<東京怪談ノベル(シングル)>
出会いは夢の中で
それは美しい美しい船首像があった。
豊満な女性の肉体、長い髪に整った顔立ちの石像。
それを飾っていれば水難に遭わないという言い伝えがあった。
現在その像は、女だけの海賊船の船首を飾っている――
*********
聖都エルザードの港は、王女エルファリアがよく視察にくる場所だった。
エルファリア個人が所有している船や、豪華客船が入港する、王侯貴族専用の区画。エルファリアのために貢物が運ばれてきたり、エルファリアの友人が乗ってきたりと、エルファリアにとって足しげく通うに値する場所だ。
ある日――
いつもの通り港の視察にやってきたエルファリアは、見慣れない船に目をとめた。
「あれは……?」
様子からして、客船ではない。ましてや自分の所有する船でもない。商船でもなさそうで、そういう点でもなぜそこにいるのか分からない船だったが――
エルファリアが目を奪われたのは、そういう意味ではなかった。
船首を飾る、女性の像。
豊満な体、長い髪に整った顔立ち。苔生してはいるものの、肌のつややかさも立体感も、まるで生きているかのような見事な造りの石像。
しかし、エルファリアはそれを見て胸が痛むのを感じた。
(何て悲しそうな顔をした像なの)
誰が彫ったのかは分からないが、何を考えてあのように悲しげな顔をした像を作ったのだろう。
そしてその船はどうして、あのように悲しげな顔をした像を船首に飾っているのだろう。
エルファリアは侍女に、その船の船長を呼んでくるように言った。
女船長は堂々とやってきた。その姿を見てエルファリアはすぐに察した――あれは海賊船だ。
(港の警備を強化しなければ)
そう思ったが、今はその問題は後回しだ。
女船長の話を聞いたところ、あの船首像は水難避けのまじないの像だと言う。
水難避けと言えば、いけにえと相場が決まっている。
(海の神に捧げられた像……? だからあのように悲しげなの……?)
ひどく胸が痛んだ。
その像があまりに生々しく人間味を感じさせる像だったから、放っておけなかった。
客船や商船ならばともかく、海賊船に水難避けなど必要あるまい。
「あの船首像をお譲りなさい。そうそう、羅針盤も一緒にね」
――羅針盤がなければ海賊船としての動きが鈍るだろう、そう考えて、像のついでに羅針盤も譲るように迫った。
女船長は恐ろしく高い金額を要求してきたが、のちのちのことを考えれば、それくらいの代償はいいだろう。
エルファリアは女船長の言い値で像と羅針盤を買い取った。
像を受け取り、ほうと息をついたエルファリアは、ふと一緒に譲り受けた羅針盤を見下ろした。
変わった羅針盤だった。水晶玉が浮いているのだ。
(これもまじないだったのかしら……? 綺麗なものだからいいけれど)
高い代償は払わされた。
だが像と羅針盤を手にして、エルファリアは心から満足していた。
相変わらず悲しげな顔をしたままの像。その額にそっと自分に額を寄せて、
「――もう、海賊たちの好きなようにはさせませんから……ね」
どうか、そんな顔をしないで――と、エルファリアは囁いた。
**********
その夜、エルファリアは女性の石像を自分の別荘のお風呂で綺麗に洗った。苔を流し、丁寧にすみずみまで磨き上げる。
見れば見るほど生身の人間そのままの彫り。
――このような像が彫れる彫刻家がいたならば、よほど名高い者だったろうに。
エルファリアは読書が趣味だ。別荘にある大量の蔵書をほとんど読破しているほど知識には自信があったが、そのような彫刻家は残念ながら聞いたことがなかった。
(この像……古い、のかしら?)
