<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


天使に会いたくて


 少年は寝台の横にある大きな窓から、しんしんと雪が降り積もる庭と、遠近に輝く民家の明かりを眺めている。
 黒に近い茶色の髪と瞳、そして病的なほど白い肌が印象的な少年だ。――否。『病的』ではなく、実際に病気なのだろう。
 ようやく十歳になるかなるまいかというその少年は、生まれながらに心臓の力が弱かった。熱い湯と冷たい水に交互につけられ、やっと泣き出した命だ。そして今、その儚い命が消えようとしている……。
 少年はゆるりとした動作で壁にかかっている絵を仰ぎ、そこに描かれた女天使を見つめ、微笑んだ。豊かな金髪で、白いドレスを着た美しい天使だった。
「天使様……。天使様に会いたいな……」

「――って息子が言うんだよ……。母親と早く死別しちまったから、家にあった天使の絵に母親を感じてたんだろうなぁ……」
 少年の父親がほろりと涙をこぼしながら語る。この男も十歳の父親というには若く、まだ二十代の前半のようにさえ見える。
「息子さんの名前、ホリスン君だっけ?」
 エスメラルダは男の隣に座っていた。
「もちろん、あらゆる治療法を試したんでしょう?」
「あぁ。でも……駄目だった。全くもって効果がなかった。……今年の冬を越せるかも分からんって、医者も言ってたしよ……」
「そんなに悪いの……」
 思ったよりも、状況は深刻であるようだ。
「なら、こんなところで油を売ってないで、ホリスン君と一緒にいてあげた方がいいんじゃないの?」
「いや、俺は天使を探してやらにゃあならんのだ。せめて……息子が喜ぶ様を見たいんだ」
 男はだいぶ酒が回ってきたようで、机に伏してついには泣き出した。
「異世界からいらっしゃる天使さんもいるけど、そう易々と見つけることなんてできないわよ。分かってるの?」
「この際、女装だって変装だっていいんだよ! ホリィがそれを信じて、喜んでくれりゃあ……!」

