<ホワイトデー・恋人達の物語2006>


豪勢にパーティを

 暇な伯爵は執事に問うた。
「今日はホワイトデーなる日とな?」
「は」
「どのような日じゃ」
「バレンタインに女性からチョコをもらった男性が、お返しをする日と聞き及んでおりますが」
「何を返すのじゃ」
「一般的には、クッキーや飴玉と聞いておりますが」
「そうか。よし」
 伯爵は杖でぽんと手を打ち、
「クッキーや飴玉ではつまらぬ。パーティを催せい」
「……はあ?」
 執事はきょとんと伯爵の顔を見つめた。
「そのような祝い行事にちまちまとやるのはつまらぬ。豪勢な食事を用意せい。そして皆を呼ぶがよい。パーティじゃ!」

     **********

 五代真(ごだい・まこと)は、つれあいもいないのになぜかパーティに招待された。
 伯爵と挨拶を交わし、すすめられて庭に出た。
 夕焼けが美しかった。どこからか、澄んだ歌声が聞こえる。
 庭では立食パーティ。その見たこともないような料理に、真の食欲がくすぐられる。
 ふとみると、人が集まっている場所が二箇所あった。
 一箇所は――どうやら料理人がそこにいるらしい。ピンクのエプロンをしたマッチョが見える。
 まわりが恋人同士だらけでやはり肩身が狭かったので、真は料理人に会いに行ってみた。
 髪は黒。瞳は赤。ピンク色のエプロンがちぐはぐなような似合うような、妙な大男。
「よっせい」
 かけ声とともに、フライパンの中身を高く放り上げ見事にひっくり返し受け止めてみせる。
 まわりの観客がわっと沸いた。
「ふっふ。下僕主夫たるもの、これくらい朝飯前よ★」
 近くによると筋肉マッチョ。そんな男がエプロン揺らして楽しげに料理中。
 野菜の千切りなど、
「おらおらおらおらーーーー!」
 ストトトトトトトトトトト
 目にも留まらぬスピードでとても細いキャベツができあがっていく。
 卵を割るのはもちろん片手、それも一度に複数個。
 それになにやら色んなものを混ぜ、再び、
「おらおらおらおらーーーー!」
 しゃかしゃかしゃかしゃか
 目にも留まらぬスピードで泡だて器をまわす。
 あっという間にクリームが出来上がる。
 キャベツの他にはトマト、きゅうりなど普通にサラダを作るのかと思ったら、
 そのサラダの上にたった今作ったクリームを飾った。
「見ろ! 俺様特性・野菜嫌いのお子様も大喜び筋・マヨクリームサラダだっ」
 できあがったものを召使たちが慌ててパーティ会場のテーブルに置きにいく。
 男はひとつのものを完成させた達成感に浸るように、爽やかな笑顔を見せた。
「そこの男っ。リクエストに応えよう。何を作ってほしい!」
 突然指をびしっと指されてそんなことを言われ、真はうおっと退いた。
「って、っていうか、あんた誰だ?」
「俺か! 俺はオーマ・シュヴァルツ! かく言うお前さんは誰だい」
「俺は五代真……」
「なかなかいい筋肉してやがるじゃねえか。おう筋肉仲間。リクエストはねえかい」
 筋肉……
 たしかに真は体を鍛えているから常人よりははるかに筋肉があると思うが、目の前のマッチョに仲間と呼ばれるほどのものは持ち合わせていない。と、思う。
「り、リクエスト……?」
 真は首をひねって考えた。「その……ステーキ、とかでもいいのか?」
「ステーキ! 素晴らしき筋肉の元! 作ってやるぜ同志よ!」
 どこから取り出したのか、突然どんと取り出されたのは肉の塊。
