<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■芽吹きの花■



 それは、最初に芽を出す。
 芽を出して茎を伸ばし葉を広げ、頼りない光を集めて花開く。
 全ての緑は、その花が咲いてから命を芽吹かせる。
 木も、草も、花も。
 だからその花は名前を与えられないで、けれどたった一つの特別な名前を与えられているのだ。

 芽吹きの花。

 溢れる緑は全てがその花に導かれて世界に顔を出す。



「それが、見つからないの」
 小さな少女あるいは少年、どちらともとれる幼子が椅子によじ登ってカウンタに顔を出している。
 微笑ましいその光景に和みつつエスメラルダが先を促すと、くたりと項垂れて幼子はカウンタに顎を乗せて一つしゃくりあげた。
「見てたのに、芽がなくなったの」
「芽は出ていたのね?」
 あやす口調の声にこっくりと、顎をカウンタに乗せたまま器用に頷く幼子。
 その頭をそろりと柔らかい手付きで撫でつつ空いた手でメモを取る。
「動物が食べたりはしないの?」
「食べないよぅ」
「鳥も?」
「とりも」
 うぅと瞳を潤ませる幼子を宥めつつ考えてみるものの、手掛かりと言えるものも無い。
 どうしようかしら。
 考えるエスメラルダ。しばらく視線を宙に彷徨わせて出した結論は、やはり一つだった。
「その手の事に慣れている人達もこのお店には来るから、お願いしてみましょうね」
 メモは元々そのつもりだったけれど、結局その方向で話は進むのである。
「何か、今までと違った事はある?」
 最後にと追加で訊ねたそれに、幼子がことりと頭を傾け頬をカウンタに押し付けた。
 ふくよかな頬が柔らかさを強調して天板に張り付く。
「んー……」
 ややあって、一つだけ、と幼子は言った。
「晴れてるのに雪がすごくふったの」
「あら、ちょっと怪しいわね」
「あやしい?」
「ええ。書いておくわね」
「あい」
 そうしてメモに書き足し目に付く場所に貼り付けると、黒山羊亭の踊り子は幼子の作り物めいた柔らかさの身体を抱き締めて食事を勧める事に。
 あとは、馴染みの者達に任せるのである。