 + + +

 春も間近だというのに、嫌に冷え込む日だった。
 寒いと思いながらも買い物に出た、その帰り道。
 同じく買い物の帰りだと思われる知り合いにばったりと出会った。
「あ、オーマ。久し振り」
「街中で会うのは初めてだな、ランディム」
 降り始めた雪の中で、依頼で何度も顔を合わせてきた二人は挨拶を交わした。
 ランディム=ロウファは自分で経営している喫茶店へ、オーマ・シュヴァルツは自宅へ帰る途中のようだ。
「喫茶店か……楽しそうだな」
「まぁな。この頃は色んな客が来るし、愉快な店員もいるしな」
「人と人との触れ合いか! 俺も一度ぐらいはやってみてぇな」
 そんなたわいない話をしながら歩いていたとき、か細い声が聞こえてきた。
「天使様……。天使様に会いたいな……」
 二人は立ち止まり、顔を見合わせた。
 聞こえてきた声が、あまりにも悲しげだったからだ。
「まさか、今の声はお前じゃねぇよな」
 オーマが聞けば、ランディムが呆れたように答える。
「あんたさ、俺がいくつだと思ってんだよ? 今のは明らかに声変わり前の声だろうが」
「ま、そうだと思ったけどよ。一応確認だよ」
 二人は声が聞こえてきたと思われる一軒の家に目を向けた。
 その家は大きくもなく小さくもない、どこにでもあるような家だった。
 他の家と違うのは庭に面した大きな出窓と、そこから垣間見える寝台の中の少年と壁にかかる天使の絵だった。
 こんなに寒い日だというのに出窓が開いているので、そこから少年の声が聞こえてきたのだろう。
「日はこんなに高いのにベッドの中にいるってことは、体調が悪いんだろうな」
「あぁ。なのに窓を開けっ放しってのは感心しねぇけどな」
 そして、ランディムがとめる間もなく、オーマはずんずんと庭に入っていく。
「おい、待てって!」
 人の敷地内に勝手に侵入したらまずいだろうとランディムは思い、オーマを連れ戻そうと後を追う。
 ――こんなときは入っても仕方ないよなと思いながら。
 オーマは出窓の前に立つと、少年に声をかけた。
「出窓を閉めておいたほうが、体のためだぜ」
 陶然と天使の絵を見ていた少年はびくりと身を震わせ、恐る恐る振り返る。
「……おじさんは誰?」
「オーマって呼んでくれ」
「オーマさん……僕はホリスンだよ」
 そして、オーマの後から追ってきたランディムに目を移す。
「そっちの、銀色のおじさんは?」
「おじ……」
 絶句するランディム。
 いくらなんでも二十歳の若さで『おじちゃん』などと呼ばれるとは思わなかったに違いない。
 だが……この幼いホリスン少年から見れば、十分『おじさん』に見えたのだろう。
「まぁまぁ。俺も初めておじさんと呼ばれたときはすっげぇショックだったけどよ。すぐに慣れるさ、なっ!」
「慣れるほど頻繁に呼ばれたかないよ、この若さで!」
 オーマのフォローにならないフォローに怒り返しつつ、ホリスンに目を向ける。
 あまりにも華奢な体。
 楽しそうな笑顔が痛々しく見えるほど弱々しい少年だった。
 『おじさん』と呼ばれたのは腹に据えかねたが、ここで怒りのままに怒鳴るのは大人らしからぬ行為だろう。
 一つ咳払いする。
「俺はランディムだ。ディムでもいい。……天使に会いたいのか?」
