<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


いなくなった恋人(前編)

【オープニング】

 その日は、エルナの恋人ファザーリの誕生日だった。
 彼の家は実家が鍛冶屋で、彼自身もそこで働いているのは知っていた。彼女はファザーリを驚かせようと、約束はせずにいきなり彼の家に行って驚かそうとしたのだ。
 けれど、それは果たせずに終わった。
 鍛冶屋にいたのは、ファザーリの父ムガリだけ。
 ムガリはしきりに首をかしげていた。エルナの顔を見るなり、
「おお、キシリオのお嬢さん。息子を見んかったか」
 エルナ・キシリオ。それがエルナのフルネームであり、キシリオの名は商店街では知られる名士だ。
 ムガリはそのキシリオの令嬢と一人息子の仲を心から歓迎していた。
 加えて、エルナは兄弟が多い。そのため、まだ表立っては紹介してはいないものの、エルナの親からも交際は否定されていない。
 二人の未来は順当に……見えていたのだ。
 それなのに。

「どうして……」
 鍛冶場に出てこない息子について尋ねられ、エルナは彼の部屋へと飛び込んだ。
 そこには、二通の手紙が――
『父さんへ』
『エルナへ』
 父親宛てのものはムガリ自身が読み、沈黙してしまった。
 エルナ宛てのものの中身は――……

『別れよう。もう君とは付き合えない』

「どうしてっ」
 エルナは手紙を握って拳を振るわせた。涙がにじみそうになるのを必死でこらえた。
「分からん……どこへ行きおったんじゃ」
 ムガリが手紙を片手に、放心したようにつぶやく。
 エルナはムガリの手からそっと手紙を取り、中身をのぞいた。

『父さん、すみません。俺は旅に出ます。さがさなくても大丈夫だから、気にしないで』

「こんなのって……ないわ」
 おかしい。そんなはずがない。
 本当にただ旅に出るだけなら、こんな姿の消し方をするはずがない。
 ひょっとしたら、彼流の冗談かもしれない。励ましあうようにムガリとそう言いあって、二人は待った。
 一週間待った。
 その間もふらりとどこからか現れるのではと思って、街で似た人を見かけては振り向いた。
 一週間……

 ファザーリは帰ってこなかった。

「さがす……から……」
 ぽろっと、涙が一筋。
「さがすからね……ファザーリ。私、納得しないから。わがままでごめんね……」
 それでも、ひとりで捜すのには限界がある。
 泣き笑いの表情で、彼女は白山羊亭と呼ばれる店へと向かった――

     ■□■□■

 白山羊亭の看板娘ルディアは、エルナの話に深く同情し、彼女の恋人さがしを手伝ってくれる人材をみつくろってくれた。
 そして、二人の人物が選ばれた。
 ひとりはアイラス・サーリアス。薄青色の髪を首の後ろで束ね、濃青色の瞳に大きめの眼鏡をかけている、優しげな青年だった。
 もうひとりは、キング=オセロット。豪奢な金髪が軍服によく似合う、美しい女性だった。
「恋人がいなくなったのですが……。置手紙を残して失踪、実家でも行方は分からず」
 それは心配ですね、とアイラスが沈痛な面持ちでエルナの背をなでる。
 元気を出してください、と。
「……ふむ。手紙だけを残して失踪、と」
 オセロットは長い足を組んで片手でカクテルを揺らしながら、ひとりでつぶやいていた。
「ただの色恋のいざこざか、それとも何か裏があるのか」
「何かに巻き込まれているのでなければよいのですが」
 オセロットの言葉に重ねて、アイラスがつぶやいた。
「ただの色恋のいざこざなら、きっとお父様のところにそんな手紙は残さないですよね? オセロットさん」
「ああ、そうだったな。まあ、まずは身辺調査といこう」
 オセロットはくいとカクテルを飲み干す。
 アイラスは、エルナの手を取って「まずはファザーリさんのことをお尋ねしてもよいですか?」と訊いた。
 エルナは「はい」とうなずく。
 外見的特長は、背は標準、鍛冶屋の息子だけに手足ががっしりしていて、鍛冶屋の特徴ともいうか、右目が少し悪くなっている。年齢は二十三、充分ひとりで考え行動できる歳だ。肌はやや日焼けしており、普通の人間としては目立つほうだと言う。
「性格は?」
 アイラスは慎重に、エルナの心を傷つけないようはかりながら尋ねる。
「性格は……真面目で、職人気質ですが優しい人……でした。ただ……不器用な人でした。気持ちを伝えるのが、あまり上手じゃないなって、前から思っていて、だから」
 だから、今回もきっと――
 望みをつなぎたいエルナは、胸の前で手を組み合わせる。
「なるほど、何か思いつめたのかもしれないですね」
 アイラスがうなずく。
「では、外で聞き込みに行くとしようか」
 オセロットが立ち上がった。
「何かに巻き込まれているかどうか判断がつかない。慎重に事を運ぶに越したことはない。聞き込みの際はできるだけ当たり障りなく、な」
 もっとも、とオセロットは肩をすくめた。
「見知らぬ者が突然聞き込みまわるのだから、あるていど目につくのは覚悟するか」

