<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


いなくなった恋人(後編)

●恋人の失踪、再び

 商店街の名士キシリオ家の三女・エルナの恋人が行方不明になり、それが白山羊亭の冒険者たちによって発見されてから、まだ一週間も経っていないある日の出来事だった。

「ファザーリ……?」
 借金のかたに港で働いている、本来は鍛冶屋の息子である恋人ファザーリを訪ねて、エルナは足しげく港へと通っていた。
 エルナに発見され、父親にも知られてしまった今、隠れる必要がなくなったファザーリは堂々と港のあらゆる場所へ行き、鉄関連の仕事をしていた。鍛冶師としてもなかなかいい経験になっていたようで、一挙両得と言えなくもない。
 エルナがファザーリに会うために港へ通い始めて、四日目の朝――
「ファザーリが昨日の夜からいないんだよ」
 と、そうエルナに告げたのは、港の親方だった。
 タチの悪い連中に引っかかり、実家の鍛冶屋を潰さないために借金をしにきたファザーリを受け入れた気のいい親方。その親方が、困ったように眉根を寄せていた。
「ヤツは律儀で、何も言わずに仕事場からいなくなるようなヤツじゃねえからなあ……どこ行っちまったんだ?」
 ――エルナは心がひやりとした。
 先日の、ファザーリ失踪の件もある。あれはファザーリ自ら姿を消した問題だったが、今回は――?
 一日港で待ってみても彼は帰ってくることなく、エルナはしおれた心のまま実家へ帰った。
 名士呼ばれるキシリオの家へ。
 そして、自分宛に信じられない手紙が来ているのを知ったのだ――

『お前の恋人 ファザーリは預かった。
 返してほしくば――』

「ファ……ザーリ……」
 貧血を起こしたようにふらりとその場に座り込み、エルナは何度も何度もその手紙を読み返した。
 恐ろしい金額だった。ただし、エルナ自身の普段の取り分に加えて、親に頼み込めば払えない金額ではなかった。それを見越しての身代金なのだろう。
 涙がにじむのを感じた。
「わ……私の……恋人だなんて……知られてしまったから……」
 先日の失踪以前は、まだ世間に知られるような仲ではなかったのだ。
 ファザーリが行方不明となり、それを捜索する成り行きで、二人の仲は街の公認となってしまっていた。
 エルナ自身はそれを嫌だなどとかけらも思っていなかったし、ファザーリも同様の様子で、問題などあるはずもなかったのに。

『受け渡し場所は港の第五倉庫。ひとりで来い。時間は――』

 ――時間は、明日の夜。
 明日の夜……。

 エルナはその脅迫状を手に、ふらりと家を出た。
 その途中、天使の広場で子供とぶつかった。見知った顔だった。――現在六歳の少年、ニファス。
 子供ながらにファザーリの親友だったりもする。エルナとも、前々から知り合いだった。
 ニファスは、エルナの青ざめた顔を見て、慌てた様子で「どうしたの、おねえちゃん!」とエルナを引き止めた。
 エルナはうわごとのように、
「白山羊亭に行かなきゃ……白山羊亭に……」
 と繰り返していた。
 ――前回もファザーリを見つける手助けをしてくれた白山羊亭の冒険者たち。
 彼らならば、どうしていいか分からない今の自分の気持ちを立て直してくれるかもしれないと――そう願って。

 白山羊亭にまでは、ニファスが同行してくれた。小さいながらも手を引いてくれる、その手がありがたかった。
 白山羊亭の看板娘ルディアが、驚いた顔で迎えてくれた。
 脅迫状を見てルディアが青ざめる。「私のせいだわ……」とエルナはぼんやりと言葉を紡ぐ。
 そして、へたりと床に座り込みながら、つぶやいた。

