<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


記念日となりて


 ベルファ通りの外れの、小さなスラム。そこにある孤児院で、シノン・ルースティーンは、鞄を手にして目の前に並べられた材料をじっと見つめていた。
「紅茶の葉と、牛乳と、シナモン。あとは……と」
 シノンはそう言いながら、傍においてあった小瓶を手にする。
「カルダモンとクローブも、持ってかないとね」
 ずらりと並べられた材料を見、今一度シノンは確認する。これで大丈夫だろうかと、何度も。
「鍋とかは、リラの所にあるよね。一応、茶漉しだけでも持っていこうかな?」
 きっと、茶漉しもリラ・サファトの家にはあるはずだ。それでも「一応」と言いながら、シノンは鞄の中に茶漉しも入れた。
 用意した材料を全て詰め込んだシノンは、鞄を閉めて軽くぽんぽんと叩いた。小さな声で「完璧」と呟いてにっこりと笑う。
「リラが待ってるから、さっさと行かないと」
 シノンはそう言うと、鞄を手にして孤児院から出ていこうとした。その時、何処に行くかと問われたシノンはにっこりと笑って答えた。
「リラの家!」
 いってらっしゃい、と声をかけられ、シノンは元気良く手を振った。


 シノンがリラの家で、教えあっこをしようと決めたのは、紅葉が色づく秋の山でだった。紅葉狩りに出かけた二人は、そこで互いの役割をしっかりと全うしたのだ。
 シノンは、自慢であるホットチャイを。
 リラは、お弁当とおやつを。
 シノンはリラの作った料理に舌鼓を打ち、リラはシノンの作ったホットチャイをいたく気に入った。
 そのため、二人は約束を交わしたのである。
 シノンはリラに、特製ホットチャイの作り方を。
 リラはシノンに、得意料理である目玉焼きの作り方を。
(あたしは日々、料理を作れないんだけどさ)
 シノンはリラの家に行く途中で、苦笑混じりに思う。料理を作れないというのは、かなのコンプレックスとなってしまっていた。
 だが、それももうすぐ解決するかもしれない。リラが、目玉焼きの作り方を教えてくれるのだから。
 様々な店が点在する賑わいのある通りを抜けていくと、リラの家が見えてくる。庭付きの、和風邸宅である。
 シノンは、あまりこの和風邸宅に入ったことは無い。こうしてちゃんと入るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
 玄関に向かいリラに声をかけようとした瞬間、突如戸が開いた。その向こうにリラがにこにこして立っていた。
「いらっしゃい、シノン」
「ナイスタイミング、リラ」
 シノンとリラは顔を見合わせ、笑い合う。
「そろそろ来る頃だと思って、外で待っていようかと思っていたんだけど」
「その時に丁度、あたしが現れたって事だね。ラッキーだね、リラ」
「ラッキー?」
 きょとんとして小首を傾げるリラに、シノンはにかっと笑う。
「だって、この寒い中外で待っている時間が無かったでしょ?」
「そっか。……うん、ラッキー」
 リラはそう言ってふわりと笑った。シノンは家に上がり、きょろきょろと辺りを見回す。見慣れぬ和風邸宅が、妙に珍しくて仕方が無い。
「にしても、広いんだね。玄関で靴を脱ぐっていうのも、珍しいし」
「素敵でしょう?凄く気に入ってるの」
 リラはそう言い、幸せそうに笑った。そして、夫が和風の人だから、と小さな声で付け加えた。頬がほんのりと赤い。
 シノンはそんなリラの様子が嬉しくて、再びにかっと笑った。リラが幸せそうにしていると、シノンまで幸せな気持ちになる。