     ■□■□■

 オーマ・シュヴァルツが白山羊亭についたとき、店には今日いるはずの同盟NO.2たるアイラス・サーリアスがいなかった。
「おいルディア。アイラスが来なかったか?」
 看板娘を捕まえて尋ねると、
「あ、はい〜。アイラスさんは、依頼をこなしにいかれました」
「依頼? 今度はなんだ」
 ――オーマは詳しい話を聞いて、くわっとルディアに迫った。
「ぬわぜ俺も呼ばねえんだ〜〜〜!?」
「だ、だってオーマさんその場にいらっしゃらなかったし〜」
「くっ。今からでも遅くねえはずだ。行くぜ!」
「行くってどこへ……!」
 ルディアの声は届いたのか届かなかったのか。オーマはそのまま、ばびゅんと店を飛び出していった。

「アイラスの行くところ、この俺に分からないはずがない……っ」
 腹黒同盟の絆筋、その強さをあなどってはいけない。
 彼はあっという間にアルマ通りの、ある鍛冶屋にたどりついた。
 それはとても小さな、ボロ屋的な鍛冶屋だった。
「うーむ。こういう店ほどいい仕事すんだよな……そう言えば依頼でさがしてる恋人ってのは鍛冶師だっけか?」
 思い出し、ならばきっとこの家がその恋人の家なのだろうと踏んで、オーマは乗り込んだ。
 あいにくと、アイラスはいなかった。すでに出て行った後だったらしい。
「今日は変わったお客さんが多いのう」
 すん、と鼻をすすりながら言ったのは、いかにも鍛冶師的に手足がごつごつとした親父だった。
 オーマの親父愛ビビビ発動。
「どうしたおっさん……っ。あんた、ええとエレナって女の関係者か!」
「あんたもキシリオのお嬢さんの頼みで来てくれたんか?」
 ありがたいことじゃ、とおっさんはぐすっと鼻をすすった。
「俺はこの鍛冶屋の親方……と言っても、息子と二人しかおらんがの……キシリオのお嬢さんがさがしてくれている、ファザーリは俺の息子じゃ」
 言いながら、何度も鼻をすする。何とか涙をこらえているらしい。
 そんなおっさんの代わりに、オーマが「ううう素晴らしい親子愛筋、恋人愛筋……っ」と号泣した。
「息子さんは必ず見つけてやるからなっ。おっさんも、そんときゃ思い切り泣けよ!」
 オーマはなぜだか腹黒同盟パンフレットをファザーリの親父さんに差し出しながら、
「息子さんの部屋を調べさせてもらってもいいかい」
 と訊いた。
「ああ……さがしてくれるなら、きっとファザーリも許してくれるじゃろ……」
 パンフレットを受け取りながら、親父さんはすっと二階を指差した。
「二階のな、つきあたりの部屋じゃ。開いたままだから……」
 荒さんでくれよ、と親父は急に心配そうに、大男のオーマを見上げる。
「おう。大丈夫だ、丁寧に捜査するからな」
 オーマはうなずいた。

