<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
『祖父のアルバム』
< 1 >
「リリンお嬢様!また白衣のままでお休みになりましたね!」
家政婦ロボット、ミセス・ローズウォーターの甲高い声が、睡眠不足の頭に響いた。リリン・ゲンナイは返事もせずにダイニングテーブルに付くと、のろのろとコーヒーをすすった。ピンで無造作に止めた前髪はあらぬ方向へ跳ね上がり、いい加減にかけたメガネもズリ落ちて低い鼻にかろうじて止まっていた。
家政婦のいれるコーヒーは薄くてあまりおいしくない。絶対、少しコーヒー豆をケチっている。いや、眠いから、ヘビィなコーヒーを体が欲しているだけかもしれないと、リリンは考え直す。
「昨夜は遅くまで調べ物でしたか?」
家政婦はキツネ色のトーストを皿に滑らせると、『食欲が無くても食べるように』というように、強い眼力でリリンの目をしっかりと見つめた。添えられたサラダには、苦手なブロッコリーがでんと居すわる。
地下書庫の灯がずっと点いていたのを知っているようだ。彼女は眠ることはない。朝の光の照り返しが眩しいメタリックなボディに、これまた目に滲みる純白の胸当て付きエプロンをまとい、常に何か仕事を探して動いている。祖父の作ったこのロボットは優秀すぎるほど優秀だった。
「召し上がったら、すぐにお洋服を着替えてくださいね。洗濯しますから。・・・もう少し、ピンクや赤の、娘さんらしい色を着たらいかがですか?」
甘ったるい服をリリンに着せたがるプログラムは、たぶん祖父の趣味だ。リリンはアースカラーや紺などの地味な服が好きなのだが。食事に必ず一品、リリンの嫌いな食材を混ぜるのも、祖父の差し金だと思う。
太陽系第三惑星の中立国の、研究施設だらけの街。かつて、リリンはそこで、科学者の祖父とミセス・ローズウォーターの三人で暮らしていた。両親は海外を飛び回る研究者だと聞いていた。テレビ電話でしか話したことはなかった。
祖父の研究上必要だったらしい何かのマシンが暴走し、爆発した。その衝撃で家ごとソーンへ飛ばされたのは数年前のことだ。もう両親とは会えなくなってしまった。テレビ電話で話すこともできない。
ソーンに来てしばらくすると祖父も亡くなり、今、リリンはミセス・ローズウォーターと二人暮らしだ。屋根のソーラーシステムはまだ生きていて、電気の無いソーンでもパソコンや冷蔵庫を使用することができた。
祖父の研究は、よくわからない。祖父のパソコンの研究データには何重にもロックがかかっているし、リリンも覗くつもりはない。子供の頃に『無機物と有機物の融和』という難しい説明だけ聞いたことがあった。今も庭の花時計は光合成エネルギーで動いている。前の家には、番犬の五感を利用したセキュリティ・システムがあった。
昨夜は、書庫で資料探しをしていたわけではない。小さい頃、『これ何?』と尋ねたスクラップブックを、祖父が『わしのアルバムじゃよ』と答えたのを思い出したのだ。
リリンは、もうママ・パパの恋しい歳ではない。自分も科学者の端くれであるし、そんな甘えん坊ではないつもりだ。
自分は本当に人間なのか?祖父に造られたアンドロイドではないのか?いつもつきまとうその不安を払拭したくて、アルバムを探した。母のお腹がせりだした写真や、父が赤ん坊の自分を抱いた写真は無いのだろうか?
だが、白い指を埃まみれにして、本の山を右から左へ移しかえてみても、スクラップブックは見つからなかった。死期を予感した祖父が処分したのか。だとしたら、何故、処分せねばならなかったのか。
「ミセス・ローズウォーター。あなたは、いつぐらいから祖父に仕えていたの?」
リリンは堅くなったトーストを口に押し込み、コーヒーで無理矢理流し込んだ後、何気なさを装って尋ねた。少なくとも、リリンがものごころついた時から彼女は隣にいた。
「博士がお嬢様夫妻からリリンさまをお預かりした頃でしたかしら。わたくし、子育ての経験がありませんし、リリンさまのオテンバぶりには苦労いたしました」
『オテンバで悪かったわね』と小声で悪態をつくと、ミセス・ローズウォーターは聴覚センサーの感度を二倍に上げたらしく、「いえ、元気で何よりでしたわ」とフフと笑ってみせた。
「あなたも、ボクのパパとママには会ったことはないのね?」
「もう17歳のレディが、そろそろ『ボク』はおやめくださいな。・・・ええ、テレビ電話でお会いしただけですわ。ご両親が恋しいですか?」
「べつに」と即答し、プイと横を向く。リリンの質問の意図を誤解した家政婦は、「無理なさらなくてもいいのですよ。リリンさまはまだ17歳ですもの」と、微笑んでみせる。もう17歳なのか、まだ17歳なのか、ハッキリしてほしいものだ。
「ああ、そういえば、博士のパソコンのファイルに、ご両親の写真が入っていると聞いたことがあります。紙の写真は全部取り込んで廃棄したとおっしゃっていたような。
