<東京怪談ノベル(シングル)>
+ 連鎖の辿りつく先 +
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過去が溢れ出す。
緩やかに、静かに。
心の奥をかき回し、まるで弄ぶかのように……。
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「……連鎖、と言うものは不思議ですね」
黒山羊亭からの帰り道、私はぼんやりと空を見上げる。
其処には月が存在しており、辺りをやんわりと照らし出していた。月光がまるで身体を淡く発光させているような錯覚に陥る。もちろんそんなことは有り得ないのだが、気分的にはそんな心地だ。
通りを抜けた先にある広場に入る。
其処に置かれていたベンチに腰掛けながらもう一度空を見上げた。光が眩しいわけじゃないのに何故か額に手を当てて見つめ続けた。静かに光り続けるのは夜の主役である月。
「今夜は満月ですか。ああそういえば、あの日もこんな風に丸い月が輝いていましたっけ……」
私は若干足を開き、その間に組んだ手を置く。
瞼をゆっくりと下ろせば、目の前には過去の情景が蘇ってくる気がした。
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それは自分が初めて魂を狩ってから数週間経った頃の話。
「今夜は満月がとても綺麗ですね。空も澄んでいて、とても心地良い」
その時の自分はゆっくりと森の中を歩いていたのを覚えている。
そう、あれは特にやることも無く散歩をしていた時のことだ。
「……ん? これは」
私はある物を感じ取る。
それは死神であるならば敏感に察知することの出来るものだ。それに惹かれるように足を動かすと、目の前には一軒の小屋が現れる。『其れ』は小屋の中から感じられるものだと判断すると、窓からそっと中を覗くことにした。
中はとても薄暗く、灯りを点してすらいない。
だが、月光に照られる様に浮き上がっているのは人間のシルエット。其れは車椅子に腰掛けている老人だった。皺が深く刻み込まれた手が老人の過ごしてきた年月を物語る。彼はしきりに何かを待っているかのように扉の方を見やってはため息を吐く。
「早くお迎えが来んかの……」
掠れた声が自分の耳に入ってくる。
自分は吐き出された文章に眉を顰めると、もう少し中の様子を見ようと覗いた。だが、彼はその後も「お迎えはいつじゃ」「まだ来んのかのぉ……」と呟き続けるばかり。言葉の主語は省かれているが、私にははっきりと意図が読み取れた。
それは『間接自殺願望』。
彼は自らの死を望んでいるのだろう。だが、己を殺すことは出来なくて、誰かに殺して貰いたいと愚かな考えを持っている。何故? と問う必要は無い。小屋の外の方まで流れてきたのはまぐれも無く、『死香』。
彼はもう死に絶える運命なのだ。
闇に紛れて背後からそっと彼の魂を狩ろうと考える。
だが、相手は老人とは思えぬ素早さで後ろを振り向いた。気付かれたと慌てて構え直す。そんな自分に対して老人はかっかっかっと笑った。
彼は自分がいることに対して何の驚きも返さなかった。
ただ皺が多く刻まれた顔の皮膚を動かして、やんわりと笑む。その微笑はまるで何十年か振りに友に会うような……そんな雰囲気を持つ。
「儂を迎えに来たんじゃろう?」
「……」
「ようやっと、迎えに来てくれたんじゃろうに。……ああ、あんたの正体を素直に話してくれんか。儂はもう何かが起こっても驚きゃあせんから」
「私は……」
私はぐっと息を飲み、一度言葉を区切る。
「貴方を迎えに来た『死神』です」
そして彼の望み通りの属性を名乗った。
彼は枯れ木のような手を持ち上げ、私に近付く。だが、その手が触れる前に足をさげる。老人が近付いた距離分、私は身体を退いた。そんな風に警戒心を解かない自分に対して、彼はまた笑った。
「そう警戒せんでもええ。儂はずっとこの時を待っとったんじゃ……。六十年以上前の悪夢から解放される日を、な」
瞼を下ろし、持ち上げた手を腹の上に乗せる。
そんな彼の動向を見遣りながら、もう一度鎌を構えた。しばらく瞼を伏せていた彼はやがて眼を開く。手を顔の前まで持ち上げ、それから軽く覆う。
「っ、許し、てくださぃ……っ!」
それから、喉の奥に秘めていたものを叫んだ。
「ぁあああああ、御免なさい御免なさい。殺して御免なさい。仕方なかったんです。あの時は本当に儂には逆らう力などなかったんです。うぅ、ぁああ……すみません、すみません、本当にすみませんッ。ぅうう……戦争なんぞ、なんで起こったじゃろうか。あんなもん、なけりゃわしは……わしは……ッ、ぅ……ぅう! 上官の命令じゃったんです。殺せといわれ……命令されたんじゃぁ……! だから、だからっ……ぅああああ!! 下っ端の兵士じゃった儂にはあんたらを助けることなんぞ、出来なかった……出来なかったんじゃぁあ……っ……!」
老人の口から零れるのは。
懺悔、懺悔、懺悔。
老人の心から零れるのは。
後悔、後悔、後悔。
何処に溜め込んでいたのか、涙が手を擦り抜けて大量に頬を伝っていく。
それらはやがて顎の方にまで落ち、重さに耐え切れず服へと染み込んでいった。服が変色していく様子を静かに見遣る。だが私は一度首を振ると、鎌を握り直した。
「ぅぁああああ!! すんません、すんません、儂は……儂はっ――――」
「申し訳御座いませんが、貴方の話に興味は御座いませんので」
大鎌をゆるりと持ち上げる。
刃が満月の光を吸い込むように光るのが分かった。老人の言葉が切られ、やがて身体は衝撃によって床に倒れこんだ。車椅子も同時に真横に倒れる。
カラカラ……カラ……。
老人の最後を現すかのように車椅子の車輪は静かに回り、やがて止まった。
「これで楽になれ……る……、……」
その時の彼が仄かに笑ったように見えたのは月の光のせいだったのだろうか。
……答えは、きっとない。
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身体が冷えるような感覚が襲ってくる。
夜は昼間より冷えるのは当たり前。少し薄着で来てしまったかもしれない。私は服に指を絡ませ、引き寄せる仕草をした。人通りがない広場はやはり寂しい。腰を持ち上げて立ち上がる。
月光が自分を照らすように柔らかに包む。一度手を開き、握った。
「楽になれる……か」
心の中に疑問が浮かぶ。
口にすればそれは確かな形で表れる気すらした。
老人は最後に喜びながら自分に狩られた。
それを望んでいたと自ら言い、この世から去った。自分にはその感覚が分からない。だけど、本当に死んだら人は楽になれるのだろうか。その疑問が心を突付く。それがやがてちくりと胸を刺すような痛みに変わったので、私は胸元を押さえる。本当に痛むわけではない。だけど、圧迫するような感覚が身を襲う。
「……本当に、そうなのでしょうか」
痛みがやがて人の形を作り、それが愛しさを感じる人であることに自嘲する。
風に吹かれ、長く伸ばしている髪の毛が前の方に流れてきた。括っている紅紐も一緒に風に遊ばれる。妻の形見の紐がゆらりゆらり。私はそれを手で掬い取ると、ぎゅっと握り込んだ。
死んだら楽になれる?
「……――――」
唇を掠るのは死者の名前。
今宵は満月が空を支配する夜。
問いかけの声は――――風に消された。
…Fin
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こんにちは、蒼木裕です。再度の発注有難う御座いましたっ。
今回は過去を思い出すということですので、発注文に出来るだけ沿いつつ、こっそり趣味に走らせて頂きました。どの部分かはあえて申しませんが、気に入って頂ける嬉しいですっ!
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