「うん。天使様はすっごく綺麗で、優しそうだから。……お母さんが生きてたら、きっとあんなふうに優しそうな人だったんだろうな」
 夢見るような表情で語る。
 ホリスンの母親は、第一子であるホリスンを産んですぐに他界している。それからというものホリスンの父親は再婚することなく、男手一つでホリスンを育ててきたのだ。
 それが良かったのか悪かったのかは分からないが、結果として、ホリスンは女親の温かさというものを知らずに育ったのだ。
「天使様には、どこに行けば会えるのかなぁ。教会に毎日行けば会えるかな? 僕、体が弱くて教会のお祈りに参加できないから、天使様も怒ってるのかもしれないね」
「そんなことねぇよ。神や天使ってのは、みんなを平等に見守ってるんだぜ」
「そうかな?」
「あぁ。きっと会えるさ」
「なら、早く会いたい」
「そんなに急ぐことはねぇさ。天使は逃げないぜ」
 オーマは医者だ。ホリスンを見て彼がどれほどの病気を負っているか分からないはずがなかった。
 だが、それを口にはしない。それを冷静に受け止めることができないと思ったからだ。
 ホリスンはオーマの『会える』という言葉を聞いて表情を輝かせていたが、それは一瞬のことだった。うなだれて、小さな両手で毛布を握り締める。
「……僕、もうそんなに生きられないんだ。だから早く会いたいよ」
「…………」
「ねぇ教えて。どこに行けば天使様に会えるの?」
 少年の、切実な願い。
 もっと長く生きたいというのではなく。
 母親の面影を求めて、ただ天使に会いたいと求める。
 その願いは純粋すぎて、大人たちにはまぶしすぎた。
 ランディムは軽く目を瞑ったまま言う。
「……じゃあ、俺たちが天使を探してきてやるよ」
「本当!?」
「あぁ。だから、ここで大人しく待ってろよ」
「うん! ありがとう。ランディムさん、オーマさん!」
 ランディムとオーマはつれだってホリスンの家を離れかけたが、ランディムは振り返るとこう付け足した。
「この世界に天使が居るかどうかは俺にも分からんけど、天使がいないんだったら、念じればいい。心の中で思い続けろ……お前だけの天使は、お前の中に、いつでもいるんだ」
「……うん」
 しばらく歩いて再び振り返ってみると、出窓はきっちりと閉められ、ホリスンは暖かな寝台の中にもぐりこんでいた。
 ホリスンの家から離れた二人は、寒そうに両手をこすり合わせながらしばらく黙って歩いていた。雪の降りしきる中でじっとしていたので、体が冷え切っている。
「天使……天使に会いたい、か。子供ってヤツは幸せだな……あんな状況でも夢を忘れずに思い描けるなんてさ」
 ランディムが静かに呟く。
「幸せかどうかは分からねぇけど。すごいとは思うな。大人には難しいと思うぜ」
「俺にも無理だと思う。……真実を知って裏切られたことを理解した時の衝撃はでかい。嘘も方便っていう言葉もあるだろうけど、俺はアイツみたいな純朴なヤツには、天使サマに化けてまでしてその場凌ぎの偽りの希望は持たせたくないな」
 オーマはしばらく手に息を吐いて温めていたが、荷物を持ち直すとある提案をした。
「じゃあ、ガルガンドの館へ行ってみるか? そこで天使に関する文献をあさってみようぜ。聖獣エンジェルがいるなら、天使伝承やゆかりの地があるはずだ」
「そうだな……じゃあ、館の中の図書室で落ち合おうか」
「分かった。じゃ、また後でな」

