<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
闇が生まれし刻
【オープニング】
人々の心は、美しいものばかりではない。
「ああ――」
女は、またひとつ、またひとつ凝っていくそれらを感じて嘆きの声をあげる。
――人間から欲望を失わせることは不可能。
むしろ……その欲望をこらえた者からこそ噴き出すものがある。
「ああ――だからこそ、だからこそ」
女は凝ってゆくそれらの気配を感じ取り、両手で顔を覆った。
――欲望をこらえた者の、残ってしまった欲望の塊。だからこそ、
「害を与える存在にしては――いけないのです――」
女は――エリリィという名の女は、ふらふらと冒険者の集まる酒場へと足を向けた。
欲望が凝り、人の形となってしまったことを知っているから。
黒山羊亭。
踊り子エスメラルダが、エリリィに気づいて振り向いた。
「闇が……生まれたの」
エリリィはつぶやいた。
「闇が……生まれたの」
「どういう意味かしら?」
エスメラルダは彼女の顔をのぞきこむ。
深い紫水晶の瞳が、いったいどこを見ているのか分からぬ視線を泳がせていた。
「人々の欲望の塊……人の姿をした……人喰い。それが……闇……」
「―――」
「ふたつ。ふたつ生まれた……。この街に潜伏している……」
彼らは人々の欲望の塊。彼女は繰り返した。
「形を持っていても彼らは――、存在してはいけないもの……」
お願い、と女は初めてエスメラルダの目をはっきりと見た。
「ふたつの闇を消すのを……手伝って……」
【集まる冒険者たち】
「闇がどうのこうのと……あんたって、占い師の類かい?」
声が聞こえた。
「?」
エスメラルダはあたりをきょろきょろした。声の主が見当たらない。
「下だ、下」
「下?」
言われるままに下を見ると――
エスメラルダはきゃっと声をあげた。
そこに、掌サイズの大きさの人型ぬいぐるみのようなモノがいた。
「う、動く人形……っ!?」
「違う! 『ちま』と呼べ『ちま』と!」
銀髪の人形はよっせよっせとエリリィの長いスカートをよじのぼり、その肩に乗る。
「ああ……」
エリリィはその銀髪の『ちま』を見て、少しだけ笑った。
「人間ですね……あなたは……」
「そうともさ。俺は人間だ。『ちま』っていうのになれるだけのな」
おすすめだぜ――と彼、ランディム=ロウファは言った。
「かわいいだろ?」
「たしかにかわいいですね」
横から口を出してきた人間がいた。『ちま』なランディムをちょいとつまみ、まじまじと見つめながら、その金の瞳をおかしそうに輝かせたのは、ユーアという名の女性だった。
「ものすごく不便そうですけれどね」
「ほっとけ」
ランディムはむくれる。
「んで、なんだっけか。『闇』だっけか――?」
と、ユーアにつままれたままエリリィを見つめ、「あんたの生業が何なのか気にしても仕方がない。もしも必要なことだっていうなら、契約はまっとうする……俺を雇うかい?」
「手伝ってくれるというなら……」
エリリィはひどく儚げな笑みを浮かべる。
「いいだろう。だったら俺はクライアントの意向には従っておくさ」
軽い調子で言ったランディムに、彼をつまんだままのユーアが片眉をあげた。
「その小さい体で戦えるんですか?」
「元に戻るに決まってんだろが!」
「ああ、そうでしたか」
ユーアはぽてっとランディムを床に落とした。「何すんだこら!」と床に尻を打って騒ぐランディムを無視し、
「さて」
とユーアはつぶやく。
「よくは知りませんけどね。まあ居合わせたことですし。俺も手伝いましょうかね」
女性なのに自分を「俺」という彼女は、ふと自分の背後を振り返って、
「そちらの方も参加しますか?」
「ぼ、僕は――っ」
ユーアに声をかけられて、言葉をつまらせた少年がいた。
背中に翼。ウインダーと呼ばれる種の少年だ。
「僕は――リュウ・アルフィーユ。リュアルと呼んで――。駆け出しの――冒険者。僕は……」
「僕は?」
「僕は――僕も、手伝う、よ……!」
ユーアが口元に手を当ててリュウと名乗った少年を見つめる。
「風喚師ですね、リュアルは。なかなか役に立ちそうだ」
「ほ、本当……?」
リュウ・アルフィーユはどこか怯えた顔をしながらユーアを見た。