お嬢様の少女時代の写真や、結婚式の写真や。リリンさまが赤ちゃんの頃の写真もあるはず」
「うそっ!」と、リリンは立ち上がった。
「リリンさまっ!お食事が済んでからになさい」
「・・・。」
母親に叱られたように、リリンは再び椅子に座った。頬を幾分か不満そうに膨らませながら。
< 2 >
研究資料のファイルと違い、写真フォルダーはパスワード無しで閲覧できた。階層が深くて今までリリンも気付かなかっただけだ。以前、ちらりとフォルダーを開いたことはあったが、「も〜う、おじいちゃんのエッチ!」という写真だったので、それ以上覗くことはなかったのだ。
アルバムの画像は30件ほどで、そう多くなかった。厳選して取り込んだのだろう。
両親の結婚式の写真。目元が祖父によく似た母と、広いオデコがリリンに似た父。父はオールバックにしているので、くるんと丸い額がよけいに目立った。母はテレビ電話よりふくよかに見えた。若い頃なのでぽっちゃりしていたのかもしれない。指で触れてみたくなるような、エクボが可愛らしいひとだった。テレビ電話のモニターではエクボがあるなんてわからなかった。
少女時代の母が、庭で小犬と遊ぶ写真。ピンクのワンピースと髪に揺れるレースのリボン。祖父がこういう服装をさせたがるのは、きっと、母がコレが似合ったからなのだ。
「あ・・・!」
リリンの視線が次の画像に釘付けになった。『存在するものなら見たい』と、ずっと欲していた、母が赤ん坊を抱く写真だった。これで自分は人間だと安心できるのか、リリンにはわからない。だが、照れくさそうに、しかし嬉しそうにエクボをへこます母の表情は、胸に迫るものがあった。
リリンの記憶が本物だとして。母がリリンを抱く写真の背後のカーテンには、覚えがある。これは、今の家に以前かかっていた柄だ。リリンを連れて祖父のところに遊びに来た時の写真かもしれない。祖父がリリンを膝に乗せるものもある。この写真は母が撮ったのだろう。祖父はもう髪も真っ白で、既に老人という印象だ。
「ボクが赤ちゃんの頃から、じーさんだったのねえ」
この当時、ミセス・ローズウォーターはまだ存在しない。鉄の塊として研究施設か工場のどこかに転がっていたのかもしれない。
「お写真、見つかりました?」
ミセス・ローズウォーターが書斎に静かに入室し、デスクにコーヒーカップを置いた。何杯も飲むから、薄いコーヒー。ミセス・ローズウォーターの行動は、祖父によって『リリンの為に良いように』プログラムされているのだ。
「テレビ電話は画像が悪いでしょう、お嬢様がこんな綺麗なかたとは思いませんでしたわ」
自分もモニターを覗き込み、本音なのか世辞なのかわからぬ感想を洩らした。
「優しそうなかたですわね」
何の振動によってミセス・ローズウォーターの声が作られているのか、リリンは知らない。だが、機械であるはずの彼女の声には温かみがあった。
「うん」
リリンは素直に頷く。母の姿を見られたことは嬉しい。柔らかな布に包まれたリリンを抱く指、その細い指の曲がり具合や手の甲の筋にまで、リリンへの想いが感じ取れた。
だが、もう過去のことだ。エルザードにいる限り両親には会えないし、だいたい、元の世界でも会った記憶のない人たちだ。
リリンを育ててくれたのは、今は亡き祖父と、そして、冷たい腕(かいな)と堅い頬のミセス・ローズウォーター。
母への暖かい想いと共に、家政婦ロボットへの愛情も意識した。それはリリンの中に確固として有った。普段は、口うるさい彼女が疎ましくて、あまり気付かないのだけれど。
「ねえ、ミセス・ローズウォーター。午後から、買物に付き合ってくれない?」
「はい?どうなさいました?」
「花柄のブラウスとか、着てみようかなと思って。ピンクの。一緒に選んでくれる?」
「・・・。了解いたしました」
ミセス・ローズウォーターは、銀色の頬をゆるませて微笑んだ。
このみごとな『間』は、祖父のプログラムなのか。彼女には感情はない。でも、ミセス・ローズウォーターを好きだという想いも、育ててくれたことを感謝する感情も、リリンの方には存在する。彼女がリリンにピンクを着せたがっているように振る舞うのなら、着てあげたい・・・そう思う気持ちは、プログラムでは無い。
「でも、お出かけは洗濯が終わってからですわ。朝食が終わったらお洋服を着替えてくださいとお願いしたの、もうお忘れですね?」
「あ」
ペロリと舌を出したリリンを、瞳を細めて眺め、『しょうがないですねえ』とため息をつく。
彼女は今同時に、エルザードのブティックのデータを整理しているのだろうか。それとも何を着ていこうか、手持ちの服を検索しているのかもしれない。
どちらにしろ、楽しい午後になりそうだった。
< END >
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