<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
ルチカ と なぞの家
------<オープニング>--------------------------------------
「はい、お待ち遠さま! ……はーい、そっちは林檎酒ね! ちょっと待ってねー!」
あっちのテーブルに麦酒を運べば、こっちのテーブルで手招かれる。
夜が深まってますます賑やかな白山羊亭で、ルディアは今日も忙しく給仕を務めていた。
いそいそと空いたグラスを下げる途中、ふと、カウンターの片隅に目を止めたのは、夜に不似合いな客がそこに座っていたからだ。
どう見てもお酒の出せない年齢の少女が一人。
薄くそばかすの浮いた化粧気のないほっぺたに加え、その足元には大きなトランクと来ては、田舎から出てきたばかりに違いない。
そんな女の子が、空っぽになったお皿の前に頬杖を突いて、浮かない表情をしている。困っています、と言わんばかりのハの字眉で。
「どうしたの? お客さん」
ルディアの呼びかけに、少女が顔を上げた。困っているお客さんを助けるのも、看板娘の勤め。
更に、この店で声をかければ必ず助けてくれる人が現れるのだから、相談に乗らない手はない、というのが、ルディアの考えであった。
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少女の名前はルチカと言って、辺境の町から親元を離れ、今日、王都にやってきたばかりだそうだ。
「一月ほど前に、手紙が届いたんです。ずうっと前に亡くなった遠い親戚の方のおうちを、相続しないか、って」
ルディアが好意で出してくれたホットチョコレートをちびちびと飲みながら、ルチカは話し始めた。
「あら! ラッキーなお話じゃない」
「はい。ちょうどその頃、私は自立を考えていたところで。お家は王都の外れにあるって言うし、仕事を探すなら田舎よりも都会の方がいいでしょう? その上住む家があるんなら、言うことなしじゃないですか。だから私、そのお話を有り難く受けることにしたんです」
頷いて、ルチカは荷物の中から小さな封筒を取り出した。
赤い封蝋の施されたその封筒の角は、古びて擦り切れている。消印の日付は既に10年も前のものだ。誰も相続を希望する者がおらず、親戚の親戚のそのまた親戚に、とたらい回しにされて、最後に流れ着いた先がルチカの元だったということらしい。
「それで、私、王都に出てきても泊まれる場所はあるって、すっかりそのお家をアテにしてたんですけど……」
ああ、とルディアは手を打った。
「わかった! 古い家だものね、派手に壊れてたとか?」
ハの字眉のまま、ルチカは頭を振る。
「いいえ。日の暮れる前に行ってみたら、とても素敵な、お家……というか、お屋敷でした。でも、鍵が合わなくて」
ルチカが次に荷物から取り出したのは、宝箱を縮小したような小箱だった。開けると、中には鍵束が入っている。
「手紙と一緒に届いたんです。家の鍵だって手紙には書いてあったんですけど、どれを試してみても、玄関の扉は開かなかったんです」
「こんなに鍵があるのに?」
鍵束を摘み上げて、ルディアは目を丸くした。じゃらん、と幾本もの鍵が鳴る。よく目を凝らしてみると、鍵の頭には小さな文字で、『南の部屋』だとか『東の部屋』だとか彫り込まれてある。
「じゃあ、これ、全部家の中の部屋の鍵なのね。玄関扉の鍵だけ抜けてるってこと?」
「そうみたいなんです」
肩を縮め、ルチカは溜息を吐いた。
「窓を壊して入ろうかとも思ったんですけど、ガラスってとっても高価でしょう? 直すお金もないのに、そんなことはできないし」
