<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


困った人形たち

 その日、白山羊亭は異様にうるさかった。
「……お客様ぁ」
 看板娘ルディアは、そのうるさい原因の中心人物に、困ったように声をかけた。
「お願いしますー。他のお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮願いえませんかぁ」
「それがそうもいかんのぢゃ」
 子供、否、小人は重々しい声でそう言った。
 以前にも白山羊亭に来たことのある――人形師ゼヴィルである。
 彼のまわりには、何人もの十歳ほどの子供がいて――
 そして、一様にわんわんと泣いているのだった。うるさいことこの上ない。
「こいつらはな、オレの造った人形でな」
「……人形っ!?」
「魔術をかけたんぢゃ。そしたらこうなった」
 ゼヴィルはどこまでも重々しく、自分の造った人形たちを見て、
「どうも、退屈らしい。遊んでほしいとさっきから泣いておる」
「そ、そうなんですかあ?」
「うむ。ぢゃから連れてきた」
 ここは依頼が出来る場所ぢゃろう――と、ゼヴィルはルディアを見た。
「こいつらの相手をしてくれる人間をさがしてくれんかの。満足すれば、術の効果は切れて普通の人形に戻るはずなんでなあ」

    **********

 ゼヴィルはぴょこぴょこ飛び跳ねるようにして、ひとりの青年の前に立った。
「あーもしもし、よろしかったら、子供の子守をしてくれんかね?」
 ゼヴィルの前にいたのは、黒豹獣人のスルト・K・レオンハート。
 人のよさそうな穏やかな顔立ちをしたスルトは、にっこりと笑った。
「ええ。お話は聞いていましたよ」
 スルトは泣いている子供たちを見て、「かわいそうに」と心苦しそうな顔をする。
「何人でも構いません。俺は子守とか、そういうの好きですから」
「そりゃ助かるのう。ではラフィ、クレルラ、トドニア、ロナ!」
 ゼヴィルは四人の子供を呼んだ。
 ラフィ、ロナは男の子。
 クレルラ、トドニアは女の子だ。
「では頼んだ」
 しゅびっと手を立ててゼヴィルは颯爽と次の依頼相手をさがして去ってゆく。
 スルトの周りに四人の子供が残された。
「よしよし。もう泣かなくていいからね」
 スルトは全員の頭を一通りなでてから、人型から下半身豹の半獣型へと変化した。
「さ、順番に後ろに乗りなさい」
 子供たちは歓声をあげてよろこんだ。そして我先にとスルトの背中に乗ろうとする。
「ケンカするんじゃない。ちゃんと全員乗せてあげるから」
 そしてスルトはルディアに、「絵本ありますか?」と訊いた。
「絵本? 絵本……ちょっとないわねえ……」
「そうですか。子供には一番いいと思ったんですが」
「もう十歳だとは言っても、生まれたばかりの赤ん坊と変わらないものね」
 ルディアはくすっと笑って言った。「分かったわ。私が図書館から借りてくるから、少し待ってて?」
「え、いいんですか――」
 スルトが言うより先に、ルディアはエプロンをはずして店主に挨拶をし、とっとと出て行ってしまった。
 スルトはルディアの行動の早さにくすくすと笑った。――おそらく、自分が子供の相手をしたかったに違いない。
 立場上できないから、こうやって世話を焼こうとするのだ。
「さあみんな、何をして遊びたい?」
 まだ背中の取り合いをしている四人の子供たちに向かって、スルトは訊いた。
「はいはい! きゃっちぼーる!」
 ロナが手をあげる。
「キャッチボールか……外に出ないといけないな」
 球はあったかな? とスルトが店員に訊こうとすると、ロナはえへへと鼻の下をこすりながらポケットから手を出した。
「ゼヴィルが俺を作ったときに、持たせてくれたんだ!」
 その掌にあったのは、ひとつのボール。
 スルトは微笑んだ。
「よし。じゃあ四人とも、外へ出ようか」
 子供たちは逆らわなかった。スルトは四人を連れて外へ出た。
「ラフィもキャッチボールをするかい?」
 もうひとりの男の子、ラフィに訪ねると、
「僕、お背中がいい――」
 とラフィは指をくわえて女子陣に奪われてしまったスルトの背中を指差した。
「分かった。順番だから、少し待っていなさい」
 スルトは背中に女子二人を乗せたまま、ロナとキャッチボールをした。
 適度に揺れて、女の子二人は嬉しそうに歓声をあげた。
「さあ、順番だ。二人ともラフィにゆずりなさい」
「やだー!」
「こら! 俺を怒らせるつもりかい」
「え〜ん」
 クレルラが泣き出した。スルトは困った顔をして、
「じゃあままごとでもしようか。クレルラがラフィの奥さん、トドニアがロナの奥さんだ」
「えー! ロナの奥さんなんてやだっ!」
 クレルラより気の強いらしいトドニアが、スルトの腕に抱きついて「あたしスルトおにいちゃんの奥さん〜!」
 とはしゃぎだす。
「やだやだ、スルトおにいちゃんの奥さんは私!」
 クレルラが負けじと声をあげる。
 女の子二人でスルトの取り合いになった。
 その隙にラフィはスルトの背に乗った。
「きゃっちぼーる……」
 ロナが寂しそうな顔をする。
「ラフィ」
 スルトは背中にいるラフィに言った。「そこから、ロナとキャッチボールしてごらん」
「う、うん」
 ロナがボールを投げてくる。ラフィはそれをあたふたと受け取った。
 そして、えーいと投げた。
 ――ロナのところまで届かない。
「ぼ、僕、僕……」
 泣きそうになるラフィを、スルトはあやした。
「大丈夫、やってるうちにもっと遠くに飛ばせるようになるよ」
 ロナは気にした様子もなく、てんてんと転がってきたボールを拾って再び投げてくる。
 ラフィは今度は受け取りそこねた。
 スルトは転がっていきそうになったボールを拾い、背中のラフィに渡した。
「おままごと!」
 女の子たちが突然声をあげる。
「クレルラとトドニアがケンカをやめたらね」
 スルトは言って、「さあラフィ、投げてごらん」
 とキャッチボールを続けさせた。
「ずるいずるいー!」
 女の子たちがわめきだす。
 ちょうどいいことに、ラフィはロナとキャッチボールをすることに集中し始めたようだ。
「ラフィ。背中からおりてくれるかい?」
 ラフィは何も言わずに従った。そして、飛んできたロナのボールを受け取った。
 スルトは今度は女の子たちの相手をすることにした。
 こちらもちょうどいいタイミングで、
「お待たせ!」
 とルディアが絵本を抱えて戻ってきてくれた。
「じゃあクレルラとトドニアには本を読んであげるよ」
 女の子たちは嬉しそうにスルトに寄り添った。
 スルトの柔らかいトーンの声とともに、ページが少しずつめくられていく……
 気がつくと、疲れたのか飽きたのか、ロナとラフィまで本をのぞきこんでいた。
「なあなあ、それ最初っから読んで」
「何言ってるのよ。途中から入ってきたのが悪いんでしょ」
「最初から読んでくれなきゃ話の意味分からないっ!」
「そっちが悪いのっ!」
 また男女のにらいみあい。
 どんどん人間の子供に近くなっていくその様子を見ていて、スルトは思った。
 ――この子たちは、本当に人形なのか、と……

