<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ユンナ

 自我が生まれた時が、ひととしての誕生だとしたならば、私はきっとその時に生まれたのだろう。

 ――目を開いた時、目に映ったのは生命の息吹などひとかけらも感じられない不毛な大地だった。黄褐色の大地に、彩りを添えるのは、緑ではなく赤――恐らくは他の者に奪われたのだろう、生命の痕跡たる赤黒い液を大地に染み込ませ、ぴくりとも動かない四肢を晒している、少し前までは生物だったモノだけ。
 その時は、こころに何も浮かばなかった。生きていないと分かっただけでも十分と見極め、黒々と染まった空を見上げる。
 ――多分。
 空の色は、青だったと思う。
 こんな風に、夜でもないのに暗い筈は無かったと思う。
 けれど、それを実感として認識する事が出来ないまま、自分は命を繋がなくなった大地と、闇色に覆われた空との間に浮かぶ大陸の上に、ひとり立ち続けていた。
 すると、そこへ、
「誰か……誰かぁ!」
 聞こえて来たのは、初めて聞く誰かの声。意味は良く分からないが、つい振り向いてしまうような響きを持ったそれを発していたのは、自分と同じような姿の、だが、
『違う』
 ――どこかで囁きが聞こえる。アレは、自分とは違う生物だと。
 そして、その向こうから目の前に見える生物を追ってやって来たのは、四肢こそ自分と同じようにあれど、大きさも肌の色も、そして気配も何もかもが違う異形。長く鋭利な刃物のような腕を振りたてて獲物を追い詰める。
 その動きに、自分を追ってくる背後からの音に喉を振り絞り、胸の中に収まらない呼吸を繰り返すそれに、自分は何かを感じたのだろうか。
 気付けば、異形と、その者の間に立って異形へと手を向けていた。
 どこから出て来るのか分からない、まるで無尽蔵の泉のような力の発露を感じ、それが目の前の異形と根で繋がっている、と頭のどこかで冷静な分析を行っていた。そうしている間にも、体はほぼ無意識に動き……気付けば、ふっと体が重くなったような感覚と共に、異形はその姿を変え、自らの中に息づいていた。
 それが、『封印』と呼ばれる行為と知るのはずっと後の事。その時には、その仕組みさえ分からないままに使ったため、僅かな戸惑いが生まれ、そして。
「――ひ……い、ぃ……っ」
 再び、切羽詰った声が背後から漏れる。また異形でも現れたのかと振り向いた時に、目に飛び込んで来たのは、恐怖に引きつった顔。
 それが自分を真っ直ぐに見ているのだと知ったのは、僅かな後。
 異形と同じように、いや、見た目が似ているだけにそれ以上の恐怖を感じたのだろうか、
「な――何で、ウォズだけじゃなく異端まで来ているの――、う……あ、ああ、いやあああっっ!!!」
 全身から搾り出した声を発すると、へたり込んでいた筈のその生物は自分から背を向けて走り去って行ってしまった。
「……?」
 それが発した言葉の意味が分からない。
 小さく首を傾げ、走り去った者の後姿を、ただ目で追う。
 自分と同じような力を持つ者を、当時異端と呼び、先程の異形とそれに連なるものをウォズと呼び、そしてそれらをひとくくりにしてその地に住み暮らす人間たちに忌み嫌われ、一部では異端抹殺のために動く者もいたなどと、その頃の自分が知る筈は無かったのだから。
 ただ、その言葉に、発した者の強い拒絶の思いに、胸のどこかが疼いたのは確かで、それが何故なのか分からないまま、自分は胸へとそっと手を当てていた。

