<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


その者己を知らず 前

 ロストソイル、と今も伝わる過去の災いがある。
 それは、大地との楔を外される理由となった出来事。
 世界が破滅した、その日の名前。
 その時、ひとりの男が、『産声』を上げた。

 『彼』は、何も持たず、そこに立っていた。
 いつからそこにいたのか。
 どうやってここまで来たのか。
 彼に問う者も無く、彼もまた答えなかった。
 ――その答えを知らなかったから。

 『彼』は、彼自身を作り上げた今までの記憶を、全て忘れていた。
 感情とともに。

*****

「…………」
 目に映るのは、良く分からないものばかり。
 それが、ひとと呼ばれる力の無い弱い生物だったり、異端と呼ばれ蔑まれるものだったり、異形――災厄直後から一斉に各地で沸き出したものだったりするのだが、青年にはそれは何の感動も呼び覚ます事が出来ないものばかりだった。
 時折、異形に追われた人々が青年に縋ってくる。一縷の望みを託して――だが、
「……」
 青年は。
 自らに襲い掛かろうとする敵に対しては、受動的ながら行動を見せたものの、助けを求める人々には無関心そのもので。
 異形……後にウォズと呼ばれるようになったソレを、完膚なきまでに屠るだけだった。
 それも、単にウォズが彼に狙いを定めて来たから屠るだけ。
 他の者が襲われていて、彼へ襲い掛かって来なかったのならば、彼はただ一瞥して通り過ぎて行くのみ。
 何の感情も浮かんでいない赤い目は、血に飢えてさえいなかった。
 そして、ウォズを屠ると同時に生まれ出でる『代償』は、文字通りその地を焼き尽くした。青年へ助けを求めた人々もろともに。
 ――銀髪の青年は、そうした理由から、常に不毛の地とともにあった。
 何故か、その『代償』は、青年そのものを巻き込むことだけはなかったのだけれど。

