<東京怪談ノベル(シングル)>


本の中へ

 夜は、解放の時間――
「お帰りなさい、エルファリア」
 公務から帰ってきた王女エルファリアを、レピア・浮桜(―・ふおう)は笑顔で出迎えた。
「ただいま、レピア」
 二人は軽く抱き合い、お互いの労をねぎらう。
 レピアはエルファリアの王女としての疲れを労わって。
 エルファリアは――呪いによって昼間は石像と化し、夜にしか生身の姿に戻れないレピアの寂しさを労わって。

 二人は楽しく笑いながら、いつものとおり二人で遅い夕食を楽しみ、その席で踊り子レピアはエルファリアのために踊った。
 王女の労をねぎらうために。優しく、穏やかな舞を。
 どれだけ自分が王女を好きなのかを表現するための舞を。
 そしてレピアは、自分が踊りを楽しんでいるのを見るのが、愛する王女の一番好きなことだと知っていた。
 だから舞う。今夜も大切な姫のために。

 夜になると、彼女たちにはもうひとつ仕事があった。
 レピアを長年しばりつけている呪い――神罰<ギアス>を解く手がかりはないかと、図書室で古書あさりをするのだ。
 図書室はエルファリアにとって私室にも等しい。何万冊、へたをすると何百万冊とあるかもしれないこの蔵書を、エルファリアは大部分読破してしまっているという。
 それでも、レピアの呪いを解く方法はいまだ見つかっていなかった。
 今宵も王女は熱心に、まだ手をつけていない棚に向かい本のページをめくりだす。
 違う場所でレピアも本を手に取った。ちょうどエルファリアとは背を向けるかっこうで。
 エルファリアほど本を読むのが早くはないレピアは、ゆっくりと真剣なまなざしで本をめくっていく。

 ふと――

 ある本を手にしたとき、ひとつの挿絵が目に飛び込んできた。
 それは、お姫様が悪い魔女にさらわれて、石化してしまっている挿絵だった。その石像となった姫君の顔立ちが――
(――エルファリア!)
 似ていた。あまりにも、大切な姫に似すぎていた。
 いてもたってもいられなくなり、レピアは何とか彼女を助けたいと願った。

 と。

 本が輝き出した。
 ページが勝手にパラパラとめくられていく。光が強くなっていく。まぶしくなってレピアは目を閉じた。その瞬間に、
 ふっと体に浮遊感を感じ、
 そして気がついたとき、彼女は知らない世界にいた。
(知らない世界? 違う……)
 見覚えがある。
 ……これは、あの挿絵のあった本と同じ風景だ。
 レピアは体にいつもと違う重さを感じて、ふと自分の体を見下ろした。
「え!?」
 驚いて声をあげる。着ていたのはいつもの踊り子服ではなかった。赤を基調とし、金で飾った、まるで戦士のような服装――いや、装備。
 腰には、重い剣をさげて。
「悪い魔女……石にされたお姫様」
 本の内容を思い出し、そして自分の役割を悟る。
「……倒しにいかなくては。姫を助けに」
 自分はそのための勇者なのだ。
 そう、魔女を倒しにいかなくては――

 挿絵のあったあの本の内容の記憶を頼りに、レピアは洞窟へと向かう。
 洞窟の中に、魔女の温泉がある。そして魔女によって石となったたくさんの女性たちの石像が、財宝の数々として雑然と置かれている場所があった。
 洞窟の奥までたどりついたレピアの目に、まっさきに映ったのは、財宝の山の中に乱雑に置かれたあの像――
(エルファリアに似た石像……許さない!)
 魔女は目の前にいる。レピアは剣を抜いた。
 抜いた瞬間、ずんと腕に予想以上の重さがかかった。
 剣は重いのだ。けれどそんなことは言っていられない。剣を振らなくては、振らなくては――
 片手ではとても持てなくて、両手で振り回した。
 しかし、思い通りに動かない。
(ああ、だめだ……あたしに剣は扱えない……!)
 振り回してみても目的の場所にはうまく当たらない。
 見当違いのところをかすめていくレピアの剣筋を、ひょいひょいとよけながら魔女はきひひと笑った。そして、
 そのしわくちゃの手がレピアに向かってかがげられる。
(――! しまっ――!)
 レピアはどこかで覚えがあるような熱量を、体の奥底に感じた。

 ぴし ぴしぴし

 足元から、徐々にそれは這い上がってくる恐怖。いつもならば、陽が昇るたびに感じていた恐怖。
 もう慣れたと思っていたのに。
(――慣れるはずがないじゃない!)
 腰を、腹を、胸を、首を、
 硬く硬くなっていく自分の体を痛いほどに感じながら、レピアは最後に大声で叫んでいた。
「――エルファリア!」
 やがてその口も、叫んだ形のまま石化する。
 そして彼女は、戦士の姿のまま石像となった。

