<東京怪談ノベル(シングル)>
+ 希望と共に訪れ +
■■■■
ああ、その気持ちを表現する言葉を教えて欲しい。
「……こ、こ……ね」
私は外からその建物を見上げる。
背丈を遥かに超えるその建造物はどっしりとした雰囲気を構え、自分を圧迫してくる。現時刻すでに日が落ちようとしている夕刻。影が段々と背を伸ばしているその時間帯はもう人が少ない。
「行か……な、きゃ」
ごくっと唾を飲み込む。
いつの間にか握りこんでいた拳を広げると其処には嫌に粘ついた汗。緊張してしたためだということはすぐに分かった。そっと見下げれば肌には影が掛かっている。あまり遅くなりすぎると図書館自体が閉まってしまう。
心臓が鳴り響く音がする。この姿の自分が見つかったら何をされるか予想がつかない。だからこそこうやってこっそりと人の目を避けてやってきたんだから。
足を一歩進ませる。
じゃりっと土を擦る音が嫌に耳に響いて聞こえた。誰の気配もないことを確認しながら中へと進む。司書にも出来るだけ逢いたくない。叶うならば本当に誰にも見つからないで欲しい。
カツ、っと床を叩く靴の音にすら敏感になりながら足を動かす。布擦れも出来るだけ避けるように身を潜めながら目的地へ向かう。
目的はただ一つ。
図書館の奥の部屋に収められているある蔵書を見つけること。
「……早く、見つけ……て帰りた、い……わ」
不安と僅かに罪悪感を芽生えさせながら部屋を探す。
緊張の高ぶりによって起こった胸の痛みに堪えながら部屋のプレートをなぞっていく。彫られた部屋の名前が違う度にまだかまだかと焦りが募る。その本が何処にあるのかは知っている。だから後はその部屋を見つけるだけ。
ただその場所が普段は一般公開されていない場所にあるからこそ余計に探すのに手間が掛かる。
そしてどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
やっとの思いで見つけたその場所は本当に『奥』にあった。私は瞼を瞬かせ、何度もプレートを指でなぞった。
「間違い、ない……わ」
ほうっと嘆息が零れ、緊張が解ける。
だがまだ此処で終わりではない。改めて自分の精神を引き締める。扉には厳重に鍵を掛けられていて、中に入るにはそれを強制的に開かなければいけない。鎖が巻きつけられ開かないように幾つもの錠前で封鎖されたその部屋の鍵を探している時間なんてない。
すぅっと息を肺の中に入れるために吸い上げ、目を伏せた。
唇から発せられるのは『呪文』。
これは本来ならば許されない行為であり、見つかれば犯罪にあたる行為。その危険は百も承知だ。そんなことは最初から分かっている。たとえ後できちんと鍵を直したとしても不法侵入には変わりない。
心の中で小さく御免なさいと思ってみても誰も聞きやしない。
それでも自分の中の罪悪感を消したくて呟いた。今私は自分の望みのために動く。取り戻したいもののために今目の前にある望みを掴みにいくのだ。
かしゃん……。
開かれた鍵。
解かれる鎖。
この奥には――――希望がある。
■■■■
泣きそうになった。
でも同時に笑いたくもなった。
何もかも奪われ心が荒んだ自分の中に染みたのは言葉。
ああ、その時の感情をなんと言い表せばいいのだろう。
『そうだそうだ。知ってるかい? ガルガンドの館にね、呪いに関する本があるって話』
その人は仕事の依頼人。
私が作った薬を深く皺が刻み込まれた手で持ちながら世間話のようにその話をしてくれた。
『がる……がん、ど?』
『知らないのかい? 本当にあんたはこの場所に引き篭もっているんだねぇ……』
『…………』
『いいかい、ガルガンドの館ってのはね。古今東西のあらゆる書物があるのではないか、と言われるほど膨大な書物が収められている図書館のことだよ。そしてその奥にある部屋にさっき言った呪いに関して詳しく載せられている本があるって話だ。その本ならあんたのその呪いを解く方法も載っているかもしれないよ』
『……、ほ、んと?』
『ああ、本当だとも。嘘は言わないよ』
皮膚を弛ませたその老婆はにっこりと笑む。
