<東京怪談ノベル(シングル)>


 喉もと過ぎれば


 別にそれが目的であげるっていうわけじゃないのよ。
『お世話になってます』の意味を込めてあげているものだから、勿論他意はないし、相手だってそれはわかっていると思うの。
 だからまぁ『お返し』がなくたって、イチイチめくじらたててどうだこうだっていうものでもないと思うのね。
 第一それって結構かっこ悪いじゃない。
 まるでお返し(しかも三倍返しくらい)を狙って配りまくってるみたいじゃない。
 怒ったりしちゃみっともないでしょ?

 バレンタインデーもホワイトデーも、そもそも相手のことを想う事から始まったものじゃないの?

 ――と。
 思っていたんだけど。
 ついさっき、姉の報告を聞くまでは。

 ◇

「はぁああああ!」
「うわぁ!」
 金属のぶつかり合う、乾いた音が響き渡った。彼女の怒声と男の情け無い声が続く。そうして、竜の叫びが辺りの空気を震わせた。
 演習中の出来事であった。
 いついかなる時に出撃命令が出ようとも、対応できなくてはならない。だからこそ、演習は常に行われている。
 対戦相手は同僚や時には先輩。だから必然的に顔見知りだって多くなるわけで、今セフィスの目の前にいるのもそういう中の一人だった。
「ちょ、ちょちょちょちょっと待ってセフィス!」
 待った! と手を伸ばす男に、彼女は飛竜と共に急降下する。ぐんと目の前に地面が近づいたかと思った瞬間に体制を整え、下から追撃。それを苦しそうに避けた相手に向かい、今度は槍を構えた。
「戦場でその手がきくものか!」
「ち、違う、な、なんか鬼気迫るものが……!」
「問答無用!!」
 ハッ! と威勢の良い叫びとともに、彼女の持つ槍が大きく振り下ろされた。男は慌てて飛竜をコントロールし、すんでのところでかわす。パラと髪がいくらか千切れて『殺される!』と青くなった男の様子も、セフィスの目には入らないようだった。
「セ、セフィス、もしかして機嫌が悪……」
「悪くない!!」
「ぎゃーー!?」
 あぁ、雉も鳴かずば撃たれまい。
 彼女の目がキラリと光り(光ったように見えたのだ、彼には)敏速性も瞬時にあがったような気さえする。
 そう、いわずもがな彼女は機嫌が悪かったのだ。
 思い返せば数時間前。
 姉の嬉しそうな報告。もとい。多分自慢したかっただけに違いないのだけれど。
 バレンタインデーのお返しといって貰った豪華な贈り物の数々。
 それだけならば別に怒りやしない。怒りやしないのだけれど、問題は、自分も同じくらいの人間に同じようなものをあげていたのに、何一つお返しをもらえていないという事実だ。
 お返しがもらえないからと怒るなんて、醜いじゃないの。
 そう自分に言い聞かせて一度はグッと堪えた。
 けれどチラリと目の端に姉への贈り物が映ってしまえば――感情が一気に沸点まで駆け上がっていったのだ。
 ――この場合可哀想なのは、偶々セフィスと組むことになった演習相手の男といえるだろう。
 彼の心境を、そりゃもう単純明快に表せば。
「も、もしかしてオレ、八つ当たられてる…!?」
 ということになるわけで。
「逃げるな卑怯者!」
「そんな無茶な…!」
「覚悟!!」
 彼女の竜は的確に逃げ惑う男を追った。
 今のこの場でだけならば、誰の追随さえも許さないようなスピードで風を切り、彼女の槍はどんな岩さえも砕きそうな鋭さを持って彼を狙っている。
 再びセフィスの竜が雄叫びを上げたとき、勝負はすでに決まっていた。

 ◇

「すごかったよね、今日のセフィス」
「演習とは思えなかったよ」
「俺達も負けてられないな」
 そんな声が周りから聞こえる、演習後――
 セフィスは汗をタオルで拭きながら、軽い足取りで竜の傍を離れた。
 回りの囁きなど知ったことではなかったけれど、確かに今日の演習は、かなりいいものであったと言える。それは流れ出る汗が物語っているし、何より気分もかなりスッキリしている。
 思わず鼻歌など歌ってしまうほど、だ。
「…あ」
 視線の先に今日の演習相手を見つけて、セフィスはタオルを持ったまま大きく手を振った。ビクと驚いたように肩を揺らした相手に首を傾げつつも近づいてみる。
「今日はいい演習だったわ」
「そ、そうかい。それは良かったよ」
「どうしたの、随分と疲れているのね」
 あまり顔色のよくなさそうな相手に問うてみると、ただ彼は、曖昧に笑って返すだけだった。
「……変なの」
「……お互い様って事で、どうかな?」
「どういう意味よ?」
「……こっちの話です」
 わけの分からない返答をされてますます謎は深まるばかりだったが、笑って返すだけの男にセフィスもそれ以上は聞かなかった。
 タオルが汗で湿ってきている。シャワーを浴びにいったほうがいいだろう。
 それじゃあと適当なところで話を切り上げて、彼女は元の道へと戻る。背後で『またな』と手を振る同僚に、セフィスは思い出したように振り向いて口にした。
「また手合わせしましょうね」
 男の動きはピタリと止まって、やはり、ただ曖昧に笑って返すだけの仕草。
 ――セフィスもまた、やはり不思議そうに首をかしげながらその場を後にするのだった。


 -了-