 と、誰かが入って来、その拍子にメモがひらりと揺れた。



『芽吹きの花の捜索願』


** *** *


「そりゃあ一大事じゃねぇか!」
 メモを貼ったエスメラルダがシチュー皿を持って戻るなり顔を出したのはオーマ・シュヴァルツ。
 やたらと可愛らしいフリルのエプロンをつけて周囲にはあれこれと雑貨から食料から積んでいる。
 分類上は酒場という範疇に入る黒山羊亭には妙に似合わない姿の彼は、しかし本人が気にする筈もなく「くぅぅぅぅ!」と天を仰いで何やらのたまっていたり。聞いたエスメラルダはくらりと目眩を覚えつつも、持ったシチュー皿に木匙を添えて幼子へと差し出した。
「春が来ねぇと桃色乱舞うっふんアニキ浪漫季節筋も来ねぇ……聖筋界の一大事だぜこりゃあ!」
「気にしなくていいから、シチュー食べて身体温めてね」
 エスメラルダ、自然体でスルー。
「……一大事……」
 反応を返して貰えずなんとなし淋しそうな様子のオーマ。
 多少の可笑しさを覚えながらエスメラルダが幼子に木匙を持たせる向かいに、キング=オセロットが普段と変わらぬ素振りで腰を下ろした。
「単純に」
 どれほどの喧騒の中であっても、この金髪の麗人は周囲に引き摺られる事が無い。
 子供の傍らに着いたからであるのか、自然な所作で紙巻煙草を揉み消してから空いた指先でカウンタを軽く叩くと、とんと軽い音。
「雪が積もって埋もれてしまっただけではなく、何かしら人為的なものを感じられるところが、この世界の何とも言いがたいところなのだが」
 とんとん、と節を付けてみると幼子が木匙を口元に運びかけたところで怪訝そうにそれを見る。
 意図した訳ではないが、注意が向いたことで視線を合わせてオセロットはその子供に向き直した。
「見ていたのに見つからなくなった。動物や鳥が食べたわけでもない。そうだな?」
「ふぁい」
 頷きながら結局木匙を咥えて答えるのに苦笑する間に、オーマは何やら背後のテーブルに戻ってしまった。連れと座っている姿を見た覚えがあるから声をかけるつもりか。
 思う間に別の声。
「もしかしたら、芽吹きの花を咲かせたくない者が、いたずらに力を使ったのかもしれないな」
「やはり、その方向になるか」
 こちらも手伝うつもりなのか、先程まで客に請われて歌を披露していたリージェ・リージェウランが入れ替わりに現れる。竪琴をひとつ、愛しげに抱えてカウンタの空席に腰掛けて髪を流した。
「花が咲かなければ、春は来ないのだろう?」
 客として訪れながら、歌を請われるだけの事はある。耳触り良く聞き取りやすい声だ。
 リージェの声にも幼子はまた木匙を咥えて「あい」と頷く。
「芽吹きの花、とやらは雪に隠されたか」
「あるいは雪が降って地面に芽を引っ込めた、っていうのもありだな」
「ふむ」
 幼子がシチューを平らげる間に交互に口を開く女性二人。
 ある種の慣れ、というのか落ち着いた遣り取りに、明るく稚い声が混ざったのはオーマが戻ったテーブルの方向から。振り返った先には赤い瞳を煌かせて笑うシキョウがいた。
「おはなのおともだちかくれんぼしちゃったのかな〜?」
 ね、と自然な動きで幼子の傍に行く。
 会話を止めてオセロットとリージェが見守る中、シキョウは輝石のペンダントを差し出して幼子に握らせた。ぎゅうと小さな手ごと包み込むように。
「ぎゅってして、おはなのことおもってね」
 その幼い口調で紡がれる言葉を聞いて、ああと二人は視線を交わした。
 このシキョウも一緒に花を探そうというのだろう。
 なんとはなし微笑ましく見守っていたのだが、じきに輝石を受け取ったシキョウが満面の笑顔で言った言葉にふと眉を寄せる事になる。
「シキョウが「おに」になってつかまえてあげるね〜〜♪♪」
 ……おに?鬼?
 訝しいままにそれぞれ再び視線を巡らせて同行者であるだろうオーマを探す。
 リージェが歌っている間にこの少女は大量の食事を一人で食べていたが、同じテーブルにオーマともう一人がいた筈だ。
 ぐるりと店内を見るまでもなく、オーマがそのもう一人に――ゼンという若者であるのだが――何事かをいささか暑苦しい素振りで話しかけているのを見つけ出す事は出来た。
 いつの間にやらエスメラルダはそちらに居る。
「ゼン!お前もこの聖筋界の一大事に力を貸すんだ!」
「あー俺パス。ンなのガラじゃねーっつの」
 ――おそらく延々と繰り返しているのだろう誘いと、ばっさりとした拒絶。
 オセロットと、リージェと、幼子とが見遣る先で、鼻で笑うようにしてそっぽを向いたゼンが横目でエスメラルダを見て表情を変えた。にやり、と格好付けているつもりかもしれないが、少しばかり無理した悪ガキ風味にも見える笑いだ。
「まーでも?」
 言いながら、カウンタに肘を乗せて身を乗り出す。
 鼻先にエスメラルダの朱唇がくるような場所だったのは意図的か。
「その報酬にエスメラルダが今夜付き合ってくれるっつーンならノってやってもいーケドな?」
 僅かに下方向から窺う風のゼンにエスメラルダが、あら、と唇だけで呟いたのをオセロットとリージェは確かに見た。面白いものを見る時に人はよくああいった笑みを口に佩く。
 踊り子が、ゼンのアプローチにむざむざと乗るとも思えない。
 上手くあしらって協力と取り付けるだろう。
 そうふんで女性二人は中断した会話を再開する事にした。
「こちらはやはり現場に行くべきか」
「やっぱり一度見てみたいな」
 さて、シキョウはと言えば幼子に握らせた輝石のペンダントを再び己の首に飾ると、実はまだ途中だったらしい大量の夕食を片付けにかかっている。いや、食べ終わった。女性陣が打ち合わせを続けかけた瞬間にだ。
「ごちそーさまでした♪それじゃあペンダントといっしょに、おはなをみつけよ〜!」
 シキョウかくれんぼがんばるよ、とにこやかに言うなり彼女は小柄なその身体を二、三度跳んで解したかと思えば一気に飛び出した。
「――ッバ、ッカヤロウ!待てシキョウ!」
「ちょっと!?他の人も一緒に――」
 即座にゼンが身を翻して小さな背中を追って走り出す。
 その二人に向けてエスメラルダが呼び掛けるも、遅く。

