<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


老人と少女は出会い、時は廻る


 ああ、そうだ。その魔物は、かつてはそれでも人間であったのかもしれない。その見てくれも、人間と何ら変わらぬものであったのだ。
 しかし、レノック・ハリウスはサンダーブリットの引き鉄をひいた。躊躇する事もなく。微塵の情けをかけてやる事すらもなく。
 否。情けならば、その引き鉄こそがそうであったのかもしれない。青白い閃光がほとばしり、魔物は痛みを感じる閑さえもなく、その時間に幕を引いたのだった。
 ろくに樹木さえも生えぬ、――それこそ人が足を踏み入れる事など滅多にないであろう程の、険しい、切り立った山岳地帯での事。
 魔物にとどめをさした後、レノックは青く揺れる双眸で、消失した魔物の痕に転がる石があるのを捉え、見た。
 それはゆるゆるとした輝きを持った、小石と見紛う程度の大きさの――――
「魔石じゃのう」
 つまみあげた石を空にかざし、それが放つ光を方々から確かめる。
 ――――恐らくは、先ほどの魔物が闇の内へと身を投じたのは、この魔石こそが原因なのだろう。
 魅了し、捕え、食う。ゆえに、魔石と呼ばれる稀代の宝。
 市で並べ、売れば、高額がつくであろう事は想像に難くない。――――だが。
 レノックは魔石を確かめた後、小さなため息をひとつ吐いて、布袋の中へと石を投じた。
 恐らくは、これは恐ろしいまでの破壊力と、持つ者の心を深い闇の中へと叩きこむ、底のない魅惑の力を秘めたものに違いない。
 魔石にも格付けが存在しているのを、レノックは知っていた。そして、今自分が手にいれたその石が、何と呼ばれている物なのか。……レノックには、少しばかり心当たりがあった。が、さすがにそれは調べてみないことには、なんとも断定つけ辛い。
 
 魔石が誕生するに至るまでの経緯は、主に二つ存在する。自然現象の一環として結晶となる場合と、そして、もうひとつ。
 自宅に戻ったレノックは、持ち帰った件の魔石をランプにかざし、頬づえをつく。
 魔石は人の手により産声をあげる事も、決して少なくはない。むろん、練成出来る者は少ない。だが、稀少だからこそ、その名は広く伝えられるものとなる。
 ハモンドの魔石。
 そう呼ばれる魔石は、そのどれもが”素晴らしい”魔力を秘めているという。
 もちろん、その数は少ない。ゆえにその価値はとんでもない額まで跳ね上がる。
 今、レノックの手にあるのは、間違いなくハモンドの魔石。――それも、恐らくは極上の。
「……さて、どうするかのう」
 独りごちて目を細ませる。
 ランプの灯りがゆらりと揺れた。

 翌朝。レノックの姿は青空市場の中にあった。
 蔦を干して編み上げた敷き物を地べたに広げ、あぐらを組んで座る。売り物は昨日採ってきた薬草、そして粒の揃わぬ宝石の数々。
 昨日、レノックが山岳地帯に足を踏み入れたのは、そもそも引きうけていた依頼をこなすためだった。
 人の踏み入らぬ山岳のその奥にのみ自生している稀少な薬草。どんな病でもたちどころに治してしまうのだというその薬草は、しかし手にするまでには少しばかり危険な冒険をせねばならないのだ。
 依頼をこなし、そのついでにと採り集めてきた物を、レノックはこうして市で売り物として並べるのだ。
 宝石の類いなどには比較的高値がつく事が多い。薬草はそれを必要とする専門医がまとめて購入していく事が多いため、こちらも、まあ、程ほどではあるが、存外にいい値をつけてもらえる。
 この日も、並べていた品々は比較的早々に売れていき、残ったのは小粒の宝石が数個となった。
 過ぎていく人々を眺めつつ、訪れた束の間の退屈に、小さなあくびをひとつつく。――と、その視界に、ひとりの少女が飛びこんだ。