 オーマは肉切り包丁で、派手にドン、ドン、と切っていく。
 肉ってそういう切り方するっけ……? と真は呆然としながら思った。
 あっという間にほどよい分厚さ、ほどよい形に切りそろえられた肉は、オーマの傍らに用意された鉄板の上にすべるように移される。
 じゅわっ
 肉汁が熱い鉄板で蒸発する音がした。
「オーマ!」
 肉の焼き加減を見ていたオーマに、遠くから声がかかる。
 真は声の元を見た。――きらきらしい衣装を着た、美しい少女が見えた。
 庭に用意されたステージのような場所の上に立っている。
「あいよっと」
 ただ名を呼ばれただけなのにオーマはすべてを承知したかのように、ぱっと背後からドリンクのようなものを取るとステージに向かって放り投げた。
 ステージ上の少女はぱしりと受け取った。
 そしてコルク栓を抜くと、軽く飲み干した。
「あ、ちなみにありゃ俺の特性・のどに優しいミネラルウォーターな」
 誰に聞かれたわけでもないのにオーマがそんなことを言ってくる。
 ステージ上の少女は、空になった瓶をそっと足下に置くと、すうと息を吸った。
 やがてそのつややかな唇から――
 まるで夕焼けに染まる世界に広がるような声が――
(あれが歌姫だったのか……)
 夕焼けに照らされた横顔の美しさに、真はついみとれた。そしてそのことに笑えてきた。
(俺みたいに見とれた男がいたら、ホワイトデーだってのに大変なことになるカップルが多いんじゃないのか?)
 それほどに美しい少女。赤い長い髪がふわふわと波打ち美しい。
「なあ。あの子は何て名前なんだ?」
 真はオーマに聞いた。
 じゅうじゅうと肉汁が鉄板の上であわ立つ音の中で、オーマの返事があった。
「ユンナ。ちなみにユンナの隣で他の男どもをけん制してる三十路男もどきがジュダな」
「けん制?」
 なるほどよく見ると、ユンナのステージの横で、黒髪の青年がじっと立っている。
 物静かに目を閉じて立っているだけのように見えるのだが――
「あれってけん制してるのか?」
「おうよ。もしユンナにちょっかい出してみろ? 臨死体験できるぜ」
 ちょうどそのとき、酔っ払いがステージにあがってユンナの足に触ろうとした。
 黒髪の青年は――
 無言でその男を蹴り飛ばした。
 そんなに強く蹴り飛ばした様子もないのに、酔っ払いはゴルフボールのようによく飛んだ。
 呆然とその様を見ていた真に、
「ユンナは歌姫だからよ……ふつーにこの屋敷に招待されて歌ってるけどよ。ジュダはそれにくっついてきただけだが……俺様はバイトさ」
 だばだばと突然オーマが涙を流し始めた。
「俺は顔が広くってよお……バレンタインに色んなところからチョコもらっちまって。ホワイトデーのお返しができねえんだよ。おかげさまでこんな日もバイトさ……」
 家計火の車ッチョ。オーマはそうつぶやいて遠い目をした。
 肉がやけるいい匂いが、なぜかオーマをさらに寂しげに見せた。
「でもさ」
 真はちょっと笑ってしまったことを必死で隠しながら、ふと思いついて言ってみた。
「俺は、その事情にちょっと感謝するぜ。なんせこんなすげえ料理人の作ったうまい料理食べる機会与えられたんだから」
「………! さすが同志! 泣かせてくれるぜ……!!!」
 だばだばだば。オーマの涙は止まらない。
 肉に涙がかかるんじゃないかと、少し心配になった。