「よっし!そうこなくっちゃな!ときたら俺は一度買い込んだモンをフレンズに頼んでくるぜ!」

 何か非常に都合良く判断したらしいオーマがうんうんと頷きながら、こちらは言い置いていくだけましであろうか、黒山羊亭を出て行った。
「……ああもう」
 エスメラルダの声を聞きながら、メモを見て以降だけで何度目なのか解らないままオセロットとリージェは静かに視線を交差させる。
 つまり、どうしようか、と。
 幼子は出て行った三人の勢いについていけなかったらしい。
 木匙を持ったまま戸口を見て、掬ったままのシチューが器に零れて戻った。
「彼と、その連れだ。腕は立つようだったし大丈夫だろう」
「そうだな。あたし達は花の咲いていた場所に案内して貰おう」
 その持ち上げていた木匙が器に戻される頃に、吐息一つ添えてオセロットが言うのにリージェも頷く。竪琴の弦につと触れて黄金のそれが微かに鳴った。


** *** *


 すばしっこい少女は、やはりゼンが飛び出した時には遠くへと駆け出していた。
「おいシキョウ!だから勝手に行くなっつってんだろうがよぉ!」
 周囲が驚いて顔を向ける程の大声を上げてもシキョウは足を止めない。
 体半分振り返りながら器用に走り、ただ手をひらりと踊らせて笑顔で。
「ゼン、こっちこっち〜♪」
「こっちこっち♪じゃねぇえ!」
 聞く訳でもないのに――別に反抗的とかでなく、どうも聞き流されるのだ――更に声を張り上げてから、ゼンは諦めた様子で後を追う事にした。
 幸いというか、道端の雪がシキョウの通った後だけ薄くやんわりと溶けていたから完全に見失うとまではいかないだろう。
「ああくそ」
 舌打ちを残して、彼もまたとんでもない速度で駆けていく。
 ただし、こちらは雪解けの具合で普段よりも追跡に余裕が持てるとふんだ為か視線がちらちらと擦れ違う美人なお姉様方に向かいがちだ。
「やっぱエサがいるよな」
 なんて言いながら入る店にさえ色っぽい女性が店番していたりするのだから、その程度は推して知るべし。
 そして菓子を購入ついでに軽くあしらわれ、その微妙な苛立ちを今度はそこらのチンピラに絡んで発散したりするのもゼンの特徴……なのだろうか。

「あーったくいい度胸だよなぁ?この程度で俺をシメようってのか」
 少しの間に気付けばとある屋敷を半壊させている彼が、いまだにシキョウの行方を把握出来ているのかも怪しい。が、どうも方向程度は解っているのかそちらに菓子の袋を振っては「出て来いよオラ」だとか叫んでいる。そして出て来ない。
「ちっと距離開いたかぁ……?メンドクセェ」
 こいつらアタリだと思ったんだがな、と周囲に転がる強面を一人蹴ってみる。
 呻く彼からしてみれば、突然扉を蹴破ったかと思えば盗品売買の会場に踏み込み「ガキと花返せやぁあん?」と絡まれた被害者なのに、なにこの扱いの酷さ、というもの。しかし気絶寸前では文句も言えず。
「……くっそ、このままじゃエスメラルダ誘えねぇだろうがよ」
 一方的に絡み殴り込みとある裏街道な人々をぶっ倒し、そしてその文句。
 だがそれに何かを言える者はみなゼンの足元に転がって官憲なりの到着を待つばかりの状態だったので、結局ゼンはむくれてひとしきり愚痴った後に再びシキョウ追跡に走り出したのであった。