「自分から手伝うと言っておきながら、そんな怯えるんじゃありませんよ」
ユーアは素っ気なく言って、
「敵は二体ですか。もう少し人手があってくれたほうが助かりますかね」
「……ならば、私も手伝おう」
ひとつのテーブルから、角を持った赤く燃えるような存在が立ち上がる。
「私はクダバエル・フゥ……。『闇』とな。何とも興味深い敵であるな」
「―――」
ユーアはまなざしを鋭くした。
「あんた……まともじゃねえな」
足元で、『ちま』なランディムがクダバエルに言う。
「ふむ。信用してもらえぬならそれも構わぬ。私は私のやり方で『闇』と相対しようではないか」
「……まあいいでしょう」
ユーアは店内を見渡す。他に人手はないかと。
そして、ひとりの少女を見つけた。
テーブルに漆黒の突撃槍をもたせかけてエールを飲んでいた銀髪の少女が、ユーアの視線に気づいて振り向いた。
話を聞き、彼女――アレスディア・ヴォルフリートは深くうなずいた。
「……なるほど。私は、この街の生まれではないとはいえ、今はここに居を置く者。闇の是非については、私には判じられぬが、人を食うと聞いては放っておけぬ。私でよければ、協力しよう」
と、アレスディアの言葉を聞いて――彼女の隣に座っていた少女が反応した。
「……難しい、ことは……よく、わからない、けど……」
長い黒髪に、赤い瞳。アレスディアとそれほど変わらない年齢と見えるのに、どこか老成したような雰囲気もある不思議な少女。
体中に呪符を織り込んだ包帯を巻き、青紫のマントをもてあそんでいる。
「要するに……その、闇っていうの、を……倒せば、いいんだよ、ね……?」
「千獣(せんじゅ)殿、よいのか?」
アレスディアが包帯の少女の名を呼んだ。
千獣は無表情にうなずいた。
「やれる……ことは、やる……だけ」
ユーアはにっと唇の端をあげる。『ちま』状態のランディムを持ち上げながら、
「あとはこの方が本当に元の姿に戻ってくださるというのなら、充分すぎるほどの人手ですね」
「戻るって言ってんだろうが!」
『ちま』なランディムは、ユーアの耳元で怒鳴った。
ユーアはうまいこと怒鳴り声が鼓膜に直撃しないようさけて、
「では――まいりましょうか」
エリリィのほうを向いた。
「ありがとう……」
エリリィがつぶやいた。
彼らは黒山羊亭を出た。
なぜかエリリィだけは、最後まで黒山羊亭から出てこなかった。少しだけいらだって、彼らはエリリィが出てくるのを待った――
待ち時間はほんの少しの間――
エリリィは外に出てきた。ひとりの人間をともなって。
「あ? あんたいつぞやのおっさんじゃねえか」
すでに『ちま』から元に戻り、ビリヤードのキューをもてあそびながらエリリィを待っていたランディムが、オーマ・シュヴァルツの顔を見て嫌そうな顔をする。
「今日はまともにお前らと協力する」
オーマは真顔でランディムに言った。
その真剣なまなざしに、ランディムが少しひるんだ。
「な、ならいいけどよ」
「どうでも構いませんよ。さあ、一刻も早く」
『闇』をとらえましょう――と、ユーアがエリリィに向かってそう言った。
【VS『闇』】
「見えます……『闇』が二体」
エリリィが胸の前で両手を組み合わせて、目を閉じたままつぶやく。
「ひとり……アルマ通りの天使の広場近く。ひとり……王立魔法学院前」
「ちっ。両方ともここから遠いじゃねえか」
ランディムがつぶやいた。
時刻は夜。今日は天気が悪く、月明かりさえない。
「どちらか片方ならば、私が照らし出すが?」
クダバエルが言う。
「ベルファ通りにまでおびきだせれば、こっちは夜でも比較的明るいからなあ」
「むしろ、二体引き合わせて両方クダバエルに照らし出してもらいますか?」
「ものすごい賭けだな、それは」
オーマが言った。
「どちらがどんな能力を持った存在かは分からぬだろうか?」
アレスディアがエリリィに尋ねた。
「はい。……アルマ通りの者が……戦士、王立学院前の者が……魔術師です」
「それじゃ俺は魔術師の方へ行くぜっ!」
ランディムがビリヤードのキューを振り回して宣言した。
「楽したいのですか?」
「んなわけないだろ! 相性の問題だっ!」
「ではこれをお持ちください」
エリリィが自分の髪を一本抜いた。
長い長い――黒い髪。