 + + +

 ランプの薄暗い明かりに照らされた図書室には、無数とさえ思えるほど多くの本が棚に並べられている。
 図書室に入ったときランディムは、ここから天使に関する本を探すだけでも何日かかるか分からないと気が遠くなりかけた。だが主人のディアナが探すのを手伝ってくれたので、危惧していたような事態には陥らなかった。
 机に何冊かの天使に関する本を重ね、その中から天使の居場所などについての文章を探した。
「……オーマ、そっちはどうだ?」
「あー……役に立ちそうなモンはねぇなぁ」
「同じく。くっそ、ホリィの前できっぱり言い切ったんじゃ、何も掴まないまま帰れないしな……。何かないのか、何か!」
 ランディムのもどかしい気持ちが、オーマにも痛いほどよく分かった。
 いや、むしろオーマのほうがもどかしい思いをしていると言うべきか。
 オーマは周知の通り有能なヴァンサーであり、かつ有能な医者でもある。その彼が、ホリスンの病気を治すことができないのだ。
 オーマが以前いたゼノビアの高度な技術を用いれば病を治すことも可能であろうが、ソーン人に対して臨床治験も実績もなく、成功させるのは非常に困難であると踏んだのだ。
 あの儚げな少年を実験体にすることなど、オーマにはとてもできなかった。
「……『天使は自分を求めるものの前に現れ、神から賜った力で奇跡を起こす』だってよ。ハッ。今こそ奇跡が起きて、天使が現れて欲しいってもんだよな」
 ランディムが文献の一部を読み上げたのを聞いて、オーマはあることを思い出した。
「奇跡……そうだ、すっかり忘れてたぜ!」
 椅子を蹴立てて立ち上がると、驚くランディムをよそにずんずんとガルガンドの館から出て行く。
 突然のことにランディムは目を丸くしていたが、ディアナに礼と後で片付けに来ると伝えると、慌ててオーマを追いかけた。
「おい、一体なんだってんだ! 俺にも分かるように説明してくれよ」
「それを贈られた者の思いを写し取って、ときに奇跡を起こす『ルベリアの花』ってもんがあるんだ。それをホリィに渡す」
「聞いたことない名前だな……」
「そりゃそうだ。前に俺がいたゼノビアに咲いてた花だからな」
「ふぅん。……いや、でもさ。その花の奇跡に頼ろうっていうにはまだ早いんじゃないか? もっと調べてからでも遅くないと思うけど」
「いや、あの花の効果は結構強いんだぜ。あの花が咲いていること自体が奇跡に近いんだからな」
「何だって?」
 ランディムが突然立ち止まる。
「それじゃあ、花がどこに咲いているかから調べなきゃなんないのかよ? 時間がないんだぞ!」
「いや、その必要はねぇ」
 再び歩き出し、眼鏡についた雪を落としながら言うオーマ。
「俺はルベリアが咲いてる場所を知ってるからな」
 二人はホリスンの家の前まで来ると、そこで別れた。
 オーマが自分一人で行った方が早いと言ったためだ。
 ランディムは出窓から部屋の中をのぞきホリスンが寝台で安らかに眠っているのを見ると、そのまま壁に背を預け、ずるずると座り込んだ。
「はー……。本当にいるのか分からないものを探すのは、精神的にこたえるな……」
 足を伸ばし、雪のやまない灰色の空へ向かって手を伸ばす。
 天使は空の彼方にある天界に住むと文献に書いてあった。人の純粋な強い望みを感じ取ると、下界に降りてきてその望みをかなえもする。
 だが、全員の望みなど叶えてくれなどしない。そんなことをすれば、世界は混乱の極みとなるだろう。
 だが……幼い少年の、純粋な、愛を求めるという願いぐらいは叶えてくれてもいいのではないだろうか? それを叶えずして他の何を叶えるというのだ。
 やはり、天使はいないのだろうか。
 ……否。
「――諦めたら、それで終わりだ!」
 勢いよく立ち上がって情報を集めるために黒山羊亭へ向かおうとしたが、彼が完全に立ち上がることはできなかった。
 がん、という鈍い音。
「あっ、ディムさん!」
 出窓から顔を出したホリスンが素っ頓狂な声を上げた。
 それもそのはず、ホリスンが出窓を開けた直後にランディムが立ち上がり、結果としてランディムの頭が窓に激突したのだ。
 ランディムは痛そうに頭をおさえ、今度はゆっくりと立ち上がった。
「いてて……。ホリィ、窓は開けちゃ駄目だって言っただろ?」
「ご、ごめんなさい……。お父さんが帰ってこないかなって思って……」
「何だ、いないのか。病気のお前を置いて酷い父親だな?」
「違うんだ! お父さんは……僕の病気が治るように、偉いお医者様をたくさん呼んでくれた。けど、僕はぜんぜん元気にならないから……お父さんは、僕のことが嫌になっちゃったんだよ……」
 うなだれてホリスンが言う。父の心遣いに答えられない自分が嫌なのだろう。
「なら、余計に酷い父親だ。病気が治らないのはアンタのせいじゃない。そして、病気で苦しんでるのはアンタだろ」
 ランディムがそれで納得するはずもない。きりりと眉を吊り上げる。
 唇を噛んで黙り込んでしまったホリスンにさらに言いつのろうとしたとき、ランディムの肩を叩くものがあった。
「ホリィをせめてもしょうがねぇだろ」
 ランディムの後ろには、いつの間にかオーマの姿があった。
「これがルベリアの花だ。……ホリィ。これにお前の願を込めてみな」
 光の加減によって七色に輝くルベリアの花を一輪、ホリスンに手渡す。
 小さな手でおずおずとそれを握ると、花の香りをかぐように顔に近づけ、目を閉じる。
 しばらくそのままでいたが、ゆっくりと瞳を開くとオーマとランディムを上目遣いで見つめた。
「きっと叶うさ」
 ランディムは先ほど彼の父親に対して言ったことを後悔しているのか、静かに、しかし優しさを込めて言った。
「……ランディムさんっ!」
 ホリスンはルベリアの花を握ったまま、ランディムの首に抱きついた。
 突然のことにランディムは困惑しオーマの方を見るが、オーマは嬉しそうに笑って首を振る。
 そして、ランディムがホリスンを抱き返そうとそっと手を伸ばしたとき、背後から叫び声が上がった。
「お前……ッ! ホリスンに何をしてる!!」
 叫んだのは、二人の女を引き連れた一人の男。
 ――時は、それから少しさかのぼる。