聞けば、母親から持たせてもらった金銭はほとんど交通費で消えてしまったし、これからの生活のこともあるので余計な出費はしたくないのだと言う。
「それで、手紙をもう一度読み返してみたら、続きがあったのに気が付いたんです」
ルチカが手紙を広げたのを覗き込んで、ルディアは眉を寄せた。
「うー……ん、これは……意味不明、ね」
「ルディアさんにもわかりませんか……」
今にも泣きそうな顔になったルチカの肩を、ルディアはぽんと叩いた。
「大丈夫! 誰かにお願いして読んでもらいましょ!! ね!!」
という経過を経て、暗号文を解読してくれる人を募集することになった。
手紙に書かれていた文章は、次の通りである。
【家の相続を希望する人は、以下の暗号を解読するように】
あにりうかい
りかんらぎり
まくごにはぐ
すしのわ、ち
。てきの■の
『ばらばらの列はいけません。きっちり四角く整列を。
左右をきょろきょろしていては、いつまで経っても読めません。』
(注:暗号文の中の■は、一文字分の空白です)
------<助けの手、みっつ>--------------------------------------
「じゃ、ちょっと声をかけてみましょうか」
ルディアはカウンター席からくるりと店内に向き直り、口元に掌を当てた。
白山羊亭ではいつものように、ほろ酔い加減の客たちが歌ったり踊ったり賑やかだ。今日は店の隅にしつらえられた舞台で、吟遊詩人が客たちに合わせて竪琴を弾いるので尚更だった。
喧騒に負けない大声を出さねばならない。ルディアは深く、息を吸って、
「お客さんの中に、謎かけとか暗号とか、お好きな方はいらっしゃいませんかー?!」
と、声を張り上げた。
そのルディアの頭上に、スっと影が差した。
天井のランプからの光を遮ったのは、一人の男だった。座った格好で見上げたルチカには、まさしく見上げるほどの長身。冬物衣料の厚い生地に隠されているものの、それでも、鍛え上げられた鋼の肉体の持ち主であることはゆうに見て取れる。
「ビビビと来たね」
丸眼鏡を通った鼻筋の上へと押し上げながら、彼は言った。
「びびび?」
「ああ。美筋疼かせるミステリー電波をオヤジ愛でキャッチした」
目を丸くするルチカに向かって、男が手を差し出す。
「俺はオーマ・シュヴァルツ。医者で、ヴァンサーで、」
と、ここでオーマは少し声を低めた。
「あと、ちょっと大きな声では言い辛い副業もある」
ぽかんとオーマの手を見ているルチカの背中を、ルディアが押した。
「ほら、握手握手」
ルチカは慌てて立ち上がると、オーマの大きな手をおずおずと取った。何しろ田舎から出てきたばかりで、都会人のスマートな所作に慣れていない。
「暗号、ね。それって、どんなの?」
横から飄々とした声がして、オーマを見上げてひたすら目を瞬いていたルチカの隣に、また影がさした。またもや、長身の男性である。オーマのほうが少し高いが、それでもルチカからは見上げるほどの長身であることに変わりがない。
「俺も協力するけど、どう?」
長く真っ直ぐな銀色の髪が印象的な彼は、その髪の色とお揃いのようなミラーのサングラスをかけている。ルチカはレンズが鏡になっている眼鏡をはじめて見た。革でできた上着も物珍しく(後で、それは「革ジャン」というものだと教えてもらった)、またもやルチカがぽかんとしていると、
「ありがとう。でも、」
とルディアが彼に向かって人差し指を立てた。
「レディーに声をかけるときは、まずは自己紹介しなくちゃ、よ?」
「ああ、悪い。この子ずっと困った顔をしてただろ? それでさっきから気になって、横から話を聞いていたものだからさ」
