<東京怪談ノベル(シングル)>


〜命を紡ぐ樹 運命の朝〜


 ファサード(ふぁさーど)は、ふう、とひとつため息をついた。
 そのため息はとても切なげで、もし聞く者がいたとしたら、胸を締めつけられずにはいられないほど、つらい色を含んでいた。
 ベルファ通りの外れにある、木で出来た工房。
 その、奥で。
 ファサードは腕の中で微笑んでいる、小さな男の子の人形を見た。
「うちの息子の弟になれるような、人形を作ってくださいな」
 この人形の制作を依頼に来た女性は、少しふくよかで、優しい笑みを浮かべていた。
「外にある看板を拝見させていただいたわ。どんな人形でも、作って下さるのよね?」
「ええ、いとおしんで下さるのなら」
 にこ、とファサードは女性に微笑み返した。
 もちろんよ、と女性はうなずいた。
「それでは、報酬はこれでお願いしますわね」
 ジャラ、と置かれた白い絹の袋から、黄金の光がきらめいてこぼれた。
「息子が喜ぶわ、きっと、ね」
 女性は母親の慈悲を言葉にこめて、そうファサードに言い置いて、行った。
 そして、ファサードは知っていた。
 この人形が、彼にとっての最後の人形になることを。
「だって…」
 ふっと苦い笑みをにじませて、ファサードは左腕を見下ろす。
「ほら、もう少しも動かない…」
 意志はある。
 上に持ち上げようという意志は。
 だが、腕はもうファサードの言うことをこれっぽっちも聞く様子はなかった。
 ただただ沈黙して、そこに、在る。
 今日は女性が受け取りに来る日だ。もしかしたら、息子も連れて来るのかも知れない。その小さな腕に弟を抱いて、あふれんばかりの幸せの中で、家路につくのかも知れない。
 それが、ファサードにとって、唯一の慰めだった。
 立ち上がると、ぶらんと左腕が揺れた。
 もう何も感じない、その腕。
 ファサードは泣きそうな顔をした。
「どうして、僕だけ…?」
 吐き出した言葉は、紅い血の色をしていた。
 ドウシテ、ボクダケガ、ナオラナイノ?
 何度も何度も、心の中で繰り返して来た問いを、彼は口の中でつぶやいた。
 声に出してしまえば、永遠に直らない気がした。
(僕は人形師…どんな人形も作れる…そして、僕は『人形』…でも、『僕』を作ることは出来ない…人形師のくせに…!!)
 ダンッ、と机が鳴った。
 右の拳だけが叩きつけられた、乾いた音だった。そしてそれは、明らかに無機質の物の音だった。
 認めたくない。
 絶対に、認めたくなかった。
 自分を創った存在に、あらゆる面で遠く及ばないことが悔しかった。
(悔しい…だけ…?)
 ちがう、とファサードは首を振る。
「悔しい」というのは、手が届くかも知れないのに、今少し手が届かない時に感じる気持ちだ。
 だが、これは。この感情は。
「絶、望、か…」
 ファサードは、くっ、と肩で笑った。
 大声で笑い出したいくらいだった。
 そうだ、この感情は「絶望」だ。
 どう考えても、あがいてみても、創造主である「紫苑の人形師」にはかなわないのだ。
 なぜなら。
「僕はまだ、『樹』すら、見つけていないんだ…」
 材質は何かの『樹』である、ただそれだけしかわかっていない。
 彼の大事な友人たちが、彼のために作ってくれた瑠璃色の指輪が彼を守ってくれる間はいい。
 だが、その後は?
 この体は、そよ風の力ごときで、崩れていきはしないだろうか。
 わからない。何も。何ひとつ。
 ファサードは、人形を机に置いた。
 心配そうに彼を見つめる、たくさんの人形たちの中心で、ファサードはとうとう、その言葉を口にした。
「探しに、行かなきゃ…」
 ざわ、と人形たちがざわめいた。
 口々に彼を引き止める言葉を浴びせかける彼らに、力のない笑いを浮かべて、ファサードは答える。
「お願い、行かせて…僕は何も、全能になりたい訳じゃないんだよ…せめて、せめてね、君たちと同じように、ずっと笑っていたいだけなんだ…君たちが壊れてしまったら、僕はいつだって助けてあげられるよね。だけど、だけど僕は…僕が壊れてしまったら、僕以外に助けられる人はいないんだ…ほら、もう左手だって、動かない…」
『ファサード…』
『ごめん…』
『ごめんよ…』
 人形たちが哀しそうに彼に謝った。
 小さく首を振り、ファサードは言う。
「謝るのは僕の方だよ。少し、ここを空けてしまうけど、必ず、必ずね、戻って来るから…」
 ファサードは最後の依頼になってしまった人形を取り上げ、最低限の荷物を抱える。
 人形は、届けてから旅立とう、そう思った。
 
 
(行くのか、ファサード…)
(決めたのか、とうとう…)

 心の奥からいくつかの声がした。
 そのすべてに頷きを返して、ファサードは扉を開けた。
 瞳には悲壮な決意。
 ここに戻って来られる可能性は、本当はあまりないけれど。
「自分」を失うかも知れないけれど。

「ここで、朽ちていく訳にはいかないから…!」

 それは、とても晴れた日の朝。
 まだ誰もいない路地を、彼はゆっくりと歩き去って行った。
 
 
〜END〜