「近づくと発光致します。近づければ近づけるほど……。すぐに分かると思います」
「おー。んじゃ、俺と一緒に魔術師相手にするってやつぁついてこいよ!」
言うなり、エリリィの手から髪の毛を奪ってランディムは駆け出した。
――速い。
「待てランディム殿! 私も行く――!」
アレスディアが駆け出した。その後を、クダバエルも。
「ぼぼぼ、僕は、どうしよう……」
慣れていないらしい、リュウが聖獣装具の剣を手にがくがくと震える。
「……俺はこのボウズが心配だ。こいつについていくとするぜ」
オーマが言った。
ユーアは何事かを考えている様子だったが、
「――まあ近場からです。まずはアルマ通りの戦士を広い天使の広場までおびきだしましょう」
と言った。
「私も……近場、から、相手に……する」
千獣がつぶやいた。
ベルファ通りからはかなり遠い位置にある、エルザード王立魔法学院。
ランディムの手にしていた、エリリィの黒い髪が、銀色に発光した。
「……近いな」
今は夜だ。さすがに歓楽街のベルファ通りや街の中央天使の広場と違って、ここは人気がない。
「人気がないところに、人を喰うもんがいるってか――」
「ということは――」
ランディムの速さについてきたアレスディアが、彼の言葉にまなざしを鋭くする。
「……おそらく、腹をすかせているのであろうな」
クダバエルが冷静につぶやいた。
ぽつり、ぽつりと人影が見える。
「どいつだ……?」
ランディムは駆けた。そしてひとりひとりに向かって、エリリィの髪をかざした。
人影のひとり、細身の男が――
ランディムたちに気づいて、にたりと笑った。
「――こいつだ!」
ランディムが叫んだ瞬間、『闇』が生み出した炎が渦を描いて彼らに襲いかかった。
天使の広場にたどりついたとき。
「あれです――」
エリリィがつぶやいた。
彼女がまっすぐ指をさす先、かなりの巨体を誇るオーマにも匹敵する大男の姿があった。
「―――!」
今まさに女性をひとりつかみとろうとしている大男。
オーマがとっさに愛用の大銃を取り出し、一発放った。
狙いは正確。大男の横腹にまともにぶちあたり、『闇』はつかんでいた人間を取り落とす。
「おいボウズ! お前さんあの人間の様子を確かめに行ってくれ……!」
有翼人であるリュウに声をかけたオーマだったが――
ふと、リュウの顔を見てぎょっとした。
今までがくがくと震えていたリュウとは、違った。別人のように、殺気を放つ鋭い目つき。
「分かってる……僕が見てきます……っ」
リュウは鋭く叫ぶと、翼をはためかせ『闇』につかまれていた人間の元へと飛んでいく。
「に、二重人格か……?」
一瞬唖然としたオーマだったが、すぐに切り替えた。
愛用の銃を消し、生み出したるは銃器に似た大剣。それを手に走る。
「さて……」
ユーアが辺りをのんびり見渡してつぶやいた。
「あそこに井戸がある……。あそこに突き落としてしまいましょう」
「あん?」
オーマが振り返った。
「今のあなたの一撃でも少し揺れた程度……。頑丈そうなので。井戸に落として、這い上がってきて疲れているところを叩けばいいかと」
「ははあ……」
「……よく……分からない、けど……井戸に、落とせば、いい……?」
千獣がその背からバッと獣の翼を生やした。
「ええ。それで充分でしょうね」
ユーアは言って、「では俺はもうひとりの『闇』のほうへ行きます」
と王立魔法学院に向かって走り出した。
「井戸、井戸ね」
たしかに、天使の広場には井戸がある。オーマは苦笑して、
「千獣、二人でやつを井戸までおびきだすぞ」
「……うん……」
千獣が背に生やした獣の翼で飛んでいく。
「この人は無事だよ……気絶してるだけ!」
リュウの声がした。
「よし、リュアル! そいつを安全そうなところまで連れて行け!」
「はい!」
リュウが女性を抱え上げる。何とか彼でも抱えられる体型の女性で助かったというところか。
千獣が大男の上空までたどりついた。
大男は咆哮をあげた。そして、その巨大な拳を上へ振り上げて、千獣を打ち落とそうとした。
千獣はひらりとそれを避け、井戸の方向へと体の位置を変える。
大男は追ってくる。千獣の動きを。
「……動き……のろい、ね……」
千獣は少しだけ小首をかしげ、「もっと……早く、こっち……来てほしい、かも……」
どうっ!