 少年をシキョウが追い、そのシキョウをゼンが寄り道しつつも更に追い、そうしてエルザードを抜けてなお駆ける。
 距離が、随分と長くなっている事に気付いていたのはゼンだ。
 シキョウは時に視界を覆う突風じみた雪に少年を見失い、輝石を握って探してはまた追うといった事の繰り返しであったので距離なぞ気に止めてもいなかった。
「どれだけ走りゃ気が済むんだよ、てめぇ」
「あれ〜ゼンおそかったね?」
「おそかったね?じゃねぇよ」
 だから追い付いたゼンがシキョウの襟首を引っ掴んで顰め面を向けても彼女はのどかにまず笑ったのである。それからゼンの手に持った菓子に目を輝かせ、差し出されるそれを受け取ると心底幸せそうに笑って頬張り始めた。
「つーか、お前が捕まえられてねぇってどうなんだよ」
「かくれんぼ、じょうずだよね〜。シキョウもがんばらなきゃ!」
「待てっつの」
 言うなり菓子を抱えて再び駆け出しかけた少女の細い身体を今度は難なく引き止めて、ゼンは軽く溜息を吐いた。周囲にはエルザードに比べて随分と色の無い空間が広がっている。
(途中のそれっぽい場所とかにも出没した跡は無かったしな)
 こいつが一直線に追い掛けて、他の春の気配が強い場所に寄る暇が無かったのか、と思いながら見下ろすゼンの視線を見上げて返すシキョウは捕獲されたまま少しだけしょぼんと肩を落とした。
「はやくみつけないと、あのこがかなしそうなままだよ〜」
「あのこ?」
「くろやぎていにいたこ。ペンダントにおもいこめてもらったの♪」
「……ああ、あのガキか」
 力一杯射程外だったので記憶から消えかけていたゼンである。
 しらっと視線をその辺に投げて返しながら、流石に薄着すぎる自分たちに眉を顰めた。具現なりでどうにかしても良かったが、なかなかに面倒見も良く段取りも外見から想像される以上に良いゼンは通りがかりに半壊させた屋敷から『拝借』してきた防寒具をシキョウにばさりと乗せる。
「わぁゼンありがとう〜!」
「風邪引いても知らねぇぞ。ったくこんな寒いの冗談じゃねぇよなぁ」
 それは、ほわほわと何処か微笑ましい場面だったのだけれど。

 わるかったな。

 ふと響いた声と。
 輝石のペンダントが再び輝いたのと。
 ゼンが少年の姿と、その手に抱く淡い揺らぎの花を認めたのと。

 どれが早かったのかは解らない。
 解るのは、ただゼンが飛び出して、少年が踵を返して、シキョウが妙にファンシーなステッキを具現して振るったのとが順に起こった事だ。
「ぎゃ――――!?」
「あっゼンがうささんになっちゃった♪」
「なっちゃった♪じゃねぇ!あのボウズどこ行ったぁ!しかも脱げねぇしオイ!」
 瞬間的にとても賑やかになったその一帯。
 ウサギの着ぐるみのままゼンがぐるりと周囲を見、あるいは住居でも近くにあるのか少年の背中が小さく見えた。巻き添えというか、少年の代わりにうささん着ぐるみ状態な遣る瀬無さもぶつける勢いでゼンはそのまま走り出す。脱ぐに脱げないので追跡しながら脱ぐことにしたのである。
「あんなガキじゃシメられねぇしコンチクショウ!」
「いじめちゃだめだよ?」
「だったらこの着ぐるみどうにかしろてめぇ!」
「まて〜!」
「聞けよ!」
 二人が元気良く騒ぎつつ雪を蹴立てて走るも少年は捕まらない。
 シキョウのステッキは更に巻き添え喰らいそうになってついにゼンが止めた。
 となれば純粋に追いかけっこだ。
「なんか小屋がねぇか?」
「ほんとだ、あのこのおうちかな〜」
「その前に捕まえるぞ!」
「お〜!」
 じきに見えてきた小屋に一直線に向かう少年に閉じ篭ってしまわれる前に、と二人が走る勢いを強める。
「ちゃんと辿り着けたみてぇだな!」
「オーマ!?」
「あ、オーマだ〜♪あのこがおはなのともだち、つれてるんだよ!」
「ワル筋にゃあ見えねぇが話聞く必要はありってこったな!」
 オーマが巨大人面草に乗って登場したのはこの辺りだった。
 鎧姿に陣羽織。兜は桃色だ黒だと点滅してやたらと眩しい。そして背には『腹黒下僕主夫将軍ビビビマッチョ★』と書かれた旗。それらに感心するシキョウの隣では必死に足掻くゼンが居る。
「つーかなんでこれ脱げねぇんだよシキョウ!」
 怒鳴り声に振り返った少年の顔が、これ以上ない程に固まり引き攣った。