 + + +

 この日、黒山羊亭では偶然が重なった。
 一つ目の偶然は、シヴァ・サンサーラがその場に居合わせたこと。
「天使をお探しとの事ですが、変装で宜しければ、私がご協力しましょう。ホリスン君の願い事を叶えることに手を貸しましょう、それで彼が喜ぶなら。……お父さん、もう少し詳しくホリスン君のことと、天使に会いたい理由を教えてくださいませんか? 途中からしか聞こえなかったものですから」
 そして二つ目の偶然は、その黒山羊亭の前をメイが通りかかったことだ。
「あの〜、前を通りかかって『天使』って聞こえたので覗かせていただいたのですが、どうかされたのでしょうか?」
 机に伏して泣いていた男は、二人の声を聞いてゆっくりと身を起こした。
 そして、自分の前に立った二人を見る。
 一人は長身の美しい……男。
 一人は二枚の翼が生えた、小柄で可愛い少女。
 男の幻想的な雰囲気、そして少女に生えた翼から、彼らが『人間』ではないことがうすうすと分かった。
「お、俺はポートです。あなた……たちは……」
 ホリスンの父、ポートは一気に酔いが醒めたように、二人に尋ねる。
 これはもしや……ポートもその傍にいたエスメラルダも、固唾を呑んで返答を待った。
「厳密に言えば昔堕天使ですが、シヴァ・サンサーラと申します」
「はい。戦天使見習いのメイです」
 シヴァとメイが首を縦に振る。
「なんてこった! こんなにすぐ、見つかるなんて……!」
 今度は嬉しさのあまりポートは目に涙を浮かべ、二人に説明を始めた。息子が天使に会いたがっていること。余命があまりないので、なるべく早く会ってほしいこと。
「ホリィは早くに母親と死別したので、俺と二人だけの寂しい家で暮らしてます。ホリィは今でこそほとんどの時間を寝台の中で過ごしてますが、去年まで調子がいいときは散歩へ行ったりしたもんです。それなのに今年に入ってから、例年にない異常な寒さが身にこたえたのか、寝台に寝たきりの日が増えました。寝台の中でやることがないホリィは、自然と壁にかかっている一枚の絵……天使が描かれた絵を見ている時間が多くなりました。そのせいなのか、それとも俺が大抵仕事のために家にいないせいなのか、しきりに『天使に会いたい』と言うようになったんです。金がなく知り合いも少ない俺は、ホリィの世話を誰かに頼むこともできません。せめて誰かがいつも一緒にいてやればそんなことは言わないと思うんですが……」
「ポート様は再婚を考えられなかったのですか? そうすればホリスン様は、少しはさびしさもまぎれたと思うのですが」
 メイの問いに、ポートは驚いたように目を丸くする。
「考えなかったということはないんですが、私が別のヒトと結婚したりしたら、ホリィが嫌がると思ったんです。『自分の母親をないがしろにしている』と思っても不思議ではないでしょう?」
 その腕を軽く触り、エスメラルダはカウンターへ向かう。
「そうですか……。分かりました。ホリスン様のささやかな願いを叶えるために、未熟ながら出来る範囲でご協力させていただきたいと思います」
 ポートの話を聞き終えたメイが、やわらかく笑って頷く。
「本当ですか! では、早速家へ……」
「お待ちください」
 シヴァがすでに立ち上がっているポートを制止した。
「ホリスン君のお望みは女性の天使なのでしょう?」
「え、はい。多分……」
「お願いがあります。天使に見える女性物の服をご用意願いますか? 天使の翼はこちらでご用意しますので」
「わ、分かりました。……では、近くの仕立て屋に行って、簡単なものを作ってもらいましょう」
 三人は連れ立って黒山羊亭から出ると、通りの向かいにある仕立て屋に入った。
 そこは小さな店だったが、すでに仕上がり壁にかけてある服はシンプルなデザインながらも丁寧な仕上がりで、着心地もすこぶるよさそうだ。
 扉を開けたときに鳴ったベルの音を聞いてか、奥から店の主人と思しき老婆が出てきた。
「いらっしゃい。おや、ポートさんじゃないの」
「お久し振りです、レイラさん。急いで女物の服を作ってもらいたいんですが……」
「どんなものだい?」
 レイラにたずねられ、ポートは困ってシヴァを振り返った。どんなものを作ってもらえばいいか分からないのだろう。
「そうですね……白が基調の、ゆったりとした服をお願いします」
 シヴァも考えながら言ったが、これでは範囲が広すぎるだろうと首を捻る。
 昔は天界に住んでいたので、周りには美しい衣装を身につけた高位の女天使もいたが、細部がどのようなデザインだったかまではよく覚えていない。
「あの〜……」
 メイが控えめに切り出す。シヴァが無言で先を促すと、肩にかけていたバッグから白い衣装を取り出した。
 それはメイ用なので小さかったが、シヴァの記憶にある女天使の衣装とよく似ていた。ただ、メイの地位があまり高くないせいか、幾分シンプルに作られていたが。
「これと似たものを着れば、二人で一緒にホリスン様の元を訪れた天使二人、という雰囲気を出せると思います」
「それはいいですね。では……レイラさん。これと同じものをお願いできますか」
「分かったわ。そうねぇ、ここにある材料で作れそうだから、二、三時間で仕上がると思うよ。今日は寒いから、客間で待っといで」
「ありがとうございます、レイラさん」
 礼を言ってメイとポートが客間へ向かう。
 シヴァは服を作るために採寸しなければならなかったのだ。
「じゃ、ここに立ってくれるかい」
 仕立て台から少し離れ、広いところで採寸を開始した。そしてすぐに、レイラが驚きの声を上げることになる。
「えっ! アンタ、男だったんだね」
 しばしば間違われるが、そのたびに苦笑してしまうシヴァだった。
「はい。やはり女性に見えますか」
「そりゃもう、めったにいないほどの別嬪さんが来たと思ったよ。……女物の服を着るのは趣味なのかい?」
「いえ、まさか」
 小声でたずねてくるレイラが面白くて、くすくすと笑ってしまう。そのように心の中で考える人は多いかもしれないが、直接聞いてくるようないとは多くないだろうと思ったのだ。
「何か事情があるようだね? 深く追求はしないけどね。……さ、終わったよ。客間はあっちだから、そこでポートさんと待っていておくれ」
「はい。……あの、背中の部分にある穴は、元の服よりも縦に長く作ってもらえますか」
「うん? 分かったよ」
 シヴァは一礼すると、二人が待つ客室へと向かった。

