<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


“凍らせた空白” −重なり合う音


 街外れの湖の畔。其処は初めは唯の居住を目的とされた洋館だった。
 然し、其処に一人の占術師が住み着いてから、噂を聞いた人々が助言を求め――時には面白半分に、一人亦一人と訪れて。
 ――来る者は拒まない。出逢いは何かしらの必然だから。
 そう云って漆黒の麗人は微笑む。
 そして、其の館は名実共に“占いの館”として機能し始めた。
 玄関前の二三段程度の階段にイーゼルが設えて、小さな看板が置かれている。
 掲げられた名は『Gefroren Leer』。


     * * *


 其の館の主人は、其の日も至って普通に過ごしていた。
 陽が真上に差し掛かろうと云う時に為ってのんびり起き出しては紅茶を淹れて愉しむ。
 ……要は、何事も無ければ暇なのだ。
 然し、主人は不図顔を上げると微笑んだ。
「……おや、誰か来た様だね。」
 女性とも男性とも附かない中性的な声。
 持っていたティカップを閑かにをソーサの上に置き、衣を整えて立ち上がる。
「ラルゥ、御客さんだ。」
 叫ぶでも無く。其れでも凛と響く声を奥に向けて、主人であるノイルはダイニングルームを出た。
 其処で、丁度響くノッカーの音。
 ノイルはゆっくりと重厚な扉を引き開けると、目の前の来訪者に向かって微笑んだ。
「いらっしゃい。私が此処の主のノイルと云うよ。……今日は如何云った御用件かな、」
 扉の前で待っていたのは小柄な少年。
 然し唯の少年ではなく、羽毛の無い高熱に溶けた様な羽と、同じく溶けて其の先の無い足首を持った所謂リビングデッドの少年らしかった。
「歌を、作りに来たんだ。」
 少年はぽつりと返した。
「此処なら若しかすれば、落ち着いて詩と音を書けるだろうと思ってな。」
 其の言葉にノイルはおや、と首を傾げた。
「此は亦珍しい御客さんだねぇ。」
「なに、大声を出したりはしないさ。持ってるのは羊皮紙と羽根ペンだけ。五線譜と詩を書く為だけに使うんだ。」
 ――唯、場所を貸しては呉れないだろうか。
 そう問い掛ける少年に、ノイルは逆に首を傾げた。
「其れは良いけども……如何して此処を、」
 そう云ってから、視線と動作で少年を中へと促す。
 羽撃く事ではなく魔力で浮遊している少年は、其れに従って滑らかに閑かに移動した。
「斯う云った何と云うか、なんとも不思議でレトロ…って云うのか、まあ良いや、そう云う雰囲気が好きなのでな。」
 取り敢えずの処、応接室に通された少年がノイルの問いに淡々と答えた。
「嗚呼、姿が嫌だとか、……そう云うのが有れば云って呉れ。邪魔だったら何時でも場所を代える。」
 ノイルは少年に御茶を出して、付け加えられた言葉を聞き頭を振った。
「ウチを気に入って呉れたのだと云うのなら大歓迎。……其れにね、君の姿には何方かと云うと美を感じるから構わないよ。」
 そう云ってクスクスと笑うノイルに、少年は少し訝しげな視線を送る。
 其れに気附いたラルーシャが少年に小さく告げた。
「御免な、アレは世辞でも揶揄でもなくて、唯彼の人の感覚がちょーっとずれてるだけなんだ。気を悪くしないで貰えるかな。」
「ぁ、嗚呼……。」
「それに彼の人は、嘘は云わないからね。」
 最後に其れだけ云うとラルーシャは苦笑し乍奥へと消えて行った。
 其の後ろ姿を微妙な面持ちで見送っていると、ノイルがのんびりと話し掛けてきた。
「其れで、場処の事なんだけど……、」
「勿論、代は払う積もりだ。此でも一応、歌で稼いでいるからな。」
 少年は、顔をノイルの方へ直して。
「後、御茶やら何やらに就いては、何もしなくて構わない。場所を貸して呉れれば良い、其れだけだ。」
 訪れる前から決めていたのだろう、自分の意志をきっぱりと告げた。
「ふむ。」
 ノイルは其れ等の言葉に一度相槌を打ってから、続けて問うた。
「君の名を教えて呉れるかな、」
「名前……は、ジャックと呼ばれている。」
 少し間の空いた返答にノイルは重ねて問う。
「じゃぁ、其の名で呼んでも、」
「構わない。」
 其れを聞いてノイルはにこりと微笑むと、ソファから立ち上がった。
「ではジャック君、君に取って置きの部屋を貸そう。」