 ファザーリの部屋は綺麗に整えられていた。几帳面な性格らしい。
 だが残念ながら、日記らしきものは見当たらない。
「思い出の場所でも見つかりゃいいと思ったんだが……」
 それらしきもんがねえな、とぶつぶつと言いながらふと見やった先。
 机の上に、貝殻が乗っていた。貝殻で作ったブレスレットだろうか?
 恋人からのプレゼントといったところか。
「貝……海。海……それはちょっと安直だな」
 ぼりぼりと頭をかいて、ふと思う。
「キシリオのお嬢さん、ねえ……」
 それはおそらくエルナという女性のことを指していたのだろうが――
「キシリオの令嬢と、こんな小さな鍛冶屋の息子の恋か」
 波乱があるだろうなあ、と彼はひとりごちた。

 結局ろくな収穫もなくファザーリの部屋を出て、何度も何度も親方に「見つけるからな!」と励ましの声をかけてから、オーマは鍛冶屋を出た。
 向かう先を決めるために精神集中。ビビビ腹黒テレパシー筋を全開にして、アイラスの居場所を見つけ出す。
 ――天使の広場の天使像の前。
 何の根拠もなくその場所が脳裏に浮かび上がってきて、オーマはしゅびっと走り出した。

     ■□■□■

 天使の広場の天使像の前へと行くと――
「おうっ! 我が腹黒同盟NO.2よ、ようやく会えたなっ!」
 ――筋肉むきむきマッチョ男が待っていた。
 オーマ・シュヴァルツ。通称腹黒同盟の総帥。
 その姿を見て、アイラスががっくりと肩を落とした。
「なんでいるんですか……」
「お? ひでえな。白山羊亭に行ってもお前さんの姿が見えないから、話を聞いてしゅびっと愛情筋パワーで飛んできてやったぜ☆」
 お前さんがエルナか? とオーマは怯えているエルナの肩をぽんぽんと叩いた。
 真顔で、
「話はルディアから聞いたぜ……苦しいだろうなあ」
 ――手紙なのは会うのも嫌か、直接会っては心が揺らいで嘘がつけないからか。
「そう……絶対に嘘がつけないから、だな」
 オーマはそう励ましながらエルナの手を取り、その細い指にひゅらりと具現の業を使う。
 小指に、赤い糸――
「これぞあらミラクルマッチョ☆運命の赤い糸! この先が恋人とつながるっつーんなら出会えるはず……っ!」
 実を言うとこれは本物の糸ではなく、カカア天下妻たちが小指に巻き、聖筋コスモを全開させると、おいたしている下僕主夫を女の勘デストロイビビビ察知し、現場押さえナマ絞り吊るしゲッチュ☆な腹黒商店街カカア天下の会のガタブル直売アイテムだったりする。
 ふだんはオーマにとっても恐怖のアイテムだが、こんなときには役に立つ。
「さ、その赤い糸に念じてみろって。信じる心が絆を結んでつないで、少しでも心に火を灯すためにっ」
 ……たまには嘘も方便筋。
 エルナは何が何だか分からないまでも、やがて熱心に祈り始めた。
 ちょうどそこで、オセロットが像の前まで帰ってきた。
「……なんだ、人が増えているな。おい、少し聞きたいんだが――」
「しっ」
 アイラスに制されて、オセロットは黙りこんだ。
 エルナの小指の赤い糸が――
 ぼんやりと、発光を始めた。
「あ……!」
 エルナがそれを見て嬉しそうに声をあげる。
 光は点滅しながらも、たしかにある方向へと向かって伸びていく。
「こ、これをたどっていけば、彼に会えるんですね……っ」
「おうよ!」
(多分な)
 と心の中で思ったことも内緒筋。
「もう話しかけてもいいのか」
 オセロットが言う。
「あ、はい、すみません。何でしょう?」
「あなたがキシリオの三女というのは、本当か?」
「え? はい、本当です……けれど」
 エルナの返答を聞いて、オセロットはますます不可解そうな顔をした。
「ならばなぜ姿を消したんだ……ますます分からんな。そっちの聞き込みはどうだった」
「はい。アルマ通りでは失踪日の彼の姿があるていど目撃されていました」
 アイラスは真顔で、「しかし情報は確定情報にしないことです。それが正しい情報だと分かっていても、常に疑問を持つ。疑ってばかりでは前へ進めませんが、疑わずに進むと」
「迷子になってしまうかも、ってか」
 オーマががしがしアイラスの薄青い髪を乱しながら笑った。
「お前の慎重主義も大したところまで来たもんだ。たしかにな、慎重になるに越したこたぁねえ。例えば――」
 とエルナを見て、「この嬢ちゃんが本当にキシリオの三女かどうかも疑問を持つ、と」
「わ――私は、本当に」
「今はそれよりもだ。ファザーリの家は金に困っていたそうだぞ」
 オセロットは情報を告げた。
「もし金持ちの令嬢と付き合い始めたら、それは絶対金目当てだろうとまで言われていた――ファザーリの家には行ってきたのか?」
「ええ。たしかに、小さな鍛冶場でした。親方さんおひとりのようでしたし――」
 ファザーリさんも悩んでいたといいます、とアイラスはこちらも情報を提供する。
「行方不明になる直前も。何事かを悩んでいたと」
「ってえと、やっぱり金の線が強ぇな」
 オーマがあごに手をやった。「と言っても何かに巻き込まれただけかもしれねえし……」
「糸を、糸をたどってみます」
 エルナが決然とした表情で、その場にいる面々に言った。