 + + +

 二時間半後、服が出来上がったから試着してみてくれとレイラが呼びにきた。
 三人が再び仕立て部屋へ入ると、服は人間大の人形に着せてあった。
 普段は作らないような優雅なデザインなので作るのに苦労したと語るレイラだったが、出来栄えはとても美しかった。
「では、ちょっと失礼して……」
 シヴァとメイは服を持ち、それぞれブラインドの陰へ向かった。
 そこにちょうどエスメラルダが訪れた。
「どう? 上手くいきそうかしら?」
「はい。……先ほどは取り乱してすみませんでした」
「いいのよ。人間、お酒を飲んで嫌なことを全部ぶちまけて、すっきりしたい時だってあるわ」
「そう言ってもらえると楽になります」
 簡単に会話を交わしているうちに、メイがブラインドの影から出てきた。
 さすがに着慣れているだけあって、さして時間がかからなかったようだ。
「あらあら、ずいぶんと綺麗になったわね」
「そうでしょうか?」
 メイは頬をわずかに紅潮させて、嬉しそうに微笑んだ。
 着る服によってイメージがずいぶんと変わるというのは本当で、今の彼女は先ほどよりも大人びて見えた。
「あの……レイラさん?」
「あぁ、顔を動かさないで。崩れちまうよ」
「……はい」
 困惑したシヴァの声。
 その会話がシヴァが隠れているブラインドの奥から聞こえてきたので、ポートとエスメラルダは思わず苦笑してしまった。
 着替え中の男性を堂々と見ることができるとは、さすがレイラといったところか。
「さ、できたよ」
 ブラインドが開けられると、そこには満面の笑みを浮かべたレイラと、金色に輝く六枚羽を生やした美しい女性が立っていた。
「あの……どうかしましたか? お二人とも見とれて……」
 天使の正装を着用、顔には薄く化粧を施し、普段よりも少々声を高くして喋っている今のシヴァは、女性にしか見えなかった。
 ポートは言葉も出ないといった感じでひたすら見とれていたが、エスメラルダはもっと直接的に褒め称えた。
「すごいわ、これぞ絶世の美女ね!」
 美しいシヴァを見て、メイは彼に将来の自分を重ねていた。
 彼女は生まれてやっと三年だが、もっと大人らしい体格になったら、あのように美しい天使になれるのだろうか。
 ……そして、女装した男性を見てそのようなことを考えている自分に気がつき、くすりと笑う。
 シヴァは長い裾を上手くさばいて三人の前まで行くと、静かに言う。
「さて、ホリスン君に会いに行きましょう」

