<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
Imago animi sermo est.
嘗て、居た世界。
其処から離れ、遠く、この世界へとやって来た。
何故、此処に来たのだろう。
何故、此処に居るのだろう。
解りうる筈もない答えの中に、今日も彼はソーンの世界を歩く。
懐かしい色を。
元居た場所で想いを馳せた色合いに今一度、逢いたいと。
そう、願いながら。
+
『ずっと、逢いたいと思っていたんです』
『貴方に』
――貴方に。
けれど。
貴方は僕を覚えているだろうか?
(じゃあ、)
(貴方は私を覚えている?)
冷えた掌の先から零れ落ちていく更なる冷たさ。
決して、上がる事のない体温を手袋に包み、プレシールは、今、自分のいる場所を仰ぎ見た。
雪片が木々の隙間から、ひらひらと降る。まるで花びらのように儚くも優しく、静かに。
此処からでは見えない場所に鳥が居るのだろうか、かすかな啼き声までもが聞こえてくるようだ。
………鳥?
(いいや)
(――鳥は寒い中になど、出て来ない筈)
プレシールは、じっと空を見据えようと目を凝らす。けれど、見えるのは樹木と、そして静かに降る、雪片ばかり。
(鳥ならば出てこないわね)
(けれど……鳥で無ければ出てくるわ)
静かな、静かな、啼き声。
では、この声は何処から聞こえてくるのだろう。
高くもなく、低くもなく……妙なる声の、その先に居るのは。
(この場所でなければ)
そう、この場所でなければ思い当たる人物が一人居るはずなのに。
心の中に棲む人。
君を思えば何だって出来ると想っていたはずの人物。
プレシールは空を仰ぎ見るのを、止め、歩を進める。
この先に声の主が居るのなら、一目見てみたくて。
雪が舞う、静かな世界を一歩、一歩と踏みしめる。
……歌が、聞こえる。
+
――影を忘れた王国の、
――其処へ棲み行く人々は、
――何時しか時を忘れ果て、
――化石になってゆきました。
陰はあれども、姿なく。
光あれども、時は平行で変わらず。
盟約は変わらぬ姿のままあり続ける。
どれほどの時が過ぎ去ろうと、残酷なほどに変わらない。変わりえないのだ。
スクレは、此処にある自分の姿を、そう、捉える。
この姿のまま、変わる事無く、いつまでも見目麗しい存在として崇められる事の煩わしさと嬉しさを誰が理解するというのだろう?
誰にも解るまい。
あの国で、自分自身と同じ時を生きた者など、いないのだから。
す……と、スクレは音もなく手を樹木へと伸ばす。
優しく儚く降る雪は掌に積もる前に消えてしまい、存在を確かめる事など出来ない。
(けれど、雪と同じように、)
手を差し伸べれば、差し返される手があるとおしえてくれる存在が、嘗て居た。
陰家に預けられていた少年。
自分の感情の希薄さを、嘗て彼はこう、評した事があった。
"貴方の心は静かな波のようだ"――と。
その時は、何を言っているか全く解らなかったけれど。
(今なら解る)
彼が何を言いたかったのか、そうして、何を教えてくれようとしていたのか。
「怒る」「笑う」「嬉しい」「哀しい」……それらの感情が齎される場所。何処から、その感情が生まれようとするのか懸命に教えてくれようとして、そうして。
目の前から、儚く消えて行った。
マジェの世界には、もう既に『居ない』存在として。人が一度赴き、二度と戻らぬ地へと緩やかに堕ちて行ったのに――、
(不思議な事と言うのは、あるものね)
死した筈の存在が、別の場所で生きる。
その不可思議さと――、彼の力を知っているからこそ、当然だと思っている心と。どちらもスクレの中にはある。
だからこそ。
逢いたいと思うのかもしれない。
この地で会えると言う希望を。
心待ちにしているのかもしれないのだ。
……サクサクと。
規則正しく土を踏む足音が聞こえ、スクレはただ歌い続ける。
こちらへと来る人物が、想像通りの人物であって欲しいと願うように。
+
懐かしい光景を見た、と。
プレシールは歌を歌う人物と周りの光景を見て思った。
此処ではない場所で、確かにこれと似た光景をみた覚えがあるのだ。
降る雪に、静かに降り注ぐ弱い陽の色。その中において緑だけが鮮やかで――……、
(僕は…何を覚えているんだ?)
白く何処までもたなびくかのような衣装と、髪。鳥たちが彼女へと付き従い、声だけが響く。
くらりと意識を失いそうになる感覚の中で、プレシールは漸く言葉を紡ぐ事に成功した。
それは決して、良い言葉と言えるものではなかったけれど、挨拶にするならば充分で。
「こんにちは。……今日は寒いですね」
「そうね。寒いわね、今日は」
「此処で、何を?」
「聞いていたなら解るでしょう? 歌を、歌っていたの」
質問に簡潔に答える姿に、変わらない、とプレシールは思う。
けれど。
(貴方の名を、何と言ったろう?)
ずっと逢いたいと思っていた人に似ている。
似ているけれど名を思い出せない歯がゆさ。
手を差し伸べれば近くに居るのに――、なのに出る言葉は全て違う。
「歌、お好きですか?」
「ええ…多分ね。嫌いではないと思うの」
「そうですか…それなら、」
良かった、と言い掛ける言葉をスクレは遮り、言葉を投げた。
「貴方は?」
「え?」
「今も歌を聞くのは好き?」
「………何故、そんな事を?」
「さあ……何故かしら」
「…貴方の言葉はいつも不思議すぎる」
「どうして、そう思うの?」
「だって僕が言おうとしてる事の先の先を貴方は言ってしまうから」
(行ってしまうから)
だから、不思議だ。
ここまで言って、プレシールはハッとして口に手を当てた。
貴方だ、と言う事が解る。
記憶の隅に居るのは確かに同じなのに。
「なのに僕は貴方の名を未だに思い出せない」
声に出していってしまうと、彼女はうっすらと笑んだようだった。
「思い出せないなら、ここから始めましょう。……プレシール」
「……え?」
「私の名前は、スクレ。貴方の近くに居て、また、何処にも居ない人物。それでいいの」
(私と同じ時を過ごした人物は居ない。でも)
貴方と過ごした時がとても、心地よかったから。
だから私は此処に居る。
もう一人の貴方を連れ、此処に。
「じゃあ……」
言葉を切り、プレシールは冷えた手をスクレへと差し出した。
「まずは初めましての挨拶からはじめましょう、――スクレ」
「ええ」
差し出された手をスクレは握り締める。
嘗て居た場所で、何時も差し出されていた手を。
穏やかに様々な事を教えてくれた声の主を。
「初めまして、プレシール」
「初めまして」
(ずっと貴方に逢いたいと思っていたんです)
誰とも、誰を呼んでいるかも解らない場所で、貴方を。
貴方が居れば、きっと僕は何にでも成れる。
……互いに言い合った言葉を噛み締めながら、スクレは表情の乏しい顔をほんの僅かに。
プレシールは嬉しそうに笑み、此処から始まるだろう、これからに想いを馳せた。
長く、長く続いていくだろう、道。
言葉だけが、互いの何かを変えていく。
―End―
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