<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜大空を翔けて〜

 『精霊の森』と呼ばれる場所に彼が足を向けたのに、特に意味はなかった。
 ただし、それは本人いわくであり――本当に意味がなかったのかどうかは、さだかでは、ない。

     ■□■□■

「つまりね、この泉と川に精霊がいるわけなんだよ」
 『精霊の森』に住んでいる唯一の人間、クルス・クロスエアはそう説明した。
 目の前には静かな泉と、それに水をそそぐ川がある。森の中で唯一、水分がある場所らしい。
 話を聞いて、グランディッツ・ソート――通称グランは、はあ? と心底馬鹿らしそうな顔をした。
「どこに精霊がいるって?」
 話を聞いているのも面倒くさくなって、地面にごろんと寝そべる。
 クルスは怒った様子もなく説明を続けた。
「だから、この泉と川のそれぞれにね。それで、彼らは普段森から出られないものだから――外の世界を見せてやりたいんだ、僕は」
「はいはいそれで?」
「それで、誰かの体に精霊を宿らせれば精霊たちも外に出られる。そんなわけで、キミの体を貸してくれないかな、と」
「あー?」
 グランは不信まるだしな表情で泉と川を見やり、そこに何もないことをたしかめて、鼻を鳴らした。
「体に宿らせる? 勝手にどうぞ。ふんっ」
 どうせそんな訳の分からないことが本当にできるわけがないと、そう思って言ったのだが――
 クルスは笑っていた。
「そんなに信用できないなら、先に姿を見てもらおうかな」
「あん?」
「キミには男のほうが相性よさそうだから――」
 クルスは川に指をつきつける。
 その指先に、光の粒が大量に発生した。
 ――いけ。
 囁きとともに、光の粒が川へ向かって走る。
 そして、何かの輪郭を飾るように集まって、
 やがて弾けた。
『……疑ってる人間に、わざわざ頼む必要もないと思う……』
 そんな声が聞こえて、グランはぎょっと川を凝視した。
 そこに、人がいた。
 正しくは、人の形をした『何か』がいた。――かろうじて輪郭をもった、水のように透き通った体、少年のような容貌。
「彼が川の精霊のセイーね」
 クルスが、透明人間に近いそれを示して紹介した。「今回は、彼をキミの体に宿らせるから」
「………」
 グランは心底驚いたのを、絶対に顔に出さないようぐっと表情を引きしめた。
 ひんまげた口を変えることなく、ぶっきらぼうに、
「セイー? 外見が俺と変わらねえ。何歳だよ?」
「彼に年齢という概念はないよ。あれでもう何百年と生きてる。……少年みたいな姿をしながら実は二十歳のキミと、似たようなものだね」
 クルスがにっこりと笑って、グランはさらにぎょっとした。
 自分はたしかに、外見こそ少年に見えるが、本当は二十歳だ。
 だがそんなことはまだ一言も口にしていないのに――
「さて」
 クルスは仕切り直すように、手をぱんと打ち鳴らした。
「体に宿らせていいかな? グラン」

 意識が重なるのにかかった時間はほんの一瞬――
 まるで体中が水で埋まったような感覚がした。

「ちぇっ。何か口車に乗せられた気がするぜ。俺様としたことが――」
『……ありがとう、グラン』
 頭の中からふと聞こえた声に、グランはぶつぶつと続けようとした文句をとめた。
「なっ、なに礼なんか言ってやがんだよっ!」
『……いや……そんなに嫌なのに、結局俺を外に連れ出してくれるんだろ?』
 セイーの声は、ひどくぼそぼそとしていた。けれど聞きもらすこともない、不思議な声だ。
「………」
 グランは少しの間黙った。
 何だか、心の中の硬い何かが、ほんの少しだけ……溶けたような気がする。
「……ふんっ」
 ごまかすために鼻を鳴らし、腕を組んで。
「じゃあ、空中遊泳はどうだ? 俺はグライダー乗りなんだ。グライダーから街を見下ろせるぜ」
『……それ、面白いのか?』
「おう面白いぜ! 二人乗りだから、クルスもどう?」
 さりげなく長身眼鏡の青年も誘ってみる。心の中で、(今度またわけのわからねぇこと言い出したら、グライダーから振り落としてやる)と思いながら。
 しかしクルスは、
「僕は遠慮するよ」
 と言った。
「なんだと? 俺の誘いにのれねえってのかよ」
「いや、何だか今のキミの視線に身の危険を感じてね」
「………」
 ちっと舌打ちして、それからグランは胸を張った。
「んじゃ、グライダーに乗る心地よさはセイーにだけ感じさせてやるさ。後になって、もったいないことしたーなんて泣くんじゃないぜ!」