 + + +

 そして、ホリスンの……ポートの家の前でホリスンに抱きつかれていたランディムとオーマ、そしてポートがつれてきたシヴァとメイが一堂に会することになる。
 ポートはホリスンに抱きつかれたランディムを指差して、わなわなと震えている。
 ……これは息子の一大事と思ったのだろうが、それは大きなカン違いだった。
「お父さん! ランディムさんとオーマさんは僕の願いを聞いて、天使様を探してくれたんだよ!」
「え? そ、そうだったんですか、すみません!」
 ポートは素直に謝ると、ランディム、オーマ、シヴァ、メイの四人に家に入るように頼んだ。
 ランディムとオーマの二人には礼をするため、そしてシヴァとメイにはホリスンに会ってもらうためだ。
 出窓を閉め、四人をホリスンの部屋に通した。
 部屋はこぢんまりとしていたが生活雑貨が所狭しと並んでいる。入ったときに暖かいと感じたのは暖炉のせいだけではあるまい。
「……あっ……!」
 入ってきたシヴァとメイを見ると、ホリスンは再び寝台から起き上がり、二人を凝視する。
 六枚羽をもつ黒髪の天使と、二枚羽を持つ青銀髪の天使。
 ポートは二つの椅子を寝台の横に置くと、二人の天使に座るよう勧めた。
「あ、あの……天使様」
「何でしょうか?」
 おずおずとしたホリスンの様子に、優しい微笑みを浮かべて返すシヴァ。自分にも子供がいたら、このように愛おしく思ったのだろうか……?
「羽を、触ってもいいですか?」
 シヴァが横を見ると、メイも頷いている。
「いいですよ」
 触りやすいように少し後ろを向いてやる。
 ホリスンはゆっくりと手を伸ばし、シヴァの金色の翼とメイの白い翼を両方触った。
「本物なんだ……」
「そうです。あたしたちの翼は、空を飛んでいる鳥たちと同じようなものですから」
 翼を触り終えたホリスンはしばらくその手を空中にさまよわせていたが、ゆっくりと胸の前に置いた。
「僕の病気、奇跡でも起きなきゃ治るのは無理だってお医者様が言っていました。やっぱり、僕はもう長くないんでしょう?」
 病気を治してくれとは言わず、もう長く生きられないのかと聞く。
 生き物というカテゴリ内で生まれた限りいずれ死ぬが、それでも人間がこの若さで死ぬのは悲しすぎる。本来生きるべき生の、五分の一も生きていない。
 あまりに、悲しすぎる。
 思わすメイは身を乗り出し、ホリスンの目をじっと見据えて語り始めた。
「『奇跡』は神様の専売特許ではありません。人間こそが起こすものだとあたしは思います。早く死にお母様にお会いするも、生き永らえてお父様と共に歩むのも、ご当人が歩む道。ただ、その死を悲しむ方がいらっしゃることをお忘れなく。お父様が悲しむお姿、見たいとお思いですか? 見たくないとおっしゃるのであれば、奇跡が起きるよう、強く望むことです」
 先ほどは『ルベリアの花』というものを通したから願いが叶ったのかもしれなかったが、人の願いというものはすさまじいまでのエネルギーを伴っている。
 それが神に届くかという問題ではない。
 強いエネルギーは動かないはずの体を動かし、動かないはずだった人の心を動かすことだってあるのだ。諦めたらあったはずの力まで露と消えてしまう。
 ……メイはそう言いたかったのだろう。
 ホリスンはメイの言葉をどう受け取ればいいのか分からなかったようだが、近くにいたシヴァや、後ろで聞いていたポートやオーマ、ランディムは深く頷いた。
「大丈夫、君の病気は良くなりますよ」
 ホリスンの頭を撫で、シヴァは優しく言った。……死神という仕事柄寿命が近い人が分かる、とまでは言わなかったが。
