<東京怪談ノベル(シングル)>
いつもの通り道
その庭園には、今年も花が咲いていた。
四季を通して花が絶える事の無い庭園は、エルザードで長い間同じ土地に住んでいる一族が代々育て上げて来たもので、噂では王室の庭園にも負けない程の年月を感じさせる作りになっているのだという。
その庭は、特別な時と夜間以外は一般解放されており、日ごとに表情を変える庭を見に、訪れる人の姿は絶えなかった。そして、同じように庭いじりが好きな者にとっては、絶える事の無い花と同じように年中広い庭の手入れをする主人とその妻、そして庭師と話をしたり、自分の家にある植物の事で相談したりと言う楽しみもあった。
今日も、そうして、寒々とした風が吹く中を、厚手の服に身を包んだ者たちが楽しげに訪れ、そして寒さにもめげる事のない子どもたちは、庭の一角に作られた迷路庭園の中を駆け回って歓声を上げていた。
そこに、良くその道の前を通りかかる青年が今日もまた通りかかって、いつものように通り過ぎようとした青年が、ぴたりと足を止めて中を覗きこむ。
「…………」
何かを口の中で呟いたようだったが、それは庭の中にまでは聞こえて来なかった。
*****
庭の中で、今を盛りと咲き誇っている花々に目を細める人々に混じって、その青年が入って来たのを、珍しい事もあるものだ、と庭師の一人が見てふと表情を綻ばせる。
この庭は彼や、主人たちにとってとても神聖な場所であり、そうした所へ厳粛な面持ちでやって来る人を見るのは、自分の誇る花々や木々を褒められたようでとても嬉しかったからだ。
花にも喩えられそうな見目麗しい青年が、静かな表情で、他の花には目もくれずに、ただひとつの花の元へ向かうのを、なんとなく視線で追いかけてしまう。
それは、ふっくらとした幾重もの花弁を持つ、黄色くて大きな菊の花。何年か前から、珍しい種の花だと言う触れ込みで行商人が持って来たのを、丁寧に育て上げた、この家に住む者たちにとって特別な花だった。
とは言え、華やかさでも色合いでも他の花の繊細さや華麗さに対してはやや見劣りしてしまう菊の花は、最初目で楽しんでもすぐに他の花へと移ってしまう者が多いため、残念に思っていたのだったが……その青年は、ようやく数日前に見事に開花したその花を見るためだけにやって来たらしい。
それが少し意外で、そして嬉しかった。
きっとあの花に特別惹かれるものを感じているのだろう。確かに、他の花と比べると、あの青年には何故か菊の花が似合うようだ、と納得してしまう。
いつも庭の外の道を、どこか打ち沈んだ様子で歩いていく姿は、いつの間にか印象に残るほどになっていたらしい。
――それにしても。
先程からほとんど仕事になっていなかったその手を止めて、男が小さく首を傾げる。
いつも道を行過ぎる姿を見ている時と、今ああして花に見入っている姿は、同じ姿、同じ髪型でありながら、何かが違う。
そうか、と暫くためすがめつ眺めていた庭師が納得したように頷いた。
雰囲気がまるで違うのだ。
いつもは、誰ひとりとして寄せ付けないような、そんな硬さが見えるように思えたのだが、ああしてレモンイエローの、柔らかな光の中に立っている姿を見ると、その姿に似つかわしい柔らかな雰囲気に包まれているように見えた。心なしか、目元も柔らかくなっているように見えるが……流石にそれは気のせいだろう。この場所から彼の目までがはっきり見えるわけはない。
空を見上げれば、雲を薄らと刷いた青空に白い月が浮かんでいる。
そうして、夢想する。
開く筈の無い夜の庭園の中、月光のスポットライトに照らされた青年が、満開の菊の花の中に佇むのを。
庭が、そして空気そのものが浄化されるような空間――それはまるで一幅の絵のように、素晴らしい『作品』となるだろう。
*****
ふと、それまでたおやかに立っているように見えた青年の動きが少し変化する。急にぎくしゃくしたような動きになり、そして、手に何かを持って庭仕事に精を出す主人たちの元へと向かうのを、ゆっくりと目で追う。
――その手にある黄色い塊を目にして、庭師はぽかんと口を大きく開け……そして、がっくりと肩を落とした。
恐らく、花に触れているうちに花の首のところからぽっきりと折ってしまったのだろう。丹精こめて育てた花を、そんな風に扱うとは思わなかった、と思った途端、そして自らの失敗に気付いた青年の怪しい動きに、幻想はあっという間に掻き消え、残ったのは大事な大事な菊の花を手折ってしまい、表情が乏しいながらおろおろしている青年の姿だった。
後で、話をした主人夫婦に聞いたところ、やはり菊の花を折ってしまって謝りに来たのだと言われ、やっぱりとがっかりしてしまう。
見も知らぬ青年に幻想を抱いていたのはこっちだが、それでも花を乱暴に扱うような人とは思えなかったのに、といまいましい気持ちになって言うと、それは違うわ、と奥方が微笑んで言った。
自分も良く目の前の道を通り過ぎるのを見ていたが、その時の印象と全く変わっていなかったと。懐かしくてつい触れてしまったと正直に謝りに来た、とても心の優しい青年だったと。
ほんのすこし不器用なだけだ、と――。
*****
その庭園には、今日も花が咲いている。
毎日良い状態を保つために、一日たりとも休む事無く、だがのんびりとした雰囲気で、今日も庭の手入れをする人々。
そこを、今日は中に入ろうとせずに青年が通り過ぎるのを、庭師がちらと見て――そして、軽く会釈を送った。
青年はそこでちょっと立ち止まり、周囲を軽く振り返った後で自分に向けられたものとようやく気付いたらしい。
その後の行動を見て、奥様の言葉は間違っていなかったと理解した。
ほんの少し戸惑ったような表情で、でも、さっと照れた表情を浮かべた青年が、なんとはなしに微笑して会釈を返して来たのを見て。
――ああ、やはり、絵になる、と思いながら。
-END-
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