 絵本をあらかた読み終わり、ようやくままごとに移る。
 いつの間にかトドニアがスルトの奥さんに、クレルラがそのふたりの子供に、ラフィとロナがお隣さんにと決まってしまっていたらしい。
「あなた、行ってらっしゃい!」
 おませな十歳のお子様が、ちゅっとスルトの頬にキスをする。
 スルトは苦笑して、「行ってきます」と言った。
 それから子供役のクレルラを抱き上げ、
「いい子にしてるんだぞ?」
 と声をかける。
 クレルラは近所の子供という設定のラフィとロナとおしゃべりを始めた。
 トドニアはひとり、鼻歌を歌いながら料理をしているふりをしていた。
 ――順応性が高いな。スルトはふと思う。
 クレルラ、ラフィ、ロナはやはりキャッチボールを始めた。
 ラフィは、クレルラに教えられるようになるほど上達していた。
 ――成長も早い。見ていたスルトは思った。
「ただいま」
 スルトは帰ってきたふりをする。
「お帰りなさい!」
 すかさずトドニアが頬にキスをしてきた。
 クレルラがちょこんと顔を出し、「ねえパパ」と口を開く。
「お勉強、教えて?」
「勉強?」
 十歳と言えば知的好奇心も高い頃か……
「あのね、お隣さんのラフィとロナもね、一緒にお勉強」
「あ〜ずるい! 私もお勉強する!」
 トドニアが声をあげた。
「だってトドニアはお母さんだし……」
「じゃあもうやめる!」
 ねえねえ私にもお勉強、と早々に母親役を放棄したトドニアが言う。
 スルトは――笑った。

