<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
紅玉の首飾り
【0】
月が冴え冴えと輝く夜。
穏やかな夜気に包まれ眠りに落ちる街もあれば、今が盛りと咲き誇る華もある。
ソーンでも名高い歓楽街――ベルファ通りもそのひとつ。
酒と香水の匂い、酔客の歌声、女たちの嬌声。
天の星よりなお明るく、いくつもの灯りが通りを照らす。その一方で、追いやられた闇はそこかしこでより濃い影を作り上げていた。
黒羊亭もそんなベルファ通りに面した酒場のひとつだ。
比較的安全だとされる店だが、客は絶えない。今夜もどこか気だるいような穏やかさに混じって客の声が響いていた。
「あら、いらっしゃい」
黒羊亭で舞いを披露する傍ら、客の相手も務めているエスメラルダが顔を上げる。入ってきた客の姿に薄く微笑んだ。
「かっこいいお兄さんね。なにを飲むの?」
相手の男が返すように太く笑う。
褐色の肌に短い黒髪、海を覗き込んだような深い青の双眸。健康的な体躯は胸をさらし、腰布にはカトラスを差し込んでいる。体中に無数の切り傷があって、それがいっそう精悍さを増して見えた。
一見海賊のように見えるが――さて、本当のところはどうだろうか。
「人を探してる」
前置きもなしに言われた言葉に、エスメラルダは瞬いた。尋ね人か、とも思ったのだが。
「盗まれたものを取り戻すのに、人手が足りない。集められるか」
男の声にやや物騒な色が滲む。
どうも穏やかではなさそうだ。エスメラルダは目を細め、唇に笑みを乗せた。
「荒事ね?」
「たぶんな」
男が薄く唇を歪める。
からん、と飲み干されたグラスの中で氷が揺れた。空になったグラスがひとつ、男の隣に置かれる。
エスメラルダがカウンター越しに視線をやると、色素が抜け落ちたような白い肌の男がそこに立っていた。やや長い銀糸の前髪の間で、血のような赤い目が薄く笑う。片手にはビリヤードのキュー――ランディム=ロウファだ。
「気晴らしに遊びに来てみれば……仕事の斡旋か?」
「ええ、まさにこれからね。あなたもいかが?」
まるで酒の席にでも誘うような気安さである。
男は傍らに立つランディムを無遠慮に眺め、素直な感想を漏らした。
「……遊びじゃねぇからな」
「どういう意味だよ」
さすがに気を害したらしいランディムがまなじりを上げる。「遊びでそんなことやってたら命がいくつあっても足りないだろ」と舌打ちした。
「そりゃそうだが……細っこいからな。それに、ゲームしに来たんだろう?」
「あんたと比べるな。ついでに、これはゲームにしか使えない代物じゃない」
手の中でくるりとキューを回し、ランディムは目を細めた。
「ま、確かにゲーマー様の腕の見せ所だったんだけどな。場合が場合だってんなら協力するさ。人手がいるんだろ?」
「ああ。手伝ってくれるってんなら助かる。――悪かったな、口が滑った」
それ、謝ってるのか? とランディムは軽く笑った。
「まだ人数集めるんだろうけど――なにを盗まれたっていうんだ?」
「首飾りだ。紅玉をあしらった――骨董品ってやつさ。いい女なんだが気が強ぇうえにプライドも高くて扱いづらい」
「は?」
「だが仲間には違いねぇ。疵でもつけようもんならカーネリアンになにをされるか……」
愚痴めいた男の言葉に反応したのはランディムではなかった。
代価を払い席を立ちかけた娘が足を止め、話の出所を探るように男を凝視する。
「あら、アレスディア」
声をかけたのはエスメラルダだった。黒衣に身を包み、灰銀の髪を背に流した娘へ笑いかける。
その声にはっとしたのか、アレスディア・ヴォルフリートは気を取り直したように歩み寄ってきた。
「あなたも請ける?」
「……今、カーネリアン殿と聞こえたが」
「呼び捨てだったらな。知り合いか? ――いや、そんなわきゃねぇか」
男はゆるく首を振って否定すると、改めてアレスディアを見下ろした。
「てめぇも来るか? 盗品奪還によ」
アレスディアはしばし黙考するも、決意したように頷いた。繋がりがあるにせよないにせよ、だれかが助け手を必要としているのは確かなのだ。
「ああ。協力させていただこう」
「じゃあ二人目ね。もうすこし欲しいかしら。ええと……」
エスメラルダが店内を見渡す。
と、ちょうど扉が軋む音がして、エスメラルダは微笑んだ。
「キング! ちょっと」
不意にかけられた声に眉をひそめるも、入店してきた女は疑問を投げかけるより先に足をカウンターに向ける。艶やかな金髪に漆黒の軍服が美しく映えていた。かすかに漂う、これは煙草の匂いだろうか。
「なにか事でも?」
カウンターに集う顔触れになにかを感じたのか、そう切り出してくる。
エスメラルダは「話が早くて助かるわ」と唇に笑みを乗せた。
「こちら、依頼人の――……あら、名前聞いてないわね」
「あー、そういやそうだったな。シールだ。盗まれた首飾りを取り戻してもらいたい」
「ほう?」
簡潔に告げられた言葉に、金糸の女――キング=オセロットは片眉を上げた。目の前の男に、飾り気などとてもあるようには思えない。
「よもやと思うが、あなたの首飾りではないのだろう?」
「当たり前だ。女物だぜ――だからってだれかがつけてるわけでもねぇが。カーネリアンの収集品さ」
「……カーネリアン?」
「そう。正確にはそいつが依頼人、か」
どこか苦く呟くシールとは別に、キングは聞き覚えのある名に眉をひそめた。その傍らでは、アレスディアが、やはり、と言いたげに瞼を伏せる。
ランディムとエスメラルダには事情がわからない。女たちの態度に訝しげに首を傾げた。
「……まぁ、詳しい話は後でするさ。どうするんだ? 手伝ってくれりゃぁ助かるが」
「そう、だな。引き受けさせていただこうか――まったく知らぬ名でもないようだ」
シールは片眉を上げ、「そうか」とだけ呟いた。
「よくわからないけど……これで三人ね。このぐらいかしら? あとは――」
「ちょぉおおおおおっと待ったぁぁぁぁあああああ!!」
エスメラルダが話を進めようとしたちょうどその時、前触れもなくどこからか声が響き渡った。思わず身構えた彼らの足元が、ぎし、と軋む。
「なんだぁ!?」
「なんか足元揺れ……っ!」
「! 離れろ!」
キングの鋭い声に、カウンター内のエスメラルダを除いた四人がその場を飛び退った。