少女の右腕が巨大な爪を持つ獣の手へと変わる。
千獣はそれで大男の肩を引っかけた。
――頑丈。ユーアの言葉どおりだ。
「……硬い……」
つぶやきながら、千獣は大男の肩を引っかけたまま井戸の方向へと引っ張った。
男が足を踏ん張って引っ張られないように体に力をこめる。
「……あれ……」
千獣は首をかしげた。
「だめ、だったかな……これ、じゃ」
「時間稼ぎには充分だ、嬢ちゃん!」
いつの間にか傍らまで来ていたオーマが、その大剣を思い切り振りかざした。
『………!』
大男が千獣の爪を思い切り弾き飛ばし、突然空中から大斧を取り出してオーマの剣を受け止めた。
「ちいっ」
単純な腕力勝負なら、どうやら互角。あとはどういう作戦で行くか――
「……炎で私に立ち向かおうとは、愚かなり。愚かなり」
魔術師型『闇』の生み出した炎をかきけして、クダバエルが淡々と言った。
「ちょっと助けられちまったぜ」
肩をすくめて、ランディムがつぶやいた。
「一般人を巻き込まぬようにせねば――」
アレスディアが持っていた突撃槍を構える。
「我が身盾として、牙持たぬ全てを護る!」
唱えるはコマンド――
刃を幾重にも重ねたような形をしていた突撃槍が、その形状を変えた。
ジャシュッ
ルーンアームと呼ばれる突撃槍がアレスディアの体へと巻きついていく。
鎧装へと。
「私は街の護りを担当しよう――!」
「それじゃ俺は攻撃なっ」
ランディムは手にしていたビリヤードのキューを構えた。
法力を弾に。まともに真正面から一発打つと、『闇』は高く跳んでそれをかわした。
「なるほど。跳躍力はあれくらいか」
ちょっと暗いな、とランディムが片目を閉じて見にくそうにしながらつぶやくと、
「では灯りを灯す」
クダバエルが炎を生み出し、その両手に持った。
辺りが、炎の灯りで照らし出された。
人がぽつりぽつりといる。
「避難させる――!」
アレスディアは街人たちに向かって走り出した。
『闇』が今度はとがった氷の柱を次々と生み出し、四方に向けて放つ。
「―――!」
アレスディアが自分の近場にいた住民たちを守るために身をていしてかばう。今の彼女の鎧には、効果のない氷柱だった。
だが、他にも住民が――
「ちっ」
舌打ちして、ランディムが駆けた。
エアダッシュ。空中を駆けるような速さで走りながら、キューで空砲を何発も放った――住民に向かって。
住民は空砲を肩にくらって、次々と横向きに倒れこんだ。
おかげで氷柱は彼らに当たることなく、そのまま辺りの壁へと突き刺さった。
「荒っぽいのは勘弁しろよ!」
ランディムが叫ぶ。
クダバエルへ向かった氷柱は言うまでもない。炎で溶けるだけだ。
最後に、一箇所だけ彼らの死角にいた住民がひとり――
「あっ!?」
ようやく気づき、アレスディアが叫んだとき――
「おや」
燃えさかる剣で最後の住民へ向かっていた氷柱を斬り溶かしながら、ルーアが困ったようにつぶやいた。
「人型なら、口に石でもつめこんで魔法を唱えられないようにすればいいと思っていたのですが……」
どうやら、声が媒体ではないようですね、と彼女は淡々とつぶやいた。
ぎりぎりと、オーマと大男型『闇』の腕力の押し合いが続く。
「俺と力比べなんざ……大したもんじゃねえか」
オーマはにやりと笑って、千獣に「離れてろ」と言った。
競り合っている二人から、千獣が身軽に離れる。
その瞬間にオーマは剣を引いた。
大男がバランスを崩した。オーマは魔法性質に近い具現波動を全開にする。
頑丈な戦士とはえてして魔法に弱いものだ――
大男は具現波動をまともに受けて、弾き飛ばされた。倒れはしなかったものの、井戸には大分近づいた。
「っんとに頑丈な野郎なんだな――」
オーマは呆れたようにつぶやいて、そして苦笑した。
