<東京怪談ノベル(シングル)>


苦しみを、分かち合えたら

 モルダバイトドラゴンと呼ばれるドラゴンがいた。
 その獰猛さはドラゴンの中でも一級で、そしてそれの吐くブレスはすべてを水晶に変えてしまう。
「ねえ……どうしてあんな危険なドラゴンと戦いに行ったの?」
 いつも通り一緒にお風呂につかりながら、エルザード王女エルファリアは踊り子レピア・浮桜に尋ねた。
「うん……」
 レピアはさらりとお湯を自分の体に流す。
 今でこそ生身のその美しい肌――しかし先日のドラゴンとの戦いで、レピアは水晶像へと変えられるという事態に陥った。
 エルファリアの必死の努力で元の姿に戻ったものの、エルファリアはまだ納得していない。
 ――なぜレピアが、命を賭けてまでそのドラゴンと戦いに行ったのかを。
「ええとね……」
 レピアは言葉を選ぶように天井を見ながら、「やっぱり第一に……この呪いを解くアイテムをドラゴンが持っていないかな、と思ったから……ね」
 神罰<ギアス>。それがレピアの体を苦しめる呪い。
 生身に戻れるのは夜のみで、昼間は石像と化す、呪い。
 レピアはもう太陽の光を忘れてしまうほどの間、その呪いとともに生きてきた。
「第一に……って、他にも理由があるの?」
 エルファリアは心配そうに尋ねる。
 レピアはにこりと微笑んだ。
「――ドラゴンと言えばアイテム! 呪いを解くためのアイテム以外に、エルファリアへの贈り物になりそうなものはないかと思ったのよ」
 エルファリアは目を丸くした。

 お風呂からあがり、タオルを体に巻くなり、レピアはたたっと部屋のある場所まで駆けていく。
「湯冷めするわよレピア――」
 慌てて服を持ってレピアの後を追ったエルファリアは、振り向いたレピアの手にあったものを見て「あっ」と声をあげた。
「その……箱、あなたがドラゴン退治から持ち帰った……」
「そうよ。……私を看病してる間、開けないでくれててありがとうね」
 レピアは、ブレスでの水晶化が解けた後も、モルダバイトドラゴンとの戦いでの怪我のため何日も寝込んでいた。
 今――古い、しかし細工の綺麗な小さな箱が、レピアの掌にある。
 エルファリアは、水晶像になっていた間もレピアがしっかりとその小さな箱を握っていたのを知っていた。そして水晶化が解けた後は、レピアが寝込んでいる数日の間に中身を開けるような野暮なまねはせず、そっと部屋に置いておいた。
 レピアは箱をゆっくりと開ける。
 きらり、と水晶の輝きが二人の目に飛び込んできた。
 箱に収まっていたのは、一組のお揃いの指環だった。
「ふふっ。お揃い! 何ていいお土産になるだろうと思って……!」
 レピアは嬉しそうにエルファリアを見上げる。
 エルファリアも泣きそうに嬉しそうな微笑みを返して、「そうね」とうなずいた。
 親友が命を賭けて持ち帰ってきてくれたもの。
 二人はその場で、まるで結婚指環を交換するようにお互いの指に、ひとつずつ指環をはめた。

     **********

 エルファリアの別荘には、王女専用の露天風呂がある。エルザードの地下深くからくみあげている天然自然温泉で、この湯が美しきエルファリア王女の美貌の秘訣のひとつと言われている。
 洗い場には大理石が敷き詰められ、
 周囲には竹の囲い……
 のどかで優しい竹の香りと温泉の香りのする、素晴らしい露天風呂だった。

 二人が水晶の指環をはめてから何日か経ったある日……
 レピアとエルファリアは、二人で露天風呂に入ることにした。
 しかしレピアはたまたま、服の金具のひとつが壊れて、脱ぐのに苦労していた。
「私もはずすの手伝いましょうか……?」
 心配そうにエルファリアが言うのを、
「大丈夫、もうすぐはずれそうだから。先入ってて」
 レピアは微笑んで王女を露天風呂へ送り出した。
 エルファリアは言われるまま、親友を心配しながらも露天風呂へと向かう――