 焼きあがり、食べやすく切り分けられた肉は、たまらなくうまそうに見えた。
「いいか、お前さんは特別うまく感じるぜ。なぜかっつーと、友情エッセンスが含まれるからだ……!」
 オーマが次の料理に取りかかりながら、そんなことを言った。
 真は笑った。心の底から、嬉しいと思った。
 ふと見ると、夕日が海に重なって、青とオレンジ色のやわらかい色のグラデーションを作っている。
 耳を澄ませばユンナの美しい歌声が。
 視界のそこらじゅうにいるカップルたちの姿が、なぜか羨ましくなかった。
 口の中に含んだ肉は、とろりととろけるように真の心にしみこんだ。

     **********

 オーマ・シュヴァルツは顔が広い。
 バレンタインの日、本命義理問わずあらゆる場所でチョコレートをもらってしまった彼は、そのお返しにかかる巨額に戦慄した。慌ててバイトを探し、このエルデ・クリスト伯爵のパーティに料理人として雇ってもらうことになり、また腐れ縁のユンナは歌姫という職業柄あちこちに呼ばれていて、たまたま同じパーティではちあわせた。
 ジュダはユンナに強制連行されただけだ。オーマは真に「ジュダがユンナに近づく男を敵視している」かのように説明していたが、実際にはなんのことはない、ユンナがジュダに「からまれるのイヤだからボディガードよろしくね」と言っただけのことだった。
 ……ユンナを護るのにはそれ以外の理由も、もちろんあったに違いないのだが。
 しかし、ジュダという男は実際気まぐれな男でしかなくて、
「疲れたな……休ませてもらう」
 と言ったきり、どこかへ行ってしまった。
 ユンナは額に青筋を立てながらも、歌姫の仕事をこなしていた。
 今日は特別に髪を下ろし、ふわふわと波立たせている。着ている白いドレスに、彼女の赤い髪はよく映えた。
 オーマはユンナの歌声を聴き、時にミネラルウォーターを投げ渡してやりながら、ふと「ユンナとジュダはバレンタインの時どうしたのだろう」と考えた。
 ユンナは大切なルベリアの輝石を胸に飾り歌い続けるが、誰かへの愛を囁く歌だけは歌わなかった。それは昔から――かつてあの時から、たったひとりのためだけに歌い紡ぐと心に決めていたから――……
 けれどその歌うべき相手は今、傍にいない。
 ユンナの歌声に、切なく甘い響きが混じる。
 観客たちはその声の甘さに酔い、互いのパートナーの手を握る手に力をこめた。
「……たいしたもんだな、ユンナも」
 オーマは料理を続けながら、その場の雰囲気をホワイトデーらしく優しく包んでいくユンナの力に感心していた。
 と――
 客たちに混じってあちこちに配備されている館の召使たちの動きが、せわしくなった。
(何だ……?)
 あっちの召使がこっちの召使に何事かをひそひそと伝え、こっちの召使がそっちの召使にひそひそと伝え。
 それが繰り返され、どうやら召使全員に話は伝わったらしい。
 その後の召使たちの動きは、明らかだった。――何かをさがしている。きょろきょろと。
 カップルたちはそんな召使の動きなどどうでもよかったのだろうが……
 オーマは気になった。
 ユンナも、その視線の動き方からして、どうやら気づいているらしい。
「よし」
 声に出してつぶやき、オーマは料理をテーブルに置くために受け取りに来た召使のひとりを捕まえた。
「なあ。さっきから何が起こってんだ?」
 召使はぎくっと視線をそらした。オーマは目を細めた。
「言えよ。でないとお前を焼肉にすんぞ」
 ドスのきいた声で脅す。
 召使はオーマの巨体と声、そしてたまたま手に持っていた肉切り包丁の迫力に負けた。
「その……館内で行方不明のお客様が」
「行方不明……?」
「現場の様子もおかしいので、あまり人には言ってはいけないことかと――」
「現場はどこだ?」
 詳しい場所を聞き、オーマは表情を険しくする。
 それは館内の会場の、隅に作られた個室だった。伯爵いわく、カップルが愛を語るためにはああいう個室も必要だろうとか何とか。
「教えてくれてありがとうよ」
 オーマはとんと召使を押しやった。
 そしてピンクのエプロンをはずしてその召使に渡し、
「これを着たらお前も料理人になれる! ちと代わりをやっておいてくれ」
「へ?」
 召使が目を白黒させるのも構わず、オーマは料理場から離れて館内へと走りだした。