その直後、床板を弾き飛ばす勢いで先刻まで四人が立っていた床がぱかりと口を開ける。見事にハート形に切り取られた穴から「とうっ!」とかけ声も勇ましく跳び上がり、空中で華麗に回転しつつ着地した変人――もとい派手な服装の巨躯に、何人かは現実逃避したい心地に駆られた。
鮮やかな着物に左胸の刺青、本人がどう繕ってもまともな人間には見えそうもない強面の男――オーマ・シュヴァルツである。
「話は聞いた! 困った時はお互いサマ、お年寄りは大切に! つーワケでビバ聖筋界唸る桃色筋肉浪漫ワル筋親父アニキ捕り物帳の始まりだっ!!」
「……オーマ、オーマ」
エスメラルダが嘆息しつつ大男を手招きした。
「安心しろエスメラルダ! このメラマッチョ親父筋パワーにかかれば泥棒ごときっ!!」
「ええ、そう、あのね」
小さな紙になにかを書きつけ、エスメラルダはそれをにっこりとオーマに手渡す。
「はい、プレゼント」
「おおっ!? ビバ聖夜プレゼンツナイトだなっ!」
「残念、まだ早いわ」
「なになに、店の修理費…………のぉおおおおおおおっ!!?」
「ツケとくわね」
紙切れを握りしめ、床に沈んだ大男にエスメラルダが爽やかに微笑む。
「普通に入ってくればいいのに、なに床に穴開けてるのよ。馬鹿ね」
「……全っ然気づかなかった。どうやって開けたんだ? これ――っ!?」
唐突なオーマの登場に目を回したものの、気を取り直したランディムが穴を覗き込む。すると、タイミングを見計らったかのように穴から、ぬぅ、と中性的な容貌の少女が頭を出した。仰け反る形になったランディムが危うく転びかける。
そんなランディムや他の気力が削がれたふうの顔触れに気を向けることなく、少女は床にかけた手に軽く力を込めてひょい、と店内に上がった。情熱を灯す炎のような赤い髪に同じ色の双眸。なのに、表情は感情など知らないかのようにぴくりとも動かない。
「あら、サモン」
エスメラルダの声に小さく頭を下げ、サモン・シュヴァルツは服についた埃を払った。華奢な肩の上には、銀色に輝く六翼の小さな龍が絡んでいる。
サモンは撃沈している父親を見下ろし、ぽつりと口を開いた。
「……なに」
「店の修理費よ。飲み代もまだ全部貰ってないっていうのにまったくも――」
めきょ。
骨が軋むような音がエスメラルダの声に重なる。何事かと視線をやれば、そこには十三歳の少女に踏み潰された大男の姿があった。
「……なに…やってるの……」
答える声はない。
「ツケ……増やさないように、って…言われてた……でしょ」
淡々と呟きながらも、力は込めているのかオーマの頭が次第に沈んでいく。
そろそろ生存が危ういかと思われた時、エスメラルダが、まぁまぁ、とサモンを宥めた。
「無期限にしといてあげるから。オーマの弾けっぷりは今に始まったことじゃないし」
「でも……」
一応オーマから足を下ろし、サモンが項垂れる。母から監視を言いつけられていたというのにこの体たらく。母に申し訳ない。
「大丈夫よ、悪いのは全部オーマなんだから、ね」
そんなサモンを可愛く思ったのか、エスメラルダは微笑みながらサモンの頭を撫でた。当のオーマは相変わらず床に沈んでいるが、だれも助け起こそうとはしない。
落ち着いたのか、サモンが気づいたように顔を上げた。
「……そう、いえば…盗品がどう、とか……」
「ああ、そうなのよ。シール――ちょっと、なに引いてるのよ」
エスメラルダに声をかけられ、数歩下がっていたシールが嫌そうに顔を歪める。少女はともかく、大男に関わるのはご免だと本能が感じているのだろうか――この第一印象で信用しろ、というほうが無理な話だろう。
「……くどいようだが、遊びじゃないんだぜ? あいつ怒るとなにするかわかんねぇんだからよ」
「あたしが保証するわよ。大丈夫、こう見えてもやるときはやる人なんだから」
納得しかねるふうではあったが、もともと押し問答は好きではなかったのだろう。見りゃわかるか、と実力を見て判断する方向でまとまったのだった。
【1】
「盗賊団?」
薄暗い灯りに照らされた店の片隅。壁際に追いやられたようなテーブルを中心に、六人の姿がある。
雑多な喧騒と酒香で満ちた黒羊亭にはまだしばらく眠りは訪れそうもない。人々はそれぞれの話に夢中で、わざわざ壁際で肩を寄せ合う六人に注意を払う様子もなかった。
それぞれ簡単な紹介はすでに済ませている。
「ああ。首飾りを盗んだ奴はある盗賊団の構成員らしい」
「ある盗賊団、ってなんだよ」
ランディムのもっともな質問に、シールは、さぁな、と肩を竦める。
盗人が盗賊団の構成員だ、と告げたのはカーネリアンその人だという。それ以上はそちらで調べてくるように、と言ってきたそうだ。
「……どの盗賊団なのか、その人は知っているのか?」
「知ってたら性格悪いな」
悪いけどよ、とシールは苦笑する。
「今回に限っていえば、そこまで深く遠見はしなかったらしい――盗みに入ってきた男の特徴と、盗賊団の一員らしいこと、そのぐらいだな」
「…特徴……どんな…?」
「えーと、確か……」
中肉中背、猫背でざんばらな髪、右腕に逆十字に絡む蛇の刺青――細かに述べられる特徴にそれぞれが頷く。特に逆十字に蛇の刺青というのは、なにがしか手がかりになりそうだった。
どの盗賊団か、その割り出しから始めなければならないようだ。
「そういや、首飾りってのはどんなのなんだ? 紅玉の、ってのはわかったけどさ」
気づいたようにランディムが問いかける。ものを間違えてしまっては意味がない。
「涙型の紅玉――このぐらいのな。それをあしらった金細工だ。見るからに重そうなごてごてしたやつさ。千年は昔の代物だと」
ああ、そうそう、とシールが付け加える。
「首飾りには疵をつけないでくれ。これは依頼人からの絶対条件だ。俺からも頼みたい」
思い当たる節があるのか、キングとアレスディアが双眸に深い色を過ぎらせた。
「――あなたも?」
どう行動するのか、と問いかけたように見えただろう。だが、キングがなにを含んだかに気づいて、シールは苦笑めいた笑みを刷いた。肩を竦めてやり過ごし、顔をそれぞれに向ける。
「もちろん俺も一緒に動かせてもらう。本来は俺の仕事だからな」
「そりゃそうだ。探してたのは”手伝い”なんだからさ」
「そういうことだ」
それじゃ、とオーマが立ち上がる。