ルディアの物言いに気を悪くした様子もなく、銀の髪の男性はミラーグラスを外した。現れた眼は、またもや髪とお揃いの銀色だ。
「俺は銀河(ぎんが)。職業は賞金稼ぎ。……って言っても、報酬とかは別にいらないさ、安心してくれよ」
銀色の目を人懐こく細めて、彼――銀河は言った。
「なんかほっとけなかっただけだしな。良かったら、その暗号っての、俺も見てもいい?」
「あ、ど、どうぞ。いえ、どうぞというか、ありがとうございますお願いします!」
ルチカはカウンターに広げた暗号文入りの手紙が読めるよう、大慌てで横に退いた。
オーマと銀河が覗き込む。その姿を隣から見ていると、相対的にカウンターがまるで子供用の高さのように感じられる。
ああ、お母さん、王都は食べ物が違うのでしょうか。それとも空気が違うのでしょうか。皆、とても大きいんです――田舎への手紙にそんな一文を書くことを、ルチカが思わず想像した、その時だ。
店内にどっと拍手が起こった。
拍手と客たちの視線が注がれる先は、吟遊詩人の立っている舞台だ。ルチカも、思わずそちらを見た。
演奏を終えた詩人が、優美な形の竪琴を胸の横に掲げてお辞儀をしている。下げられていた面が上がった時、帳のように降りていた茶色い髪がさらりと揺れて、緑色の瞳が見えた。
翡翠のように光った、とルチカが感じたのは、一瞬だが詩人と目が合ったからだ。ルチカはこのとき初めて、舞台で堂々と楽を奏でていたのが自分と歳のそう変わらない少女であることに気付いた。
少女は微かに乱れた横髪をさっと整えると、飾り気の少ない旅装束のマントを翻して舞台を下りる。そしてルチカたちのいるカウンターへと歩み寄ってきた。
「もう約束の時間ね、おつかれさま。これ、店長から渡しておいてって頼まれてたの」
少女に、ルディアが小さな封筒を差し出した。
恐らく中身はお金だろう。吟遊詩人が酒場で演奏をして報酬をもらう、というのは、田舎でも良く見かける光景だった。ただし、こんなに若くて、こんなに美しい竪琴を持った吟遊詩人なんて、ルチカは今まで見たことがないけれど。
少女が小脇に抱えた竪琴に張られたきらきら光る糸を、ルチカがうっとり眺めていると、緑色の瞳とまた目が合った。少女は笑った。
「暗号は解けそう?」
舞台の上に居た彼女が何故それを、とルチカが思ったのに答えるように、少女は付け足す。
「ルディアの声が聞こえたからね。それに、舞台の上からは、お客のことが結構良く見えるんだ。特に、一人で暗い顔してる奴は良く目立つんだよ」
そういえば演奏の最中に、ルディアに声を出してもらってしまった。もしかして、とても邪魔だったのではないだろうか、と。
赤面したルチカに、少女は屈託なく笑った。
「あたしは、リージェ・リージェウラン。良ければ私も手伝うよ」
「ありがとうございます!!」
リージェの申し出に、ルチカは顔を輝かせた。
「おっ、もう一人追加? じゃ、知恵を合わせて早いとこ解読するか。三人寄れば、って言うしな」
カウンターに陣取っていた銀河が振り向いた。
「……なるほど、暗号だな」
男性陣二人の間に入って手紙に目を落とし、リージェがつぶやく。
「暗号読み全てはゴッド筋に通ず。他所様ナウ筋に浮気マッスルはいつまで経っても明日の聖筋界担う親父愛筋肉乱舞マスターにはなれず! 全筋全霊心眼で読むべし!」
桃色スピーチをかましつつ、任しておけと言うように、オーマはルチカに片目を瞑る。
ついさっきまで一人ぼっちだったのに、力を貸してくれる人が三人も!
ルチカは思わず祈りの形に両手を組んだ。
ああ、お母さん。都会は怖いところだと聞いていましたが、そうでもないみたいです!