「いけない、思った以上に時間かかっっちゃったわ」
 ようやく金具をはずし、服を脱いだレピアは慌てて露天風呂へと向かった。
 と、
「……あら……?」
 そこに、エルファリアの姿がない。
 ――代わりに、温泉の湯を流し出す見慣れない石像があった。
 否。見慣れた――と言うべきかもしれない。
「うわあ……いつの間に作ったのかしら!」
 レピアはさらさらとお湯を流すその像に近づき、嬉しそうに微笑んだ。
「エルファリアを模した像だなんて、エルファリアもしゃれてるわね」
 その石像は、エルファリアが裸で桶を持った姿だったのだ。
 レピアはるんるん気分でその像にそっと指を触れる。
「それにしてもすごい……スタイルまでエルファリアそっくり」
 私以外にエルファリアの裸を知っている人間がいるのかしら、と思うと少しだけ嫉妬心がわいた。
 けれどそれ以上に、あまりにも親友にそっくりな像がいとおしくて、なめらかな石像の感触、なめらかなエルファリアのスタイルを楽しむように撫でてみたり、ぎゅっと抱きついてみたりした。
 とそこで――
 突然、抱きついていた石像の感触が変わった。
 石像から生身の柔らかさに――
「きゃっ」
 エルファリアの声がした。
「え?」
 レピアは抱きしめたまま石像を見つめる。
 ――違う。今はもう、石像ではない――
「???」
 レピアが首をかしげながら離れると、
「あ、あら……?」
 石像だったはずのエルファリアはきょろきょろと辺りを見渡した。
 手に持っていた桶を見直し、
「おかしいわ……私、桶でお湯をくんで、体を流そうとしていたはずなのに……」
 気づいてみると、桶は空っぽ。
 おまけになぜかレピアに抱きつかれていた。
「レピア、何かしたの?」
 エルファリアは親友に尋ねる。
「まさか」
 レピアは大きく首を振った。
「??????」
 二人で疑問符ばかり浮かべながらも、それ以上何も分からなかったので、とりあえず二人は露天風呂につかることにした。
 月の綺麗な夜のことだった。
 二人の指にはまった水晶の指輪が、月の光を反射して、きらりと怪しく光った。

     **********

 その日から、不思議なことの連続――

 レピアはモルダバイトドラゴンの一件以来、エルファリアを心配さえまいと、夜の外出を控えてエルファリアとともに過ごすようにしていた。
 食事はいつものように二人で。
「ねえエルファリア。水晶の私、綺麗だった?」
 レピアがいたずらっぽく尋ねれば、
「んもう、そんな笑い話にできる状態じゃなかったのよ!」
 エルファリアは親友を軽く叱ってみせる。
「あ、ごめんなさい。徹夜で私を助けてくれたのよね。でも水晶の像って少しだけ興味が――」
 言いかけて、レピアは言葉をとめた。
 目の前で、サラダをスプーンとフォークで口に入るサイズにまとめ、食べようとしていたエルファリアが――
「え……?」
 下半身から徐々に石化していく。
「エルファリア!」
 レピアはがたんと椅子を鳴らして立ち上がり、親友の名を叫んだ。
 しかし石化は止まらず、エルファリアはそのまま石像となった。
「うそ……」
 レピアは石化した親友にかけより、その石の冷たい感触をたしかめて呆然とつぶやく。
「これじゃ……これじゃ私と同じじゃない……」
 神罰<ギアス>。陽が昇るとともに足元から石化していく、あの心臓まで石化するような心地。
「え、エルファリア……まさか、同じ……気持ち感じたり……した……?」
 レピアはぎゅっとエルファリアの石像を抱きしめる。
 早く、早く石化が解けてほしいと――それだけを願って、強く抱きしめる。

 幸か不幸か、エルファリアの石化はレピアのものよりは短いようだった。
「あ、あら……?」
 石化から戻るなり、スプーンからこぼれ落ちたサラダを見つめて、
「私……何してたのかしら?」
 エルファリアはきょとんと首をかしげた。
「エルファリア!」
 レピアは親友に抱きついて、涙を流した。


 二人だけの、夜の楽しみのひとつは、踊ること――
 異国をたくさん回ってきたレピアはたくさんの踊りを知っていた。それを教わったエルファリアも、すでにたくさんの踊りをマスターしている。
 二人で音楽をくちずさみながら、レピアとエルファリアは楽しく踊り続けた。
 と――