「情報収集といくか! 待ってろワル筋ども! この俺様が立ち上がったからにはたとえ雨が降ろうと槍が降ろうとその性根を叩き直してジェントルなマッスルへと改革してくれるっ!!」
高らかと宣言するさまは勇ましいことこの上ない。
だが褒め称える者はなく、特に娘であるはずのサモンの反応は恐ろしく冷ややかだった。
「……じゃ」
静かに立ち上がり、すたすたと扉へ歩いていってしまう。
そんな娘の姿に、オーマはやや慌てたように後を追った。
「ちょぉおっと待てサモン! ひとりでどこへ行く!?」
「……情報集め」
「いやいやわかってるが、うぅん待て! ひとりで行くのは危ないぞ!? そうだ、俺と一緒に……!」
「やだ」
「…………!!」
父と行動するのが嫌というよりは、父の目的地に行くのが嫌なのだ。だが、オーマにはそんなことはわからない。ツケを増大させてしまった上に、これでは父の威厳を失ったも同然――もとよりそんなものがあったのかどうかは不明であるが――気分はすでに愛する家族から縁を切られた孤高の親父。寂しい。
「……なぁ、あれ漫才か?」
一方、なんとなく見送る形になっていた四人。
ランディムの呟きに、三人は「聞くな」と言いたげに嘆息した。
「……とりあえず、情報は必要だな」
「ああ」
「もう夜も遅い。明日、ここで落ち合おう」
「承知した」
「どう動く?」
「俺はあのデカブツについていくぜ。馬鹿なのはわかったが、信用できるかわからねぇんでな……嫌な予感がしなくもないんだが」
シールのぼやきに、ランディムが「ま、がんばれよ」と笑う。
「では、私はあの少女――サモンだったな。彼女に同行しよう。ひとりで行動させるのはすこし不安だ」
キングはそう告げると、少女の後を追うべく席を立った。中身と外見が比例するとは限らないが、一抹の不安を覚えるのは当然だろう。盗賊絡みだということはわかっているのだから。
「他のやつらはペアか。んじゃ、俺たちも一緒に情報集めといこうか?」
「ランディム殿がそう仰るのならば、私は構わない」
「殿ぉ? 呼び捨てでいいって。そんじゃ、よろしくなアレスディア」
言われた言葉に困惑したものの、ランディムにそう肩を叩かれてアレスディアは強く頷いた。
【2】
わかりきっていたことだとしても、わかりたくないものはある。
今まさにシールの心境はそれだった。
第一印象からしてろくでもないものだというのは確実だったではないか――そう心に言い聞かせるも、どうにも敗北感が拭えない。
あの後なりゆきでシュヴァルツ宅に一泊したシールは、朝の主夫業を終えたオーマが「さぁ行くぞ」と言うのでついてきたのだが。
「そうかそうか、わかるぜ我が心の友よ! 下僕主夫への道程は険しくも厳しい針山の如しっ!!」
「総帥ぃいいっ!!」
「友よぉおおおっ!!」
号泣しながらひしと抱き合う漢の群れ、もとい筋肉の塊。
それも気になるが、この桃色溢れた建物は一体なんだろうか。そこかしこに『ビバ腹黒』『我が愛は永遠なり』『かぁちゃん許してもうしません』などと書かれた刺繍――貼り紙かと思えば、ひとつひとつがいやに手の込んだものだった――が飾られ、メンバーなのかどうか、おびただしい肖像画が並んでいる。
しかも当たり前のように草や道具や人魂――にしか見えないが、本当にそうなのだろうか――が井戸端会議に参加していた。漏れ聞こえてくる内容といえば、風呂の汚れを落とすにはこうするのがいいだの、娘にそっぽ向かれただの、小遣いが下がっただの、果たしてその内容でいいのかと首を傾げたくなるものばかり。
「……世間は広いな」
どうやら、ここに比べればあの館はまだまともなほうらしい。
シールはそうひとりごち、なにやら注がれている視線に気づいて顔を向けた。
見れば、オーマがシールを示してなにやら宣言している。
「紹介しよう! 我らの新たな仲間、パイレーツなマッスルことシー……!」
「なにぃ!?」
「なにを驚くことがある。はっはぁ、照れちゃってるな? シャイボーイめっ!」
「阿呆かてめぇ!」
「大丈夫だ、安心しろ! この下僕主夫腹黒秘密結社はカカア天下にガタブル震え潜む漢たちの明日を支える心のオアシスとして……」
「なにが安心だ! 大体俺は独り身だっ!!」
「あれ?」
「なにが”あれ?”だ! 俺を妙なものに巻き込むな!」
「うぉっと、こいつはうっかり」
てへ、と額を叩き、オーマが可愛らしく舌を出す――実際には、とりあえずそこらの物でも投げておこうかと思うほどには気持ちの悪いものだったが。
「だがしかぁし! 腹黒同盟にはそんな資格は必要ないぞ、はっはっは!」
「だからなんだよ」
「カモン!!」
「断る」
「がーんっ!!?」
衝撃にふらりとよろめくオーマを、同胞たちが慌てて支える。「総帥! しっかりしてくだせぇ!」「傷は浅いですぜっ!」などと涙ながらに叫ぶ男たちに、シールは嘆息した。
いちいち大仰なやつだ、とシールは軽く頭痛を覚える。
「そんなことはどうでもいい。なにしに来たんだ? こんなところに」
「そんなこととは聞き捨てならんっ!」
がば、とオーマが立ち上がった。
「立ち直り早ぇな」
「はっはっは、例え雷に打たれようともへこたれないのが下僕主夫というものだ」
「総帥、さすがですっ!」
「輝いてますっ!」
「尊敬してますっ!!」
「おれ、負けませんっ!!」
なにやらきらきらとスポットライトでも浴びたような賞賛の嵐に、シールは、もう放っておこうか、と心中に呟いた。まともに付き合っても精神力を消耗するだけのような気がする。
「ったく、こんなところに情報が転がってるとは思えないが? 家庭の事情だけなら腐るほどありそうだが」
それも偏った家庭の事情というやつが。
シールの内心を察したのか、オーマは自信満々に胸を張った。任せろと言わんばかりである。
「さぁ皆聞いてくれ! 俺が今日ここに来たのは他でもない、あるワル筋盗賊団についてだっ! この世にワル筋がはびこっているとなれば、到底黙って見過ごすことなどできない! 力を貸してくれ!」
熱いオーマの演説に下僕主夫たちも力強く応えて返す。
そんな世界の端で、シールは、やれやれ、と今日で何度目かの溜息を零した。
【3】
「だっ、大丈夫かサモン! そういうときには俺様の愛情たっぷり下僕主夫特製二日酔い撃退マッスルドリンクを……!」
「…………五月蝿い」
どがんっ!
