<東京怪談ノベル(シングル)>
バニーガールの失敗
今宵の月は美しい。踊るのにいい晩だった。
レピア・浮桜(―・ふおう)は踊り子だ。踊れる場所があればどこでだって踊りだす。
今日の舞台はエルザードの中央、天使の広場だった。
呪われた体のレピアは昼間は石化し、夜にしか生身には戻れない。
夜にしか、大好きな踊りを踊れない。
その分たくさん、青い長い髪をなびかせ、楽しく踊りを踊っていたレピアはふと、観客に声をかけられた。
「お前さん、バニーガール姿が似合いそうだなあ」
――バニーガール。レピアの心が浮き立った。
それは女性だけに許された、うさ耳レオタードのかわいいかわいい姿だ。
「どうだい、お前さんもバニーガールの酒場へ行ってみちゃあ。そこでバニーの姿をして踊ったら酒場も喜ぶだろうねえ」
うひひとやらしい笑みを浮かべた観客は男だ。男嫌いのレピアはその男のことを極力見ないようにしていたが、その言葉だけははっきり聞き取っていた。
バニーガールの酒場? そんなものがあったなんて。
レピアの反応に気づいたらしい、男はレピアが無視しているフリをしているのも構わずまくしたてた。
「そりゃもうバニー萌えを広げるバニーだらけの酒場さ。バニーガール同好会の本部だからねえ」
そしてその酒場の場所まで、聞きもしないのに言ってくる。
――バニーガール同好会! なんていい響きだろう。
「お前さんもバニーになるといいぜ」
げひひと相変わらずやらしい笑い方をする男。言うだけ言って、どこかへ行ってしまった。どうやら酔っ払いだったらしい。
レピアはそ知らぬフリで天使の広場での踊りを済ますと、急いで男の言っていた酒場の場所をさがした。
そこは、本当に存在した。中に入ると、うさ耳にレオタードを着たかわいいバニーガールたちがたくさんの笑顔でレピアを出迎えた。
「うわあ……! 素敵、みんな、かわいいわよ……!」
かわいい女の子大好きレピア、大喜びでバニーガールたちと戯れる。お酒を飲み、一緒にダンスを踊り、そして彼女自身の踊りを思う存分披露して楽しんだ。
バニーたちは喜んだ。その笑顔のかわいいこと!
(なんて素敵な場所かしら)
レピアは夢中になった。
しかし、ふと窓の外を見ると、月が大分落ちていた。
陽が昇る時間が近い。レピアは慌ててバニーたちのすすめるお酒を辞退し、酒場を後にした。
(いけない……早く帰らなければ)
――自分は太陽が昇ると同時に石像となってしまう。
呪われたこの身をうとましく思いながら、また次の夜にこの酒場に来ようと心を弾ませながら、彼女は夜道を走った。
と――
ふと。
道の両脇から、気配。
「―――っ!?」
殺気に似たそれを感じ取り、レピアは身構えた。
暗闇に、影。
――うさ耳の影。
「バ……バニー……っ!?」
驚いた、一瞬の隙があだになった。
レピアは周囲から襲いかかってきた、複数のバニーガールたちの攻撃をまともに受けた。
腹に鈍痛。けれどかろうじて踏みとどまり、
「――っ簡単にやられるとでも思って……っ!?」
ぎりと奥歯をかみしめ、ミラーイメージ――幻を生み出して攻撃をかわす。そしてバニーガールたちの脇腹を次々と蹴りとばし、右から左からの襲撃をやり過ごし続けた。
しかし――
「――!? 陽が……っ!」
ぴし ぴしぴし
昇り始めた太陽が、レピアを足元から冷たい石へと変えていく。
一番の攻撃のかてだった足を封じられ、そして動きを完全に奪われ、レピアはバニーガールたちの嘲笑の中で――完全に石像へと化した。
ぴちゃ……
顔に冷たい何かを感じて、レピアは目を覚ました。
ぼんやりとかすみがかっていた視界が、やがてはっきりと形になった。
暗い場所。数本のろうそくの火だけが部屋を照らしている。どこかの地下室のような場所だ。
寝かされているらしい自分の傍らに。
ひとりのすらりとしたバニーガールが座り、ぴちゃり、ぴちゃりとお酒の雫をレピアの頬に落としていた。
レピアは壮絶な目つきでそのバニーガールをにらみつける。
「何のつもり……!」
赤い髪をしたそのバニーガールは、くすっと笑った。
くす、くすくす
「私を……どうするつもり!」
レピアは身動きをしようとした。しかし、石化は解けているものの――今度は完全に縄に縛られ、動けない。
くっとレピアは唇の端を噛む。
赤い髪の女は、レピアの頬にたらしていた酒を自らの喉に流し込んだ。
こくん
女の喉が鳴る。
そして女は言葉を紡ぐ。信じられない言葉を。
「………っ!!!」
瞬間、レピアは悟った。この女たちがなぜ自分をさらったのかを。
「冗談じゃないわ! 誰が言うことなんか聞くものですか……!」
激しく抵抗した。縄が体中に食い込もうと構わなかった。冗談ではない、利用されてたまるものか、まして彼女たちの目的が分かった今は……!