 ……ここで、少年の視点で見てみよう。
 明るい少女、ウサギの着ぐるみ着た若者、巨大人面草に乗った鎧姿のマッチョ兜被った強面。
 逃走速度も増すというものだ。

 かくして、彼らは少年が幾らか先行する形で小屋へと突っ込んだのである。


** *** *


「芽吹きの花!」

 べしゃりと顔面から雪に突っ込んだ少年と、少し後方で同じく突っ込んだ三人。
 何かふざけた芝居のような展開に小屋で捜索していた二人が静かに見るばかりの中、幼子が真っ先に声を上げて動いた。
 今にも転がりそうな足取りで駆け寄って少年の手から転がり出た淡い花に手を伸ばす。
 気付いた少年が、転んだまま先に奪おうとするのを遮ったのは近くにいたオセロット。幼子が無言で駆け寄っていれば危なかった。それほどに、突っ込んできた場面は凄まじかったのだ。
「返せ!」
「あれは、あんたのものじゃないんだろ?」
 拾い上げて幼子に『芽吹きの花』を渡すオセロットに怒鳴る少年に、こちらも我に返ったリージェが膝を付いて動きを制する。
 荒事にある程度の慣れがある、そういった人間の威圧感にぐいと顎を引いて息を呑む少年はけれど視線だけはまだ幼子の手に渡った『芽吹きの花』から離れない。
「あのね〜くろやぎていのちかくでいたんだよ〜」
「だったらそこで引き止めとけよ!まだ脱げねぇ!」
「似合ってるんだからいいじゃねぇかゼン」
「よくねえ!」
 倒れた後方から響く三者三様の言葉。
 黒山羊亭の近くに居た、というシキョウの言葉に改めて見る少年は変わらず花だけを見て。
 その悔しそうな表情に瞳を瞬かせたのはリージェ。数度、幼子と少年を見比べる。その仕草に幼子の側を向いていたオセロットが気配を察して振り返り、同じようにして瞳を眇めた。
「ところで、彼は知り合いかな?親戚だとか」
 幼子が温めるかのように花を抱くのを見下ろしながら、問うたのはオセロット。
 彼女の問いにふるりと頭をひとつ振って幼子はただ花を抱き締めた。その小さな腕の中で形を保ったまま揺らぐ花。
「だいたい、なんだって『芽吹きの花』を取って行ったりしたんだ?」
 それを見ながらリージェが問うと、ようやく少年は視線を花から外した。
 ぎりと睨む瞳。
「うるさい!勝手だろ!」
「勝手、というが」
「勝手っていったら勝手だ――っ!?」
 雪の中で起き上がろうともしない少年の上に、雪が落ちた。トドメとばかりに中身の無いウサギの着ぐるみがぼとりと落ちる。
「ゼン、いじめちゃだめだよ〜」
「うっせぇ。ただでさえ寒いってのに花隠して何が楽しいってんだ、あ?」
「……が」
「ああ?」
 ようやく着ぐるみを脱いだゼンが不機嫌そのものの顔で少年を覗き込む。
 負けじと睨み返す少年が、絞り出す声音で小さく洩らしたのを聞き返し、叫ばれた言葉がなんとなし正体と理由を一同に悟らせる事になった。

「お前が言ったみたいにみんな寒いって文句言うからだろ!」

 冬、だとか。
 雪、だとか。

「……あっちは春、とかそういうのかな」
「だろうな。こちらが冬ならば、だが」
 一度叫んで箍が外れたのかもしれない。
 少年が、倒れて背中に雪を落とされたまま散々に喚いた事から事実を考えて大人達はそれぞれに吐息を落とした。シキョウが話しかける背後でうんざりした顔のまま付いて回るゼンと、その近くの幼子を見て。ひとり転がる少年と見比べればやはり似た気配で。


