されたマリスを、母親が抱き締めて蹲る。
その上に父親の圧力。
歯の根をがたがたと震わせて、それでも目を逸らす事が出来ず、周りを囲む影を暗闇の中でマリスは見つめていた。
コワイ。
コワイ。
脳裏を占めるのは恐怖ばかり。
影が大きく振りかぶる。
「ぐぅっ」
お父さんのウメキ。
「やめてぇっ!!!」
お母さんのコンガン。
「悪魔の子を渡せぇ!!!!」
お隣のオジサン。
「殺してやるっ!殺してやるぅ!!!」
花屋のオバサン。
みんな、みーんな夢の話。怖い、恐ろしい、夢の話。
母親の腕から投げ出されて、マリスは坂を転がり落ちた。顔を上げると人間に飲み込まれる母親の顔。
唇が動いて、マリスに言う。
声は聞こえない。自分の心臓の音が五月蝿くて、声は聞こえない。
「ニゲテ――ッ」
唇が音を象った。けれどもマリスの耳を右から左へ。
足ががくがくと震える。マリスは動けない。
オカアサン。
オトウサン。
喉元まで出掛かった声は異音にかき消された。
ゴン。ガン。バン。ゴン。ザシュザシュ。ゴキ。ゴン。バキ。ビシュ。ゴン。バン。ビシュ。ザシュ。ガン。ゴン。ゴン。ゴン。グシュ。ドス。バキ。バキ。ゴン。グチャ。グチャ。グチャ。ゴン。グチャ。バキ。グチャ。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――。
真っ赤な液体が町民の足の間から流れ出て、坂を下りながら広がる。
マリスはその色を何処かで見た事があった。
綺麗な色。命の色。
月の光を映して、妖しく光る筋がマリスめがけて下りてくる。
真っ直ぐに見つめる町民の体が離れると、筋の根元が見て取れた。
マリスは一瞬目を見開いて、硬直した。
そこには、大好きな両親の姿は無かった。真っ赤に塗れて晒されるのは、肉塊。白い骨を所々に生やして、原型を留め無い程叩き潰された両親のナレの果て。
それを両親だと思えたのは辛うじて人間をあらわす母親の指と、その長い指に嵌った見慣れた指輪――それから、昨日食べた家畜の事を思い出したからだった。父親が豚を潰しているのを、怖いながらも覗き見た日。
なめし叩いた豚肉を、美味しいと思った日。
オイシイと言って。
喉元を競り上がった嘔吐感を吐き出して、マリスは再び悲鳴を上げた。
胃の腑からこみ上げて酸っぱいものが口の中に広がる。涙と混ざって両親の血の上を汚し、その息苦しさがマリスに現実を教えた。
夢ではない。
夢ではけしてないと。
恐ろしさのあまり両足はがくがくと震えていたが、マリスは何とか立ち上がって駆出した。涙で前方が霞む。
追いかけてくる足音に後ろを振り向く事も出来ない。
何処へ行こう。何処へ行ったらいい。
優しい手を失って、マリスは瓦解していく足元を感じた。上手く走れずに転んでからやっと、己の体の異変に気づく事が出来た。
心臓のすぐ下に、竹槍が刺さっていた。背中から一本、体の中心を真っ直ぐに射抜いている。
致命傷だった。
痛みは感じられない。けれど逃げられない。必死に手足を動かして何とか進もうと試みるものも、その動きは遅々としたものだった。
「ひゃうっ」
容赦の無い力で髪の毛を引っ張られて、体が仰け反る。
開いた瞳に憎悪に燃える町民が見えた。何時も感じていたそれより更に凄みを増して、マリスを襲う。
最早何処が痛いのかも分からない。顔、腹、足、怪我を負った部位まで、あらゆる所に際限無い痛みが走る。
町民は狂気を孕んだ声で「殺せ」と声高に叫ぶ。歌っている様にも見えた。
何にせよマリスには、とても禍々しいものに感じられた。
それだけだった。
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何時の間に意識を失っていたのか、マリスが次に見る事が出来たのは真白な世界だった。痛みは感じられない。ただ――優しい光の中をたゆたっている気分だった。
涙が流れるのは、ただただ愛しく感じるからだった。
やがて流れる様にマリスの今まで生きた日々が鮮やかに生まれ、通り過ぎていく。
優しい両親。母親の作るおいしいスープ。マリスの部屋。夜、本を読んでくれる父親。月の光。お日様の匂い。生まれたばかりのマリスを抱き締めてくれる温もり。何時も何時も傍らにあった優しくて大きな手。
当たり前の様にあって、気付かなかった深い愛しさ。
もう戻れない愛しい日々。
最後の日がトラッシュバックする。
肉塊に変じた両親。今まさに、マリスの命さえ刈り取った人々が、涙しながら喜ぶ姿。マリスの死体を前に、「悪魔の子の死」を称える者達。
恐ろしい、夢のような現実。
幼いマリスはその恐怖に、全身の毛を逆立てた。
その時だった。
光源を纏った何かが、マリスの手に触れたのだ。それはマリスは欲しいと思った。欲しいと、心の奥底から。
そう思った瞬間、足元から暗闇に飲み込まれる。
「――あっ……」
必死に伸ばした手に握りこんだ『ソレ』が、笑ったように思えた。
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立ち上がったマリスを、彼らは不思議そうに見た。そして恐怖した。
折れた手足が、皮膚を突き破った骨が、目の前で再生する。くり貫かれた眼窩には、燃えるような炎の色が宿り、黒髪を逆立てて、奇妙な程の無表情を恐ろしく彩っていた。
その右手には黒光りする金属で出来た、ねじくれた鑓。その周りにはうねる赤い妖気を纏っている。
子供の得物にしては特異なものなれど、マリスの手にはしっくりと馴染む。
マリスはそれを、躊躇い無く振るった。
殺さなければ殺される。両目から一筋二筋と涙を流しながら、恐怖に染まった心は、それをマリスに許した。
狩る者から狩られる者へ見事に変貌したマリスから、町民達はおののきながら逃げ惑う。
その背を追撃し、マリスは命の全てを刈り取った。
「悪魔の子!!」
「恐ろしき化け物め!!」
慣れしたんだ言葉も耳朶に染み込む事は無い。
後は――惨劇だった。
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夢中だった。ただ夢中だった。
だから夜が明けて、死体の山の上で膝を抱えた時、胸に抱いた感情が怒りなのか喜びなのか悲しみなのか、虚しさなのかさえわからなかった。
それでもマリスは立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。
何処へ行くのか、何処へ行けばいいのか。
何もわからないけれど、マリスは去った。
旅立ちだったのか、逃走だったのか。
それはマリスの胸の中にだけ。
誰にも暴かれず公的にされなかった事件は、今はもうマリスの胸の中にだけ。
――まだ、マリスがデスサイズの姓を持たなかった頃の話……。
END
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初めまして。この度は発注ありがとうございました。
そして大変遅くなりまして申し訳御座いませんでした。
これに懲りずまたどこかでお会い頂けると嬉しいのですが――精進します。
有難う御座いました。
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