「私……どうしたらいいですか……?」

●そして、立ち上がった者たち

 白山羊亭には、先日のファザーリ捜索を手伝ってくれた人物のうち、二人がすでにいてくれた。
 エルナの顔を見るなり、「おいおいおいおい」と駆け寄ってきたのは、オーマ・シュヴァルツだ。
「どうしたよその顔色は……って、おい、その紙は――」
 現在はルディアが持っていた脅迫状を見て、オーマは険しい顔をする。
「なんてぇやつらだ。一番心配していたところを見事についてきやがって……」
「………」
 エルナが、笑うでもなく泣くでもない表情でオーマをぼんやりと見上げている。
 オーマが「そんな顔すんな」と肩を叩くと、彼女は唾を飲みこんで、つぶやいた。
「私……、彼を、助けられるでしょうか……」
 その言葉を聞いて、オーマが目を見張った。
 やがてその目つきが、優しく力強いまなざしに変わる。
「ああ、助けられるさ。俺たちもついてる」
 なあオセロットさんよ、と彼は背後でテーブルについていた金髪の美女に声をかけた。
 豊満な肉体を軍服に包んだ凛々しい美形のキング=オセロットは、話をすべて聞いていたらしい。手にしていた杯を傾けすべて喉に流してから、
「……先の聞き込みでファザーリの恋人が名士の娘だと知れてしまった。彼らの仲を広めてしまった責は、私にある。放っておくわけにはいかんな……」
「――ってなわけでよ」
 オーマは彼女を示して、エルナに笑いかけた。
「俺らがいりゃ大丈夫だって。だからお前も、気を強く持て?」
「――……」
 エルナの唇が、何かを言おうと震えた。そのとき、
 バン! と白山羊亭のドアが蹴り飛ばされたかのような勢いで開き、
「うちのダンナはいるかいっ!?」
 怒声を放ちながら、ひとりの女性がずかずかと入ってきた。
 真っ赤な髪も美しく、輝く金色の瞳もかがやかしい、ただし表情は鬼のような形相の女性。
 ひいっ!? と体を縮み上がらせたのはオーマだった。
「か、かあちゃんっ……? どうして」
「オーマっ! あんたねえ、あの糸をどこにやったんだいっ! あれはあたしのモンだよ、勝手に使うんじゃないよっ!」
 オーマの美しき妻、シェラ・シュヴァルツは、何事かに非常に怒っているようだった。
「ま、待て待て! あの赤い糸はだな、こちらのお嬢ちゃんにだな、」
 オーマは必死にエルナを指す。
 エルナは呆気に取られて美しい赤い髪の女性を見上げていた。その彼女を示しながら、オーマは先日のファザーリ失踪事件にて、本来はシェラの持ち物であった『赤い糸』というアイテムをエルナとファザーリのために使ったことを妻に白状した。まずはそれを説明しなくては、妻の紅色追撃詰問から逃れられない。
 オーマの妻が何に対して怒っているのかようやく理解したエルナは、慌てて「はい、私が使わせて頂きました。大変助かりました」とシェラに頭をさげた。
「――あれのおかげでファザーリが見つかったようなものです。本当にありがとうございました」
 何とか笑顔をとりつくろうとしたが、うまくいかない。
 そんなエルナの引きつった表情に、シェラは柳眉を寄せた。
「どうしたんだい。何か――血の気が引いたような顔をしてるじゃないか」
 そしてシェラは夫の口から、現在エルナが置かれている状況を知った。
 シェラは烈火のごとく怒った。
「とんでもないやつら……! 金など惜しくはないけど、くれてやるなら大鎌のほうがいいね……!」
「その通りだな」
 オーマがにやりと妻の言葉に笑い、それから彼女にオセロットを「ファザーリを救うための協力者だ」と紹介した。
 オセロットとシェラが軽く挨拶を交わす。
 エルナが「よいのでしょうか」と次々現れる協力者に嬉しいような、申し訳ないような表情を浮かべる。
「遠慮することはあるまい。嫌なら最初から無視するだけのことだからな」
 オセロットがカクテルをもう一杯飲み干しながら言う。
「そうだねえ。大体その金は二人の未来とこれから授かる二人の愛し子のために使うべきだろうよ」
 シェラの言葉に、エルナがかあっと赤くなる。
 そんな初々しい若き二人の愛のために、シェラは協力を惜しむつもりなどなかった。
「いいか、エルナ」
 オーマがいまだへたりこんだままのエルナの顔をのぞきこみ、真顔になる。
「『自分のせいだ』なんて思うな。金があれば影はついてきちまうもんだ――それが人の世の理だ。それを自分のせいだと責めるのは、あんたをあの家に生んだ親とか、そんなあんたを金も関係なく愛したファザーリの想いを無にすることになるんだぜ?」
「―――」
 エルナは――
 ふらりと、立ち上がった。……自分の力で。
 がくがくと震える膝をなんとかこらえながら、
「わ、私も、頑張ります。ですから」
 ――ご協力をお願いします。と娘は深く頭をさげた。