「オーマ」
 館に入ろうとしたとき、後ろから声をかけられた。
 ユンナだった。
「お前……いいのか、仕事は」
「気になって仕事にならなくてよ。あんたは話を聞いたのね。何があったの?」
 オーマはユンナに、召使に聞いた話のすべてを話した。
 ユンナは柳眉を寄せた。
「なんてこと……こんな大切な日に」
「お前も来るか?」
「聞くだけ無駄よ」
 オーマはうなずいて、ユンナを引きつれ館内に入った。
 召使に聞いた現場は、すぐに分かった。個室はいくつかあるが、そのうちひとつだけ、まるで出入り禁止とでも言いたげに召使がひとり立っているのだ。
 オーマはその青年に近づいた。
 青年が警戒の色をその瞳に見せる。
「俺は料理人だが――冒険者でもある。伯爵に言われて様子を見に来た」
 オーマは嘘をついた。
「私も同様よ」
 ユンナがその上に乗っかる。
 青年召使は不審そうにしながらも、オーマのいかにも戦士風な巨体に説得力を見出したのだろう、個室の中に入れてくれた。
 入るなり――
 オーマとユンナは戦慄した。

 そこにはルベリアと呼ばれる花の花弁が散り、海水で濡れた跡と――かすかな具現派動。
 そして何より、おびただしい血痕が。
 しかし被害者もいなければ遺体の痕跡もまるでなかった。

 ルベリアに具現派動。
「ゼノビアがらみに違いないわ」
 ユンナが唇を噛むような声で言う。
「捜査するっきゃねえな」
 オーマはユンナとうなずきあった。

 オーマたちは伯爵に会いにいった。
 エンデ・クリスト伯爵。老年に手が届く、見た目柔和そうな白ひげの紳士である。
「伯爵さんよ。実は客の行方不明の件で――」
 他の客に混乱まねかぬように強力してくれと、オーマは伯爵に言った。
 その瞬間に――
 伯爵の柔和な目つきに走った色に、オーマははっと身震いする。
「そうですか、そうですか」
 伯爵はにっこり笑って、「そうですね。こちらでもできる限りのことはいたしましょう」
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないのよ。それを分かってちょうだい」
 ユンナが伯爵に詰め寄った。
「はい、はい。大変なことになっているのですね? 分かりました、強力いたします」
「―――」
 オーマとユンナは、伯爵の様子に大きな不審感を抱いた。そのとき――

 オーマの左胸部の。
 ユンナの左腹部の。
 それぞれに刻まれたヴァンサーたる証、タトゥがうずきだした。
 刹那――

 館が揺れた。
 まるで館ごとシェイクするかのような巨大な地震――
 タトゥがうずく。がくがくと世界が揺れる。
 徐々にそれが強くなっていき、
「あ……つい、熱い……タトゥが……っ!」
 ユンナの美しい声が悲鳴をあげる。
 タトゥから伝わってくる痛みが、内側から激しく二人を翻弄する。
 こんなうずき、こんな揺れ、こんな熱さ、こんな痛み――

 ―――……

     **********

 いつの間に気絶していたのだろうか――
 ふと二人が意識を取り戻すと、そこは相変わらず館内だったが、大勢いた客も召使も、目の前にいたはずの伯爵さえもいなくなり、
 そして衝撃の光景が二人の前に広がっていた。

 そこは血の海――

「なんだ……これは……っ!」
 オーマが近場の壁に拳を叩きつける。
 遺体がない。
 しかし、その赤い色は間違いなく血だ。この鼻につく匂い。嫌な匂い。
「オーマ。外へ出ましょう」
 ユンナに促され、二人は館の中から出た。
 しかし――
 そこは、外ではなかった。
 オーマが料理の腕を振るっていた庭ではなかった。
 まして海の見える、美しい庭ではなかった。
 そこは――
 建物の中だった。

 壁にかけられている紋章に、嫌になるほど見覚えがある。
「アセシナート公国……だと!?」
 それはエルザードと長年対立し、
 そして――ゼノビアの力をずっと狙い続けてきた隣国の名。
「なぜこんな場所に……」
 ユンナがつぶやく。
 二人は建物の中を捜査し始めた。