「それだけ大量の『人の欲望』とやらでできてるってことか」
「どんな、頑丈な、生き物、でも……弱点は、ある」
千獣がオーマに近づいて、言った。
「顔や、首、関節……この辺り、は、大体、弱い……」
「肩はちょいと強かったみたいだが……顔と首は試してみねえとな」
「住民を避難させました!」
いつの間にか、『闇』につかまっていた女性だけでなく周辺住民すべてに声をかけてきたらしいリュウが戻ってくる。
エリリィは近くの石版の後ろに隠れたと、リュウは言った。
彼は手に、聖獣装具マリンソードを持っていた。
「よっしゃ、三人で――井戸に落としてやるとすっか!」
オーマははっはあと笑ってそう言った。
魔術師型『闇』が次から次へと氷柱を繰り出してくる。
クダバエルがあちこちに炎を飛ばしそれを溶かす。
ユーアも同様に、近場の氷柱はすべて溶かしていった。
その間にアレスディアは住民たちを避難させる。仕方ねえなとそれにランディムが加わる。
そしてようやく闘いの場が整って――
改めて、四人の戦士は『闇』へと立ち向かった。
面白いことだ、とクダバエルは思う。
人から生まれた『闇』を、今、人が殺そうとしている。
「くっくっ……」
だから愉快。だから滑稽。
炎の悪魔と呼ばれるクダバエルは、そのさまを見てひどく満足していた。
そう、人はそうあらなくては。
矛盾の塊であらなくては。
――もっとその姿を見せてくれるがよい。
――もっともっとその愚かな姿を見せてくれるがよい。
自ら生み出したものを自ら殺す、その愚かしさを、私のこの目で見届ける。
さあもっと、もっと――
クダバエルが照らすバトルフィールドを、ユーアとアレスディアが駆け出した。
ランディムは遠距離型。素早い魔術師の動きをつぶさに観察し、ユーアたちが攻撃してそれをよけたその場所へと法力をこめた弾を撃つ。
そして、彼は舌打ちした。――二段避けでランディムの弾さえ避けられてしまう。
魔術師の手から雷撃が放たれる。アレスディアがユーアをかばって、鎧で無効化。
その瞬間にふいに魔術師は水の渦を作って、クダバエルの両手に持つ炎にぶち当てた。
クダバエルの炎が消えた。あたりが月明かりもない闇夜に変わる。
「甘いっ!」
炎の魔法剣を扱うユーアがその灯りでもって魔術師に切りかかる。
ランディムはユーアの灯りを頼りに、次々と弾を放った。幸いにしてこのあたりは両側に壁の多い道。
――跳弾させてあちこちから魔術師を狙うにはもってこいの。
アレスディアの剣が魔術師の足を狙う。
足が細い。狙いにくい。
ひょいひょいと避けられるが――
避けたその先を、四方八方から跳弾させたランディムの弾が狙う。
今度は避けられない――計十発ほどあった弾のうち、三発が魔術師の体に当たる。
「ちっ。あれだけかよ」
ぶつぶつ言いながらもランディムはキューを構え直す――
クダバエルが再び炎を生み出した。辺りが急に明るくなる。
ひゅんっ――
ユーアが炎をまとわせない剣でもって魔術師の足を狙った。
ぴっと血が飛んだ。
魔術師の足に、傷がついた――
「おらあ!」
オーマが具現波動を全開にしながら大剣を振りかざす。
大男型『闇』は斧でそれを受け止めた。
次の瞬間、オーマは目を見張った。
二本の手で受け止めていたはずの大男は――斧を支える手を、一本に変えた。
そしてもう一本の手で小型のナイフを何本も生み出し、あらゆる方向へと放つ。
オーマはそれが腹に当たるのを避けるために大男から離れた。
千獣は爪で弾き返し、リュウはマリンソードで弾き返し、
残りのナイフはすべて近隣の住居の壁に刺さった。
パリン、と――これは窓が割れた音だろうか。
「なんて野郎だ……」
一体どれだけの武器を生成できるのだ?