●行動開始

「俺はエルナに金を持たせて、現場をつかまえようと思うんだがな」
 オーマがあごに手を当てて言う。
「私も金の受け渡しの現場を押さえたいと考える」
 オセロットが同意した。
「待ちな。一応その前に、最低限の情報収集はしておこうじゃないか」
 シェラがどこからか特殊バイザーを取り出した。
「何しろ目当てが名家の金だ。単独犯ではないだろうよ。手紙を書いた人間とファザーリとやらを拉致った人間は別人の可能性のほうが高いねえ」
 言いながら脅迫状を手に取るシェラに、ニファスが少年らしく瞳をきらきらさせてはしゃぎだした。
「ねえねえ、それなに? それ使ってこれから何をするの?」
 どうやらバイザーのことを指しているらしい。
 オーマが、
「あれは俺たちの故郷のモンなんだよ。脅迫状から――」
「手紙の指紋から生体反応パターンを解析するんだよ。そこから手紙の書き主は捜し出せるからね」
 夫の言葉を引き継いでシェラは言い、真剣に脅迫状を調べ始めた。
 そして、眉根を寄せた。
「……そこの子供。あんたの指紋がべたべたついてるのは何でだい」
 ニファスをにらむように見る。ニファスは「だって」と当然じゃないかとでも言いたげに口をとがらせた。
「エルナおねえちゃんから見せてもらったもん。いっぱいさわっちゃったよ? いけないことだった?」
「いけなかないけどね……」
 シェラは舌打ちした。「ありえないねえこの生体反応……敵に術者がいるらしい」
「どうした? シェラ」
「ぐちゃぐちゃなんだよ。そこらへんの人間あらゆるもののパターンをまぜこんだみたいな反応がする。何かの術でごまかしてるね。はっきり分かるのがそこの子供と、エルナと――ひとつ封筒にはっきりとしたのがあるけど、信号を見るにこれはエルナの家の人間だね。手紙は誰かから手渡されたんだろう?」
「あ、はい。うちの執事に……」
「その指紋は封筒にしかついていないし……一応怪しい人間のひとりにでも加えておくかい?」
「で、でも執事はほぼ一日中家にいて――我が家は大所帯ですから、他の人間の目につかなかった時間などあまりないと思うんです」
「だろうねえ。手紙自体には指紋がついていないし。これはシロってところかい」
「分からんが、一応気には留めておくよ」
 オーマがうなずいた。「とにかく、確かなのは敵に術者がいるってこったな。それも厄介な」
「普通の強盗団的なものでは、ないようだな」
 オセロットが腕を組んで静かに言った。
「わざわざ手紙にこんな細工をするあたり、知能犯かもしれないねえ」
 シェラは目を細めた。「こりゃあ、現場を押さえるのも一苦労かもね」
「だが、他に方法がない」
 オーマはオセロットとシェラとそれぞれ順に視線を合わせ、うなずいた。
「行くか。港に」

●港にて

 受け渡しは明日の夜だ。ならば今日中に港の、第五倉庫だけでなくすべてを把握しておく必要があった。
 港の親方にひそかに話をつけ、港の造りを教えてもらう。
 手紙には、『役人を呼ぶな』とは書かれていなかった。よほど自信があるのだろう。ならば親方に話してしまっても問題はないわけだ。
 親方には、問題の日の夜は港の従業員すべてに避難してもらうよう頼み。
 ニファスが、「おねえちゃんがたおれそうなんだもん!」としつこく言って、港へついてくる。
 そしてメンバーはそれぞれに、港の様子をさぐりだした。
 時刻はすでに夜に近い――


 シェラはエルナとともに港の各所の様子をさぐっていた。
「バイザーが役に立たなかったくらいだからねえ」
 念入りに港の様子をたしかめながら、エルナに囁きかける。
「少しばかり厄介だろうが……負けるんじゃないよ」
「………」
 ごくりとエルナが唾を飲み込む音がする。
 震えている。――エルナは怯えている。
 しかし、シェラには分かっていた。それは己自身の身が怖くての怯えではなく――
 愛する男を、無事に助け出せるかどうかへの不安。
「安心しな。オーマもオセロットも強い」
 ちょっとした隙間を見つけ、シェラはそこに夫の人面草を設置した。
「――そして、あんたも強くなれるんだ。いいかい? 強くなるんだ」
 エルナの瞳をじっと見つめる。
 エルナは震える唇で、「はい」と言った。