 その言葉を聞いて、ホリスンは嬉しそうに笑う。天使という存在からその言葉を聞けることに意義があったのかもしれない。
 シヴァとメイが立ち上がると、ホリスンはその身を寝台に横たえた。今日は色々なことがあったので疲れてしまったようで、すぐに寝息を立て始める。
 ポートとオーマ、ランディムの三人は、暖炉の前からそれとなく様子を窺っていた。
「ホリィの願い、早速叶ったな」
「おおよ。ルベリアの花は超強力だぜ」
 ランディムとオーマは暖かい気持ちになりながら二人の天使を迎える。
「私には病気を治せるほどの力があれば……」
 唇を噛み、メイが悔しそうに言う。
 だがそれは、同じ天使のシヴァも、医療知識を持っているオーマも思ったことだろう。
 だだ、それを口に出してもさらに悔しくなるだけだと分かっていた。
「この程度のことしかできませんでしたが、ホリスン君は喜んでくれたでしょうか」
「それはもう。ホリィはどれほどの力をもらったことでしょう……」
 シヴァの言葉に涙ぐみながら返すポートを見て、オーマは彼の肩を叩きながら言う。
「親が子の喜ぶ顔を見てぇってのはよ、そいつは子もまた然り……なのかもしれねぇぜ」
 そう言うオーマにも娘がいる。彼は自分の娘がホリスンのような状況にあったらどうするか……そのようなことを考えずにはいられなかったことだろう。何しろ彼は愛妻家と親馬鹿でも名が通っているのだから。
「いまさらこんなことを言うのもアレだけど……天使って本当にいたんだな……」
 これはランディムの言である。
 彼は天使が本当に実在するのか半信半疑に思いながら探していたのだ。今こうして実際に天使を前にしていることで、感慨を覚えたのだろう。
 そして、その思いはホリスンも心のどこかで抱いていたのかもしれない。
 だからこそあそこまで天使を求めた。母の面影を求めるというのは、表面的な理由だったのかも知れない。
 天使に会えるような奇跡が起きるのであれば、自分の病気が治るような奇跡が起きてもおかしくないから。
 シヴァは安らかに眠るホリスンに近づくと、その寝顔を優しく見守った。
 そして、ゆっくりと額にキスを落とす。

 ホリスンが微笑んだように見えたのは、気のせいだったのだろうか。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【1063/メイ/女性/13歳(実年齢3歳)/戦天使見習い】
【1758/シヴァ・サンサーラ/男性/27歳(実年齢666歳)/死神】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2767/ランディム=ロウファ/男性/20歳(実年齢20歳)/アークメイジ】


NPC
【ホリスン】
【ポート】
【レイラ】
【エスメラルダ】
【ディアナ】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、糀谷みそです。
このたびは『天使に会いたくて』にご参加いただき、ありがとうございました。
今回はちょっと効果を狙って、時間の流れをいじってみました。……効を奏しているかは謎ですが(汗)。

ランディムさんが、ちょっと熱血系になってしまいました(沈)。
お、おかしいな……しかもホリィに抱きつかれて困っているなんて完全に私の妄想です!
でも、こんな子供に優しいランディムさんも素敵だと思うのですがいかがでしょう!

ご意見、ご感想がありましたら、ぜひともお寄せください。
これ以後の参考、糧にさせていただきます。
少しでもお楽しみいただけることを願って。