エルファリアは綺麗になった像を拭きながら考える。
苔生しているからには、長い時間が経っているはず。
(でも……)
――そのわりには、石像には傷ひとつない。
海賊船の船首などという荒っぽい場所にあれば、傷のひとつやふたつあってもおかしくないだろうに。
(比較的新しいのかしら……)
――新しいのなら、彫刻家も生きているかもしれない。
ぜひ会ってみたいと思った。会って、そして尋ねるのだ。
なぜこのように悲しそうな顔をした像を彫ったのか――と。
石像の頬にそっと触れる。
とてもとても冷たかった。
エルファリアは、乾いた布で拭いた像を、自分の部屋に飾った。
なぜだかもう自分は一人寝ではないような気がして、エルファリアは不思議な気分になり、ふふっと笑った。
「石像でも家族の一員ね、きっと。……おやすみなさい」
像にそう笑いかけて、エルファリアは眠りについた。
**********
その夜、不思議な夢を見た。
目の前に女性がいた。豊満な肉体と青い長い髪、青い瞳をした女性。
――あの船首像が石像でなかったら、きっとこんな感じだろうと思わせる女性。
青い髪の女性はエルファリアの前で踊っていた。楽しそうに踊っていた。
見たことのない踊り。異国の踊りだろうか。
青い髪の女性はエルファリアの手を取り、一緒にステップを取り始める。
その笑顔だけで何だか嬉しくなり、エルファリアは知らない異国の国のダンスを彼女とともに踊った。
時に足を踏んで謝ったり笑ったり。ときに肩同士がぶつかって、どっちが近づきすぎたのかで言い合いになってみたり。
そして言い合っていることがおかしくて、結局二人でふきだしたり。
夢は、毎夜毎夜続いた。
同じ夢ばかりではなかった。次の日には、今度はエルファリアがエルザードの伝統の踊りを青い髪の女に教えた。
青い髪の女は、踊りの覚えがとても早かった。数時間もしないうちに覚えてしまい、華麗に踊りだす。
――こんな美しい踊り子は見たことがない。
エルファリアが思わず口にすると、青い髪の女は笑った。
踊り子……そう、踊り子だ。
「あなたは踊り子ね」
エルファリアは問う。
青い髪の女は、軽くウインクしてうなずいた。
――あたしは踊ってさえいられれば、幸せなんだけどね。
そう言った『踊り子』の表情が一瞬かげったのは、なぜだったのか――
毎夜の夢が楽しかった。
エルファリアは、眠るのが楽しみになっていた。
昼間の間には、像を丁寧に磨いて綺麗にして。
「また、夜に踊りを見せて……ね」
額に額をくっつけて、囁いた。
なぜだろう……
あの踊り子が、この石像の女性だといつの間にか確信していたのは。
似ているから? それだけじゃない。きっと、それだけじゃない――
だからこそ、昼間に見つめる像の姿が悲しい。
石像は相変わらず、悲しげな顔をしたままだったから。
――どうしてそんな顔をしているの?
石像に問いかけても、答えは返ってこない。
夢の中の青い髪の女はいつも笑顔で、問いかける気持ちなど忘れてしまってしまうから、
「あなたは……だれ?」
エルファリアは像を前にしてつぶやいた。
**********
その夜、エルファリアはひどくうなされた。
――青い髪の踊り子。彼女が遠くにいる。
どこかの国の女王らしき女性に捕らわれて、泣き叫んでいる。
踊り子の服を剥ぎ取られ、嗚咽をもらしている。
―――アアアアァァァァァ……
鼓膜がひどく痛く震える長い悲鳴だった。
長く長く尾を引く悲鳴だった。
「―――!」
エルファリアは名も知らぬ青い髪の女を呼んだ。
名が分からないことが、これほど悔しく思えるとは思わなかった。
――手が届かないことが、これほど悔しく思えるとは思わなかった。
目の前で、
エルファリアの目の前で、
踊り子の服を剥ぎ取られた青い髪の女が、水晶玉に吸い込まれていく。
そして――
場面が一転し、次に見えたのは。
「船首……像……」
あの青い髪の女の石像が、どこかの船の船首に飾られている。
「そう……あの像が……」
間違いないのだ。
きっとこの予想は、間違っていない……
そしてキーは、水晶玉。
**********
真夜中に目が覚めた。
「………」
エルファリアは飾られたままの船首像を見つめる。
「そう……いうこと……?」
返事はない。
エルファリアはベッドからおりた。小道具入れの元へと小走りに駆け寄り。
そしてあの日、船首像を海賊から買い取ったあの日、ともに買い取った羅針盤を手にとった。
羅針盤に浮かんでいるのは、水晶玉。
「魔法……今、解いてあげますから……」
エルファリアは羅針盤から水晶玉を取り出し、そっと胸の前に掲げた。
目を閉じる。
明確にイメージできる。――夢の中で何度も見た、あの青い髪の踊り子の姿を。
(彼女を――救い出す!)