 港の調査はそれぞれに終わった。
「明日はそれぞれどこで待機するかい?」
 四人が揃ったところで、オーマがオセロットと妻とエルナに尋ねた。
「私は倉庫内に待機するつもりだ」
 オセロットが言う。
「あたしは、犯人が外に出てくるまで、直接は関わらないよ」
 この子を送り出すときだけ一緒にいることにするさ――と、シェラがエルナの背中を叩いた。
「俺は倉庫の天井だ。天井からのぞき見て様子をお前さんらに伝えるからな」
 いいな、エルナ――と、オーマはキシリオの令嬢を見た。
「お前は身代金を持って倉庫へ行くことになる。一時的にひとりになるだろう。だが忘れるな、俺たちも見ているからな」
「は――はい!」
 エルナは大きくうなずいた。
「エルナおねえちゃん」
 ニファスがにいっと笑って、ごそごそと自分の胸元からペンダントを取り出す。
 美しい雫の形をした宝石が、少年の服の中から現れた。
「これにさわるとね、ねがいごとかなうんだ。ほらほら、いっしょにおねがいしよう! ファザーリにいちゃんがたすかりますよーに!」
 エルナは微笑んでその美しい宝石に触れた。
「助かりますように……」
 それは切実な願い。
 雫の形をした宝石が、きらりときらめいた。

 あとは、明日の夜を待つのみ――

●勝負当日

 その日がやってきた。
 日がとっぷりと暮れ、幸いなことに月明かりの明るい夜。
 エルナは重そうな皮袋を手にシェラにつれられてやってきた。万が一、家から港へ来る途中でさらわれては話にならないので、シェラが迎えに行ったのである。
 オセロットはすでに、日が落ちきる前を狙って第五倉庫へと忍び込んでいる。
 オーマはエルナの持った身代金に、予定通り人面金を紛れ込ませた。
 それから銀の獅子ミニバージョンに変身し、
『エルナを頼んだぜ、シェラ』
 と、たっと地面を蹴り――空を飛んで、第五倉庫の上へと向かう。
「さあて」
 月の位置をたしかめ、約束の時間となったことをエルナに告げ、シェラはエルナを見た。
 金色の瞳が、エルナをまっすぐと射抜く。
「女がいかに強いものか」
 それはとても、
「愛する男のためにいかに強くなれるか」
 とても力強い光で、
「馬鹿どもに見せておやり」
 ――エルナの、ずっと怯えていた瞳に、強い炎の光がぽっとともる。
 エルナは何も言わなかった。
 ただ、まっすぐにシェラの金色の瞳を見つめて、
 その表情が凛々しく輝いた。
 シェラは満足して大きくうなずく。
 それを受けてエルナは、身をひるがえし――皮袋を引きずりながら歩き出した。
 たったひとり、第五倉庫に向かって。

     **********

 覆面男たちが待っていたのは、第五倉庫にある二つの扉のうち、奥の扉の傍だった。
「よく来た」
 覆面をした男たちのひとりが、低く押し殺した声で言った。
 どこか嘲笑するような気配でエルナを見ながら――
(……三人。きっと他にもたくさん……)
「ふぁ……ファザーリは、どこ!」
 皮袋を抱きしめ、エルナは叫んだ。「無事をたしかめさせなさい! でなければお金は渡しません……!」
「困ったお嬢さんだ」
 口を開くのは、三人のうちひとりだけ――
「それを逆に言われるとは思わないのか? 金を渡さなければ、ファザーリがどうなるか……」
「………!」
 エルナは奥歯を噛みしめる。
 しかし、ふるふると首を振った。
「い、いいえ……! 無事をたしかめるのが先です! ふぁ、ファザーリに何かすれば、あなたたちのほうが不利になるはずです……!」
「考えが浅いな」
 暗く静かな倉庫に、男の押し殺した声はやけに響いた。
「誰も殺すとは言っていない。だが、ファザーリが痛い目に遭ってもいいのか……?」
「―――」
 くっとエルナは唇を噛む。
 待機してくれている人たちのために、少しでも時間を稼げればと、そう思っていたけれど。
 ――金は渡してもいい、と、オーマにそう言われていた。
「や……約束しなさい。お金を渡したら、ファザーリを解放して」
 エルナは最後まで抵抗を試みる。
「約束して。や、破ったら――私も舌を噛んで死んでやります。そ、そうなったら、あなたたちも困る、でしょう」
 震える声で。
 けれど、か細くはない――大きな声で。
 まったく、と呆れたようにため息をつく気配が返ってきた。
「あんな男のどこがいいのかねえ……名家のお嬢様だというのに」
「あなたたちに言われるいわれはありません……!」
 叫びながら、エルナは必死でオーマたちの言いつけを頭の中で繰り返していた。
 無理をしないこと。無理をしないこと。けれど、決して負けないこと。
 今、天井ではミニ獅子となったオーマが様子をうかがってくれているはず。ファザーリの居場所を確認してくれているはず。
 今、オセロットが倉庫内にいてくれているはず。いざとなったら、飛び出してきてくれるはず。
 それを信じて――彼らを信じて、決して負けないこと。
 決して。
 ――エルナはそっとお金をその場に置く。
 そして数歩後ろに下がった。
 自分まで敵に捕まってしまっては、話にならない。お金を置いたら、お金からは離れるようにとの指示だった。
 数歩。また数歩。
 今、みんなはどうしているのだろうか――