 そこはどうやら、何かの研究施設内であったらしい。
 胸にアセシナートの印章をつけた白衣の男、女たちがあちこちに見える。
 そしてオーマたちとはちあわせして、驚いたように瞠目した。
「お前たちは……なぜここに!」
「そりゃあこっちのセリフだ、馬鹿野郎!」
 逃げ出すように走り出した研究員は、誰かに知らせに言ったのだろうか。
 しかし、一足遅くオーマにつかまった研究員もいた。
「おい……! 今度は何をたくらんでやがる!?」
 ぎりぎりと胸倉をつかみあげ、呼吸ができるかできないかぐらいまで締め上げる。
 研究員の唇が必死に動いた。声は出ない。
 オーマは手の力を緩めた。
「いいか、俺がいつでもお前さんを苦しい目に遭わせられるってことが今分かったな?」
 胸倉は決して離さずにオーマは脅す。
 研究員はこくこくとうなずいた。
「ではお答えなさいな。いったい何をしているの?」
 ユンナが研究員の背後に回り、低い声で尋ねる。
「……ウォズ……が」
「ウォズが何だって?」
「ウォズに致命的な――攻撃を受けて、具現侵食……された人間は、その者そのままウォズ化する……っ」
「―――!」
 それは、オーマたちの故郷ゼノビアでは一般常識。
 しかし、アセシナート公国はまだ知らないはずだった。
(知られたのか……っ)
「それで、まさか――」
 ユンナの声に緊張が混じる。
 それはすでに、嫌なことを予感している声――
 途端、
 糸が切れてしまったのだろうか。オーマがつかんでいた研究員が高笑いを始めた。
「はははははは! そうだ、我々アセシナートはソーンの人間をウォズ化させ、新たな異端生物兵器の創造を試みているのだ……!」
「――その実験に、館の人たちを使ったのね……!」
 ユンナが研究員の背後から横へと回り、男の横っ面を張り倒す。
「なんてこと……なんてことを……!」
 続いてオーマが、研究員を近場の壁へと叩きつけた。
 たまらず研究員は昏倒する。
「なんて……こと……」
「ユンナ。今は嘆いている場合じゃない」
 オーマはユンナの肩に手を置いた。「しかしなぜあの館が――」
 オーマたちは再び走り出した。
 怪しい場所はないか。ひょっとしたらソーン人たちも無事なのではないか。
 そして見つけたのは、『立ち入り禁止』と札がかけられた場所だった。
 オーマはその扉を、迷わず蹴破った。

 二人は、たちすくんだ。
 大量の――
 大量の、培養カプセル――
 その中に沈む、見覚えのある人々――
 ……あの館の、客たち――

 培養カプセル内に入った館の人間たちは、すでに侵食が始まっていた。
 ウォズ化。
 ところどころ醜悪に、獣のように変化して。
 中には体の80%侵食が進み、むごい姿に成り果てている人々もいて。
 生きているのか、死んでいるのか、それさえも分からぬ状態で。

「何て……ことを……っ」
 オーマはがんと壁を殴りつける。
「何てことを……! アセシナートは人の命を何だと思っていやがる……!」
「ああ……」
 ユンナがふらりと培養カプセルの間を歩いていく。
「ああ、この子……覚えているわ。初めてバレンタインの告白がうまくいったその記念に、館へ二人で来たって……私に話してくれた……」
 ひとつの培養カプセルの中の、まだ二十歳にも達していなさそうな少女を見上げて。
 少女は右半身が醜悪な姿に成り果てていた。
 ユンナは振り返った。
 後ろにあったカプセルには、下半身が侵食された女性が入っていた。
「ああ……っ」
 ユンナはカプセルに手をついて、のどの奥からしぼりだすような声を出した。
「この子……っ! この子は妊娠していたのよ……! 結婚後初めてのホワイトデーだって、そう言って笑って……っ!」
 ホワイトデー。
 それは新たな愛を生み、
 それは新たな命を紡ぐ日のへの一歩となり、
 大切な大切な、

 庭に、館にあふれていたはずの、客たちの笑顔。

「みんなの想いを……踏みにじった……っ!」
 オーマが再び壁を拳で殴りつけ、ユンナがカプセルにすがりつく。
「彼らを助ける手立てはない……」
 オーマはつぶやいた。
「ない……しかし、それでも……っ」
「このままに、しておけるものですか……っ!」
 オーマは大銃を生み出す。
「この施設をぶっ壊す……!」
 手始めに扉をぶち壊し、それから客たちに当たらないようにカプセルを破壊していく。
 ゆらりと崩れるようにカプセル内から落ちてくる客のひとりを、ユンナが両手を広げて受け止めようとした。
 しかし、

