<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


少女達の午後


 小さな路地に入るとその場所はある。庭先の小さなエリアを改築したその場所の名は『花の四阿』。店の主人が丹精こめた緑が所狭しと並んでいる。春になればたくさんの花が咲き乱れ、さぞや鮮やかな色彩で埋め尽くされる事だろう。しかし、今は冬の盛り。春を待ちながら緑を繁らせるばかりだ。
その緑の中にライラックの輝きを見つけたカルンは大きくてを振った。
「リラちゃーーーーんっ!」
 ふわりと柔らかな髪を揺らしながら、少女にしか見えないその人は顔をあげて、カルンの姿を認めたようだった。優しい笑みと共に小さく手が振られた。
「カルちゃん。来てくれたのね」
「うんっ、遅れちゃってゴメンね」
 手を取り合ってまるで久しぶりの再会を祝うように二人は笑いあった。勿論、最後に会ったのが一年前とかそういう事ではなく、二人が飛び切りの笑顔で手を握りあう程、仲が良いというだけだ。
「大丈夫、全然遅れてないわよ」
そう言うとリラはくすくす笑ってカルンの手を離した。庭の方へ足を向けると母屋を指差す。
「お茶の用意をするから、少し待っていて」
うんと大きく頷いたカルンが庭に置かれた白いテーブルに向かうのを見届けてリラは、母屋にお湯を取りに行こうと歩き始めた。
 途中のハーブ畑で足を止めると瑞々しい葉をいくつか千切っていく。
 今日のお茶はミントをメインに、ラベンダーも少しだけ。
 いくつかのミントとラベンダーを組み合わせると満足してリラは今度こそ母屋にお湯を取りに行くのだった。