(いた。ファザーリの野郎め、あんな場所で――)
 第五倉庫の天井にのぞき穴をあけてのぞいていたオーマは、倉庫の隅にファザーリの姿を見つけて舌打ちした。
 それは、ちょうどエルナのいる場所とは正反対の端だった。入り口からも遠い。そして見張りが六人ほどいて、さらに本人は縄で縛られぐったりと動かない。気絶しているのだろうか。
 オーマはテレパシーで、そのことをオセロット、エルナ、シェラに伝えた。

 倉庫内に待機していたオセロットはオーマからのテレパシーを受け、彼の天井からの先導を受けてひそかにエルナからファザーリの方角へと移動した。
 とにかくまずはファザーリだ。彼を救い出さなければ話にならない。
 ファザーリについている見張りをどう引き離すか――
(六人か……ファザーリさえいなければ、どうにでもなる人数だが)
 エルナのほうはどうなっている? 金は――

 覆面の男たちは、身代金の確認のためにお金に近寄ってきた。
 エルナには重くとも男たちには軽いものだったらしい、まず重さを確かめて、彼らは含み笑いをする。
「さて……中身は本物だろうな」
 男たちが袋を開く――
 その瞬間に、オーマが紛れ込ませた人面金が、ばよよんと巨大化した。
 そしてラブボディゲッチュのために覆面の男たちに襲いかかった。
「うわあっ!?」
 さすがに人面金にはびびっったのだろう、覆面男たちが悲鳴をあげる。
(――今だ!)
 オーマは変身を解いた。そして天井の一部を破壊し、エルナと覆面男たちの間へと、だんと飛び降りた。
 すかさず具現で愛用の大銃を取り出し、男たちの足元を狙って一発ぶっ放す。
「おらあっ! 卑怯な手で金稼ごうとしてんのは、どこのどいつだ……っ!?」
 ――ファザーリのほうは、オセロットに任せた。そう判断して――

 仲間たちの悲鳴が聞こえ、ファザーリを守っていた六人がはっと意識を散らした。
「な、なんだ……?」
 しばらく顔を見合わせた六人は、しかし、「逃げろぉ!」の悲鳴を聞いてはっと動きを硬直させた。
「様子を――見に行くぞ!」
 どのみち、彼らは出入り口付近にはいない。二人ほどをファザーリの見張りに残して、四人が駆けていく。
 オセロットはあらかじめ用意していた爆発物で、あたりの荷物を爆発させた。
 そしてその音にまぎれて――
 ファザーリの見張りに残った二人を、銃の連射が襲った。
 手軽な小銃を手に、オセロットが二人の肩を撃ち抜き、そして腹へと膝を叩き込んで悶絶、気絶させる。