娘の華奢な腕に突き飛ばされたオーマは、壁に激突してずるずると床に倒れこんだ。
不運にも同じテーブルを囲んだ面々がそれぞれに息を吐く。
時は黒羊亭に集った夜より翌日、寒気に追いやられ、太陽がすでに傾きはじめた頃。
場所は同じ黒羊亭である。まだ盛りには早いが、ちらほらと人の姿がある。
「……酒盛りをしていたのか?」
テーブルに突っ伏して頭を押さえているサモンに、アレスディアが疑問を口に上らせる。その声音には、依頼を受けておきながら不謹慎な、という思いも滲んでいただろうか。
「いや、あれは酒盛りっていうほどの量じゃなかったが」
――依頼を持ってきた当人まで参加してどうする。
「シール殿……」
「睨むな。すこし引っ掛けただけだぜ? 特にサモンは一杯あるかどうかってぐらいで……」
「子どもに酒を飲ませるのは如何かと思うが?」
「すこしだって、すこし」
「酒に弱いんだな」
ランディムがすこし意外そうに笑う。あの父親を見る限りでは、娘がうわばみでもあまり驚かなかっただろうに。見た目相応なところもあるのか、と目を細めた。
聞けば、なりゆきという名の勢いでシールがシュヴァルツ宅で一泊した晩、野郎ふたりで酒瓶を一本二本開けたのだという。あれほどオーマに胡散臭いと眉をひそめていたのに、酒が絡むと気安くなるものなのだろうか。
「……情報の整理といきたいのだが、大丈夫か?」
キングが案じると、サモンがのろのろと顔を上げる。小さく頷くその隣では、復活したオーマが何事もなかったかのように椅子に座り直し、懐から怪しいラベルが貼られた小瓶を取り出していた。ちょん、とサモンの前に置くのを見ると、どうやらそれが二日酔い用の薬だろうか――中身が桃色なのが気になるところだが。
言動を見る限りでは確かな代物なのだろう、と判断し、キングは視線を皆へと向けた。
「まず、私とサモンで拾ってきた情報だが――件の盗賊団について」
逆十字に絡む蛇をシンボルにした盗賊団の名を、イーヴル・クロスという。エルザードの影にいくつも潜む盗賊団全体から見れば、ちょうど中ほどに位置する組織。多くは町のごろつきだが、上にはそれなりの額の賞金をかけられている首領がいる。
「……能力者が……何人か。魔法士と……召喚系の能力者。……首領は接近戦が得意、みたい」
総勢で三十は下らないという。
能力者による伝達を中心に、ごろつきが多いにしてはよくまとまっているらしい。
「ははぁ、なるほどね……能力者を潰せば混乱しそうだな」
「目的は盗賊団の壊滅ではなく、首飾りの奪還だ。気づかれぬよう確実に潰していくべきだろう。……それと、その首飾りだが」
収集家ならばともかく、盗品は基本的に闇ルートに流れる。
「……明日の夜に…手に入れた盗品をいくつか、まとめて換金する……って。……取り引き場所はわからなかったけど…」
「ということは――動くなら、今夜か」
「だな」
「そいつらの塒なら、俺とアレスディアで聞き出したぜ。盗みに入った張本人とっ捕まえてな」
ランディムの視線に、アレスディアが頷く。懐から丸めた紙を取り出すと、それをテーブルの上で広げてみせた。すこし歪んだ線で引かれた図面に、流麗な文字でその部屋の用途が短く書きつけてある。
「盗人から得た情報をもとに作った地図だ。多少見づらいかもしれないが――」
「びびってたからな、嘘吐く余裕はあんまなかったと思うけど……ま、大体こんなもん、ってことで」
信憑性はそこそこ、といったところか。
図面を見下ろし、オーマはふと気づいたようにアレスディアとランディムを見やった。
「そいつ、どうしたんだ?」
「そいつ?」
「捕まえたやつ」
「衛兵に突き出したに決まっている」
アレスディアの断固とした声に、オーマは「おぉうっ」と奇妙な声を上げる。
「なんたることだっ! せっかく秘密結社に引き取って善筋へと叩き直そうとっ!!」
「……は?」
「大胸筋愛に溢れたメラマッチョ更正ロードを考案していたというのに!」
苦悩の声に体を折り曲げるオーマに、「まだむさいの増やすのかよ」とシールが嘆息した。
「むさいとは失礼な、爽やかに暑苦しいと言ってくれ!」
「同じだろうが!」
「……そういや、あんたたちが捕まえた奴はどうした?」
オーマとシールの掛け合いを尻目に、ランディムがキングとサモンを見やる。
「あぁ、あの男なら……」
「…………転がして…きた…」
ぽつり、とサモンが呟いた。
「……当て身で……気絶、させて」
「おやまぁ、放ってきたのか」
「何故そのままにしておいたのだ? 犯罪者だろうに」
苦笑し、キングはちらとサモンを見やる。
「――あの様子では、私たちのことを件の盗賊団に漏らすような真似はしないだろうからな」
「あの様子?」
「色々と、な」
ふぅん? とランディムがキングの視線を追うようにサモンを見やった。はてさて、なにがあったものやら。
「……ま、いいか。で、あんたたちは?」
視線を受け、オーマとシールが気づいたように賑やかな掛け合いを中断した。シールがなにやら思い出したのか、眉をひそめる。
「そうそう、俺様たちが手に入れた情報だが――なんでもワル筋どもの親玉は小さい時隣の家にいたシャルロットちゃんにホの字だったらしい!」
「……はぃ?」
「だが、哀れかな玉砕した親玉は非行に走り暗黒の歴史を背負うワル筋へと成長してしまったのだ!」
「…………」
オーマが拳を握って語るその横で、シールがなんとも微妙な顔をしている。
さらに微妙な色を浮かべたのは聞き役に回ってしまった四人だった。アレスディアは涙を流さん勢いで語るオーマに唖然とし、シールへと声を落とす。
「……一体、あなたたちはどこへ行ってきたのだ?」
「聞くな」
「……あれ、実話?」
「知るかよ」
「情報は情報でも――方向を間違えたのではないか?」
「あれはおまけだ……と思う」
「…………五月蝿い」
息を吐くような呟きとともに、サモンの膝の上に収まっていた龍が、すい、と首を伸ばす。滑るような速さで演説するオーマの頭上に舞い上がると、落下と同時にその体を膨らませた。
「ぶべっ!!」
オーマは巨大化した銀龍の下敷きになり、運悪くテーブルの角に頭をぶつけたのか痛そうな音が響く。
「……他の……ないの…?」
床に沈んだ父親を見ることなく、冷ややかな声。