 白いテーブルに淡いブルーのテーブルクロスをかけて。
 白磁のカップに注がれたのは淡い黄色のフレッシュハーブティー。
 白い陶器の天使の細工が可愛らしいトレイに所狭しと並んだ黄金色の焼き菓子達。
「んー、幸せ」
 パクリとフィナンシェを齧ったカルンが言葉通り心底幸せそうに頬を緩ませた。そして、唐突に真面目な顔に戻ってリラを見る。
「これ、作れるかな?」
「そうね。ちょっと頑張れば大丈夫じゃないかしら」
 おっとりと首を傾げながら、リラは答える。お菓子作りの初心者が挑戦するには少し高いハードルかもしれない。しばし考えてから、リラは貝の形の焼き菓子を指差した。
「どちらかと言うと、これの方が作りやすいんじゃないかと思うわ」
「マドレーヌ? それも大好き。どっちが良いかしら」
 マドレーヌ、フィナンシェ、やっぱりマドレーヌ。
 呟くカルンの声はどこか音楽的で、心地良い。しかしそれよりもくるくる表情を変えて楽しげに話すカルンを見るのがリラはとても好きだ。
「ねえ、カルちゃん、そんなに急いで決めなくても良いと思うわ。お菓子にも色んな種類があるんだもの」
「そうかな? あ、でもそうだなぁ、どうせなら季節感のあるお菓子でもいいなあ」
「季節感……今の時期だとクリスマスかしら」
「あ、素敵! 『地球』の冬祭りよね。私あのお祭り大好きなの」
 ぱんと手を打ち合わせたカルンはきょろきょろと庭を見渡すと、カルンより、リラより背の高い常緑樹に目を留めた。
「ツリーはあれにするの?」
「ええ、今年はどんな飾りにしようかしら」
 悩み所なのよね、そう頬に手を当てて呟いたリラに、カルンは同じように頬に手を当てて、考え込む。
「そうだなあ。あ、この間リボンが一杯のツリーを見たわ。すっごく可愛かったの! 導きの星がガラスできらきら陽射しを反射していたのよ」
「あら、それって素敵かも。でもオーナメントもあるのよ。天使のお人形がとても可愛らしくて買ってしまったの」
 どんなの? と身を乗り出したカルンにリラは小さな小箱を持ってきて見せた。その愛らしさにカルンは目を輝かせる。
「可愛い! すっごく素敵! きっと緑に映えて綺麗なんだろうなあ……。ねえ、これ、どこで買ったの?」
「この間言っていたお店なの」
「え、それって、可愛いキルトがいっぱいあるって言うあのお店?」
 以前リラが言っていた店だと気が付いて、カルンは顔を輝かせた。リラは笑顔のまま、頷く。
「ええ、昨日買い物帰りに寄ったら、新しい雑貨が増えていてね、それがとても可愛らしいものばかりだったの」
 カルちゃんと一緒に行きたいわ。
そう言われてカルンは大きく頷いた。
「うんっ、実は私もリラちゃんと一緒に行きたいなって思っていたお店があるの!」
「まあ、どんなお店なの?」
「洋服屋さんと喫茶店を兼ねてるんだけどね。もーぅ、すっごくお店が素敵なの! 可愛いの! それに、ウィンドウに飾ってある赤いマントはフード付きで、白い毛皮もついてて、とっても可愛いし、香草茶と焼き菓子のセットも美味しくて頬っぺたが落ちそうだし……それから、それから!」
 一体どこで息継ぎをしているのだろう。そんな風に思いそうな勢いでカルンは話す。やはり歌い手は肺活量が違うのかもしれない。
リラはそんなカルンの様子を楽しげに見ながら、相槌を打つ。
 元の話題はどこへやら。いつのまにかお薦めのお店談義になっている事に、リラもカルンも疑問を抱いていないようだった。そんな二人を諌めるように四阿でボーンと時計が時を告げ始める。
「あら、もうこんな時間なのね」
 時計の音を数えながら言うリラに、カルンも大きく頷く。
「リラちゃんといると時間が経つのが早いのよね。あ、裏からもあのリースが見えるようになってるんだ」
 緑と赤のコントラストが美しいリースはリラの自信作で、カルンのお気に入りだった。
ああいうものを作れるリラを心密かに尊敬しているのだ。
 もちろん、リースだけじゃないけど、いつかリラちゃんみたいに作れるようになりたいなぁ……。
ほぅとため息をついたカルンを、リラは不思議そうに見る。それに気が付くとカルンは照れ笑いを浮かべた――さすがにそんな事を言うのは恥ずかしかったのだ。
「もうすぐ、クリスマスが近いなあって……リラちゃんは、当然旦那さまと二人で過ごすんだよね」
 素敵な愛する旦那さまとのクリスマス。
 なんだかすごく素敵な響きにカルンは憧れの表情を浮かべる。そんなカルンをリラは悪戯っぽい笑顔を浮かべて覗き込んだ。
「あら、でもカルちゃんだって、誰かさんと過ごすんでしょう?」
「だっ、だって、それは! 単にそれがいつも通りだってだけで! きっと深い意味なんてないのよ! どうせ、お供だから、とか言うんだから。いつまでも私が子供だって思ってるのよ……」
 言っている間になんだか複雑な気分になってきて、カルンは唇を尖らせた。しばらく黙り込むと、やおら、小さな拳を握り締める。
「だからね! びっくりさせてやろうと思うの。料理は苦手だからいつも任せっぱなしなんだしさ。もちろん、全部やろうなんて無謀な事は私だって考えてないわ。だからクリスマスのメインになる一品をって思ったの!」
 愛らしい決意に、リラは優しい笑顔を浮かべて、熱心に頷いた。
「だから、お菓子なのね。私も応援するから、頑張ろうね、カルちゃん」
「ありがとう、リラちゃん。頼りにさせてね。……お菓子って作った事がないから、本っ当に頼りにしてます」
 最後には申し訳なさそうに上目遣いになったカルンにリラはもちろんと頷いて見せた。
「となると、簡単で、でも見栄えがするのがいいわね。……何が良いかしら」
「あのね、作りたいのがあるの! ブッシュ・ド・ノエル。あれってそんなに甘くないよね?」
 リラは薪の形のケーキを思い浮かべた。
 無謀と言えば無謀だが、ロールケーキならば、スポンジの生地も薄くて良いから、難易度は下がる。
甘さ控えめにするなら、薪の質感を出すのに、紅茶を使ったクリームを使って、雪は生クリームと粉砂糖で。
デコレーションも普通のケーキに比べれば、飾り付けの技術もいらないし、何よりクリスマスらしい。
 あれこれ考え込むリラをカルンは不安げに見つめている。それに気が付いてリラは両手を合わせてにっこりと安心させるように笑った。
「頑張れば大丈夫よ。まずは練習してみましょう」