「もう、台所に準備をしているんだ。あ、でもチャイを作るのに使う道具がよく分からないから、それは聞いてから準備するつもりだったんだけど」
「鍋と茶漉しがあれば大丈夫!鍋はあると思っていたんだけど、茶漉しはどう?一応持ってきたんだけど」
「茶漉しも大丈夫。でも、一つしかないからシノンが持って来てくれて良かったかも」
 リラはそう言いながら、置いてあったエプロンを手に取った。二つエプロンがあったのだが、その内の一つをシノンへと手渡した。
「はい、シノン」
「ありがと」
 にっこりと笑い合い、二人はエプロンをつけた。ぎゅっと二人はエプロンの紐を蝶々結びにし、いよいよ台所へと足を踏み入れた。
「じゃあ、始めよっか」
「了解!」
 リラの合図にシノンはそう答えると、鞄に詰めてきたものを出して並べた。
「チャイの方はね、まずは鍋に半分くらい水を入れて沸かすんだ。で、火にかけたらすぐにシナモンを入れるんだ」
「すぐに入れちゃうの?」
「いい匂いがしっかりつくんだ。それで沸騰したら、紅茶の葉とスパイスを入れるんだ。カルダモンは皮をむいて、皮ごとね」
 シノンに説明され、リラはその通りに鍋を火にかけた。シナモンを入れると、良い香りが台所に広がった。
「じゃあ、お湯が沸くまでに目玉焼きの説明をするね。まず、卵はあらかじめ室温に馴染ませておくの。あと、割って器に出しておくんだよ」
「え?卵ってそのまま割っちゃ駄目なんだ?」
「室温に馴染ませておいた方が美味しくできるし、器に出しておけば殻が入る危険性が無いでしょう?」
「あ、そっか」
「卵はもう出しておいたから、器に割ってみて」
 リラにいわれ、シノンは卵を割る。まな板の上に叩きつけると、カシュ、という殻が割れる音がした。そこに指を突っ込み、ぱかっと割って用意されている器に中身を出した。
 綺麗な黄色と透明な姿が現れた。
 そうしていると、ぐつぐつと鍋の方が沸騰してきた。
「リラ、沸騰したから紅茶の葉とスパイスを入れて。葉はちょっと多めで」
「苦くならない?」
「後で牛乳を入れるから、濃く作るのがポイント!」
「へぇ」
 リラはシノンにいわれ、少しだけ多目の紅茶の葉とスパイスを入れた。台所に、様々な香りが充満する。決して不愉快なものではなく、心地よい匂いだ。
「あ、フライパンをついでに熱するね。良く熱するのがまたポイントなんだよ」
「煙が出るくらい?」
「そうそう。不安なら、水をちょこっと入れてみればいいよ。すぐにばちばちって蒸発したら、ちゃんと熱せられた証拠だから」
 リラはそう言いながら、鍋の隣にフライパンを設置した。火にかけていると、となりの鍋がぐつぐつと音を立てている。
「シノン、チャイの鍋が吹き零れそうなんだけど……」
「どれどれ?」
 シノンが鍋を覗き込むと、紅茶がしっかり色を出していた。赤というよりも、黒という方が近いかもしれない。
「うん、充分色が出てるね」
「こんなに苦そうな色でいいの?」
「大丈夫。濃すぎるくらいで丁度いいから。で、そこに水と同じ量の牛乳を入れるんだ。あ、沸騰する直前までね。膜を張ったらアウト」
「うん。……あ、シノン。フライパンが熱せられたから、バターを投入だよ。投入して溶けたら器に出した卵をそっと優しく、フライパンに流し込んで蓋をするの」
「了解!」
 シノンはそう答え、バターを入れてフライパンを動かす。途端にとろりと溶け、黄色い塊はたちまち透明な液状に変わった。シノンは「よっしゃ」と呟き、そっと卵を移した……つもりだった。うっかり卵の移動は失敗し、器ごとフライパンに突っ込んでしまった。
 一方リラは、牛乳を鍋に入れようとして勢いがつきすぎたのか、濃く作った紅茶の液と共に外へと飛び出していってしまった。