 倉庫は大混乱に陥った。

 ファザーリの見張りから、金の受け渡し場所へ様子を見に行こうとしていた四人は、大銃を構える大男を目にするなり逃げる道を選択。
 しかし外へ出れば、通路には霊魂軍団、海には人面魚とマッチョ人魚の大群。
 イロモノナマモノの大襲撃により、合掌。さらには、
「あんたたちかい、馬鹿ものどもは!」
 嬉々として外で待機していたシェラが大鎌を振るう。番犬紅色ヘルパラダイス。
 どうやら倉庫の外にも何人かの仲間がいたらしい、慌てて逃げようとするが、オセロットやシェラが要所に置いた荷物や人面草のために行く道阻まれ、倉庫から逃げてきた連中と同じ運命をたどった。
 やがて倉庫から、まずエルナが、そして三人の覆面と身代金の入った袋をかついだオーマが出てくる。
「ファザーリは……!」
「オセロットに任せよう」
 オーマはごろりとそこらへんに三人の覆面を転がし、具現で生み出した縄で縛り上げてから、ぽんとエルナの背中を叩いた。
「よくやった。立派だったぞ」
「……ファザーリ……」
 エルナは祈るように手を握り、倉庫からオセロットがファザーリを連れて戻ってくる瞬間を待った。
 と――
「エルナおねえちゃん!」
 はっと、誰もが振り向いた――
 エルナが目を見張った。
「ニファス……!」
 それはかの少年の姿。そしてさらに皆の目を疑わせたのは――
「このガキの命が惜しければ、金をこちらによこしな」
 どこに隠れていたのか――
「まさか、全員潰したはず……」
 愕然とするシュヴァルツ夫妻に、ニファスの泣き声が重なった。
 ニファスの首に片腕をかけ、もう片方の手に持っているナイフをニファスの頬に当てながら、覆面の男が言葉を続ける。
「このガキも大切だろう? さあ、早くよこせ」
「あんた何だってこんなとこに来たんだい……!」
 シェラがいらいらとニファスを怒鳴りつける。
「だってねえちゃんもにいちゃんも僕の友達だもん! しんぱいだったんだあ!」
「うるせえ! 黙れ!」
「うわあん!」
「……ちっ」
 オーマが舌打ちした。エルナが顔面蒼白になる。
 ちょうどそのとき、
「何をしている……?」
 オセロットの声が、倉庫のほうからした。
 オーマたちはつかまっているニファスから、倉庫へと視線を移した。
 オセロットは弱っているファザーリに肩を貸した状態で、眉をひそめていた。
「なぜその子供がここにいる?」
「ああ、ファザーリ……!」
 エルナが恋人の名を呼んだ。
 ファザーリがオセロットの肩でゆっくりと顔をあげ――
 そして、一瞬大きく目を見張った。
「ニ、ニファ――」

 ―――

 その一瞬、何が起こったのか誰にも分からなかった。
「………」
 オセロットが呆然と、ずるりと自分の肩から落ちていく鍛冶師の青年の体を見下ろす。
 オセロットの豪奢な金髪を、赤い血が飛び散って濡らしていた。
「今のは……何か術的な」
「爆発……?」
 シュヴァルツ夫妻が交互に呆然とつぶやき、
「ファザーリ!」
 エルナが悲鳴をあげて、地面に崩れ落ちた恋人に駆け寄る。
 ――ファザーリの腹は血まみれになっていた。うう、とうめいたまま、青年は目を開かない。
 オーマがさっとファザーリの傷口の様子をたしかめる。医者である彼は、険しい顔をした。
 忘れていた。
 ――敵には、厄介な術者がいるのだ――
 はははは! と覆面の男が笑い声をあげた。
「そうだ……! このガキもそうなりたくなかったら、さっさと金を渡せ……!」
「――……」
 エルナは身代金の入った袋を持ち上げ、ニファスのほうへと歩き出した。
 そしてそれを、男に叩きつけるように押し付けた。
「早く! 早くニファスを放しなさい!」
 覆面の男がしっかりと袋の口を握り、ニファスを解放する。
 ニファスが、「おねえちゃん!」と泣きそうになりながらエルナに抱きつく――
 しかし。
「待ちな!」
 ひゅおっ
 大鎌が優雅に振りかざされ、その柄で身代金を持っていた男の首を打ちすえる。
 男はそのまま失神した。そして大鎌の先が狙うのは。

 ――ニファスの首元。

「……説明してもらおうかい、ぼうや」
 シェラが冷たい声で囁く。
 ニファスが、首元に大鎌の先をつきつけられて硬直した。
「シェ、シェラさん……? どうしてニファスを、」
 混乱するエルナを、オセロットがニファスから引き離す。
「――ごまかせるとでも思ったかい」
 シェラは目を細めた。「今のファザーリの腹が爆発したとき……あんたの首のペンダントが輝いたのは、みんな見てるんだよ」
「―――」
 ニファスが――
 たった六歳の子供が――