――……
赤い髪の女は囁いた。レピアの耳元で囁いた。
――……
まるで呪文のように、耳に流れ込んでくる声。
ふわりとレピアの意識が浮遊した。
「あ……」
この感覚、覚えがある。今までに……何度も。
「い……や……」
――……
急激に襲ってくる睡魔。
頭の中を、ぐるぐると赤い髪の女の声だけがめぐる。
いい子……私たちの……私たちの……レピア……
――催眠術。
レピアの青い瞳から、徐々に輝きが失われていく。
くす、くすくす
赤い髪の女が笑った。
バニーガールたちが集まってきて、レピアの縄の拘束を解く。
起きてごらんなさい。耳元で囁かれ、レピアはゆっくりと起き上がった。
起き上がればようやく分かった。――レピアは今、バニーガールの姿をしている。
赤い髪の女が、耳元で何かを囁く。
「……はい……」
レピアの口からこぼれたのは、うなずきの言葉。
そうして術中に陥ったレピアは、ゆっくりと立ち上がり、バニーガール姿のまま歩き出した。
エルファリアはその日、帰りの遅いレピアをひどく心配していた。
エルザード王国の王女にして、レピアの親友。親友にして、石像となってしまうレピアの保護者。
(昨夜はこの別荘に帰ってこなかった……)
白山羊亭や黒山羊亭に踊りに行ったまま石化して、帰ってこなかったことならままある。
しかし昨夜は、そのどちらの酒場にもおらず――
天使の広場でレピアが踊っているのを見た、という目撃情報以来、親友は行方不明となっていた。
それが――
「ただいま」
「――! レピア、いったいどこへ行っていたの――」
問いかけたエルファリアは、戻ってきたレピアの姿を見て息を呑んだ。
――バニーガール姿。
「ねえ。似合うでしょう?」
レピアは微笑む。エルファリアは呆然としながらも、「そ……そうね……」とうなずいた。
レピアは女の子好きだ。バニーガールが好きでもおかしくないし、自分がその姿になってみて遊んでいてもおかしくはない。
けれど……
「帰りが遅くなってごめんなさい。さあ、いつも通り一緒にお風呂入りましょうよ」
笑顔のままそう言うレピアに、エルファリアは何か違和感を感じて仕方がなかった。
二人が一緒にお風呂に入るのは日課だった。女同士、何を恥ずかしがるでもない。
裸になり、ゆったりとお風呂につかる。レピアはいつも通りだった。いつも通り、微笑みながら踊りの話をし、エルファリアの体を洗い、エルファリアに自分の体を洗わせた。いつも通り。
楽しそうに。
(なのに……何か、違う……)
「ねえ、エルファリア」
もうすぐお風呂からあがろうというところで、レピアが唐突に言い出した。
「エルファリアの分のバニーガールスーツがあるの。着てみない?」
きっと似合うわ――そう言って、楽しげにエルファリアのためのバニーガール服を取り出すレピア。
まず自分がまたバニーガールの服を着てから、エルファリアの分を差し出して、にこにこと笑う。
エルファリアは慎重に尋ねた。
「……レピア」
「なあに?」
「何を企んでいるの?」
瞬間、レピアの表情が凍りついた。
(――やっぱり!)