 それは、寒い、その厳しさから冬将軍とまで言われる事もある季節。
 実りも少ない場所で人が雪解けを待つ。その象徴とも言えるのが芽吹きの花だと誰かが暖かな暖炉の前で話すのを少年は聞いた。
『まったく寒いのなんか勘弁だよ』
『春が恋しいね』
『芽吹きの花が咲けば緑も育つ。もう少しさ』
 聞いて、そうして少年は奪ったのだと言った。
 何を?芽吹きの花を。
 そうまで言うなら咲かないようにしてやろうと。
 だから奪ったのだと。


「みんな、冬なんかいらないって言う!雪なんて降らなくていいって言う!」
 見かねて起こそうとしたリージェの手を払って少年は雪の白い只中に顔を埋めて肩を揺らす。
「春になんかならなきゃいいんだ!ずっと冬なら文句言えないだろ!」
 子供が、拗ねて行動したようなものだと思わないでもなかったけれど、悔しそうに嗚咽を洩らす様に叱れない。あーとかうーとか洩らしてオーマが頭を掻く。
 互いに視線を投げて探り合う中で、まず動いたのはオセロットだった。
「少し話をさせて貰えるかな」
 少年の肩は動かない。
 それを承諾とみなしてオセロットは衣類が雪に濡れるのも厭わず膝をつく。
 聞く者も落ち着くようにと穏やかな声音を、彼女は唇から溢れさせた。
「この件に関わってから考えていたのだが、季節というものは移ろうからこそ良いものだ。私はそう思っている」
「……寒いの、冗談じゃないって言った」
「確かに季節柄冷えはするが、この冬にも素晴らしいものは多い」
「だよなぁ。人面樹が他の木の雪まで払ってるの見たときゃあ俺は感動したもんだ」
「風だとか、この白さだとか、それだけで他の季節には無い美しさが感じられるとあたしは思うよ。物語は冬を舞台にしたものだってたくさんある」
「ゆきがっせんもたのしいよ〜?」
 オーマ、リージェと順に言うのに続いてシキョウが狙ったように幼子に呼びかけた。
 まるで少年に聞かせるようなタイミングだ。
「そう、雪合戦も良いよなぁ!俺もちょっくら雪ウサギの一つや二つ……」
「そうそう。雪がなきゃ出来ないよな」
「……だって」
 シキョウの声に乗るオーマにリージェが相槌を打っても少年はまだ雪に顔を伏せたまま。
「変わらぬ季節であれば、それを惜しむ事もない。いずれ去るからこそそれを惜しみ、惜しみながらも次の季節を迎え入れる。そうして巡るからこそ、次に訪れるその季節を楽しみに出来るだろう」
「確かにあたしもそう思うな」
「だって、寒いの、冗談じゃないって」
 噛んで含めるように丁寧に繰り返す。
 それにまた返された言葉に、今度は指がついた。
 指し示す先には、ゼン。
「あー……あいつはちっと口が悪いだけでだな」
 苦笑いしてオーマが言う先で、ゼンがシキョウと幼子に残りの菓子を分けて食べさせている。
 妹の面倒を見る兄貴分さながらの彼は、確かに悪気無く言ったのだろう。
「まあ、夏にしても暑い暑いって文句言いたくなる日もあるし、そういう一瞬のものだと思うな」
「リージェの言う通りだな。事実、この冬が終わっても私は次の冬も楽しみにするだろう」
 きゅ、と雪を少し握って少年が顔を上げる。
 窺うようにオセロットを見るので、しっかりと頷き返してみせれば少しだけ眉を寄せて彼は起き上がった。体中の雪を払い落とす手伝いは、オーマ。動きかけたリージェは竪琴を置きに戻る必要があり、彼に譲ったのだ。

「――何が要って、何が要らないなどないさ」

 座った少年の頭に残る雪を、オセロット自身も落としてやりながら言う。
 こくりと頷く少年は、冬のようなものだと、名乗った。
「花を、戻してやって構わないな?」
 その少年を正面から見て、確かめる。
 オセロットの言葉に、きちんと頷く少年の姿はリージェとオーマがそれぞれに見た。