 くっくっと、おかしそうに、笑った。

 エルナが大きく目を見張った。少年の表情の変貌ぶりに。
 やがて少年は、大きく笑い出した。
「あはははっ!」
 心底おかしそうに。心底――楽しそうに。
「こんなぎりぎりまで気づかないなんて……! みんな、バカだねえ……!」
 オセロットとオーマが舌打ちする。
「……そういえば前回も、この子供が関わっていたのだったな……」
「しかも赤い糸を遮るような――力を持ってやがった」
 僕には何もしないほうがいいよ――と、胸元のペンダントをもてあそびながらニファスは言った。
「今、これはおねえちゃんとつながってるから。今の僕はね、おねえちゃんを好きなように操れるんだ、ほら」
 おいでよ、おねえちゃん――
 囁きとともに、エルナがぴくりと反応し……
 やがて彼女は歩き出した。身代金の袋を手に、ニファスに向かって。
 シェラが大鎌でニファスのペンダントを切ろうとする。
 しかし、

 バチィッ

「―――っ!」
 何か強い力で跳ね返され、シェラは大鎌ごと吹き飛んだ。
「シェラ!」
 オーマが叫ぶ。
「平気だよ!」
 シェラはすぐさま跳ね起きた。大鎌を抱えて、強く奥歯を噛みしめる。
 ニファスはあははっと笑っていた。
「無駄だよ? このペンダントは反発するから。あんたたちが強ければ強いほど――強い力で跳ね返るよ?」
 エルナの足が、ニファスへと到達する。
 エルナの震える手が、袋をニファスへと差し出した。
 泣きそうな――顔のまま。
「いい子だね、おねえちゃん」
 誰もが、昨日の夜を思い出す。
 ――これに触れば願いごとが叶うと言って、エルナにペンダントに触らせたのは誰だったか。
 たったひとりの伏兵を、隠せるほどに情報に通じていられたのは、誰だったのか。
 そして何より、
 ファザーリを――一番騙せる可能性が高かったのは、誰だったのか。
「お金はもらっていくね」
 ニファスはおかしそうに笑いながら言った。
「お役人に突き出しても無駄だよね。だって僕子供だもん。なーんにも、しらないもん」
「この野郎……」
 ファザーリの応急処置を終えたオーマが歯ぎしりする。
「え? なに怒ってるの? 僕なーんにもしらないよ――関係ない子供をしかるの? みんなひどいよう」
 えーんと泣きまねを始める子供に、オセロットやシェラから壮絶な殺気がほとばしったが――
 エルナが操られている今、どうしようもなかった。
 強ければ強いほど反発するというペンダントを利用されてしまっては、どうしようも――なかった。
「でもすごいね、ほんとつよいひとたちばっかり! 僕うれしかったな――」
 ニファスははしゃいだ。これ以上ない皮肉を口にしながら。
 そのとき。
 ずるり、と何かが地面をすべる音がした。
 はしゃいでいたニファスは気づかなかった。他の誰もが気づいて――そして、とめられなかった。
「力が強ければ反発する……」
 ニファスが気づいたとき、その声はすでに、耳元に聞こえていた。
「力が……強くなければ、いいんだ、な……」
 鍛冶師として鍛えられた手が少年の胸元のペンダントを掴み、
「や、やめろ、ファザーリ――!」
 呼び捨てにした少年に薄い笑いを返し。
 傷ついた体に力をこめて――渾身の力で、ファザーリはそれを引きちぎった。
 からん、とちぎれた雫の宝石が地面に落ちた。
 すかさずシェラが大鎌で少年の体をからめとり、オーマが具現で生み出した縄でニファスを縛り上げる。
 オセロットは、糸が切れたように倒れこんだエルナの体を抱きとめた。
 エルナにはまだ意識があった。術が切れた反動でがくがくと痙攣しながらも、それでも「ファザーリ、ファザーリ」と恋人に向かって手を伸ばそうとする。
「エルナ……」
 ファザーリは引きちぎったペンダントのかけらを取り落としながら、エルナに向かって手を伸ばした。
「無茶しやがんな、お前」
 オーマが苦笑しながら、ファザーリの体をうまく怪我に響かないよう動かし、エルナと手を触れさせる。
 ファザーリは、少し笑った。
「だって……エルナは俺のためにこんな危険な場所まで来てくれたんだ……」
 力の入らない手で、恋人の細い手を握りながら。
「――これぐらいやらないと、彼女の恋人失格……でしょう……?」
 オーマは笑った。
「おいシェラ。こいつらいい夫婦になんぜ」
「まったくだねえ」
 オセロットが血のついた金髪を拭きながら、珍しくほんのかすかに苦笑するような表情をしていた。

●エンディング

 ニファスは他の覆面どもとともに、役人に突き出された。
 子供だから、とシラを切っても無駄だろう。覆面たちの証言によって、子供の悪事はバレる。
 前回ファザーリの借金の原因となった事件も含んで、結局はニファスが頭だったというのだから――世の中は恐ろしい。