 緑と赤、それから金色。
 クリスマス前の街を彩る色彩の主役は彼らだ。さらに真白い雪が加わればそれは完璧な物になる。
通り沿いの店先にはあれやこれやと趣向を凝らして様々な物が飾られていた。
そんな光景を目にして、大人しくしていられないのが女心と言うものだろう。
 ブッシュ・ド・ノエルの材料を買いに来た筈の二人は。浮き立つ心のままに、当初の目的をすっかり忘れているかのように目的以外の袋を握っていた。
「手袋は手頃なお値段でよかったね」
「ええ、本当ね」
白い毛皮のついた手袋は、赤がカルンで白がリラだ。店先で散々悩んで買っただけあって、二人はとても満足していた。もちろん、互いの相手に似合うそれも探してしまうのだから、歩みは遅くなる一方だ。
「あ、あれ、似合いそう」
 そんな言葉が出たら最後。二人はしばらく店先から離れる事が出来ない。
もちろん、可愛いとか、素敵が似合いそうの代わりに入っても同じ事だ。
こんな調子で目的の場所に付くのはいつになるのやら。そんな不安は二人には微塵もないらしい。
「あ、リラちゃん、あれあれ!」
 カルンが指差した先には、白いワゴンがある。可愛らしい外観のそれにリラもまた、目を輝かせた。
「まあ、可愛い屋台。……焼き菓子に飲み物が売ってあるのね」
「行きたいっ、行きたいけど……うーんっ」
 リラの言葉にカルンは唸った。帰ってからブッシュ・ド・ノエルを作って試食する事を考えれば、今食べてはまずいかもしれない。
真剣に考え込むカルンの肩をリラはそっと突付いた。
「カルちゃん、こんなのはどうかしら? 今日は飲み物だけ。そしてお買い物を終らせてから」
「リラちゃん、それよ!」
一も二もなくカルンはその提案に飛びついた。
 楽しみが出来てからの二人の行動は素早かった。目的の材料を失敗を見越して多めに買い込むと、先ほどまでの寄り道が嘘のように、屋台まで戻る。
 クリームを上にのせたその飲み物は、クリーム部分に好きな絵を描いて貰えるようになっている。リラはクリスマスツリーを、カルンはスノウマンをそれぞれ、描いてもらった。
「可愛い〜! 暖か〜い! 幸せー!」
荷物を片手にカップを握り締めたカルンは言葉通り心底幸せそうな顔をした。リラはその様子にくすくす笑う。
「飲むのがもったいない位よね」
「でも飲まないのも、もったいないの」
それもそうね、とリラが笑うとカルンも笑顔になる。
 そうやって笑いあいながら、二人はリラの家へと急いだのであった。


 白いフリルのエプロンをして、楽しくお菓子作り。
そんなカルンの理想は早くも壊れ始めていた。
「お菓子作りって重労働なのね……」
 生クリームを泡立てながら呟いたカルンに、リラは深く頷いた。
「メレンゲも生クリームも案外、根性と力が必要なのよね」
「切る様に混ぜるとかも、難しいの。それから粉ふるい!」
 勢い良くやり過ぎて、舞い上がった粉が袖についてしまったのだが、まだ取れてない気もする。カルンはそっと腕を気にしながら、ひたすら泡だて器を回す。
リラは弁護するように首を傾げながら言う。
「でもそれだけに、出来上がった時の美味しさは格別よ」
「うん。すっごく実感したわ。これからは、もっと感謝しなくちゃ!」
 甘いにおいに目を細めてカルンは言う。リラは頷きながら砂時計を見て、そろそろとカルンをオーブンの近くに手招きした。
「ミトンは片手だけね。まずはきちんと焼けたか、これで確認して」
 生地から抜いた串に何もついていない事を確認してから、カルンは両手にミトンをつけて天板を取り出す。
薄い紙の箱から、スポンジを取り出し、冷ます為の台に乗せようとひっくり返すと、僅かに台からずれた。
「うわわっ、ど、どっ」
「大丈夫、慌てないで」
 焦るカルンに囁いて、リラはデコレーション用のナイフを使って器用に台に乗せなおす。
「ありがとう」
 情けなさそうなカルンの表情にリラは笑って肩を叩いた。
「突然だから慌てちゃうのよね。さ、冷ましてる間にティクリームとシロップを作りましょう?」
 頼りになる先生の言葉にカルンはハイと大きく頷いた。