 四人は走り出した。
 走りながら、エルナ以外の三名は会話を続ける。
「ファザーリってやつの思い出の場所はどこだ?」
「出会いの場所は天使の広場のようです」
「ってことはここか。……いねえな。見つかりたくねえから手紙って手段にしたんだろうし、見つかりそうな思い出の場所なんかにはいきそうにねえか」
「失踪して一週間経っている。どこかに潜伏しているとしか思えん」
「そりゃそうだ。ヤツしか知らねえ思い出の場所っていう手もあんだが……っと、悪いな、ボウズ」

 話に夢中になりすぎて、天使の広場を走り回っていた子供にぶつかってしまい、オーマは慌てて謝った。
 エルナが立ち止まった。
「あ……ニファス」
「あー、エルナおねえちゃんだー」
「ど、どうして……?」
 エルナが呆然とつぶやく。
 他三名も同様だった。それはそうだ、赤い糸の点滅する光は、その朗らかに笑う少年ニファスに向かっていたのだから。
「どーしたの、おねえちゃん? 何かあった? さては恋人とケンカでもしたんだろ。そうだろそうだろー」
 ニファスがはしゃぎだす。
「……まて、ボウズ」
 オーマががしっとニファスの肩をつかんだ。
「におう。におうぜお前……」
「えっ!? オレ臭い!? どーしよー風呂入んなきゃーっっ」
「そうじゃねえっ!」
「きみ……」
 アイラスがそっとかがんで、ニファスと視線の高さを同じにした。「エルナさんに恋人がいることを知っているんですね?」
「え? 本当にいるの?」
 ニファスは驚いたように目を丸くする。ただの冗談のつもりだったらしい。
 アイラスは質問の矛先を変えた。
「それじゃあ、ファザーリという男性を知っていますか?」
 ぴくりとニファスが反応する。
「ふぁ……ファザーリにーちゃんが、どうか、したの?」
「知ってるんですね」
「だ、だってオレたち、親友だし」
「親友……」
 オセロットがすっと目を細める。
「なるほど。これは、盲点かもしれん……」
「ボウズ」
 オーマはにっこりと笑った。
「しょーじきに言えよー。ファザーリにーちゃんが今どこにいるか、知ってるか?」
「知らないっ!」
「しょーじきに言わないと、聖筋界ゴッドマッチョ燃え燃えお仕置きが待ってるぜ。いいかもっかい聞くからな。……知ってるか?」
「し、知らな……」
「そーかそーかお前も腹黒同盟に加盟したいか。今加盟すると聖筋界ムキムキナマ絞り大歓迎なんだが。ほれ、加盟書加盟書」
「………」
 ニファスはとうとう黙りこんだ。
「ニファス……」
 エルナはふらりとした足取りで少年に近づくと、その前にぺたりと座り込んだ。
「お願い……知っているなら、教えて。ファザーリは……どこにいるの?」
 ニファスは顔をあげてエルナを見つめる。
「どうしてエルナおねえちゃんが知りたいの?」
「ファザーリは……ファザーリは私の恋人なの。大切な人なのよ……! だから、お願い……!」
「………」
 ふと、
 ニファスのところでとまっていた赤い糸の点滅が、
 するりとその後ろへ伸び始めた。
 オーマがにやりと笑った。
「やーっぱり隠してやがったな。お前さんが邪魔してて糸がそれ以上進めなかったんだよ」
「子供が親友とはな」
「盲点でしたね」
「ニファス……!」
 エルナの心の叫びに、ニファスがそっと後ろを指す。
「……港の……第五倉庫。そこに……いるよ」
 少年の指先は、港の方角を指していた。
 アイラスが嬉しそうに両拳を握った。
「目撃情報に、港で見たというものがありました……!」
 オーマはぐりぐりと少年の頭をなでた。
「いやーこの糸の邪魔を出来るなんて、お前大したヤツだぜー? 正直に言ってくれてありがとよ!」
「……エルナおねえちゃん、ファザーリにーちゃんのコイビトだったんだ……」
 ニファスがつぶやく。
「ん? ん? なんだあ、若くして失恋か? 気にすんな、いい女には大人になってから出会うべきもんだ。必ずお前さんに合ったいい女に出会えるかんな」
 何気にオーマは腹黒同盟パンフを少年の手に押しつけてから、
「さっ、第五倉庫へ行くぞ!」
 残りの三人を促した。