カアッ――
水晶玉が光を放ち、エルファリアの部屋を満たす。
手に持った魔法の玉が、燃えるように熱くなった。
「―――!」
エルファリアは放り出しそうになるのを必死でこらえ、水晶玉を抱きしめた。
「解けて――お願い、封印よ、解けなさい――!」
熱い、手元が熱い、
けれどあの石像の悲しげな、痛々しい表情が瞼の裏に焼きついて離れなくて。
夢の中にだけ出てきてくれた、あの青い髪の踊り子の笑顔が、忘れられなくて。
「封印よ――!」
ありったけの魔力をふりしぼった。
強力すぎる封印だった。けれど――
エルファリアは――勝った。
光がしずまっていく。
部屋が、暗闇に沈んでいく。
否――
「……エルファリア」
声が、聞こえた。
生身の、声が。
「エルファリア」
水晶玉を両手に握りしめたまま、エルファリアはゆっくりと顔をあげた。
そこに、長い青い髪と、青い瞳の娘が立っていた。
「水晶玉の封印を解いてくれて……ありがとう」
踊り子は微笑む。
エルファリアはそっと歩み寄り、手を伸ばした。
指先が触れた。……柔らかい、人間の頬に。
横を見ると、飾られていた船首像が消えていた。
「あなたが、あの像なのね――」
エルファリアの胸の奥から、何かがこみあげてくる。
それが瞳からこぼれ落ちる前に、「いいえ」とエルファリアは自ら首を振った。
「違うわ……像なんかじゃない」
あなたは、誰?
呼べなかった名前。
今度こそ、あなたの口から――
「あたしはレピア――」
そして青い髪の踊り子は踊りだした。夢の中でエルファリアが教えた、エルザードの踊りを。
「レピア」
エルファリアはその名をつぶやいた。
「レピア……」
青い髪の舞姫が、嬉しそうに微笑む。
「名前を呼んでもらったのは、何十年ぶりかしら」
「―――」
エルファリアはレピアに抱きついた。
石像なんかじゃない。たしかな人間のぬくもりがある。
頬をなでると、柔らかく感触があった。
数日前のように、冷たくなんかなかった。
「あたし……呪われているの」
レピアは言った。悲しげな微笑みで。
「夜しか……生身には戻れないの。昼間は、やっぱり石像で――」
「やめて」
エルファリアはレピアの言葉を遮った。
「今はそんなことはいいの……ねえ、そうでしょう?」
強く抱きしめて。
一緒に踊ったわね、と囁いた。
たくさん踊りを教わったわ。
たくさん踊りを教えたわ。
夢の中だと思っていたけれど、
「これからは夢じゃない――そうでしょう?」
ねえレピア。
「だからお願い。もう……そんな顔しないで」
抱きしめたら、抱きしめ返してくれる腕があった。
強く強く、抱きしめ返してくれる腕が。
「エルファリア」
そう、名を呼んでくれるだけでいい。
たとえレピアが呪われた身のままであっても。
この先その呪いのために辛い思いをすることになっても。
ねえレピア。
今は……今だけでも。
「笑顔になれる……エルファリア」
レピアはひらりと踊り子風の礼を取り、そして――満面の笑顔を咲かせた。
「これからも一緒に?」
「聞くまでもないことでしょう?」
二人は笑いあった。そう、夢の中ではなく現実で――
また踊りを教えて。
また異国の踊りを教えて。
また私と一緒に踊りましょう。
また二人で踊りましょう。
ねえレピア。レピア――
―Fin―
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