 カッ

 客たちの生気のなかった瞳に、光が走った。
「―――!」
 ユンナはとっさによけた。
 下半身がウォズ化していた元妊婦の女性が、その下半身の鋭い爪でユンナを蹴り上げて攻撃しようとする。
「………っ!」
 背後では右半身が侵食された少女がその右手の爪をユンナに向かって振り下ろす。
 ユンナは必死でよけた。

 すべての客が覚醒した――

 ウォズのように瞳をぎらぎらと光らせ、客たちはオーマとユンナに攻撃を繰り出してくる。
 元はソーン人。元は人間。
 それを思うと、オーマたちには普通のウォズに対して行う封印もできなければ、当然反撃もできない。
 徐々に、徐々に追い詰められていく二人――

 かつ、かつ、かつ……

 ――廊下を、歩く音がした。

 かつ、かつ、かつ……

 オーマたちはとっさに振り向いた。
 最初にぶち破った扉。そこから。
 ひとりの紳士が――歩いてくる。
 アセシナート公国の服をまとった――

 エンデ・クリスト伯爵。

「あんた……」
 オーマは呆然とその姿を見た。
「アセシナートの人間だったのね……っ」
 ユンナが悔しげに唇を噛む。

 伯爵の登場により、半ウォズ化した客たちの動きが止まった。
「ふむ……」
 伯爵は、手にしていたステッキをくるくると回した。
「中途半端に兵器化してしまったようですね。しかし、我が命令は聞くようだ――」
「兵器……兵器ですって……!?」
 ユンナが悲鳴のような叫び声をあげる。
 伯爵は、穏やかな表情でユンナを見た。
「いけませんよ、あなたは素晴らしい歌姫。そんな大声を出してはのどを痛めてしまいます……」
「この期に及んでなにをぬかしやがる――!」
 オーマが吼えた。
 伯爵は、今度はオーマを見た。
「あなたの料理は、それはそれはおいしかった。アセシナートではついぞ食べたことのない上等な味でした」
 にっこりと。
 あまりの穏やかさに、二人の背筋に怖気が走る。
「残念です……あなた方がアセシナート側についてくれると言ってくれるならば、私はそれを推薦するのですが」
「誰が……っ!」
「――そうおっしゃるのでしょうね」
 伯爵はステッキで床をついた。
 コン
 軽いはずのその音がやけに響いた。
 そして――
「―――!!」
 その音を合図に、客たちが再びオーマたちに襲いかかる――
「……では、さようなら。永遠に」
 伯爵は丁寧に礼をして、戦場に背を向けた。

 こつ、こつ、こつ……

 オーマたちの必死の抵抗、無駄な客たちへの呼びかけが聞こえる。
 伯爵はゆったりと微笑んだ。

 こつ、こつ、こつ……

「――アセシナートがここまで分かっていることを」
 ふいに、
「ヤツらにも知らせておくかと思って……放っておいたんだが……」
 横から、声。
 伯爵は足を止めた。
 曲がり角から――すっと姿を現した青年がいた。

 黒髪に、黒い瞳の――

「あなたは……たしかあの歌姫の連れの」
「俺のことなどどうでもいい……」
 青年は足音も立てず伯爵に近づいてくると、
 がっ!
 その右手で、伯爵の顔面をわしづかんだ。
「………っ!」
 伯爵がその手を引きはがそうとステッキを取り落とす。
 青年は、小さな声でつぶやいた。
「……あの妊娠した娘……流産しただろう」
 ――理由はそれだけで充分だ。
 ジュダは囁いた。
「伯爵よ。やりすぎは火傷の元だ。せめて実験台を選ぶべきだった――」
 もっとも……
「……火傷も感じないだろうがな」

 伯爵は、すでに息をしていなかった。

「………?」
 オーマとユンナは、ふと起こった異変に立ちすくんだ。
 満身創痍となりながらも決して客たちには手を出さなかった彼ら。それでも容赦なく襲いかかってきた客たち。
 その客たちの動きが止まり――
 そして、
「え……!?」
 客たちのウォズ侵食が解け始めた。
 下半身を侵食された女性は普通の下半身に戻り、
 右半身を侵された少女は右半身が戻り、