 ブッシュ・ド・ノエルといえば、雪に包まれた薪の筈である――あるのだ、が。
「うーん……、なんだかひしゃげてる?」
 ちょっと楕円形のそれを、あちらこちらから眺めてカルンはため息をついた。
「練習すれば、次は上手に出来るわ」
「頑張るの!」
「その調子よ。じゃ、味見してみましょう」
「うん! ……でも、まずくないかな?」
 途端に不安そうな上目遣いになるカルンにリラはにっこりと笑って窓の外を指差した。台所の窓からは四阿が見える。
「リラちゃん?」
まさか、と思うカルンにリラは笑顔のまま告げる。実の所カルンに必要なのはここまでくれば自信なのだとリラは思う。
「二人で食べきるには少し量が多いもの。それにカルちゃんが持って帰ると、彼にばれちゃうじゃない」
「……それって、客さんに味見してもらうって事ぉ?」
 ええと頷いたリラに、カルンは世にも情けなさそうな顔になる。
「大丈夫。ほら、ちょうどお客さんもいらっしゃったわ。急ごう」
 お皿を4枚用意するとリラは待ってるから、と言い置いて台所を出て行く。
「リラちゃーん!」
 カルンの声にリラはにっこりと笑うだけだ。庭に消えたその華奢な背を見送って、カルンはため息をついた。
ようやく覚悟を決めると、えいっとばかりにブッシュ・ド・ノエルにナイフをいれる。
お皿に並べて、お茶もつけて。
 外用のワゴンに乗せると、カルンは悲壮な覚悟で運び始める。
 不味いって言われても泣かないようにしなくちゃ!
 そんなカルンの覚悟を知ってか知らずか、リラは中年女性と仲良く話し込んでいる。カルンに気付いて、手招きするリラに、カルンは小さくため息をついた。
「まあ、この子が作ったの?」
「大丈夫、ケーキは分量さえ守れば味はそんなに悪くならない物よ」
 ニコニコと笑顔を浮かべる婦人に励まされながら、カルンはお皿を差し出した。
「どうぞっ!」
 それぞれに手が伸びて、お皿を取る。フォークにさされたケーキが口に消えるまで、カルンは息を飲んで見守った。
「まぁ、おいしい。ちょっと形がいびつだけど、これぞ手作りって感じで返って可愛いわ」
「初めて作ったにしては上出来よ。貴方お菓子作りに向いてるわ」
「あ、ありがとうございます!」
笑顔の言葉にほっとしてカルンは勢い良く頭を下げた。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
リラの声に顔をあげると、彼女は綺麗なウィンクをカルンにしてみせた。
「うんっ、よかったぁ、リラちゃんのおかげよ」
「あら、カルちゃんが頑張ったからよ」
「ううん、ありがとう、リラちゃんっ」
 カルンはリラに飛びついた。


 冬の日暮れは早い。急ぎ足で去って行こうとする太陽を眺めながら、二人はそろそろブッシュ・ド・ノエルを食べ尽くそうとしていた。
「なぁんだか、今日は一日中食べてる感じ」
「本当、夕飯もいらない位ね」
「うん、でも幸せーっ」
 にっこりと笑うカルンにリラも頷いた。
「後は頑張るだけだわ。本番は私一人だから気をつけなくっちゃ!」
「カルちゃんならきっと大丈夫よ」
「ありがと。リラちゃんのおかげでうまくいきそうだよ」
 カルンの言葉にリラはふふと笑った。
「私はちょっとお手伝いしただけよ。……寄り道もいっぱいしたけどね」
「でも寄り道もとっても楽しかった! また行こうね」
 カルンの言葉に楽しげに頷き、リラはお茶のお代わりをカップに注ぐ。
 ――それから二人は今日一日あった事を日が暮れる間際まで話し続けたのだった。


fin.