ようやく希望の薬が手に入った喜びからか、機嫌が良い様だった。私は半信半疑ではあったが、少しでも元の身体を取り戻せるならとその話をもう少し詳しく離してくれるように頼んでみた。すると老婆は「何か書くものはあるかい?」と要求してきたので、ペンと紙を用意した。
さらさらと走るペンをぼんやりと眺めて待っていると、其処には地図が描かれた。
『ほら、此処においき。本の名前も書いておいたからきっと見つかる』
『あ……』
『ん? なんだい?』
『……有難、う……ござ、い……ます』
『いやいやお礼を言うのはこっちの方さ。この薬は本当に良く効くからねぇ……これくらいのことはさせておくれ』
感謝の意味を込めて手を握られる。
かさかさに乾ききった手の平によって包み込まれた自分の両手。伝わってくる体温に優しさを感じ、出来るだけ嬉しいという意思を見せたくて唇を持ち上げる。
握らされた紙には一筋の希望が籠もっている。
―――― ああ、その時の感情をなんと表現すればいいのだろう。
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夢も希望も未来も。
これから先にある物は全て断たれたと思っていた。
それに出会うまでは。
開いた本の上の乗せられた指が素早く動く。
其れを追うように動くのは唇。マンドレイクになってからの口調は極めて遅くて、頭の中で考える言葉の半分も表現出来ない。それでも呪文だけは完璧に唱えなければいけない。そして術を完成されることが私の今の望み。
ぺたんと足を折りながら座り込んだ床は長年人が入り込んだ様子がない証と言わんばかりに埃が溜まっていた。それでも服が汚れることも気にせず私は文字を追う。
指で。
目で。
唇で。
もっと強く祈れ。
もっともっと強く望め。その思いこそが術の成功を促がす最大の材料。
―――― おねがい、発動してっ!!
最後の一行と強い祈りと共に吐き出す。
声帯が震える。緊迫した空気に身体が微動していた。
そして。
「っ……!?」
目の前がぐらりと揺れ、私は思わず埃だらけの床の上に手を付いてしまう。
自分の手形が其処には刻み込まれ、その横にはぽたりと滲み出た汗が零れ落ちた。何かが体内で変化しているのが分かる。ぐっと圧迫された胸をどうにか元に戻そうと深呼吸を繰り返す。涙もじんわりと浮き、袖で拭き取った。
どれくらいそうしていたのだろう。
次第にすぅーっと胸を圧迫していたものが消え、身体が軽くなった。前屈みになっていた身体を起す。長く息を吐き出せば籠もっていた熱が身体の中から出て行く気がした。
「ああ、今のは一体何だったのかしら。やっぱり失敗し……――え?!」
私は思わず自身の喉を掴む。
次に唇を撫でた。最後に勢い良く立ち上がると、内部の変化が鮮明と感じられた。
「……はっきりと喋れるようになってる。それに、身体も軽いわっ!」
とんとんっと確認するように地面を足で叩く。
体調のよさに気分までいい感じに高揚する。だが身体を見ると、やはりマンドレイクのままだった。頭を撫でれば其処には葉も存在している。
試しに高度の魔法呪文を唱えてみる。だが、それは成功せず魔力が戻ってきていないことを教えてくれた。
「完全に解けたわけじゃなくて、呪いの効果を抑えたっていうことかしら……ああ、でも――」
ぐっと手を握り拳にし、反対側の手で包み込む。
それを口元に触れさせれば零れてくるのは自然な微笑。
ああ、その時の感情を言い表すとすれば。
「とても嬉しいわ」
…Fin
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こんにちは、蒼木裕です。
またの発注真に有難う御座いますvイメージが外れていないか毎回心配で御座いますが納品させて頂きますっ。でも個人的に段々とルヌーンさんが可愛くなってきてしまいました(笑)
ではでは、発注有難う御座いましたv
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