 ぴし

 レピアにとって心の凍るような音が、した。

 ぴし ぴし ぴし……

 それはレピアが何度も味わった、石化していく音。
 そして今、
「あ……」
 足元から石になっていこうとしているのは――
「なに、これ、は――」
 踊りのステップを踏もうとしていたエルファリア――
「エルファリア……っ!」
 レピアは王女にすがりつく。
 指で石となった部分をがりがりと砕こうとしても石化は止まらず。
 ただ、レピアの爪が割れ、血が流れた。
「レピ、ア――」
 最後に親友の名を呼んで、エルファリアは石像となった。
「どうして――!」
 血まみれの手を見下ろし、そして石像となったエルファリアを見て、レピアは叫んだ。
 悲痛な声で、叫んだ。

 エルファリアが石像となっている間、レピアは彼女を抱きしめたままずっと過ごした。
 石化から戻ったエルファリアは、泣き続けているレピアを見て、その血まみれの手を介抱しながらそっと囁いた。
「泣かないで……今の私は、あなと同じようなことが起こっているのでしょう?」
「………」
「……私は、あなたの苦しみを分かち合えるなら……構いはしないから」
「………」
 レピアは包帯だらけとなった指先を見下ろしたまま、何も言わなかった。

     **********

 昼の間、レピアは石像となり、エルファリアは王女としての公務を果たすため働いている。
 エルファリアが別荘に戻ってくるのは、陽が落ちてからしばらく経ってからのことなので、レピアが生身に戻るのと王女が別荘に戻ってくるのとでは、ほんの少しの時間差があった。
 レピアはエルファリアがいない間に、エルファリアの図書室へと入った。
 大量の、まさに山のごとく集められた蔵書――
 その中からモルダバイトドラゴンの本を数冊見つけ出し、レピアは必死で読みあさった。
 中には、ドラゴンが持っている宝の種類も書かれていた。

 もちろん、あの水晶の指環、も……。

「ただいま、レピア」
 エルファリアが公務から帰ってくる。
 レピアはいつものように笑顔で出迎えなかった。
 ただつかつかと無表情に親友に歩み寄り、その手をつかみとる。
 ――指環を抜き去ろうと――
「………っ!」
 とっさにエルファリアは手を振り払ってしまった。驚いたように無表情な親友の顔を凝視して、
「ど、どうしたの……!? これはあなたが一生懸命取ってきてくれた、お揃いの――」
「……その指環が原因だったの……」
 レピアは震える声でそう告げた。
「その指環は……二つで一組……そしてはめた両人に、かかった魔法の効果を分け与えてしまう……」
 私のせいなの、とレピアは言った。
「私の呪いが、エルファリアに――伝わってしまっている……の」
「―――」
 エルファリアは呆然とその話を聞いていた。
 指に光る指環。すでにレピアはそれをはずしてしまっている。
「どうして……?」
 エルファリアはうつむくレピアの両腕をつかんだ。
「私は言ったわ。あなたの苦しみを知ることができるなら、分かち合えるなら……!」
「私はいや!」
 レピアは激しく首を振った。
「あんな苦しみを……エルファリアに教えたくはない……!」
「そんなこと構わないのに! 私たちは、親友で、」
「いやなの……!」
 レピアはぽろぽろと泣いていた。
「いやよ……エルファリアまで苦しむのは、いやよ……」
「―――」
 エルファリアはそっとレピアの両腕を放した。

 ――苦しみを、分かち合えるなら――
 それでいいと、本気で思っていた。
 ――石化する瞬間の、心臓まで凍るようなあの感覚――
 それをほんの数回とは言え、知ってしまったから。
 ――だから、ずっとこのまま、分かちあっていたい、と――

「……でも……」
 エルファリアはふっと微笑んだ。
「あなたが……余計に苦しむのじゃ……意味ない、わね……」
 ――王女の瞳にも光るのは、水晶よりも美しく、悲しい雫。
 エルファリアは自分の指から、指環をぬきとった。
「これは、ちゃんと処分しましょうね」
「ええ……」
 レピアがうつむいたまま、こくりとうなずく。
 エルファリアは――
 レピアをそっと抱きしめて、囁いた。
「……踊りましょう」
「………!?」
「苦しみを分かち合えないなら、当然、楽しみは分かち合わせてくれるのよね?」
 エルファリアはレピアの手を取る。
 そして、社交ダンス前のポーズを取った。
「………」
 レピアの瞳から流れる涙の輝きが、変わった。
 悲しみから――もっともっと美しいものへ。
 水晶などより、もっともっと……

 二人は踊りだした。
 そう、苦しみではなく、
 二人でいる時間を。楽しい時間を分かち合うため、に――……


 ―Fin―