 ファザーリは、オーマの経営するシュヴァルツ病院に入院していた。
 全治一ヶ月。そうとうな怪我だが、命に別状はなかった。
 入院の間もエルナはファザーリの借金のこともあり、働くことを続けていたが、オーマの病院ということで安心して任せきっているようだった。
 オセロットがたまに「私にも責はあるからな」と淡々と花束を持って見舞いに来ては、淡々と帰っていく。
 ファザーリの父親のムガリは、こちらもやはりファザーリの――つまりは家の――借金のために日夜働いていて滅多に様子を見にくることはないが、代わりにシェラが定期的に様子を伝えに行った。

 仕事休みの日はエルナは、一日中ファザーリの看病をしている。
「よっ。加減はどうだ」
 白衣を着たオーマが検診にくる。ついでにシェラもともなって。
「はい。……もう、大分……」
 ベッドの上でファザーリが微笑む。
 それよりももっと嬉しそうな顔をしているのは、エルナのほうだった。
「もう皆さんにはお世話になりっぱなしで。何とお礼を言っていいか……」
 エルナはそっと切なそうに微笑んだ。
「……結局私は、足手まといにしかなりませんでしたしね」
「何言ってんだいこの子は」
 シェラがぺしっとエルナの肩を叩いた。「そーゆー根性のないことを言うんじゃないよ」
「そうそう。大体な、自分の手に負えないと思ったら人に助けを求める――それも立派な行動であり、勇気も要るもんだ。お前さんはちゃんと、やるべきことをやった」
 いいか、とオーマはファザーリの傷を見ながら優しい声で言う。
「今の自分たちの力と……自分たち自身、自分たちの想いに誇りを持って、二人で道を歩いていきゃいいんだよ」
「誇りを……」
 エルナがファザーリと視線を交わし、そしてぽっと頬を赤くしてから――
 そして堂々と顔をあげて、
「はい。彼のことを愛していることを誇りに思います」
 と言った。
 言ってから、耳まで火がつたように真っ赤になり、顔を両手で覆ってしまったが。
 病室が笑いに包まれた。
「俺も、……彼女と出会えて、彼女を愛せたことを誇りに思います」
 ファザーリがおずおずと言う。
「こらっファザーリ、根性が入っとらんぞ!」
「いやあの、その……」
「カカア天下にぴったりだねえ」
 にやりとシェラが、その紅唇を笑みの形にした。
「結婚式には呼んでおくれよ。私たちがこの世で一番美しいと想ってる素晴らしい花をブーケにして贈ってやるよ」
「ああ、ルベリアをな」
 想いを映し見て美しく輝く不思議な花――
「きっと……あんたたちなら、ルベリアも綺麗に輝くだろうさ」
 シェラは優しく微笑んだ。「何しろあの赤い糸で、ちゃんと結ばれた相手なんだからねえ」
「――……」
 二人はかあっと赤くなった。初々しい恋人たち。
 それを見て、熟年夫婦は満足げに笑う。
「ああ、いいもんだねえ若い子たちってのは」
「何言ってんだシェラ、お前も若いだろ」
「おや。あんたにしちゃ気が利くことを言ってくれるじゃないか」
 シェラはにっこりと笑い、「だからと言って、あの赤い糸を勝手に使ったことは許しゃしないからね。さあてどんなお仕置きをしようか――」
「待て!? そんな残酷なっ! この通り役に立ったじゃないかーーー!」
 それとこれとは別問題、とそっぽと向くシェラ。
 同じ問題にしてくれーと情けない声で訴えるオーマ。
 それを今度は若い恋人たちがくすくすと笑い見て。
「……入ってもいいのか」
 さっきから花束を持って見舞いに来ながら、タイミングを逃して入れずにいるオセロットが、ぽつりと戸口でつぶやいていた。


【いなくなった恋人・終】


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2080/シェラ・シュヴァルツ/女性/29歳(実年齢439歳)/特務捜査官&地獄の番犬(オーマ談)】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳/コマンドー】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

シェラ・シュヴァルツ様
こんにちは、依頼では初めまして、笠城夢斗です。
今回は後編からのご参加ありがとうございました!NPC中心のお話となってしまいましたが楽しんで頂けましたでしょうか。ほんの数行ですが、旦那様とは違う描写がございますので、よろしければさがしてみてくださいね。
またお会いできる日を願って……