 すべての客が。
 元の姿に戻っていく。

 客たちは、そのまま地面に崩れ落ちていく。
 オーマとユンナは慌てて駆け寄った。――全員息がある。
「どうして……」
 呆然とつぶやく二人に、
「……こんなところで何をしている」
 淡々とした声がかかった。
 二人は振り向いた。
 そこに、ジュダがいた。
「ジュダ……っお前、お前こそいったい今まで何を……!」
「休んでいたと言ったろう。そこでこんな騒ぎか……まったく迷惑な話だ」
「迷惑だと……!?」
 オーマが激昂してジュダに掴みかかる。
「迷惑だ。ただアセシナートに客たちが捕まっていただけなのだろう」
「何を言ってやがる! 客たちは危うくウォズ化して……ウォズ化して……」
 ――一度ウォズとなったら二度と戻れない。
 それなのに、客たちは元に戻った?
「なん……でだ?」
「夢でも見ていたのか、二人して」
 ジュダは冷たい声でそう言った。
「夢……」
 ユンナが下半身を侵食されていた女性の傍らに膝をつき、その下腹部に触れた。
「いいえ……夢じゃない……」
 涙がにじんだ。
 ――そこに、生命を感じない。
「………」
 ジュダはそっとユンナに寄り添って、
「……歌ってやれ。彼女のために」
「………」
 ジュダに肩を抱かれ、ユンナは震える唇を開いた。
 涙声の、旋律が広がる――
 ユンナは歌った。涙に負けず歌った。
 その声は、女性の下腹部にほのかな光を灯し――
「……新しい命が生まれるかもしれんな」
 ジュダが囁く。
 ユンナがほんの少しだけ、微笑んだ。

 そこからオーマたちは研究施設が海の中を移動できる建物だということを発見し、それを操作してアセシナートからエルザードへと戻った。
 アセシナートの研究員たちは、すべてエルザード王城へと突き出し。
 客たちは、大半が何が起こったか分からぬまま帰っていった。
 ――中には、涙にくれて帰ったカップルもいたけれど。
「どうか……」
 ユンナは胸元の輝石を握り締め祈った。
「彼女たちに祝福を……ホワイトデーという日が、嫌な記憶とならぬよう……」
 そうして彼女は、帰ってゆく客たちを歌声で送った。
 すぐ傍に、暖かい気配を持つ青年がいてくれることを感じながら。

「アセシナートがあそこまで研究を進めているとはな……」
 オーマは歌うユンナと、その傍らによりそうジュダを後ろから見つめながら、独りごちた。
「本当に……ろくな国じゃねえ。あの国は……」
 アセシナートとは言え同じ人間。憎みたくはない。憎みたくはないけれど。
「今度何かやりやがったら……許さねえ」
 ぐっと拳を握る。
 そして――ふと思い出した。
「ん? ホワイトデー……」
 その単語。自分が今日、何をしていたか。
 オーマは真っ青になった。
「しまったーーーー! アルバイトがパアじゃねえかーーーー!」
 時はもう完全に日が落ちた時間。何もかももう遅い。
 オーマは涙にくれた。

 暗がりの海が、ざざんと切ないさざめきをオーマに送っていた。
 

 ―Fin―


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

東京怪談
【1355/五代・真/男性/20歳/バックパッカー】
聖獣界ソーン
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2083/ユンナ/女性/18歳/ヴァンサーソサエティマスター 兼 歌姫】
【2086/ジュダ/男性29歳/詳細不明】
*年齢は外見年齢です。実年齢とは違っている場合がございます。

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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オーマ・シュヴァルツ様
いつもありがとうございます。そしてホワイトデーに間に合わずごめんなさい、笠城夢斗です。
今回、初めてアセシナート関連のお話を書かせていただき、とても緊張しました。こんな感じでよろしかったでしょうか?
機会があれば、また書かせていただけますと嬉しいです。
またお会いできる日を願って……