 ――結局ゼンから「悪かったよ」と謝罪を引き出して。
 ようやく、幼子がシキョウの手を借りて元の土に戻した『芽吹きの花』はけれど淡い揺らぎの頼りなさから力無い茎の様子まで何一つ変わらなかった。
「花、花が」
 途方に暮れた幼子の声に、少年が居た堪れず顔を伏せるのはオーマとゼンがそれぞれに肩を叩くなりして、揃ったタイミングに片方は満面の笑み片方は渋い顔と対照的だったり。
 それを見ないでシキョウは幼子の横にしゃがみこんで、心配そうに花を見る。
「どうしてかな〜」
 新しい友達認定の幼子や少年、花の行方を追いつつの鬼ごっこ、そういった間のシキョウの楽しみ具合に影響されて彼女のいる辺りは雪解けの具合も早い。だがそれでも花には不十分な力らしかった。
「ずっと持ち歩いてたんだろ、てめぇ」
 ゼンの言葉に素直に頷く少年が、先刻とは打って変わり申し訳無さそうに幼子を見ている。
 それを目の端に捕らえたままオセロットが窺ったのはリージェだった。
 意図するところを察してリージェも竪琴の調子を再度確かめる。
「これだろう?」
「あなたも賢いな」
「どうしようかと考えていたところさ」
 よしと音を流してからリージェはその花のすぐ傍に立つと深く息を吸う。
 お、と控えめに声を上げたオーマが背後から人面雪が覗くのに気付いたと同時、歌が溢れた。
 大気を震わせ、力を満たす声。
 朗々と流れる歌姫の声に応えて花が、じわりと淡い揺らぎを天に向ける。
 伸びる茎。蕾が微かに開く。
 淡い気配は訪れる次の季節の前触れだと感じられ、微睡みを呼ぶような空気にめいめいが瞼を閉じて歌を聞く。その中で小さく少年の謝罪の声が混ざり、つと開いた時には。


 雪も、少年もなく。

 シキョウの隣に少女。


** *** *


 それは、いつぞやよりも暖かな日。

 エスメラルダが笑って聞いたその話の最後はまだなんだよ、とリージェが詫びる。
「花が咲いたらそこらの新芽も一気に育つって話だからさ」
「まあ、そうなの」
「そうしたら、綺麗な花を贈ってくれるって伝言頼まれたんだ」
「あらぁ楽しみだわ」
 幼子は、少女になった。
 今にも開こうとする『芽吹きの花』の傍に立ち微笑んで。
「腹黒同盟に勧誘しようかとも俺は思ったんだが、無理だったんだよなぁ」
「代わりに人面雪、だったか。あれがついてきたのではなかったか?」
「おう。今は病院の冷凍庫に入ってるぜ」
「……また増えたのね」
「はっはっは!ビバ聖筋界、ビバ腹黒同盟、ってな☆」
 オーマの声に、紙巻を咥えながらオセロットが言葉を挟み、それにエスメラルダが乾いた声を付け加え。その傍で山積みの食事を幸福そうに食べるシキョウ。
「シキョウにもね〜おはなおくってくれるって♪」
「おうおう、そりゃあ幸せだなぁおい」
「しあわせだね〜♪」
 ほんわかと和むカウンタの一同。
 しかし一人だけはそこに混ざらず静かに舞台でくるくると。

「俺は楽しくねぇ……っ!」

 日没前から夜明けまで、エスメラルダとお付き合い。
 ゼンは一晩中、彼女の負担を減らすべくおどけた踊りを披露する予定であった。

 シキョウ進呈ウサギ着ぐるみで。






□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2081/ゼン/男性/17歳(実年齢999歳)/ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【2082/シキョウ/女性/14歳(実年齢14歳)/ヴァンサー候補生(正式に非ず)】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】
【3033/リージェ・リージェウラン/女性/17歳(実年齢17歳)/歌姫/吟遊詩人】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 ぎりぎりお届けとなり、お待たせして申し訳ございません。ライター珠洲です。
 個別傾向予定が完全個別部分が逆に無い状態となりました。ただ、行動が重なっているPC様以外は別描写なので、その辺り他のPC様も読んでみて頂ければと思います。
 冬将軍については、ライター自身の脳内で妙な変換がかかり、結局正体はこういう形となっております。ほのぼの〜コメディの間のつもりですが、如何でしょうか。

・ゼン様
 はじめました。実は苦労人なプレイング有難う御座いました。
 そしてなによりもうささん着ぐるみについてはお許し下さいませ。実は楽しく想像しながらだったのですが、ゼン様からしてみるとなんじゃこりゃ、な状況だったかと思われます。オチについても同様に……ライターがにまにまと想像した場面です。