なんとか龍の下から這い出したオーマは、そんな娘に慌てて居住まいを正した。このままでは父としての立場が危うい。したたかに打ちつけた額がちょっと、いや、かなり痛いがそんなことに構ってはいられない。
いつの間にやら、サモンの前に置いた小瓶が空になっていることには気づいていないようだ。
「えー、こほん! もちろん他にもあるぞ! 盗賊団の――イーヴル・クロスの活動場所と塒の位置、あとだいたいの活動時間だな。それから――」
活動内容は盗賊団らしく盗みが中心で、対象は貴族、豪商から一般人までと幅広い。盗品の売買で金子を稼ぎ、時には後ろ暗い依頼を他から請けることもある。
「例の首飾りがそのイーヴル・クロスにあるのは間違いないらしい。たぶん親玉の部屋か、その近くにあるはずだ」
――何故、そんな情報がよりにもよってあんな集団にあったのか、シールはひとり胸中で頭を抱えた。塒の場所や活動地域はオーマ以外の者たちも仕入れてきており、それぞれを照らし合わせてもほぼ差異がなかったところを見ると、出所は確かなようだ。
首領の過去についての真偽は置いておくとしても、だ。
さらに情報を突き合わせ、自分たちの行動を定めていく。
相手は盗賊団、もとより交渉など不要だ。悟られぬよう各個撃破し、首飾りを取り戻す――
「じゃあ、そういうことで」
六人は示し合わせたかのように席を立った。
情報を集め、それぞれの行動を決め――あとは、行動に移すのみ、である。
【4】
肌寒い風が狭い通りを駆けていく。
西日の名残がわずかに空を染め、鮮やかに輝く猫の目のような月が重たげに天に飾られていた。
件の盗賊団の活動時間にはまだ早い。
集めた情報を元に六人が向かった先には、いかにも寂れたふうな家屋の群れがあった。通りのやや奥まったところに他よりすこしばかり巨大な建物があり、それがイーヴル・クロスのアジトであるらしい。
遠目にも扉の前に何人かたむろしているのが見えて、それが見張りのようだった。
それぞれ物陰に身を潜め、気配を殺す。いつでも撃って出られるように態勢を整えながら、仲間の合図を待った。
「なんだぁ?」
最初に気づいたのは、ひょろりと伸びた体にボディピアスをいくつか飾った男だった。
つられるように仲間たちが顔を上げ、視線の先に映ったものに訝しげな声を上げる。
扉の前に陣取った男たちのその足元には、なんとも奇妙な生き物がいた。
猫ほどの大きさのぬいぐるみ――もとい、翼のある銀色の獅子。大きな目で男たちを見上げ、小さく尾を揺らす。くぁり、と欠伸をすると小さくとも鋭い牙が覗いて見えた。
「……ライオン? 猫?」
「羽生えてるぜ?」
「色がやばいだろ。どっかの実験動物とかじゃねぇのか」
もともと退屈だったのだろう。男たちは興味深げに小さな獅子を見下ろし、何人かは勇敢にも腕を伸ばす。
無遠慮に伸ばされた腕に、けれど獅子は気を害した様子もなくじゃれてみせた。
「へぇ、馴れてんな」
「おもしれぇじゃん。ボスんとこに持ってこうぜ」
「ナマモノだぜ? 瞬殺されんじゃねぇ?」
「いやー、好事家には高く売れそうだけどなぁ」
好き勝手に話し合う。
獅子はそれに気づいているのかいないのか、男たちの周りを駆け回っていかにも遊んでほしい、というふうだ。
男のひとりが、そんな獅子を捕まえて持ち上げた。猫の母親が子をそうやって銜えるように、首の後ろを掴んで片手に下げる。
「ま、いいだろ。暇潰しにはなる」
「だぁな」
下卑た笑い声。
掴まれた獅子は意外とおとなしく、だらんと尾を垂れさせている。
男はそのまま獅子を伴って扉をくぐり、建物の中へと踏み込んだ。
埃っぽい臭いが鼻をつく。建物の中は薄暗く、形ばかりの灯りがいくつか置かれているだけだった。それでも男にはなんの支障もないのか、迷う様子もなく足を進めていく。歩くごとに床が軋む音がして、それがまるで人の在り処を教えているようだった。
――ほうほう、なるほど。
銀色の獅子が目を細める。男たちはまるで気づいていないが、この獅子の正体はオーマだった。自ら偵察を名乗り出、獣の姿に変化してわざと捕まったのだ。
――中の様子は図面とほぼ同じだな。人……は、そんなにはいないか。
おそらく時を置けば人が増えるのだろうが、まだ盛りには遠いようだ。それでも、要所要所にはひとり、ふたり、人の姿が置かれている。腰に短剣や銃を下げている者もいれば、丸腰のように見える者もいる。だが、上着の内に隠し持っている可能性は充分にあった。
あれが首領の部屋だろうか。オーマは最奥にある扉を眺め、そんなことを胸中に呟いた。
「――何をしている」
ふと、低い声が落ちる。
オーマを掴んでいた男は足を止め、やや緊張の面持ちで相手の名を呼んだ。首領ではないようだが、それなりに上の人間らしい。
室内だというのに上から下まで漆黒のローブに身を包んだ姿は魔法の徒を思わせた。サモンとキングの調べでは能力者が何人かいるというから、その中のひとりだろうか。
「そのけだものはなんだ?」
「あ、はい、さっき表で見つけまして……」
「…………」
不気味な視線が獅子姿のオーマに向けられる。なにかを探るような目に、オーマは「気づかれたか」と軽く顔を強張らせた。
「……置いてゆけ」
「あ、はい、ええと、ここに?」
「そうだ」
相手の言葉に、男は素直に獅子をその場に放した。「戻れ」と外を示されると、これもまた素直にそそくさと戻っていく。
結果、オーマはローブ姿の男とふたりきりである。
「…………」
居心地の悪い沈黙。オーマの脳裏で警鐘が鳴り響く。
「――貴様、何者だ」
ぴく。
獅子の姿となったオーマの耳が、小さく揺れた。
真っ先に動いたのはサモンだった。
一息に見張りの男たちに肉薄し、相手が声を上げる前に当て身を入れて気絶させる。わずかに出遅れたものの、他の四人も地を蹴って残りの見張りを沈めていった。
最後のひとりが倒れるも、建物の中にいる輩が気づいた様子はない。
「……行くか」
囁くような声でシールが促す。なんとも微妙な表情を浮かべているのは、なにも彼に限ったことではない。サモン以外は皆似たような表情を浮かべていた。
――よぉっし! ここは俺様が軽く偵察してくるぜっ! ラヴマッスルビームで合図するからよろしくなっ!