     **********

 二、三時間も子供たちと遊んだ頃だろうか。
 四人全員がケンカし合いながらも、「ケンカするほど仲がいい」を思わせるような雰囲気をかもしだすようになった頃。
 四人がスルトの背中にぎゅうぎゅう詰めになって乗り、天使の広場をぐるりと一周して、白山羊亭の前に戻ってきた頃――
「楽しかった〜〜〜!」
 トドニアが大きく伸びをして――
 そしてその笑顔のまま、

 ころん

 地面に転がった。

 ころん
 ころん
 ころん

 他三人も、次々と地面に転がっていく。
「―――」
 スルトは呆然として、まったく動かなくなった四人の子供たちを見下ろした。
「おお、満足しおったか」
 白山羊亭からゼヴィルが出てきて、スルトに「ありがとうなのぢゃ」
 と頭をさげた。
「あの……」
「言ったぢゃろう? 人形たちは満足すると人形に戻る」
「―――」
 スルトは拳を握った。
 唇が震えた。動かない四人に、触れるのが怖かった。
 ――まだまだやってやりたいことは尽きなかったのに。
「まだ――子供がこれくらいで満足するはずがありません……!」
 スルトにしては珍しく声を荒らげる。
 ゼヴィルは困った顔をして、
「何と言っても人形ぢゃからなあ……普通の子供よりも、低い地点で満足してしまうのかもしれんな」
 人形には、
 「成長」はあっても、
 「向上心」がない、のだ。
 そうだ。うすうす分かっていた――
「なぜ……こんな悲しいことを……っ」
 スルトは目をぎゅっとつむる。
 四人の明るい声が耳の奥でずっと響いている。
「そうぢゃなあ……」
 ゼヴィルは穏やかな声でそっと言った。
「普通に人形を造るだけでは、こんな表情は造れんのでなあ」
 スルトはゆっくりと目を開いた。
 見下ろした先、四人の――四つの人形の顔。

 楽しそうな。
 楽しそうな。

「“本物の笑顔”を与えてやりたかった……オレのエゴぢゃの」
 殴ってもええぞ、とゼヴィルは言う。彼自身、満足そうな顔で。
「―――」
 殴れるわけが、なかった。

 楽しそうな。
 楽しそうな。
(本当に……楽しんでくれたのか?)

 それはスルトが、誰より一番知っている。

 楽しそうな。
 楽しそうな。
 その笑顔が――まったく偽りのないことは。

(だからこそ……こんなに胸が苦しい)

「案ずるな」
 ゼヴィルが四人の人形を抱え、優しく言った。「こやつらは死んだりせん。永遠に生きとる。心は凍ってしまったかもしれんが、楽しい思い出を持ったまま永遠に生きとる」
「それが……正しい言葉とは……」
「ああ。ぢゃがオレはそう思って、この人形たちを大切にしていくつもりぢゃ」
 オレよりも幸せそうな顔しとるのう、とゼヴィルは言って笑った。
「………」
 ゼヴィルが抱える四人を見つめて、スルトは思った。
 本当に……本当に楽しい思い出だけをその胸に残して、生き続けていてほしい。
 ――まだ教え足らなかった。色んなことを教え足らなかった。
 だから……
「生きているなら、またいつか動き出すときもありますね」
 スルトは言った。
 ゼヴィルが目をぱちくりさせる。そんな人形師に微笑みかけて。
「何と言っても、やんちゃな子たちでしたから」

 それはただの願いだったのだろうか?
 それでも、どこか本気で信じていたかもしれない。
 クレルラが、トドニアが、ラフィが、ロナが、
 再び動き出して、自分のまわりでケンカを始めることを。

「そうしたら……また叱ることにしますよ。四人を……」
 聞いていたゼヴィルが微笑んだ。
 スルトの心の中に刻まれた四人との記憶。
 かけがえのない、それは短くてはかなく、暖かくて大切な――

「時間……だ」

 スルトは白山羊亭にゆっくりと戻っていった。
 人形師の抱える四人に背を向けて。

 四人が揃って自分を呼ぶ声が、聞こえた、気がした。


 ―Fin―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2622/スルト・K・レオンハート/男性/19歳(実年齢17歳)/護人】

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■         ライター通信          ■
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スルト・K・レオンハート様
初めまして、笠城夢斗と申します。
今回はたくさんの子供のお相手をありがとうございました!
十歳にしては子供なので、「園児」という表現は正しかったと思います。スルトさんには色々楽しませてもらって、人形たちも満足したようです。
最後は少し切ないお話になってしまいましたが、気に入って頂けますと嬉しく思います。
またお会いできる日を願って……