     **********

「レピア……? レピア? どこ?」
 図書室で本あさりを続けていたエルファリアは、突然姿を消したレピアの姿を捜し続けていた。
 目立つ姿の踊り子がすぐに見つからないので、図書室から出て行ったのかと思ったそのとき――
 彼女はレピアが本を読んでいたはずの場所で、ふと立ち止まる。
 いつの間にか、本が一冊だけ床に落ちていた。
「これを読んでいたの、レピア……?」
 エルファリアはかがみこみ、それを手に取った。
 そして、たまたま開いてみたページを見て――目を見張った。
「レピア!」
 そこに、苔生した石像の挿絵があった。
 踊り子ではなく戦士の姿をしていたが、その顔立ち、体つき……間違いない。
 エルファリアは思い出した。たしかこの図書室の中には、本の中に吸い込まれ、実際に本の登場人物として体験できる本があったはずだ。
 本来ならば無害で、何が起こっても無傷で帰ってこられる本のはずなのに――
「でも……石化している」
 エルファリアはとても早いスピードでその本を始めのほうからめくっていった。そして一枚の挿絵を見た。
 自分によく似た石像が描かれているページ……
(まさか、これを見てレピアは……?)
 レピアならばやりそうなことだ。急いでページをめくっていくと、物語は詳細にその後起こった出来事を綴っていた。
 レピアは魔女に立ち向かい、しかし剣をうまく扱えずに逆に返り討ちにされたのだ。
 石化の魔法で。
(本当ならば、そのまま何事もなく本の外に出されるだけのはず)
 けれどレピアの体には元々神罰<ギアス>がある。その影響が悪く出てしまったかもしれない。
 実際にレピアは本の外に戻ってくることもなく、石像のまま財宝のひとつとなり、そのまま――何と本の中では半世紀以上も経っていたのだ。
 エルファリアは、レピアが石化していくさまを表現している文章を目で追って、やがてひとつの文字列にくぎづけになった。


『 ――石像と化しながら、女戦士は叫んだ。
「エルファリア!」
 そして叫んだ姿のまま、石となった。』

「レピア……っ」
 エルファリアは本を抱きしめた。
 そして、自らも本の中に飛び込むことを決めた。


 一瞬の浮遊感の後――
 たどりついたのは、本の挿絵に描かれていた風景。
 魔女がいるのは洞窟。その奥の温泉のある場所。
 エルファリアの服装は、どうやら魔法使いのようだった。片手に水晶のついた杖を持っている。
「負けはしないわ」
 王女は強い意思でもってつぶやいた。
 そして、洞窟へ向かって歩き出した。

 魔女は、半世紀以上経ってもそこにいた。
 変わらず、しわくちゃな顔と手を持って。
 ――温泉の奥に、雑然と並ぶ財宝が見える。石像が見える。
 レピアが見える。
 魔女はエルファリアの姿を見るなり、慌てたように構えを取った。
 しかし、エルファリアの怒りのパワーは並ではなかった。元々、ソーンの世界ではエルザード王家の王女を務めるほどの存在だ。その潜在能力はだてではない。
「よくもレピアを……!」
 杖を構える。
 先についた水晶玉が強い、強い光を放った。
「悪い魔女よ、光をもってここに浄化する!」
 エルファリアは凛とした声で声高に叫んだ。
 まぶしく神々しい光に、魔女は皮膚を焼かれ――
 断末魔の叫びとともに、溶けて消え去った。

「レピア、レピア……!」
 エルファリアは財宝の中からレピア像だけをさがしだす。
 半世紀以上も経って、エルファリアの名を呼んだ姿のまま石となり、今は苔のはりついた石像が痛々しかった。
 エルファリアはレピアの石像を抱え、魔女が愛用していた温泉で、レピアの像を丁寧に洗った。
 石が輝きを取り戻していく。
 しかし本物のレピアでは、まだない。
「レピア……」
 洗い終わった石像をそっと寝かせ、エルファリアは杖の先端の水晶を彼女にかざす。
「呪いを浄化せよ。浄化せよ……」
 ふわ……
 輝く白い光が、石像を包み込んだ。
 呪われた灰色が溶けていく。赤と金の甲冑、白い肌、青い髪を取り戻していく。
 そして――レピアはその青い瞳を、うっすらと開けた。
「エル……ファリア……?」
「レピア! よかった……!」
 苦しそうにしながらも上体を起こしたレピアを、エルファリアは抱きしめた。
 これはあくまで本の中の出来事だ。神罰<ギアス>までが解けたわけではない。そんなことは分かっていても。
「よかった、エルファリアも無事……」
 挿絵と混同しているのだろうか。レピアはそんなことを口走り、エルファリアを強く抱きしめる。
 二人はお互いの頬に軽くキスをし合った。
「帰りましょう。もうこんなところにいる必要はないわ」
 エルファリアがふわりと微笑む。
 レピアも微笑み返した。
 そして手と手を取り合い、二人はそっと目を閉じた。

 握り合ったお互いの手を決して離さずに。
 本から出る浮遊感を感じながら。
 それを二人でともに実感できる幸福を、感じながら。


 ―Fin―