そんなことを言って姿を変えたのはオーマである。上手く中には入れたようだが、どうやって連絡するつもりかと詳細を知らない面々は思っていたのだが――脳裏に突然声が飛び込んできた時には、一瞬目的を見失いかけた。それも背後に後光射す筋肉画像付きである。情報を伝えてくれるのはありがたいのだが、素直に感謝できないのは何故だろうか。
ともかくも、動き出した以上長引かせるわけにはいかない。
五人は足音を殺して建物の中へと踏み込み、図面とオーマからの情報をもとに奥を目指した。
見つけた人影は、だれが示すでもなく的確に沈めていく。キングが手刀を入れ、サモンが鳩尾を狙う。アレスディアは槍の石突で相手をしたたかに打ちつけ、ランディムは背後に忍び寄りキューを振るった。シールも何人かを気絶させていく。
情報通り、人影はまだまばらだった。だが、それも時間を置くとどうなるかわからない。
「…………!」
不意に奥から吹き飛ばされてきた影に、五人は咄嗟に身構えた。壁に叩きつけられ、立ち上る埃の中から銀色の影が小さく震える。
「オーマ!?」
「――仲間か」
底冷えする声。
片手を掲げたままの姿で静止した魔道士の姿を認めるやいなや、ランディムが手首を翻した。ダイヤやスペードの図柄が描かれたカードが風を切り、魔道士へと迫る。
キングとアレスディアも地を蹴り、魔道士へと肉薄した。仲間に連絡されては不味い。
だが、魔道士は口中でなにかを呟き、力を展開させた。淡く輝く魔法壁を広げ、カードを弾き、キングとアレスディアを吹き飛ばす。
「……!?」
弾かれたものの、キングとアレスディアはそれぞれ別方向に着地した。
後ろでは、脆い壁になかば埋もれながらも立ち上がった小さな獅子がゆらりとその輪郭を崩す。銀光とともにそれは長身の男へと姿を変えて、全身埃まみれにしながらも、にぃ、と笑った。
「はっはっは! 俺様の変身を見抜くとはやるな!」
「笑うなよ、そこで」
シールがげんなりと息を吐く。
騒音は防ぎようがない。ましてこの薄い壁ばかりの建物では、先刻の音は筒抜けだったろう。その証拠になにやら慌しい足音が聞こえてきて、六人は表情を険しくした。どうやら、奥の部屋で休んでいた盗賊たちが集まってきているようだ。
せめて首飾りの在り処がわかれば。
「もう音に気を遣っても無駄だな――ベリンダ、どこにいやがる!」
シールが声を張り上げる。魔道士をはじめ何人かは訝しげに眉をひそめたが、残りの数人は合点がいったように目を細めた。
その間にも新手が集まってくる。
ふと、サモンが顔を上げた。首領の部屋と思しき最奥の扉を見据え、ぽつりと呟く。
「……呼んでる…」
「あ?」
「…………行く」
たん、と華奢な体が駆け出した。
咄嗟にサモンを押し留めようと前に立ちはだかった盗賊どもに、キングが鋭い蹴りを浴びせ、アレスディアが槍を振るう。背後では、やはり邪魔をしようとしていた輩をオーマとランディムが沈めていた。
それらをいちいち確認することもなく、サモンは一直線に首領の部屋の前へと滑り込む。――彼女の体に流れる血が、声なき声を聞いていた。シールが呼んだ名前に反応した、助けを求める声。ならば、そこに求めるものがあるはずだ。
銀龍を傍らに、サモンは慎重に扉向こうの気配を探る。音は聞こえない。息遣いも、なにも。
誰もいないのだろうか、と思い、それでもサモンは気を抜かずに扉を開いた。首領の部屋だというそれは驚くほどあっけなく開放され、まず目に入ったのは小さく切り取られた外の景色だった。すでに陽は沈み、薄闇が満ちている。冷たい風が流れ込み、サモンの肌を撫でていった。
灯りの落ちた部屋には寝台がひとつ、家具がいくつか、片隅には木や金属の箱の群れ。
サモンは闇に目を慣らし、人の姿がないのを確認してから部屋に踏み込んだ。後ろからは仲間たちが敵方とやりあう音が聞こえてくる。できるだけ早く、首飾りを確保しなければならない。
かすかに感じる気配を頼りに、サモンは壁際に積まれた箱の群れへと足を向けた。銀龍に警戒を頼み、自らは件の首飾りを探し始める。いくつか箱の中身を改め、やがて、箱の中、布に包まれた金細工の重厚な輝きを目にして動きを止めた。
鎖というよりは型のようなものに金の飾りをいくつも連ね、中央に涙型の大きな紅玉をあしらったもの。
シールに聞いていた特徴と声の出所の一致を確認すると、サモンはそれを布で包みなおして蓋を閉じ、箱ごと慎重に持ち上げた。なにしろ年代物だそうだから、乱暴には扱えない。
ふと。
背後で銀龍が甲高い悲鳴を上げた。サモンは振り返るより先に、反射的に横へと転がる。
先刻立っていた場所を刃が穿つのを見て、サモンは目に緊張の色を過ぎらせた。見上げれば、暗がりに佇む男の姿がある。
「……なかなか、いい勘をしている」
哂う気配に、それが首領であることを悟る。こんなに近づくまでどうして気づけなかったのか、と己を叱咤したが、腕の中の箱にはっとするとサモンは身を翻した。銀龍を囮に部屋を駆け出るも、その背に凶刃が迫る。
「サモンッ!!」
叫んだのはオーマだった。乱戦と化したその場で娘の危機に目ざとく気づいたのは、さすが父親というべきか。
「カモン、我が愛すべき友よっ!!」
オーマの一声に、どこにいたのか、壁をすり抜けて現れる一団がある。ぼう、と丸く浮かぶ光のような体に顔を持ったそれらは、滑るような速さでサモンと首領の間に割って入った。
「…………!」
一瞬、剣先が鈍る。
その隙をつくように、偶然近くにいたキングがサモンの体ごと首飾りの収まった箱を引き寄せた。自らの体を盾にするように、サモンと位置を入れ替える。そのキングの背を、数秒遅れで首領の刃が浅く切り裂いた。
キングが痛みに顔をしかめる。
「キング殿!」
案じる仲間の声に「大丈夫だ」と返し、キングはサモンの背を押し出した。自分は首領と向き合い、相手を見据える。
押し出されたサモンはわずかにためらいの色を見せるも、再び地を蹴った。オーマが召集した人魂軍団を確認し、丁度いい位置に回りこんだその軍団に箱を手渡す。箱を受け取った軍団は、力強く頷いて瞬く間に外へと飛んでいった。