------<解読! ……しかし?>--------------------------------------
ルディアが仕事に戻ってから、カウンターで三人が顔をつき合わせ、ああだこうだと述べ合うことしばし。
「何だな、こいつぁビバ☆聖筋界腹黒ミステリー悶えあっぷるアニキマニア事件★だってかね?」
パキンと指を鳴らし、オーマが言った。
「あっぷる?」
目を瞬いたルチカに、銀河が説明した。
「ああ、どうやら『入り口の鍵は裏庭の林檎の木に隠してあります』ってことらしい」
「へ? どこにそんなこと書いてあるんですか!?」
手紙に飛びついたルチカに、リージェが微苦笑しながら暗号文の行を指し示す。
「ほら、列がバラバラだが、■の空白を一文字分として数えると、横一行の文字数は同じだろう? きちんと列をあわせると、四角く整列できるってことで……」
暗号文を、「四角く整列」するとこうだ。
あにりうかい
りかんらぎり
まくごにはぐ
すしのわ、ち
。てきの■の
一見まだ意味不明のようだが、もう答えは出ている。しばらくじっと見詰め、ルチカはやっと理解した。
「ああ! 縦に読むんですか!」
「「「そういうこと!」」」
異口同音、男たちの声と少女の声とが美しくハモる。
しかし、ふと、リージェの表情が曇った。
「えっと、これしかないって見せかけといて……引っかけ、ってことはないよな?」
すぐに、ルチカは頭を振る。
「私、昼間に行ったとき、正面の扉以外にどこか入れるところがないかと思って、家の周りをぐるぐる回ってみたんです」
「その時に、裏庭も見た、と?」
オーマに、ルチカは頷いた。
「はい。裏庭に、りんごの木が、あった……と思います」
「じゃあ決まりだ。そこを探せば恐らくはるんたった解決ってやつだ」
「ああ。確実にりんごの木があるのなら、探す価値はあるな。しかし……」
オーマの豪快な言葉に同意しつつ、リージェは思慮深く小首を傾げる。
「この文だと、鍵がりんごの木のどこにあるかわからないな」
「まあ、行って見てみないと始らない。もしりんごの木がひっかけだったら、現地でもう一回考え直すってことで」
言って、銀河は暗号文の手紙を元通り折りたたむと、ルチカの手に渡した。
オーマは店内のハンガーに預けていた上着――ハート模様桃色ちゃんちゃんこに袖を通している。防寒はばっちりだ。
「え、あの、もしかして一緒に家まで来てくださるんですか?」
暗号を解読してくれただけでも十分なのに、と、ルチカは恐縮している。しかし、夜に一人で町外れの一軒家の周りをうろつくなんて、色々な意味で危ない。
「部屋の鍵がそんなにたくさんあるんだから、大きな家なんだろうな。差し支えなければ、あたしも少し見てみたい。四人もいれば、鍵なんかすぐに探せるだろうしな」
マントを首元に隙間なく巻きなおしながら、リージェがルチカに笑ってみせる。
これ以上夜が深ける前に、行動するほうが良い。全員の意見が一致し、白山羊亭を出発した。
------<りんごの木>--------------------------------------
その家は、町の端、本当の本当に外れに、ぽつんと建っていた。
時刻は真夜中にはまだ遠い。ルチカが歩いて移動したのでは日付が変わっていただろう。移動には銀河の聖獣装具が一役買った。
黒い鉄の門扉を開け、四人は前庭に足を踏み入れる。
庭には植物が多く植わっていたが、意外なことに荒れてはいなかった。雑草が我が物顔に生い茂っていることもなく、玄関まで続く敷石がちゃんと踏めるくらいだ。
空が曇っているのか、月はない。
そのかわり、四人の歩調に合わせて、白い灯が揺れた。手に手に、オーマが用意した角灯(ランタン)を持っている。足元に敷かれた石には石英が入っているのか、灯りを跳ね返してちかちかと光った。
長身のオーマが角灯を高く掲げ、前方を遠くまで照らす。白い石を敷いた小道は、ぐねぐねと蛇のように波うちながら玄関まで続いていた。
鍵が無くては玄関に行っても無意味だ。小道は無視して、まず裏庭に回ることにする。
庭木の間を通り抜けてゆくことになったが、枝が好き放題に伸びていることもなく、スムーズに歩けた。
角灯を掲げて木々の枝ぶりを確認し、リージェが首を傾げる。
「家の、前の主が亡くなったのが10年前だろう? 誰か、手入れをしていたのか?」
「わかりません。私も、あんまりお庭がきれいだったから、驚いたんですけど」
頭を振ってから、ルチカは小さく鼻をすすった。オーマが彼とお揃いのハート模様桃色ちゃんちゃんこを貸してくれて、身体は温かかったが、冬の夜のこと、顔が冷える。