*****

 気が付けば、青年はいつの間にか異形を屠る事に何らかの意義を見出していた。
 誰かを救うためではなく、異形を、あの気配を放つものを倒すために、青年はどうやって手に入れたのか、それとも生まれつき持っていたのかも分からない力を使い、自分の気配を辿って現れる異形を狩り始めた。
 その頃ようやく現れた感情らしきものは、喜びの感情ひとつ。それも、倒せば倒しただけ自分の中の何かが刺激されると気付いた青年が、異形を目にする度に浮かばせていた。
 そのお陰で、大陸の一部が無に帰していた事には気付かないまま。
 いつしか、ロストソイルを生き残った人々の口の端に上る程、青年のその行為は長い間繰り返されていた。
 ある、運命の出会いを果たすまでは。
 それは、いつものように異形を求めて彷徨っていた青年の目の前に現れた、一人の少女。彼女は今まで青年に縋ってきた人々とは違い、異形と対峙して一歩も譲らず戦い続けていた。
 が、そんな事は青年にとってどうでも良い。
 青年の目的は、異形を屠る、その一点に尽きていたから。
 そうして、少女に構わず異形へと攻撃をしかけた時、青年にとって予想だにしない出来事が起こった。
 少女に睨まれた――そう思った途端、自分と同種の、そして自分を遥かに凌駕した力に青年はその場へ押さえつけられてしまったのだった。
 身動きひとつ取れない状況で、目の前にいる自分の獲物を易々と狩る少女を見るしかない。その事実に青年は驚きを隠せずにいた。そして、更に驚く事に、少女は異形に止めを刺さず、ぎりぎりまで体力を削った後で、封印……この言葉は後になって知ったものだったが、その異形を自らの内に封じ込めて、少女はひとつ大きな息を吐いた。
 ――なんだ、今のは。
 呆然としながらその様子を見ていた青年に、少女がくるりと振り返ってつかつか近寄って来る。
「――あなたね?」
「……?」
「あなたなのね」
 青年に理解出来ない問いかけをした少女は、言うや手を振り上げ、青年が身を庇うより早くその手を振り下ろしていた。
 ぱしぃん、と小気味良い音が辺りへ響き渡る。
「分かってるの? あれらを狩って、屠って、大地を――人々を、命を殺したのよ、あなたは」
 少女は、怒っていた。そして、それと同時に、酷く悲しんでいた。
 少女の言っている事は半分も理解できなかったけれど、青年は、少女の語る命と言う言葉に何故だか動揺を覚えて、打たれた頬がひりひりと熱を帯びるにも構わず少女を凝視する。
「命を、殺した? 俺がか?」
「――自覚が無いわけじゃないでしょう?」
 その顔を見れば分かるわ、と少女が青年を見下ろして言う。
 命について考えた事などなかった青年へ、少女は更に、
「その心の動きこそ、あなたが生きてる証。命をどこかで感じていなければ気付く事ではないわ」
 私とあなたは同じだもの、と少女は言うと、青年を押さえつけていた力を解く。
「――違う。命を感じる? そんなものが俺を意味する訳が無い。俺を意味するものは、ただひとつ――この力だけだ!」
 それを少女の油断と見たか、青年は力を解かれたと同時に自らの力を解放して少女へと叩き付けていた。
 少女の言葉は、意味が分からない。いや、分かりたくない。
 だがひとつだけ分かるのは、これ以上少女の言葉に耳を傾けていれば、自分がどうにかなってしまいそうだと言う事。
 自分以外の生物に、自分と言う存在を覆されそうになるとは思ってもみなかっただけに、その動揺は大きかった。
 大地を抉る程の力を思い切り少女へと向ける。今までの異形はこれで大概戦闘能力を削ぐ事が出来た。ましてや、自分よりも小さく、そして押さえつけられていた間に気付いた事だったが、自分よりも『力』で劣る少女に負ける訳は無い。
 だが。
「甘いわね。あなたじゃ私は倒せないわよ?」
 力押しでは確かに青年に敵わないが、それを真っ向から受ける筈も無く、あっさりと受け流して力を散じた少女がにこりと笑い。
「今度は私の番ね」
 己の持つ力の使い方を心得ていた少女が、戦闘態勢に入った青年へと力を解放しつつ近づいて行った。
 それは、今までにない強敵。
 屠るどころか、ほんの少しでも油断すれば自分の命が危ないと青年が気付くのにそう時間は掛からなかった。
 ――なんだ、これは。
 俺が最強じゃなかったのか。
 今までのやつとは違う。このままでは――まさか、今度は俺が――狩られる――の、か?
 狩られる?
 屠られる?
 ……死……ぬ?
「お……おおおおっ!?」
 荒い息を吐きながら、なんとかぎりぎりで少女からの攻撃を受けていた青年が、突如奇声を上げた。同時に、青年の中から弾け飛んだ気配があり、少女が攻撃の手を止めて急ぎ下がると時を同じくして、青年のいた辺りから巨大な翼が現れ、その翼に見合うだけの体を持つ銀の獅子がその場へと出現した。
「……これは、予想外だったかも」
 少女が驚いたように、その巨大な獅子を見上げて小さくため息を付く。
 おおおおおおおおん!!
 空へ向かって咆哮した獅子は、下から見上げる小さな生物などすっかり忘れたように、青年が無に帰した大地と、かろうじて残っていた小さな自然へ猛然と攻撃を開始した。
 それは、先程青年が出そうとしていた力など比べ物にならないもので。
 しかし、目標を定める様子も無くその場で暴れまわっているところをみれば、制御も無く暴走してしまっているとすぐに分かった。
「……」
 黙って下から見上げていた少女の輪郭が揺らぎ始める。
 まるで、今までの少女という存在そのものが、幻か何かだったように。