 少女は野菜売り場を前にして足を留め、カバンやらポケットやらをひっきりなしに探っている。
 未だ幼さの残る風貌から察するに、親の遣いか何かで買い物に来たのだろうか。
 少女はひとしきりそうやって何かを探した後に、やがて大きく肩を落としてかぶりを振った。
 野菜売りの女が何事かを少女に告げているが、少女は弱々しく微笑んで、丁寧な所作で頭をさげた。
 踵を返した少女に、レノックはゆっくりと近付いて行って、微笑みかける。
「どうしたね? 何かお困りのようじゃが」
 そう声をかけると、少女は驚いたように目を見張り、レノックの顔を仰ぎ眺めた。
「あ、いえ」
 レノックの言葉に驚きを見せていた少女の頬が、やがて薄い紅色へと染まる。
「いえ、その、私……」
 そう述べた後に睫毛を伏せてしまった少女に代わり、野菜売りの女が口を開けた。
「財布を落としちまったんだってさ。まあ、この賑わいだ。盗っ人のひとりぐらいいても当然だろうしねえ」
 女のその言葉に、少女の顔がますます紅色を色濃いものへと染めていく。
「……なるほど。いや、しかし、こうしてお遣いに来るとは。いや、なかなかどうして偉いじゃないか」
 頬を緩め、首を傾げたレノックの言葉に、少女はゆっくりと顔を持ち上げた。
「いえ、お遣いではありません。私、自分で使う分の食材を求めに来たんです。……でも、うっかりしてしまったようで」
 すらりと背筋を正してそう述べる。細ませた双眸は清廉な水の底を写し取ったような青色をたたえていた。
「おや、それは失敬。……ふむ、しかし。それはお困りじゃろう。迷惑でなければ、ここはワシが立て替えておこうと思うが、どうするかね」
「……え?」
 レノックの申し出に、少女の表情がわずかに歪む。その意味を悟ったレノックは、小さな笑みをこぼしてからかぶりを振った。
「いや、むろん、後程ちゃんと返してもらうよ。いや、なに。市に並べた物が、思いがけず高値で売れたもんじゃからの」
 そう返して目を細ませる。
 少女は、しばし思案して、
「それでは、申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
 丁寧な所作で腰を折り曲げたのだった。

 少女は、名をレイリアと名乗った。
 雑踏を離れた場所にある小さな家が、レイリアの自宅だった。
「今日はありがとうございました。助かりました」
 幼さの残る面立ちに似つかわしくない言葉遣いで礼を述べて、立て替えてもらった分の代金をレノックに手渡すと、レイリアは銀製のポットを火にかけた。
「もしもこの後、急ぎの用事でもなかったら、どうぞお茶でも飲んでいってください」
 手作りの焼き菓子を小皿にのせてレノックに渡し、レイリアは満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ、少し休ませてもらうとしようかな」
 やんわりと笑んでうなずくと、レノックは手近にあった椅子のひとつに腰掛けた。
「ちょうど、受けていた依頼が片付いたばかりでね。今日は一日暇なんじゃよ」
 そう続けつつ、焼き菓子をひとつ口にする。
 火にかけていたポットが湯気をたちあげた。レイリアは茶を淹れながらうなずいて、レノックの言葉に問いかける。
「レノックさんは冒険者かなにかなんですか?」
「まあ、そんなもんじゃのう。あちこち巡り歩いては、珍しいものなんかを市場で売るのじゃよ」
「市場で品を並べるなんて、商人さんみたいですね」
「冒険商人といったところかのう」
 言葉を交わし、笑みがこぼれる。
 
 花を干したもので淹れた茶が、温かな湯気と共に心地良い香りを部屋中に広げていく。

「良かったら、冒険のお話、聞かせてください」
 茶を一口すすり、レイリアがそう首を傾げた。
 レノックもまた茶を口にしていたが、レイリアの言葉に、ふとしばし口を閉ざす。
「私、この家を離れた事がなくって。だから、外の世界を知らないんです」
 レノックが口をつぐんだのを見てとり、レイリアはそっと目を細ませた。
「……いや、何。面白い話はいくつも持っておるのでね。はて、どの話を聞かせたものかと、少しばかり考えこんでおったのじゃよ」
 そう告げて微笑むと、手にしていたカップをテーブルへと戻す。
「……そうじゃなあ。ああ、そうだ。昨日の話なんぞはどうかのう。薬草を採りに踏み入った山岳地帯で、ワシは魔物に遭うたのじゃ」
「魔物に……!」
 驚きに目を見張ったレイリアをやんわりと見遣りつつ、レノックは一口、茶を口にした。