「僕が囮になります……!」
最初のときとは別人のように凛々しい表情をしたリュウが、マリンソードを手に大男に立ち向かう。
「おいよせ! お前さんの力じゃ――」
「マリンソードよ!」
言いかけたオーマは口をつぐんだ。
リュウの持つ聖獣装具の剣先から、大量の水が生まれた。それが、まともに大男に降りかかる。
ダメージを与えるわけではない。けれど服の中に――水がたまった。
大男はいっそうののろさを与えられ、悔しそうに大斧をリュウに向かって振り下ろす。
リュウの翼の端が今にも切れそうになった。
「―――!」
「……だめ、だよ……」
両手を獣の手に変化させた千獣が、その斧を受け止めた。
「きれい、な、翼……なん、だから……。けが、させない」
千獣の獣の手ががっしりと斧をつかんだまま離さない。
大男は再び片手を斧から放し、今度はレイピアを取り出した。そしてそれを千獣に向かって振り下ろした。
しかし――
「させねえよ」
オーマはレイピアを大剣で受け止めた。
レイピアと大剣では、勝負にならない。レイピアはすぐにパンッ! と音を立てて折れた。
すかさずその隙を狙って、リュウが大男の肩を下から――切り上げる。
血の雨が降った。
「……血……出るんだ、ね……」
まともに顔に浴びて、千獣がつぶやいた。
「人間、と、同じ……だ、ね……。でも」
放さない。大斧をがっしりつかんだまま、千獣は赤い瞳を光らせた。
魔術師の雷撃がユーアを襲う。
アレスディアにかばわれて、ユーアは困ったように眉根を寄せた。
「まいりましたね……足をどうにかすれば機動力が落ちると思ったのですが」
足を傷つけられてなお、魔術師はほいほいと今までどおりの動きを見せた。
「欲望の塊……それすなわち、人ではない」
クダバエルが重々しく言った。
「なるほど。人間と違って血ぃ出ることも何とも思わねえってわけだ?」
ランディムが視線を鋭くする。
「どうでもいいさ。散々傷つけてやりゃ、いつかはギブアップすんだろ」
ランディムは撃ち出す弾を、先の尖ったやじりのようなものに変化させた。そのほうが、怪我をさせやすい。
「頼むぜそっちの剣士の二人! あんたらの攻撃を避けたところを俺がどうにかするからよっ」
「それが妥当のようですね」
ユーアがつぶやき、剣を横なぎに振るう。
ひゅおっ
空を切る音はそのまま何も傷つけずに終わったが、間を空けずにアレスディアがひゅんと剣を魔術師の腕へ向かって放った。
瞬間、
地面がせりあがった。
とがった柱がぼこぼこと。
「―――!」
ユーアとアレスディアは跳んだ。その二人を、氷柱が襲った。
クダバエルが手にしていた炎を氷柱へと放つ。辺りが暗くなる代わりに、氷柱は溶けた。
しかし魔術師の連撃は止まらない。氷柱を再びユーアとアレスディアへと――
「だー! うっとーしー!」
ランディムが先のとがった弾を氷柱へと連射した。暗かったので大量に撃ったのだが――
無事、氷柱を砕いてくれたらしい。
クダバエルが再び炎を生み出す。視界が明るくなる。
ユーアとアレスディアは、地面のとがった柱を剣でことごとく切った。
足場が悪くなる。
「厄介ですね――」
「最初から承知していたこと!」
アレスディアは剣を再び魔術師に向かって放った。
魔術の連発が響いていたのだろうか、避けるのが一瞬遅れた。
魔術師の右腕を――
アレスディアの剣が、まともに切り落とした。
千獣が男の大斧をがっしりつかんだまま、井戸へと移動しようとする。
彼女の怪力は並ではなかった。――体の中に、数えられないほどの獣を飼う彼女は、それによって身体能力が極限まで高められている。
千獣が斧を引っ張って行く。オーマがそれを後押しするように、具現波動で大男の体を後ろから押す。
「どうやらその斧をどうしても手放したくないらしいな」
大男は余っている手で、今度は槍を生み出した。
「!」
オーマがすかさず叩き折る。
リュウは大男の背後に回り、その背中に向かって思い切り剣を振るう。
傷はつかない。しかし、押す力には――なった。
大男の体が井戸へと引きずられていく――
魔術師は切り落とされた右腕も、流れ出す血も気にする様子はなかった。
「ですが、雷撃を出す可能性が減りましたね」
ルーアがにっと唇の端をあげた。「あれはいつも右手で放たれていましたから」
そして彼女は、炎をまとわせた剣で地面に落ちた腕を燃やした。
「復活してもらってはかないませんから」
「……大量の血……人間と同じ、だな」
アレスディアがつぶやいた。
「こらこらこらー! 攻撃の手を休めるんじゃねー!」
遠くからランディムが叫んだ。