「先程の部屋でも良いのだけれど、他の御客か来たら落ち着かないだろう。」
 そう云ってノイルは館の一番奥に有る扉の鍵を外して、押し開く。
「此処は、」
「音楽堂だよ。音を作るなら同じ様な環境の方が落ち着くかと思ってね。」
 促されて中に入ると、先ず視界に映るのは正面の巨大なパイプオルガン。
 そして、其の横にはグランドピアノとチェンバロが置いてある。
 部屋自体も音が広がる様にと吹き抜けになった高い天井に、一寸した演奏会でも出来そうな広さが有る。
「凄い、な。」
 ジャックが思わず零すと、ノイルが苦笑して「凝り性でね、」と返した。
「逆に落ち着かない様なら別の部屋を用意するけど。」
「否、閑かで雰囲気も良い。此処なら集中して書けそうだ。」
 ジャックは部屋の中を見廻して感じ入る様に呟いた。
「良かった。机は……良ければ其処の窓際のを使って。楽器も必要なら好きにどうぞ。」
 ――此方の準備室に大抵の管弦楽器は置いてあるから。
 そう云い乍、ノイルは準備室と呼んだ部屋の鍵を開ける。
「有難う。」
 そう云ってジャックは椅子に腰掛けると、持って来た羊皮紙と羽根ペンを取り出した。
「そうだ、先刻構わなくて良いと云っていたけども、御客さんだからね。邪魔に為らない程度には構わせて頂くよ。」
 ノイルは振り向き様に悪戯っぽく微笑んでそう告げた。
「む、否然し……、」
 ジャックが続けようとした言葉は、ノイルの声と扉の閉まる音に遮られた。
 ――では、良い唄が出来るのを愉しみにしているよ。


     * * *


 羽根ペンが文字を綴る其の横で、紅茶が湯気と共に芳しい香りを立てて居る。
 ジャックは今迄書いた処を五線譜と合わせて確認し乍声に出してみた。
 ――良し、後少しだ。
 そう思うと、ペン先をインク壺に浸けて最後のフレェズを一気に書き上げる。
「此、で……、」
 もう一度、最初から最後迄通して確認を始める。
 細かい処に二三修正を入れると、ジャックは息を吐いて微笑んだ。
「……出来た。」
 満足そうに呟いて、紅茶の入ったカップに手を伸ばし一口啜った。
 暫しそうしてのんびりしていると、閑かに廊下側の扉が開きノイルが顔を覗かせた。
「おや、完成したのかな、」
 ジャックの様子を見て、期待の意を含ませた声音で問うと、茶菓子の載った銀盆を片手に寄って来た。
「嗚呼、有難う。御陰で良い音が書けた。」
 肯定の意味で頷き返すと、ジャックはもう一度譜面に視線を移した。
「其れは良かった。……見せて貰っても構わない、」
 ノイルはソーサの横に銀盆を置いて覗き込む。
「どうぞ。……書き直したりしてて少し読み難いかも知れないけど。」
 ジャックはティカップを置くと羊皮紙を纏めてノイルに差し出した。
 ノイルは有難う、と受け取って其れ等を眺める。
「……ねぇ、ジャック君。」
「何だ、」
 羊皮紙を眺めていたノイルが顔を上げて微笑む。
「御代の件だけど、君の歌声でも良いかな。」
「え……、」
「御金じゃなくて、代わりに此を唄って欲しいんだけど。」
 ノイルはそう云って羊皮紙をジャックに返した。
「そんな事で良いのか、……其れなら御安い御用だが。」
 そう云うとジャックは羊皮紙を広げた。
 一度書いた曲、覚えてはいるのだが一応確認迄に一度全体に眼を通し。

 ――繋いだ手は 離さないで……

 ジャックのしっとりとした歌声が堂内に響き渡る。
 ノイルは眼を閉じて其れに聴き入った。
 最後のフレェズ迄丁寧に歌い上げたジャックに、ノイルは惜しみ無い拍手を贈った。
「凄い、綺麗な声。……ね、悪いけれど、もう一度唄って貰っても構わない、」
 そう問い乍ノイルはピアノフォルテの演奏者椅子に腰掛けた。
「ぁ、嗚呼……、」
 何をするのだろう、と少し戸惑いつつもジャックはもう一度歌い出す。
 すると、ジャックの声を潰さない様、逆に押し上げる様に音の抑えられたピアノが追い掛けてきた。
 ――ぁ……。
 ジャックは其の何とも云えない感覚に包まれ乍、歌い続ける。


 繋いだ手は 離さないで

 君と僕とが はぐれぬ様に

 互いの顔さえ見えない 漆黒の闇の中

 一条の光 見つけ出す迄は

 繋いだ手を 離さないで――……


 交わった音は余韻を残し乍、其れでも少しずつ消えていった。
「急に曲に入って御免ね。でも有難う、愉しかったよ。」
 そう云ってノイルが微笑み掛ける。
「否、俺も……愉しかった。初めてだ、あんな不思議な感覚は。」
「そう云って貰えると嬉しいよ。……亦御出、此処は何時でも貸しだそう。」
 両手を広げて歓迎の意を示すノイルにジャックは頷いた。
「嗚呼、亦。」



 ――今夜も月の下で、歌声が響いて来る事だろう。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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[ 3165:クレイジー・ジャック / 男性 / 16歳(実年齢184歳) / 焔法師 ]

[ NPC:ノイル / 無性 / 不明 / 占術師 ]
[ NPC:ラルーシャ / 男性 / 29歳 / 咒法剣士 ]

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■         ライター通信          ■
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初めまして、徒野です。
此の度は『“凍らせた空白”』に御参加頂き誠に有難う御座いました。
折角御指名頂いたのに御届けが遅くなりまして本当に申し訳有りません……ッ。

ジャック氏が唄歌いと云う事で同職に近いNPCが如何もうずうずしてたみたいです。
出張り過ぎてて何とも……。
はてさて、唄……と云うのは、あんな感じで良かったのでしょうか。
口調不備も然る事乍、其方の方もドキドキしております。
然し愉しんで書く事が出来ました。改めて有難う御座いました。
此の作品の一欠片でも御気に召して頂ける事を祈りつつ。
――其れでは、亦御眼に掛かれます様。……御機嫌よう。