*****

 世界は、戦乱一色に覆われていると言っても過言ではなかった。
 異種、同種を問わず、無益な血が流され、打ち捨てられた大地同様に赤々と染まっていく地面を何度見ただろうか。
 関わる理由も無かったから、異形に別の種族が襲われている以外では動こうと思わず、ただ目的も当ても無く彷徨う毎日に終止符が打たれたのは、何度目になるか分からない異形をまたひとつ、胸の内に仕舞いこんだ時の事。
 この力を持つ者を狩る者がいたと初めて知ったのはその時で、既に組織として形成され、訓練を受けた者たちによって、気付いた時にはもう逃げ道を全て塞がれた状態で追い詰められていた。
 だが、どういうわけか目の前に居並ぶ者たちを見ても、自分の力を振るう気にはなれない。そうしなければ、ここで自分が倒され、朽ちていくと分かっていても、だ。
 ぼろぼろに裂けた肩口では、先程切られた部位がじくじくと熱を持っているのが分かる。それが嫌だとか、何でこんな事に、とは思いもしなかったが。
 それは、追い詰めた者たちをいらだたせる程に、自分が無表情で、恐怖の表情さえも切り落としてしまっていたからかもしれない。
 ここに及んでも、自分が、生まれた自我が消えてしまうかもしれないとは思ったものの、それが次の感情に繋がらなかったからだ。
 自分の中が、虚ろな闇を持っているだけだったから。
 目の前の人々が、何かを告げるように叫び声を上げ、各自が手に持つ恐ろしげな武器を構えたのを見たその時、目の前に光が一閃した――かと思うと、自分はふわりと柔らかくて温かな何かの中にあった。
「大丈夫?」
 次に耳に届いたのは、これほどまでに心地よい音があったかと思うような、優しい声。
 見知らぬ黒髪の青年の腕の中に自分が抱かれていると気付いたのは、その後だった。
「立てるかな。少し話をして来るから、ここで待っていて」
「……」
 こくり、と頷いたのを見て、青年がにこりともう一度笑いかけると、困った顔をして自分を追い詰めた者たちの元へと歩いていく。
 ――顔を真っ赤にして激昂している者と、その者たちを宥めようと言うのか愛想笑いと時々柔らかな笑い声を上げる青年とで、穏やかに話が続く筈も無く、結局は青年までも先程と同じように武器を殺気と共に向けられていた。
「困ったな。そんなつもりはないけど、話にならないんじゃ仕方ないね」
 そう言った青年は腕を振り翳した。
 ただの一振り。それだけで、人々が手に持つ武器の全てが砂のように崩れ去る。それを持つ者には一切影響無いまま。
「う……うわあああっっ!?」
「ま、まて、慌てるな――」
 人畜無害そうに見える青年が持つ力の一端を思い知ったのだろう、その場にいる者たちのほとんどがパニックに陥って騒ぎ出す。
「さあ、こっちだよ」
 それをぼうと見ていた時、その言葉と共に手が取られた。
 それは、自分をここから――いや、自分と言うものが良く分からない今の世界から連れ出してくれた最初のきっかけだった事に、後で気付かされたのだが、この時はどうしてこの青年の言う事を聞いているのか分からないままに、ただその手を離さずに付いていく事しかできないままだった。
 ――そして、それから、どこをどう移動したのか良く覚えていない。
 特に、追っ手から逃れて暫く走った後は、自分でも意識しないうちに相当疲れが溜まっていたらしく、相手の手を握ったまま気を失ってしまったのだから。
 目が覚めると、
「おはよう。随分良く寝ていたね」
 出会った時と変わらずに微笑を浮かべる青年の姿がそこにあった。

*****

 二人の小さな住まいは、日々少しずつその姿を変えて行く。
 ジュダ、と名乗った青年は自分の力も含め、様々な研究を繰り返しているらしく、時折外から持ち込んだ見たことも無い品を拾い集めては復元したり形を作り変えたりして、居住環境を整えていた。
 想像するに、ジュダはひとりでいた時にはそうした環境には全く無頓着だったようで、自分が初めて来た当初は、植物やメカ類、発掘品などで占拠された部屋には椅子もテーブルも無かったのだが、同居人が増えた事でその辺りもなんとかしなければと思い至ったか、今ではどこから手に入れたのか居住用の部屋には立派な布張りのソファや花模様の壁紙を張った壁、綺麗にペイントされたテーブルや色とりどりの食器などで構成されるようになっていた。
「ジュダ、今日のご飯はなに?」
「今日は珍しい食材を見つけて来たから、それを使って料理するつもり。何ができるかはお楽しみ、ってね。――ああ、きみは出来上がるまで待っていていいよ。それより新しいクッションの使い心地はどう?」
「ちょっと固い気もするけど、これはこれで悪くないわ。お昼寝用の枕にぴったりだもの」
「そうか、それは良かった」
 にこにこと笑いかけてくるジュダは、少しでもきみの時間つぶしになれば良かったと、心底そう思っていると分かる笑顔を向けて来る。
 ジュダはいつも自分に構っているわけではなく、外に出て研究材料や食べ物を探したり、この地から消えたと言う植物の再生を研究していたり、動かなくなったメカ類を復活させたりとやる事は山のようにあり、寧ろ自分に構う時間の方がどうしても短くなる。
 その間、自分は何をしていたかと言うと、ほとんど何もしていなかった。
 少しずつ、楽しいとか、眠いとか、美味しいとかそう言う感情は学び始めていたものの、青年の手伝いをするような知恵も記憶も無かったし、邪魔しないように……というよりも、何もする気が起きずにごろごろしているだけだったのだ。
 結果的にそれを申し訳ながるジュダによって、居住環境がどんどん整っていったのだから、これでもいいかなと思ったりしていたのだったが。
 そんな日が続いたある日、珍しくジュダが沈んだ様子だったのに気付いて、
「今日は元気ないのね。ジュダらしくないわ」
 ジュダに結わえて貰った髪をさらりと流しながら軽く首を傾げると、苦笑を浮かべ、
「きみにも気付かれてしまうんだね。そんなに悩んでるつもりは無かったんだけどなあ」
 そう言うと、研究室の一室を使って植物再生の実験を行っているのだが、その中でも大物の樹木の種類のひとつが研究を始めてから一度も花を咲かせる事が無く、行き詰まってしまったのだと言った。
「ふうん」
 その時はただ、その話を聞いただけで特に何かしようなどとは思っていなかったのだが……。
 ある日、何の気なしにジュダの姿を探して訪れたのが、植物の再生室で。
 そこに入り込んだ途端、その場にあった全ての植物の命を感じ取って、心の奥が激しく動くのを感じ、気付けば部屋の中で一番大きな植物……それが、ジュダの言っていた花を咲かせない木だったのだが、その幹に触れ、特に何も考えないままに額を押し当てていた。
 鼓動を感じ取ると、自分の持つそれと重なっていく感じがする。
 命そのものの響きが、とても心地よくて、ごく自然に唇から音が漏れ出ていた。
 それが何であるか、分からないままに。ただ、その心地よさを何とかして表現したくて。
「え……っ!?」
 驚きの声は、背後から聞こえて来た。何だろうと思い振り向いたそこに、目を丸くしたジュダの姿があって、あら、と唇に微笑みを浮かべながら軽く首を傾げる。
「ジュダ、そっちにいたのね。探したのよ」
「あ、ああ、ごめん……ねえ、今何をしてたの?」
「何って、木に頭を付けていただけよ?」
 一体何がそんなにジュダを驚かせているのだろうか、と思いながら、ジュダの視線を追って後ろを向いて見上げると、そこには桜色の花がいくつも花開いていた。
「咲いたじゃない」
「……うん。咲いたね」
 淡い桜色の花びらを見ると、また何だかとても嬉しくなってきて、笑みを浮かべたまま口から思い浮かぶままに音を口ずさむ。
「――」
 ジュダは、そんな様子をじっといつまでも見守っていた。
 そして、その日。ずっと花を咲かせずにいた木の名、『ユンナ』が、ジュダの口から自分へと与えられた。何でもその木と同調したからだとか……良く分からなかったけれど、ジュダが喜ぶ姿が見れてとても嬉しかったのを覚えている。
 それは、もうひとつの『想い』が生まれるきっかけでもあった。
 お互いに、お互いの心に触れ合いたいと思うようになる、ひとつのきっかけだった。