再び地面がせりあがる。
どうやら魔術師は、この地の魔術が一番有効と判断したらしい。今度は重ねて、地面が揺れている。
ルーアはせりだした尖った地柱の先端を切ると、平坦になったその場所を足場にして跳んだ。
魔術師の頭上へ。
そして、剣を頭上から振り下ろした。
同じタイミングで、同じように地柱を足場にしたアレスディアが魔術師のすぐ傍らまで跳んだ。
魔術師の近く、一定範囲内は尖った地柱がないからだ。
そして上から剣を振り下ろしてくるルーアに合わせて、
下から――剣を振り上げる――
魔術師は避けた。上も下も避けた。
上も下も避けたために、動きは左右に限定された。
そこをすかさず、ランディムの先の尖った弾が襲った。
いくつもの弾が魔術師の体に突き刺さり――
魔術師は初めて、地面に膝をついた。
「ほら……井戸、だ、よ……」
千獣が何の感慨もなくつぶやいて、
つかんでいた大斧をぐいっと井戸に向かって動かす。
大男はそれでも斧を放さなかった。
とどめとばかりにオーマが大男の背中を蹴り、
井戸に、ぼちゃんととても大きな音が響いた。
「さて、と……昇ってくるのを待つか」
オーマは千獣とリュウに向かって微笑みかけた。
リュウが、真剣に井戸の様子をうかがっている。
「井戸は覗くなよ。危険だからな」
ひょっとしたら――
「ワイヤーフック、なんてもんがあるかも――うわっ!」
オーマはリュウを抱いて飛びのいた。
井戸から飛び出てきたのは鎌。
くさり鎌だ。
それが井戸の端に引っかかって、どうやらそれで昇ってこようとしたらしい――が。
「………」
千獣が淡々と、獣の手を獣の顔へと変化させ、
「……喰え」
くさり鎌を食いちぎった。
再び、ぼちゃんと大きな音。
「……あらら」
オーマはマヌケな声を出した。
何となく……今から昇ってくる『闇』が気の毒になった。
「ああ……」
ずっと近場の石版の裏に避難していたエリリィが、ふと声を震わせる。
「もうひとりのほうが……弱くなっていく……」
「……もうひとりは順調に戦ってやがるんだな」
オーマはぐっと手を握り、唇を噛んだが――やがて井戸へと集中した。
一度膝をついてしまったら、もう戦士たちの餌食になるしかない。
「世話をやかせてくれましたね――」
ルーアが淡々と剣を振りかざし、
「すまぬ。だが、お前の存在は許されぬもの――」
アレスディアが苦しそうな顔で剣を振りかざし、
クダバエルは何を考えているのか、そのさまを見て唇の端を不敵につりあげ、
「――はん」
ランディムは半眼で、キューを構えた。
「……ばかばかしい」
ひゅんっ
二人の戦士の剣が胴体を、
キューから放たれた尖った弾が首を、
狙いたがわず……
「ああっ!」
エリリィが悲鳴のような声をあげた。
エリリィの胸元が輝く。
オーマは振り向いた。何かが王立魔法学院の方角から流星のように飛んで来て、エリリィの胸に収まった。
大男型『闇』は昇ってきた。斧で井戸を傷つけながら。
ふーっ ふーっ
昇ってきた大男は、肩で息をしていた。
「その、状態、じゃ……もう、まとも……には……戦えない、ね」
千獣が、はかなげに微笑んだ。
隙だらけだった。
「てやあっ!」
渾身の力で、リュウが大斧の柄を叩き折る。
ガラン、と斧の刃が地面に落ちた。
『………っ』
「やった……次の武器は、なに……?」
リュウは深呼吸をしてマリンソードを構え直す。
大男は自らの両手を見下ろしていた。
「もう……ない、の……」
千獣がつぶやく。
返事はなかった。
「それじゃ……終わり、に、しよう、か……」
どうっ
千獣の手にあった獣の顔が、大男の首に噛みついた。
そして頭ごと、飲み込んだ。
「ああ……」
ふたつ目の流星が近くからエリリィの胸に飛び込む。
近く――そう、大男の体から弾き出た何かが。
エリリィが、ふら、とふらついた。
「おい――」
オーマがそっと支えた。
エリリィの体が異常に重い。
魔法学院の方角から、四人の仲間が駆けてくる。
「そちらはどうでしたか――」
ルーアが尋ねてきた。こくりと、千獣がうなずいた。
「……うん……井戸に、落とし、たら……一気に、弱く、なった」
「それは良かった」
「こちらも片がついたぞ」
アレスディアが鎧装を解いて微笑んだ。
「最期には消滅した――それで終わりでいいんだろ?」
ランディムがキューで肩をこんこん叩きながら、エリリィに言う。
「はい……」
エリリィは、オーマの腕から起き上がった。
「はい……二つの『闇』は、消滅しました……」
「おいおい、顔色が悪いぜ?」
「私は……」
エリリィはかすかに苦く、微笑んだ。