 港の第五倉庫――
 街からは大分離れた場所となる。利用されていない倉庫というわけではないが、たしかに人目にはつきにくい。
 実際には、港男たちに目撃されて、アイラスが聞いてしまっていたのだが。
 倉庫に入り、赤い糸の点滅を追って奥まで向かう。
 奥へ、奥へ。
 そして本当に奥の奥で、何やらかんかんと鉄を打つ音がした。
「ファザーリ!」
 エルナが呼んだ。
 後姿が、ぎょっと振り向いた。
 赤い糸の先端が彼の手の小指につながり――
 一瞬、本物の赤い糸のごとくくっきりと見えた。
 そして、役目を終えた糸は、そのまましゅう……と消えていく。
「ファザーリ……ようやく見つけた」
「エ、エルナ……!?」
 よろりとよろめきながら恋人の元へと駆け寄った娘を、日焼けした少々右目のおかしい青年が抱きとめる。
「まったくこんなところに隠れているとはな」
 オセロットが息をつく。
「こんなところで……鉄鋼業ですか?」
 アイラスは、ファザーリの足元を見て言った。
 ファザーリの足元は、鉄くずとそれを加工するための道具で一杯だった。
 ファザーリは――
 エルナを、押し返した。
「……別れると言ったはずだ、エルナ」
 そう言う視線が、恋人からはずされている。
「いいえ、言われていません。口では聞かされていません」
 エルナはずいと迫る。潤んだ瞳で。
「聞かせてください……! 何か理由があるんでしょう? お願い、このまま別れるなんて言わないで!」
「理由なんてない。もう付き合えない。それだけだ」
「嘘よ!」
「嘘じゃない……!」
 不毛な言い争いを始める恋人同士を見ていたオセロットが、
「ふむ」
 と腕を組んだ。「ならばこう解釈するとしよう。ファザーリ殿は金銭的な目的でエルナ殿に近づいた。そしてもっと気をひこうと今回狂言として行方不明を装った、と」
「狂言ですか……あるいは、ひょっとしたら別の女性ができたのかもしれませんね」
「そうだなあ。逃げるとなったら、その辺の理由だよなあ」
 オセロットの言い出した言葉に、アイラスとオーマが次々と乗っていく。
「………っ」
 ファザーリが唇をかんだ。
 エルナがぽろぽろと泣き出した。
「そうなの? ファザーリ……」
「……エルナ……」
「本当のことを言わないなら、まあ私たちはこういう解釈で落ち着いて、さっさと帰ることにしよう。俗物で浮気者な男になど興味はない」
「そうですね」
「やれやれ。赤い糸もアテにならねえなあ」
「――違う!」
 ファザーリは叫んだ。「違う! 浮気じゃない……!」
「では、なんだ?」
 オセロットは目を細めて見すえる。
 アイラスは、その優しげな瞳を珍しく鋭くして。オーマは見下ろすようにして。
「………っ」
「ファザーリ」
 エルナがそっと恋人の腕に額を寄せた。「無理をして……本当のことを言わなくてもいいの。でも……お願い。嘘は、言わないで」
 その瞬間に、ファザーリの目から涙があふれでた。