 結果、レンジ周りは大騒動となってしまった。
「……リラ、もう少しゆっくり入れればよかったんだよ」
「……シノン、器をもう少し斜めにすれば上手く入ったかも」
 二人はアドバイスをし合い、ぷっと吹き出した。これまで上手くやってきて、ほぼ同時に失敗するとは。
「リラってば、力入れすぎ!」
「シノンだって、人の事言えないよ!」
 二人はそうやって言い合い、大声で笑った。
「よっしゃ、もう一回チャレンジだね」
「うん。次は上手く行くよね」
「もちろん!」
 二人はそう言い合う。だが、一度失敗すると何故だか続くものである。
 二度目に起こったのは、シノンが卵を割る事で、リラが紅茶の葉が少なくて薄すぎた事。
 三度目に起こったのは、シノンがバターが少なくて焦げ付いてしまった事で、リラが牛乳に膜ができるまで沸騰させてしまった事。
 何度も繰り返し繰り返し完璧なチャイと目玉焼きを目指し続けて練習していると、ついには材料がなくなってしまった。残ったのは、数々の失敗品たち。
 シノンとリラは顔を見合わせ、同時にエプロンを取った。
「材料、買いにいこっか」
「そうだね。絶対、完璧にマスターするんだから」
 二人はぐっと誓いを立てると、財布を持って町へと出かけた。チャイ用の紅茶葉と牛乳とスパイス、それから目玉焼き用の卵とバターを探す。
 そんな中、一つの店に気付いてリラが指差した。その先にあるのは、こじんまりとした可愛らしい喫茶店だ。
「あ、シノン。ここのケーキ、おいしいんだよ。前にチョコレートケーキを食べたんだけどね、口の中でとろけたんだよ」
「いいなー!今度食べに来ようよ」
「うん、約束!」
 シノンとリラは顔を見合わせ、にっこりと笑い合う。そうすると、シノンも何かに気付いて指をさした。その先にあったのは、落ち着いた雰囲気を持った紅茶専門店だ。
「あ、あとあそこの店のダージリンは絶品なんだよ。あそこも一緒に行こう!」
「わあ、行きたい!」
「これも約束!いっぱい増えちゃったけど」
「本当」
 くすくすと笑い合いながら、二人は買い物をしつつ街の端々にある様々な店を見て話した。すれ違う人の一部は、そんな楽しそうに話す二人を振り返ったりもしていたが、シノンとリラはおしゃべりに夢中で気付かなかった。
 ゆっくりと店を見てまわり、街の中をちょっとだけ散策し合い、ようやく再び足りなくなってしまった材料を買い終えることが出来た。
「これで、バッチリ作れるね。失敗しても、大丈夫!」
 シノンは卵とバターを抱え、リラに向かって悪戯っぽく笑った。リラもそれに悪戯っぽく笑いながら「そうだね」と答える。牛乳と砂糖、それに紅茶葉やスパイスを抱えながら。
「また足りなくなったら、買いに来ればいいんだしね」
「次に来たら、間違いなくケーキを食べちゃいそう」
「紅茶を飲んだりしてるかも」
 二人はそう言いあい、またくすくすと笑い合う。他愛の無いおしゃべりが、楽しくてたまらない。
「今日のご飯は、チャイと目玉焼きかな」
 ぽつりとリラが呟く。思わずシノンは吹き出し「あたしもだ」と言った。
「あたしも、そうなっちゃうね」
「今日はそういう日なんだろうね」
 リラの言葉に、シノンは「なるほどね!」といい、にっこりと笑う。
「チャイと目玉焼き記念日なんだね」
「そういう事。だから、なんとしてもばっちり作らないとね」
「記念日に相応しく!」
 二人は顔を見合わせ、今度は大声で笑った。
 次は完璧なチャイと目玉焼きが作れそうな気がして、二人とも気付かぬうちに足早にリラの家へと向かっているのだった。

<記念日に相応しき完成品を目指し・了>