「私こそが……『闇』の媒体、なのです……」
「―――!?」
「私の体に、人々の欲望がたまり、そして凝って私の体から吐き出される……それが、『闇』……」
「おい、それじゃあんた……っ」
ランディムがキューを構える。
いいえ、とエリリィは首を振った。
「もう二度と『闇』が生まれないように、します……」
それを――、
「こちらの方に……手伝ってもらうつもりです……」
示されたのは、オーマ。
ランディムが不審そうに、オーマに「あんたって何でも殺さないタチだったよな」と言った。
「……俺にも、俺のやり方がある」
オーマは低く答え、エリリィの手を取る。
エリリィがオーマを見上げて、そっと微笑んだ。
【エンディング】
オーマ以外の全員は、エリリィから与えられた少しばかりの報酬を分配しているところだった。
誰もがどことなく受け取るのにためらう報酬を、それでも受け取っていく。
ふと空を見上げると、太陽が昇り始めていた。
「うわ、もう朝だぜ!」
ランディムがぎゃあと悲鳴をあげた。
「まずい! サテンに帰らねえと……!」
「サテン?」
アレスディアが不思議そうに首をかしげる。
「俺は喫茶店の店長でね」
ランディムはにっと笑った。「うちの喫茶店にくりゃあ、『ちま』がたくさん見られるぜ。一度来てみやがれ」
言うだけ言って、ランディムは駆けて行った。
「さて、俺はこの報酬でまた食べ歩きでもしますかね……」
ふああと欠伸をしながら、ルーアがとっとと背中を見せる。
クダバエルは、いつの間にか姿を消していた。
あのどことなく邪悪な雰囲気を持つ男が、何のためにこの依頼に参加していたのかは、誰も知らない。
「ルーア殿もランディム殿も、元気だな……」
苦笑するようにつぶやいたアレスディアの膝で、
「……ん……」
リュウが目を覚ました。
有翼人の少年は、事が終わるなりなぜか失神してしまったのである。仕方なくこうして、アレスディアが膝を貸していたのだが。
「……目、覚めた……」
千獣が顔をのぞきこむ。
「あ……」
リュウは起き上がった。そして、あたりをきょろきょろ見渡した。
「あれ、あの、……『闇』は……?」
びくびくしながらピントのはずれたことを訊いてくる。
「何を言っている? 『闇』ならもう二つとも倒した。終わったぞ」
アレスディアが微笑んだ。
リュウは目を見張り――そして、怯えたようにさらに訊いてきた。
「……あの、僕、役に立った……?」
アレスディアと千獣が顔を見合わせる。
――どうやらリュウは記憶をなくしたらしい。
千獣が、ほんのちょこっとだけ笑みを見せた。
「……うん……リュアル……強かった、よ……」
「ほんと……!」
リュウは飛び起きて、千獣に抱きついた。
「……あれ……?」
「よほど嬉しいのだな」
アレスディアが笑ってその様子を見つめた。
昇り出した太陽が、戦いを終えた戦士たちを明るく照らし出していた。
―Fin―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2542/ユーア/女性/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2767/ランディム=ロウファ/男性/20歳/アークメイジ】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女性/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女性/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3094/クダバエル・フゥ/男性/42歳(実年齢777歳)/焔法師】
【3117/リュウ・アルフィーユ/男性/17歳/風喚師】
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■ ライター通信 ■
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クダバエル・フゥ様
お久しぶりです、こんにちは。笠城夢斗です。
今回は特殊なプレイングでの(笑)ご参加ありがとうございました!アレはあんな風な解釈になりましたが、よろしかったでしょうか?;
必ずしも味方が正義とは限らないことを深く考えてしまう一作でした。機会を与えてくださって感謝しております。
またお会いできる日を願って……
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