 レノックはゆっくりとした口調で話を始めた。薬草の採取を依頼された事、その薬草がどのような病にも効果をもたらすものであった事。切り立った崖がどのようなものであったのか。そこから見た景観がどれほどに見事なものであったのか。
 レイリアはレノックが語る話にひとつひとつ相槌を打って耳を傾け、感嘆の声をあげ、目を輝かせた。
 ――が、その表情は、レノックが対峙したという魔物の話を耳にした途端、その色味を変容させたのだ。
「どうしたね? ……ああ、やはり魔物退治など、おまえさんのような者には面白くもない話であったかのう」
 レイリアの表情が一変したのを見て取ると、レノックは申し訳なさげに笑みを浮かべた。
 レイリアは、しかし、レノックの謝罪にかぶりを振り、毅然とした眼差しでレノックを見上げたのだ。
「その魔物、もしかしたら魔石に心を奪われた人間のなれの果てではなかったですか」
「うん? おお、確かに。……いや、おまえさんみたいな者も、魔石を存じておったとは」
 レノックが感心したようにうなずくと、レイリアは束の間睫毛を伏せた。しかしすぐにまた目をあげて、真っ直ぐにレノックの顔を見遣る。
「申し遅れました。私、レイリア・ハモンドと言います」
「うん?」
「ハモンドの魔石と呼ばれるものには、私が手掛けたものも含まれています」
「……おまえさんが”ハモンド”じゃと?」
 レイリアがうなずくと、レノックは浮かべていた笑みをゆるゆると解き、青色の双眸でレイリアの顔を見定めた。
「……いや、驚いた。ワシはハモンドは男じゃとばかり思うていたわ」
「以前までは、私の両親がハモンドを名乗っていましたから」
「ほう、ではおまえさんはご両親からハモンドの名を譲り受けたのじゃな」
 レノックの言葉に、レイリアは黙したままでうなずいた。
「亡き両親の名の元、ハモンドの名に恥じぬ魔石の練成をと……そう思い続けていました。私の代で、ハモンドの名を一層強いものにしてみせようとも」
 ふいと視線を逸らし、窓の向こうを見遣りつつ、レイリアは静かにそう答えて、そして再び口を閉ざす。
 レイリアの視線を追いながら、レノックもまたしばし口を閉ざし、冷めかけた茶を口に運んだ。
「ハモンドの名を持つ者は、もっと豪奢な家に住んでいるものだとばかり思うていたがのう」
 独りごちてそう呟き、レイリアがひとり住んでいる家の中を見渡した。
 豪奢な家具どころか、調度品もろくに揃っていない。決して広くもなく、隙間からは風が流れこみ、かたかたと戸板を揺らす。そんな、云ってしまえば粗末な造りの、長屋の一室。それが、レイリアの家だった。
 レイリアはレノックの言葉に静かに頬を緩ませて、そしてようやく口を開けた。
「用意されていた場所からは、3年前、意図的に姿をくらましてきましたから」
「……ふむ、なるほど」
 返し、うなずく。

 ハモンドの名の元、レイリアは必死になって魔石を造り続けていた。
 誉めそやされるままに己の身を削り、魔力を注ぎ、命を注ぎこんできた。
 両親が謎の死を遂げた後、自分がハモンドを名乗るようになってからは、一層の尽力を心掛けた。
 名誉、栄誉、賞賛。レイリア・ハモンドこそは稀代の魔石錬師であると褒め称えられる事を、何よりの喜びとしてきた。
 ――――だが。

「魔石が生み出すものは、悲しみや絶望――薄汚れた昏いものばかりなのだと知って、私は魔石を作り出す事が恐ろしくなってしまったのです」
 表情を歪ませてそう告げたレイリアに、レノックはしばしの間沈黙を守り、空になったカップを見つめていた。
「……新しいお茶を淹れますね」
 席をたってポットに手を伸ばし、新しい茶葉を落とす。
 乾燥した花は湯を得る事で新しい息吹を起こし、踊る。
 その様を見ているレノックに、レイリアは、意を決したように口を開けた。
「レノックさん、あなたにお願いが出来ました」
「……うん?」
「私の依頼を受けてはくれませんか」
「依頼じゃと?」
 思いがけぬその言葉に、レノックはわずかに目をあげた。
 レイリアは毅然とした面立ちでうなずき、さらに言葉を続ける。
「私に、レノックさんが見てきた――そしてこれから先に経験するだろう冒険譚を聴かせてくださいませんか?」
「ふむ、構わんよ。しかし、おまえさん。それは依頼とは云わんじゃろう。友人としてたまにこうして茶を共にすれば、必然、茶請け話となるものなのだし」
「いえ、依頼なんです。――もしもこれから先、今回のように魔石を見つけるような事があったら……」
「それを集めてきてほしい、とかなんとかかね」
 小さな笑みを浮かべつつそう述べたレノックに、レイリアは首を縦に動かした。
「……なるほど、のう」
「報酬はきちんとお支払いします」
 食い下がるようにそう続けるレイリアに、レノックは頬を緩ませ、うなずいた。
「ワシの仕事への報酬は、安いものではないぞ」
 返したレノックの言葉に、レイリアはぐうと口をつぐむ。
「……出来るだけ善処します」
「ハ、ハ。いや、冗談じゃ。……こうして、茶にでも誘うてくれればそれでよい」
 満面に笑みを浮かべるレノックに、レイリアの表情もまた緩やかなものへと変化した。
「じゃあ、契約成立じゃ。どれ、茶のお替わりでももらおうかの」
「ええ、何杯でも」

 ポットから注がれた茶が、温かな湯気と共に心地良い香りで部屋中を充たしていく。
 やんわりと微笑みカップを口に運ぶレノックが語る冒険譚を、レイリアは心の底から楽しみ、聞き入った。
 ――――ただひとつ、レノックには伏せている事実があるのだが。それは決して明かさない。
 どうしても取り戻したい魔石は、魔物を生み出すだけには留まらないものなのだ。
 最凶の魔石。
 ――――それは、今はまだ決して明かせない事実。

―― 了 ――