エルファリアはその王女という立場上、城下の噂はほとんどを知っていた。
――例えば、バニーガール姿の要人暗殺集団がいるらしい、などという嘘のような噂も。
――例えば、その暗殺集団の中で、着ただけで連中の意のままのマスコットとなってしまうバニースーツが開発されているらしいという噂も。
「そのバニースーツ、ただのスーツなの!?」
エルファリアは詰問した。
レピアが手にしていたバニースーツを取り落とした。
青い瞳から輝きが消える。視線が泳ぎ――
そして、レピアはエルファリアから逃げるように駆け出した。
「レピア!」
エルファリアは慌てて服を着て追いかけた。
しかし、遅かった。
気づいたときにはレピアは、エルファリアの別荘から姿を消していた。
――……
赤い髪の女は、逃げ帰ってきたレピアに囁く。
失敗した者には……罰を。
きん
氷の魔法が発動し、レピアはバニーガール姿のまま氷漬けにされた。
エルファリアは必死でレピアの居場所をさがした。
レピアがいる場所は、バニーガール暗殺集団のところに違いない。バニーガールが集まる場所、きっとそこにいる。そう考えて、城下から情報をかき集める。
有力な手がかりが手に入るのに、そう時間はかからなかった。
――バニーガール同好会が経営するという、酒場。
「きっと……そこにいる」
エルファリアは決然とした表情で、つぶやいた。
そして、変装して酒場へと乗り込んだ。
あらかじめ用意してきた普通のバニースーツを手に、「私もここの会員になりたいのです」と笑顔で言って。バニーガール姿へと着替えて。信用させて。
そして酒場に、地下があることをつきとめた。
メンバーの目を盗み、エルファリアは地下へと入る。
そして――目を見張った。
そこに、いくつもの氷漬けのバニースーツの像があった。その中のひとつに、見慣れた青い髪、青い瞳のバニーガール――
「レピア……っ」
エルファリアは地下にいくつもあったろうそくに火を灯し、氷に近づける。
氷が溶けていく。地下に誰かが降りてくるかもしれない緊張感とともに、エルファリアはじっと氷が溶けきるのを待った。
待って、待って、待ち続けて――
やがて氷の溶けた顔の、震える唇が動くのを見た。
――エルファリア。
親友の凍える唇は、たしかにそう動いた。
エルファリアの顔が輝く。ろうそくの本数を増やし、溶かす速度を早くする。
一刻も早く。一刻も早く。
しかし心配なこともあった。
たしかに自分の名を呼んでくれた親友。しかしその瞳がうつろなまま――
(術が……切れていない?)
――レピアの氷が溶けきった。
うつろなままの親友に布をかぶせ、エルファリアはその手を引いて地下から出た。
そして酒場を通っていき――入り口にたどりつこうというときに。
「お待ち!」
……エルファリアはゆっくりと振り向いた。
そこに、バニーガールたちがずらりと並んでいた。不敵な笑みを浮かべて。
その中心に、赤い髪の女がいる。紅唇を笑みの形にして。
エルファリアが手を引いている、布をかぶったレピアを指差す。お返しなさいとばかりに。
エルファリアは――変装を解いた。
「我が名は王女エルファリア!」
酒場がざわめく。赤い髪の女が動揺した。
「よくも……レピアをもてあそんでくれたわね……!」
エルファリアは怒りの視線で赤い髪の女を射抜いた。
「王女エルファリアの名をもって命じます! レピアの術を解きなさい……! そして、改心するか――地下のバニーガールたちのように氷漬けになるか、好きなほうをお選びなさい……!」
入り口はすぐ後ろにある。
だが、逃げる必要もないのだ。
――あらかじめ、酒場の外には王女の特権でもって護衛兵たちを待機させてあるのだから。
赤い髪の女のもとにバニーガールがひとり走ってきて、耳元で何事かを伝える。赤い髪の女は頬を引きつらせた。
おそらく、酒場が囲まれていることを知ったのだろう。
「さあ、お選びなさい!」
エルファリアは詰め寄った。
赤い髪の女は悔しげに唇を噛み――
そして、がっくりとうなだれた。
レピアの青い瞳に、輝きが戻ってくる。
「エルファリア……」
「レピア! よかった、元に戻ったのね……!」
「エルファリア……私……」
レピアは泣きそうな顔で、「ごめんなさい」と繰り返した。
「いいのよレピア。もういいから……泣かないで」
エルファリアはレピアを抱きしめた。
腕の中で、レピアが震えていた。
エルファリアの迫った選択に、改心の道を選んだバニーガール集団は、その後ただのバニー萌え集団と変わったという。
だが、レピアが再びその酒場に近づくことは、二度となかった。
―Fin―
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