*****

「ユンナ、少し手伝って貰いたい事があるんだけど」
「なあに? ……あ、あの、最初に言っておくけど家事や料理は駄目だからね?」
「分かってる。ユンナにそれは合わないみたいだから、そっちじゃないんだ」
「……違うの。何だかそれもちょっと気に入らないけど、なに?」
 自分で言っておいて、ジュダにあっさり否定されるとそれが気に入らないと言う複雑な気持ちになっていたが、その次にジュダが苦笑しつつ取り出したものにあっさりと心が奪われた。
 それは、ジュダらしい柔らかな字で書かれた詩。
「少し、実験に付き合ってくれないかな。君にこの詩で歌を歌って欲しいんだ」
「……歌?」
「ああ、そうか」
 歌と言うものが何なのかまだ教えていなかったね、とジュダが笑い、そしてユンナが最近お気に入りの楽器を持って来て、ユンナの隣に座る。
「歌って言うのはね」
 あまり得意じゃないけど、と言いながら、ジュダが音を奏でつつ小さな声でその音に言葉を乗せる。言葉はジュダの作り上げた詩を使ったもので、その声と言葉、そして音というものを聞いているうちにすっかり魅せられ、それを自分に歌って欲しいと言われた時最初は驚きもしたけれど、すぐに大きく頷いていた。
 ジュダの作り出す言葉は大好きだったから、それを音に乗せるなんて、とわくわくしたのを覚えている。
 それが、将来歌姫として名を馳せるようになるなんて、全く思いもよらなかったけれど。

*****

「……不思議ね」
 紆余曲折あって、結局また自分の手元に戻って来たルベリアを見ながら、そっとつぶやいてみる。
 感情も無く、心も無く、世界をただ彷徨っていただけの自分を救い上げてくれたジュダを好きになり、ジュダも自分を想ってくれ、そのうち仲間も増えて――いろんな事があって。
 今になって再び再会したジュダに、もう一度初めから恋をしているような気分で。
 ペンダントにしたルベリアを、鼻先でぷらぷらと揺らしてみると、あの日咲いた桜の花が目の前に浮かぶようで、思わずくすりと小さく笑みを漏らした。
 ジュダは、今ごろ何を考えているのだろうか。
「まさか、同じ事を思い出していたり……なんて、まさかね」
 冷たい空気の中、冴え冴えと光を落とす空の月を見上げて、ふっと口元に笑みを浮かべ。
「おやすみ、ジュダ。……それから、ずっとずっと言えなかった事……ありがとう」
 きっと聞こえないだろうけれど、胸の奥に仕舞い続けるには少し苦しかった言葉を呟いてみた。
 ――?
 すると、門の外に人影が一瞬見えたような気がして、身を起こして闇の向こうを凝視する。
 そこに、いる筈の無い人の姿を目に映そうとして。
「まさかね……」
 小さく呟いた後で、ルベリアにそっと口付けをして窓辺から離れた。
 ――門の外で。
 ほんのりとルベリアが淡い輝きを見せた事に、気付かないまま。


-END-