盗賊と切り結んでいたシールが怪訝に声を上げる。
「おいおい、信用できるのか、あれは!?」
「安心しろ! 俺様のお墨付きだ!」
「余計信用ならん!」
「なにぃ!?」
言い合いながらも、手を止めるようなことはしない。むしろ、気にかけることがなくなったせいかその攻撃はいっそう荒々しくなった。それぞれに愛用の得物を構え、敵の群れに突貫する。
他の者も、守勢から攻勢へと切り替えた。
アレスディアは失墜と名付けた槍を縦横に振るい、次々と盗賊を潰していく。術を構成しようとした魔道士に沈めた敵を投じ、詠唱を防ぎざまに駆け寄った。リーチの長さを生かし、素早く相手の片腕を貫いて、さらに当て身を入れる。
ランディムは最初こそカードを使っていたが、次第に敵との距離が縮まるとキューを中心とした戦法に移った。もともとこのキューは特殊な素材でできており、他の近接武器に劣らない耐久度を持つ。小気味いい音とともに敵を沈め、今は別の能力者との交戦になっていた。
相手が印を結んだ刹那、虚空がぱっくりと裂けて次々と蝙蝠や狼が現れる。
「おやおや、召喚士サマってなあんたのことか」
ランディムが薄く笑う。そのさまをどう受け取ったのか、召喚士は神経質に顔を歪めて召喚した獣たちをランディムへとけしかけた。その合間に、自らも小技を繰り出してくる。
「いいね。なかなか多芸じゃないか――こっちもお返しといこうか」
ランディムはキューをくるりと回し、牙を剥いて襲い掛かってきた狼の鼻面をしたたかに打ちつけた。次いで法術で虚空に白や赤、黄色など色鮮やかな球を作り出し、ビリヤードの要領で打ち出していく。それぞれの球は蝙蝠たちを的確に打ち、耳障りな悲鳴がいくつも重なった。召喚士の攻撃をかわしながら脳裏に術を構成し、それを張り巡らせる。
「き、貴様っ!」
怒声を上げた召喚士が再び印を結ぶのを見て、ランディムは目を細めた。自らが張った陣がその効力を発揮するのを感じ、面白そうに笑ってみせる。
虚空から現れた獣たちは、だが、今度はランディムに牙を剥こうとはしなかった。一瞬なにかに絡めとられたように動きを止め、矛先を転じて術を行使した本人に唸り声を上げる。
「な、な、なにっ!?」
「残念だったね。罠に気づかなかったあんたが悪いんだぜ。……殺すなよ」
最後は獣たちに向かって。
ぱちん、とランディムが指を鳴らすと、獣たちは猛々しく召喚士に飛びかかった。術士というのは、おおむねそれ自身は弱いものだ。勇ましく応戦するも、たちまち壁に叩きつけられてしまう。
「はい、ゲームセット」
気絶した相手を見下ろすと、ランディムは残っている敵へと視線を向けた。
「――やれやれ、情けない」
どこか侮蔑の色でそう吐いたのは、幅の広い太刀を提げた首領だった。次々と倒れていく同胞に憐れみを向けるでもなく、憤るでもない。
その様子に警戒を強めながら、キングは重心を下げた。相手の今までの動作からキングの脳裏に弾き出された数値はかなりのもので、他の相手とは格が違うことを明確に告げている。
背後ではサモンが同じように首領を警戒し、他の仲間たちもそれぞれひと段落して残った首領に意識を向けてくる。
目的はすでに果たしている。ここで逃走を図ってもいいのだが――
たんっ
巨躯に似合わない身軽さで首領が床を蹴った。キングは、やはり、と内心にひとりごち、半身をずらして振り下ろされた刃をかわす。相手の利き腕を狙って足を跳ね上げるも、あやういところでいなされた。
ランディムとオーマが、それぞれに首領の背を狙ってカードと銃弾を放つ。首領が横飛びにそれらをかわすと、間髪入れずにアレスディアが槍を突き出した。
上着の端を貫かれながら、首領が笑う。
「随分と立派な玩具だ――が、室内で振り回すには向いてないんじゃないか?」
「貴様の得物とて同じだろう! おとなしく縄にかかるがいい!」
「威勢のいいお嬢ちゃんだ」
「なにを――!」
からかうような笑みに憤り、アレスディアが槍を繰り出した。
「アレスディア、待っ……!」
挑発だ、とだれかが叫ぶより早く、重い金属音が鳴り響く。刺突をかいくぐって放たれた重い斬撃に巻き込まれ、アレスディアの槍があらぬ方向へと弾かれたのだ。アレスディアは驚愕と己の未熟さに顔をしかめ、それでも次いで繰り出された刃をかわして後方へと飛び退った。
膨れ上がった銀龍が横から体当たりをするように首領に迫り、相手の意識をアレスディアから引き剥がす。
「……なかなか楽しませてくれるじゃないか」
銀龍をいなし、首領が薄く唇を歪めた。もともとそういう性格なのかどうか、盗賊団の存続より目の前にある狩りのほうが楽しくて仕方ないと言いたげだ。
六人に囲まれてなお、臆する様子は微塵もない。実力もある。
厄介な相手だ。
自然、六人の表情は険しくなった。実力に差のある相手ならば手加減をすることもできるのだが――
「さて、再開といこうか」
そんな六人の胸中を知ってか知らずか、彼は薄く微笑んだ。
【5】
「一応、お礼は言っておくわ」
高飛車な口調でそう言ったのは、艶やかな金糸を高く結い上げ、鮮やかな赤い目をした妙齢の女性だった。仕立てのいいドレスに身を包み、自分がなんでこんなところにいるのか、と言いたげに眉をひそめている。
盛りの時間を迎えた黒羊亭には喧騒と酒香が満ちていた。どこからか音楽が聞こえてくるのは、陽気な吟遊詩人がかき鳴らすリュートの音色だろうか。
「おいベリンダ、その物言いはないだろう」
シールが眉をひそめる。
彼らがいるのは夕刻に陣取ったのと同じテーブルだった。夕刻とは違い、シールとベリンダを除いたそれぞれの体には痛々しく包帯が巻かれている。もちろん酒場にいるぐらいだから、重症というわけではない。オーマの医者としての腕が良かったのもあるが、もともと深い傷は少なかった。
シールも無傷ではなかったはずなのだが、気づいたときには受けた傷が消えていた。「本体が無事だからいいんだよ」と説明になっているのかなっていないのか、そんなことを言っていただろうか。
「その物言いってなによ。私はちゃんと感謝してるんじゃない」
「態度に示せよ」
「示してるわ」