裏庭には、ぽつんと一本、奇妙な木が生えていた。
いや、一本と表現すると語弊があるかもしれない。根元は確かに株が二つ、二本なのだ。しかし、上に伸びるにしたがって、二本の木の幹は絡み合い、ぐるぐると螺旋を描いて、一本の木のように合わさりあっている。
家の前の主が、そういう造形に育て上げたのだろうか。
角灯をその木の方向に掲げ、銀河が感想を述べた。
「なんか、ねじり飴みたいだな。あれがりんごの木?」
「はい。冬なのに葉っぱがついてるのが不思議ですけど、りんごの木です」
ルチカが木の下に歩み寄った。実こそなっていないが、緑の葉が茂っている。高さはルチカより頭二つ分高いくらい。つまり、オーマの身長と同じくらいだ。
「濃厚大胸筋完熟100%、まずはりんごの果実こと家の鍵の探索だな」
「ああ。林檎の木に隠してあるっつうことだから、上のほうに巣箱があったりして、その中に隠してあるのかもしれない」
オーマと銀河、背の高い男性陣二人が、葉の茂った梢の中を覗き込んだ。
「下のほうにうろがあるという可能性もある」
リージェは逆に、しゃがみこんで幹に灯りを向けた。絡み合った二本の幹はつるりとしている。
「穴を掘って埋めてある、とかはないかな?」
根元に視線を移したリージェに、
「まずは、木のほうをよく探してからにしよう。埋めたんなら埋めたって書くはずだろう?」
と、銀河が言った。
「『いりぐちのかぎは、うらにわのりんごのきにかくしてあります』なんて、もったいぶってますよね」
リージェと一緒に幹に何か無いか探しながら、ルチカが眉を寄せて呟く。
その時だ。
ルチカの眉間に、ちろり、となにか細くて湿ったものが触れた。木の枝にしては妙な感触。ルチカは顔を上げた。
先ほどまでは何も無かったところに、黒い細い影があった。
「へ?」
絡み合った幹が枝を広げはじめる、その分岐の部分から、何か長いものが垂れ下がっている。
太い縄のように見えたそれは、しかし意思と力を持った動きでその先端を――三角形の頭をくるりと擡(もた)げて、ちろり、と舌を出した。角灯を持った手に、その生き物はするりと絡み付いてくる。ウロコを光らせながら。
「へび……っ!!」
悲鳴を上げ、ルチカが蛇を払いのけようとした時、蛇が口を開いた。
「全く、自分で暗号も解けないなんて、トロい子ね!」
赤い口腔から飛び出したのは、牙でも毒でもなく、ルチカへの罵倒だった。甲高い、女の声だ。
「でも、いいわ。しょうがないわ、10年もこの幹の中に隠されっぱなしだったんだもの、贅沢は言わないわ。すごくすごく……すごーく薄いけど、この子確かに、リリトと同じ血を引いてるみたいだし」
ため息でも吐きたげな声音で蛇は歌うように言って、そしてルチカの手首に腕輪のように、くるくると巻きついた。ルチカは角灯を掲げた格好のまま、石になったように動けない。
リリトというのは、確か、手紙の送り主の――既に亡い、この家の主の名だったはずだ。固まりながらも、ルチカはそのことだけは思い出した。
蛇は首を動かして、オーマ、銀河、リージェの順に丸い黒い目を細めてみせた(蛇には瞼が無いはずなのに!)。
「この子を助けてやってくれて、どうもありがとう。これで、アタシの待ちぼうけもやっと終わり!」
「つまり、それってのは、おまえが鍵を持ってるってことか?」
オーマの問いに、蛇はホホホと喉を鳴らした。笑い声のようだ。
「いいえ、りんごの木に隠されていたのはアタシ!」
蛇の声が響き渡り、周囲が突然、ぼうっと明るくなった。
真っ暗だったはずの、家の窓という窓から灯りが漏れている。窓ガラスがひどく曇っているせいか、眩しくはない。
窓の中を、たくさんの影が忙しく過ぎる。口々に喋る、どよめきが漏れ聞こえてくる。確かに人の声なのに、影は、ずんぐりしていたりひょろ長かったり、よじれてねじれて人間とはとても思えない形をしているものばかりだ。
なんだろう、これは。ルチカの口が、あんぐりと開いた。
「アタシが鍵よ!」
ルチカの腕で、高々と、蛇が言った。
家の向こうから、金属の軋む細い音がした。
蝶番の音、玄関の扉の開く音だ。
------<魔女の家>--------------------------------------
その夜、家の中に入ってからのことを、ルチカはあまり憶えていない。
一緒に入った三人は、奇妙な家の中と、うじゃうじゃと出てきた奇妙な生き物たちに臆することはなかったが、ルチカはそうはいかなかった。