     ■□■□■

 森の外に出て、グライダーに乗り込む。
 グライダーはあっという間に空に飛び上がった。
「セイーに空中散歩を楽しませてやろう」
 グライダーはエルザードの街の上空を飛ぶ。急旋回しながら、時に急降下、急上昇、まるでアクロバットのようにグライダーを操りながら。
「どーだっ! セイー、空は気持ちいいだろう?」
『………』
 頭の中で、セイーが少しためらうような気配があった。
「どーした? 気持ちよくないってか? あ、慣れてないから酔ったってか?」
『……その。空を飛んだことは、前にもある』
 その言葉に、グランはがんと衝撃を受けた。
 こんな経験をさせてやれるのは、自分だけだと思ったのに……!
『……でも、その時はこんな風に……くるくる回ったり、急に下にいったり上にいったりしなかった……。何か、勢い、感じる……な』
「それがグライダーの醍醐味なんだよ!」
 グランは胸を張る。
 気持ちいい、とセイーは言った。
『……その、勢い……気持ちいい。変……か?』
「いいや! 全然おかしくないぜ、セイー!」
 セイーがグライダーを気に入ってくれたらしいことが、心底嬉しかった。
 グランは思い切りグライダーを走らせた。
 空で風になる。それがグライダーだ。
「俺の速さについてこれるかなっ!」
 口笛など吹きつつ、もっとグライダーでできることをたくさんセイーに経験させてやろうと、次々と技をくりだす。
『……うわっ』
『……すごい』
『……どうやってんの?』
『……面白い』
 いちいち反応してくれる、そんなセイーがますます嬉しい。
 グランは自分まで楽しくなって、思い切り笑った。
「はははっ! 何かお前と一緒に乗ってると、面白さ倍増って感じだ!」
『……グランは……』
 頭の中で、セイーがぽつりと言った。
『グライダーが、大好きなんだな』
「―――」
 突然の言葉に、一瞬返事の仕方を忘れかけた。
 数秒の間を作ってしまってから、グランはこほんと咳払いをし、
「当ったり前だろ! 当たり前のことすぎて返事忘れちまったぞ! 変なこと聞くな!」
 照れ隠しに怒鳴りつけた。
『……ごめん』
 セイーは素直に謝ってくる。それが申し訳なく思って、
「よしっ。セイー、もいっちょ行くぜ!」
 グランはグライダーのスピードをあげた。
 と――
 ぽつ ぽつ――
『……雨』
 さすが水には反応が早いのか、セイーがつぶやく。
 最初こそ水滴だった雨は、やがてざあざあと本格的に降り出した。
『……雨。俺、雨好きなんだ』
「そーか」
 グランはにやりと、唇の端を吊り上げた。
「俺のグライダーは、雨が降ったってへっちゃらさ!」
 雨の中で空中散歩と行こうぜ――
『……うん』
 うなずきが返ってきた。
 グランは雨の中を大きく旋回する。
 雨音が耳を打つ。セイーが本当に嬉しそうにしているのが伝わってくる。
 雨の中のグライダー。空を飛び続けること……
「……俺はこれでいくつもの戦いを生き抜いてきたからな」
 ふと、グランはつぶやいた。
『……戦い?』
「あ、ああ、いやっ」
 思わず出てしまった独り言を慌ててごまかそうと、「なあセイー」と声をかけた。
「どこか行ってみたいところはあるか?」
 セイーは少し考えたようだった。
 やがて、
『……海。海が見たい』
「海だな。よーっし」
 雨足は勢いを衰えさせる気配がない。
 そんな中、グランはまったく雨を気にする様子なく、海を目指して大空を翔けた。

 広大なる海を雨が叩いている――
『……雨降ってる時、海見るの、初めてだ』
 セイーがつぶやいた。
『……雨に打たれてる海って、けっこう、いいな』
 言われて――
 グランは改めて海を見下ろした。
 海面を叩く雨。たくさんの水の輪ができている。
 水面を雨が叩く音が、耳にリズムとなって聞こえてくる。
 きっとこのリズムは、どこの水を打つ音よりも大きく、長く、たくさんで。
「―――」
 たしかに……何だか不思議な心地がして、グランは黙った。
 ――雨に打たれてる海って、けっこういいな――
「……そうかもしれねえな」
 苦笑した。
 まさか精霊に教わるとは、思わなかったから。
 雨の勢いが徐々に弱まってくる。
 海にまじりあう、雨音のリズムが変わってくる。
 グランは何となくこのまま聞いていたくなって、グライダーを軽く操縦しながらも海の上を飛び続けた。
 雨がやむ、最後の瞬間まで――