*****

「……気が付いた?」
 怒りも悲しみも無く、そこにはただ相手を気遣うような表情を見せて自分を覗きこんでいる少女に青年が気付いたのは、意識を取り戻して少し経ってからだった。
「何で、おまえが……どういうことだ」
 くらくらする頭を押さえながら身を起こそうとすると、少女がその背を支えてくれる。その行為を不思議に思いながらも顔を上げた青年が見たものは、何か巨大な力が加えられたと思しき蹂躙され尽くした大地の変わり果てた姿だった。
「これは……俺が、か?」
 意識を失ってからの事は全く覚えていなかったが、少女と戦い、自分の身の危険を感じた最後の瞬間に何かがぷつりと途切れた事だけは何となく記憶に残っていたため、もしやと思い自分を介抱してくれていたらしい少女へ問い掛ける。
「そうよ。あなたの持つもう一つの力が暴走したの」
 それにあっさりと少女が答えると、青年が獅子へ変じた時の事、そしてこの世界に起きた災厄の事、少女と青年が持つ力が『異端』と呼ばれる種族の持つものだと言う事、青年が狩っていた異形はウォズと言い、決して屠ってはならないものだと言う事などを、まだ体がだるくて思うように身動きが取れない青年を介抱しつつ順々に説いて行く。
「……でだ。どうしておまえは、俺を助けたんだ? 俺をそのウォズとか言うののように倒すつもりで戦ってたんじゃないのか」
「あら。あれはあなたが掛かって来たから応戦したまでの事よ。……私は誰も殺さないわ。それがたとえあなたでもね」
「……」
 良く、分からなかった。
 自分を殺す気が無いと言う少女の事も、世界の事も、自分が変じたと言う巨大な獅子の事も。
 ただ、分かったのは、自分は殺されずに済んだと言う事。
 そして、自分の中に何だか良く分からない感情のようなものが生まれて来た事だけだった。
「どうしたの?」
 それが何なのか良く分からない青年へ、少女が見透かしたかのように笑いかけてくる。そんな笑顔が何故かやたらと眩しく感じられて目を細める銀髪の青年に、
「取りあえずはもう、敵意はないみたいね。良かったわ。――私の名はユンナ。あなたは?」
 青年の様子を見てそれと分かったか、自分も目を細めながらもう一度微笑みかけてきた。
「俺は」
 そこではたと止まってしまう青年。
「――分からない。俺は、何も覚えていないんだ」
 暫く考えてから口に出したその言葉に少女は小さく首を傾げると、
「そう。それじゃあ……一緒に来る?」
 行くあてがなければだけど、と、先程までとは打って変わって、見た目の年相応の表情を浮かべると、じっと青年を見詰めた。
「俺が、おまえと?」
「ええ。私一人じゃないけれどね。あなた自身の道と、想いを見つけるために。どう? 一緒に来ない?」
 青年は、その言葉に戸惑いを見せていた。
 今までして来たように、異形を狩り続ける事は、何故だかもう出来ないと気付いている。と言って、これからどうしたらいいのか分からず、あてもない。
 そんな時に少女からの言葉は魅力的だったが、
「俺がそれを受けてもいいのか?」
 異形を倒し、少女の言葉を借りればたくさんの命を屠って来た自分が、一緒に行ってもいいのか、と問い掛けずにはいられなかった。
「勿論よ。……理由が無ければ作ってあげるわ。あなたがまた一人になると、同じ事を繰り返すかもしれない。だから、私たちがある程度まで導いてあげる。そんなところでどう?」
 それに、一緒に行動する者が増えれば、あなたの道も見付かりやすくなるかもしれない。
 そんな言葉に、青年の心は大きく揺れ動き、
「それなら」
 笑顔を浮かべた少女に、もう一度心のどこかが動くのを感じながら、青年はゆっくりと頷き――差し伸べられた手をゆっくりと掴んだ。
 自分が進む道を見つけるため。
 そして、自分がしてしまった事を、見詰めるために。

 少女の手が温かい事に、新鮮な驚きを覚えながら。


-続-