どこがだ、と渋るシールに、ベリンダはふいとすっぽを向く。どうやら彼女はあの首飾りに宿る精霊――のようなものらしいのだが、怖い思いをした挙句、人魂軍団などという得体の知れないものに預けられたのがよほど気に障ったようだ。
「怪我ひとつしなかったんだからいいじゃねぇか」
「当たり前でしょう。疵なんかつけてみなさいよ、ただじゃおかないわ」
「まぁまぁ、落ち着けよおまえら」
オーマが機嫌良さそうに口を挟む。すでにテーブルの上には空になった酒瓶があり、足元にも何本か転がっていた。他の者もたしなむ程度には杯を進めている――サモンはノンアルコールだったが。
祝い酒ということで、今夜の代金はシールが持つことになっていた。依頼の報酬とは別払いだが、シールは気にしたふうもない。
「しっかし、あの首領はたいしたもんだったな」
杯を傾け、ランディムが素直にそう吐いた。
「だぁな」
「――あれほどの腕前を持っているのであれば、べつのことに揮えばよいものを」
アレスディアが苦々しく顔をしかめる。
あの男の技量は実際にたいしたものだった。六人を相手に互角を張り、ゆうに一刻は渡り合ったのだ。ようやく相手が敗北を認めたとき、相手はむろん酷いありさまだったがこちらも無傷ではなかった。
前もってオーマが「だれも殺すなよ」と念を押していたので皆気を遣ってはいたが、それでも首領を死なせずに済んだのは奇跡に近かったかもしれない。
あのあと、あの場にいた盗賊たち――やや遅れて現れ、やはり同じように気絶させられた者たちも含め――は全員官憲に引き取られた。賞金がかかっている首領を含め、裁かれても死刑になることはないだろう、と判断した上でのことだ。
裁かれた後、オーマが怪しげな組織に引きずり込むかもしれない、などということはあえて皆考えないようにしている。
「……無事で…良かった……ね」
サモンに見つめられ、ベリンダは居心地悪そうに身じろいだ。大の男を冷たくあしらうことはできても、さすがに子どもを無下にはできないらしい。
「――感謝してるわよっ」
「……うん」
一瞬だけ、ほんのりとサモンが目を和ませる。
その様子に目を細め、キングは傷をいためないように体をずらした。義体とはいえ、感覚は繋いである。痛覚を遮断することもできるが、そうすることはめったになかった。
「あなたたちはこのあと、館に戻るのか?」
「おう」
「そうなるわね」
こともなげにシールとベリンダが頷く。
「今回は助かったぜ。俺からも礼を言う」
改めて頭を下げるシールに、それぞれが顔を上げた。
「困ったときはお互いさま、ってやつさ。報酬も充分すぎるほどだったしな」
「そうだそうだ、気にするな! それより酒を飲もうじゃないか若人よ!」
すでに出来上がっているオーマに、「まあいいけどよ」とシールが苦笑する。
「……無事だったから……いい」
「そうだな。ベリンダ、と言ったか――あなたが息災であったことに感謝しよう」
サモンとキングの言葉に、ベリンダは照れ隠しのように視線をそらした。「素直じゃねぇな」とシールに言われ、まなじりを上げて抗議する。
「私も勉強させてもらったことが多々ある。シール殿もご苦労だった」
微笑を含みながら、アレスディアが律儀に頭を下げた。
「……思うんだが、てめぇは真面目だな」
「……そうだろうか?」
「そうだろうよ。なんだ、自覚ねぇのか」
「――」
どこまでも真面目に考え込むアレスディアに、シールやランディムが苦笑する。
その間も、オーマは次々と杯を空にした。
「おらおら、者ども手が止まってるぞ! じゃんじゃん飲め! おい、エスメラルダ、追加ー!!」
「……ただ酒だと…思って……調子に乗って…」
「まぁ、実際そうだしな。でもいいのか? すげぇ飲んでるぜ」
「いいよ。どうせカーネリアンの支払いだし」
「……そうは言っても、あれは少々過ぎていると思うが」
オーマはエスメラルダが運んできた酒瓶を開け、琥珀色の液体をなみなみと杯に注ぐ。自分の杯を護っているサモンを除き、他の酒杯にも同じように注いで回った。
「さぁ、乾杯だーっ!!」
「またやるのか?」
「細かいことは気にするな! さぁ、祝え祝え! ベリンダの生還を祝ってーー!」
陽気な勢いにおされるように、苦笑しながらもそれぞれ酒杯を掲げる。
「持ったか? 持ったか? 持ったな? よーぉし、ではっ!」
オーマは高らかに声を上げた。
「かんぱーーーいっ!!」
fin.
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●登場人物
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2767/ランディム=ロウファ/男/20歳/アークメイジ】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2872/キング=オセロット/女/23歳/コマンドー】
【2079/サモン・シュヴァルツ/女/13歳/ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
(参加順)
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●ライター通信
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参加PL様へ
大変お待たせ致しました。
ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。
「紅玉の首飾り」に参加してくださいまして、ありがとうございます。
このような結果になりましたがいかがでしょうか。
今回は【0】から【5】までに分かれています。
【2】はそれぞれ行動によって3種類に、他は全員同じ内容です。
すこしでも楽しんでいただければ幸いです。
納品が遅れて本当に申し訳ありませんでした(土下座)。
雪野泰葉
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