     ■□■□■

「んじゃっ。最後に精霊の森の上!」
 雨が止み、夕焼けが見え始めた空をグライダーが翔ける。
 その行き先を、グランはセイーの森に決めた。
 森が見えてくる。
「端から端まで飛べるかな――森の入り口から出口まで」
 グライダーはスピードを落とした。
 セイーのつかさどる川をたどるように。
「なあ、セイー。お前の森に棲んでる動物とかをさ、上空から見たら面白そうだろう?」
『……動物……?』
 セイーが不思議そうな声音でその単語をつぶやいたとき、
「ほらセイー! 鳥だ!」
 精霊の森に鳥の姿がかすかに見えて、グランは指を指した。
「他にも……ほらほら、っつーかあれ、何だ? リスか? 猿か?」
 上空だとすべての動物が小さい。
『……ほんと……動物だ』
 驚いたような声が聞こえる。
「なに言ってんだよ。あ、ほらあれは何だ――」
 森の木々の上ぎりぎりにグライダーを走らせ、グランは次々と見つける生命をセイーに教えていく。
『……何だか、小さいな』
 セイーがそんなことを言った。
「ばーか。当たり前だろ!」
『……小さくて……どれも同じに見える。どれも同じ……生命、ってやつなのか?』
「―――」
 グランは頭の中から聞こえる言葉に、そうだな、と返事をした。
「生命だ。きっとお前も同じ――生命だ」

 森の外から出られず、外のことを知らないセイー。
 ……実の両親を知らない自分。

(……まったく似てねえ気もするけど、何だか……似てる気もすんだ……)
 大切な何かを知らないということ。そのことが――

「……もっとお前に、この世界のいろんなものを見せてやりたいな」
 グランはつぶやいた。
 自分でも思ってもみないほど、優しい気分で。
『……もう充分、たくさん見せてもらった』
「ばーか。世界ってのは広ぇんだよ」
 グライダーを着陸させる。
 そして森の中を歩いた。
 動物が見える。虫も見える。上空からとは違う様子で。
「この森もいい森だなっ」
 グランはにっと笑って言った。
「この森で生まれたんだよな、お前――だから、すごいんだな、きっと」
『……すごいって、何が?』
「さーな」
 やがてクルスの小屋が見えてくる――

 グランは名残惜しそうにセイーと分離して、あーあとため息をついた。
「あんたの能力、もうちょっと強くなんねえの? せめて一週間ぐらいとかさー」
 クルスに文句を言うと、青年は「それは申し訳ないね」と笑った。
 心なしか、疲れているように見える。
(……精霊に関する術を使うのってのは、まあ疲れんだろーな)
 仕方ねえか、とグランは肩をすくめた。
「ちぇっ。じゃあもう一度来ることにするぜ。まだまだセイーに見せなきゃなんねえ場所多いんだから」
「ああ、歓迎するよ」
「あんたは歓迎しなくていい。セイーに歓迎されたいんだよ」
「セイーももちろん歓迎してるさ」
 グランはセイーの川を見た。
 そこにセイーの姿はない。ふだんは見えない、精霊の姿――
「また来るぜ」
 何も見えない川に向かって、グランは笑って声をかけた。


 グランの背中が遠くなっていく。
『……どうしてだ、クルス』
 セイーが尋ねてくる。クルスは「何が?」ととぼけてみせた。
『……どうしてこの森に、動物がいたんだ』
 本来。
 この精霊の森に、生き物は存在していない。動物も虫も、何もかも。
『……クルスがやったんだろ。何でそんなことしたんだ』
 見透かしているセイーに、クルスはふふっと柔らかく微笑んだ。
「ふだんはね――ニセモノをお前たちに見せても仕方がないと思ってやらないようにしているんだけど。今回は……グランの、『見せてやりたい』って気持ちが強かったから――自然と、術が発動したんだよ」
『………』
 疲れた顔色の森の守護者を見て、セイーはつぶやいた。
『……じゃあ、グランのおかげか』
「そう。グランのおかげだ、何もかも……」
 うわさのグライダー乗りの背中は、もう見えなかった。
『……またな』
 セイーはつぶやいた。大空をかけめぐる、広い世界を胸のうちに秘めたグライダー乗りに向かって――


  ――Fin――


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3108/グランディッツ・ソート/男/14歳(実年齢20歳)/異界職】

【NPC/セイー/男/?歳(外見年齢13歳)/川の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳?/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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グランディッツ・ソート様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
今回は水の精霊ノベルにご参加くださり、ありがとうございました!
グライダーで雨の中を飛んでみましたが、いかがだったでしょうか?少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
書いていてとても嬉しかったです。ありがとうございました。
またお会いできる日を願って……