「……家を、つぶさないためだと、思ったんです……」
 鍛冶屋の息子は、切れ切れに語り始めた。
「俺の家で打った剣が、ボロボロだと……難癖をつけた者たちがいて……。マフィア的な連中だったんです。あの家のある土地が欲しいらしくて……。俺のところで打った剣が失敗作だったおかげで、大怪我をした人間がいると……代償に大金を要求してきて……払えないなら、土地をよこせと……」
「あのアルマ通りも物騒になったもんだな」
 オーマが苦々しくつぶやいた。
「家をつぶしたくなかった……!」
 ファザーリが頭を抱えた。
「だから、この港の親方に借金をお願いしました。あくまでも秘密にと。こんな話をすれば、親父は人が好すぎて簡単に店をつぶすか、気を張って働きすぎで体を壊すか……」
 そして恋人の顔を見て、
「エルナ……君に言ったら、君が払おうとするだろう……?」
「……ファザーリ」
「だから、君にも秘密にしようと……した。けど……俺は、秘密ごとが、苦手だから」
 だから、とっとと姿を消してしまおうと――
「それに……さっきそちらの方がおっしゃったとおり」
 とファザーリはオセロットを見て、「……お金目当てでエルナに近づいたと、いつか言われるときが来るのが怖かったんです……だから」
 だから、こんな不安を抱えて過ごすくらいなら、いっそ別れてしまおうと。
「――ダメだなあお前!」
 オーマがしゃがみこんで、ファザーリの顔をのぞきこんだ。
「そんな気合でどうする! 周りに何と言われようとも愛する者を護りぬく、それが男ってもんだ!」
「………」
「あなたの優しさはよく分かりました……それでも、たまには甘えてもいいと思いますよ?」
 アイラスが優しく言った。
 オセロットは無言で、壁にもたれて遠くを見ている。
「エルナ……」
「ファザーリ。私、自分の家のお金で払おうなんて言いません」
 エルナは強くうなずいた。
「でも、私自身が働いたお金なら……受け取ってくれるでしょう?」
「エルナ、でも」
「いいの。それぐらいするのが……恋人ですよね」
 エルナは微笑んで、オーマやアイラス、オセロットを順ぐりに見ていく。
「えらいっ! いいカカアになれるぜ、エルナ!」
 ばん! とオーマはエルナとファザーリ、二人の背中を同時に叩いた。
 カカアという言葉に、二人は揃って赤くなった。
「よし、これで成立だな! ファザーリは――まあ借金のかたにここで働いてんだろうから、当面ここで働き続けるとして」
「お父さんにはお知らせしなくてはいけませんね」
 アイラスがにっこりと笑った。
「恋人同士もですが、親子の絆だって大切ですよ、ファザーリさん」
「………」
 親父に伝えてもらえますか、とファザーリは言った。
「ごめんなさい、ありがとうと……」
「必ず伝えますよ」
「では、解決したな」
 私は帰ることにしよう――と、オセロットが壁から背中を離す。
「おい待てよ。もういっぱい白山羊亭でやっていかねえか?」
「そう言えば、飲んでいる途中でしたね」
「あ……お礼に、私おごります」
「ファザーリも来いや。親方さんには俺が話つけてやっからよ。何ならその分、俺たちも手伝ってやるぜえ仕事!」

 がやがやと騒がしくなる五番倉庫。
 その陰で――
 怪しく微笑む人影があった。
「キシリオの三女の恋人、か……」
 ふふ、とその人影は微笑んだ。「これはこれは。思った以上にいい餌になりそうだ……」
 そうして人影は身をひるがえす。

 ファザーリは無事見つかった。
 しかし、その後も無事でいられる保証は、どこにもないのだ――


【前編・終】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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オーマ・シュヴァルツ様
こんにちは、笠城夢斗です。いつも依頼にご参加くださり、ありがとうございます!
今回も重要な役回りを演じていただき感謝しております。あんな赤い糸があったらいいような、嫌なようなw
とても楽しく書かせて頂きました。ありがとうございました。
またお会いできる日を願って……