出迎えた奇妙な影たちを、オーマと銀河は豪胆にも面白がり、リージェは広くねじれた家の中を探索さえした。
そうやって、おかしな家だが危険はないと、ルチカに示してくれたのだが。
しかし、冒険にも魔法にも縁の無かった少女にとっては、理解の範疇を超える一夜だった。
気が付いたら朝で、やわらかいベッドで目を覚ました。
何が起こってもお腹は空くもので、もぞもぞと起き出して台所を覗いて見ると朝食が用意されていた。
テーブルのナプキンを捲るとお皿に乗ったパンが、竈の鍋の蓋を開けると、温かいスープが湯気を立てる。
テーブルの上には、一輪の美しい花。花を挿したコップの下に置かれた手紙で、オーマの故郷ゼノビアに咲く、ルベリアという花だと知った。朝の陽光を浴びて、不規則な色に花弁が輝く。
「……おいしい」
スープを一口飲んで、ルチカは息を吐いた。
昨夜、帰ってゆくオーマと銀河とリージェに何度もお礼を言った記憶は微かにあるが、きちんと言えていたかどうか自信がない。
落ち着いたらまた白山羊亭に行って、改めてお礼をしたいと思う。
ルチカは千切ったパンをゆっくりと噛み締めながら、明るく日の射す台所の中を見回した。
竈の陰から、鼠が顔を出している。壁にはヤモリ、天井には蜘蛛。
全部全部、この家の前の持ち主が従えていた使い魔で、夜には姿を変えて口を利くだなんて。
そして、家を相続してしまった今は、ルチカが家の主であると同時に、彼らの主でもある、だなんて。
お母さん、親戚に魔女が居たなんて話、私、初耳です――田舎の母への手紙に書くことが、どんどん増えてゆく。
「魔女の後継ぎなんて、私、無理…………」
ルチカはテーブルに突っ伏した。その首元に、するりと、蛇が登ってくる。
「無理でもなんでも、継いでもらわなくちゃアタシたちが困るの! アタシら使い魔も、この家も、魔女の血の力で生きてるんだからさ!」
耳元で大きな声を出されて、ルチカは泣きそうになった。
オーマが花と一緒に添えてくれたルベリアの種を、この家の庭に植えて育てられるような、そんな心の余裕ができるまで――ルチカは何度となく、冒険者たちの手を借りることとなる。
それはまた、後日の話。
END.
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 年齢 / 性別 / 職業】
【1953/オーマ・シュヴァルツ(おーま・しゅう゛ぁるつ)/39歳(実年齢999歳)/男性/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【3004/銀河(ぎんが)/27歳(実年齢27歳)/男性/賞金稼ぎ】
【3033/リージェ・リージェウラン(りーじぇ・りーじぇうらん)/17歳(実年齢17歳)/女性/歌姫/吟遊詩人】
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ライター通信
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こんにちは。ご参加くださり、ありがとうございました。
担当させていただきました、ライターの階アトリです。納期を一日過ぎた仕上がりとなってしまい、申し訳ありません。
ソーンでは初の依頼、暗号クイズを盛り込んでみるのも初の試みの、初初尽くしでしたが、如何でしたでしょうか。
>オーマ・シュヴァルツ様
お久しぶりです。台詞回しの生かし方を、楽しみながら考えさせていただきましたが、如何でしたでしょう。
ラブリーなちゃんちゃんこは、お言葉に甘えてルチカにも着せてもらってみました(笑)。
>銀河様
初めまして。名前も髪も瞳も銀、で、ミラーグラス……最初に、銀尽くしなところを描写させていただいてしまいました。
見た目は少し怖そう、でも話をしてみると優しい人…と言う風に彼を表現できていれば幸いです。
>リージェ様
初めまして。最初に舞台で竪琴を弾くシーン、歌姫らしい華やかな服装ではなく、BUの移動中の服装で描写させていただきました。
設定などから、無駄のない動きが美しい女の子かな、と思ったので、マントを翻らせるだけでも十分に華があるのではないかと思いまして。
今回のこの依頼はこれで解決ですが、今後はこの「魔女の家」に関係する依頼を出してゆく予定です。
ご縁がありましたら、よろしくお願いします。
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