<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
+ 赤ん坊?! +
けたたましい泣き声が響くアルマ通り。
誰かの赤ん坊が生まれたのだろうか。子育ては大変だな。そう通り過ぎる者たちは思ったが、声がする先を見ると建物と建物の間の小さな隙間に、毛布で包まれた赤ん坊が一人。泣いているのである。
おつかいの途中であったルディアが傍によると、毛布には紙が差し込まれていた。
『この子を育ててください』
ルディアはこの子を抱っこすると、ニコっと微笑みかけた。綺麗な黒髪の赤ん坊である。
赤ん坊は泣き止んだが、お腹が空いて、また泣いた。
手をバタバタとさせる赤ん坊に、買ったものが落ちそうになったが、『元気な証拠』と思うことにした。
「…あれ? ルディアさん?」
「おやおや、赤ん坊が産まれたんですか?」
やっとの思いで白山羊亭に帰ってきたルディアと目が合ったのは、午後のティータイムを楽しんでいたリラ・サファトと高遠 聖の二人。
「あは、あははは……」
ルディアはひきつった笑顔をしてから、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか?!」
リラと聖が駆け寄ると、見知らぬ赤ん坊がルディアの髪をひっぱったり、ぐちゃぐちゃにしたり、頬をぺちぺち叩いたり……
「キャッキャッ♪」
「イタタ……すいません、これちょっと持ってください」
ルディアは買い物袋を二人に渡すと、赤ん坊を髪の毛から離そうと奮闘している。
その様子を見る二人は目を丸くしながら、
「ルディアさん、その子…?」
「ままー」
「ママじゃ、ないよ……。実はこの子、通りに置き去りにされていて、この紙」
髪の毛から離したものの、ルディアは疲れ果てたように力なく、さっきの紙を二人に見せた。
「『この子を育ててください』って……」
「まさか……」
はっとして、思わず口を手で塞いだ。しかし赤ん坊は大きな目でギョロギョロと三人を見て、ニッコリ笑った。
リラはルディアの髪で遊ぶ赤ん坊を抱っこした。思ったより軽く、そしてそこにはちゃんと生きている証拠である『温かさ』があった。
その温かさを感じると、また違う感情も湧いてきて、聖とリラは顔をあわせ、頷いた。
「ルディアさん、僕たちにも赤ん坊の世話を手伝わせてください」
「私は卵の子を育てた事あるから…少しはお力になれると思います」
「ほ、本当ですか?!」
疲労しきったルディアの顔に、ほんのりと桃色の温かさが戻り、両手をあげて喜んだ。
「じゃあまず、おつかいの途中だったんで、この子を見ていてください。また買い物に行ってきますね!」
「いってらっしゃい」
ルディアは、いつの間にか買い物袋を全部持っていた聖から袋を受け取ると、台所へ行き、そして白山羊亭から飛び出していった。
■□□□■
しばらくしてからルディアは、大小さまざまな袋を持って帰ってきた。
しかし店内には客はいず、隅のほうでリラと聖がかたまっていた。
「あれ? リラさん、聖さん。何かあったんですか?」
たしか、赤ん坊を抱っこして帰ってきたときは、もっとお客さんがいたはずなのに。
「シー」
リラは口の前で人差し指を立てた。もう一つの手には空の哺乳瓶。
「ちょうど今寝たところなんです」
聖に抱かれ、赤ん坊はすやすやと眠っている。
「こうしていると可愛いんですがね」
「実はこの子が泣いちゃって…その声でお客さんが帰っちゃったんです。すいません、これって営業妨害ですよね……」
しゅんとするリラにルディアは微笑んで、
「泣かない赤ちゃんのほうがもっと嫌だよ! ね?」
「ちょっと待ってて」と言うとルディアは台所に買い物袋を半分置き、鍵を持ってきた。
「店長がね、この部屋を使ってもいいって」
ルディアの案内で二階へ上がり、すぐ右の部屋。ガチャッと音をたてて開いたその部屋は、広さは十分にあるが、ベッドが一つ、テーブルが一つ……
「広さのわりに物がないけど、これから赤ちゃん用のものとか入れると狭くなっちゃうからね、とりあえず」
ジャーン! とルディアが見せたのは大きなテディーベアであった。
「わぁ、可愛い…!」
「さらに」
ドーン! と見せたのは赤ん坊専用のベッドだった。
「近所のおばさんがお古をくれたの。あの子の泣き声、外に響いていたみたいで」
「そうですか。さすがに毛布だけじゃ可哀想ですからね。とりあえず、置いてみましょうか」
リラ、聖、ルディアの三人は部屋の中にベッドを置くと、赤ん坊をそっと寝かせた。
赤ん坊は幸せそうに寝返りをうった。
その様子を、リラは目を細めて見ていたが、
「リラ?」
「…こんなに可愛い子なのに、お母さんはどうしたのかな……」
「一応探してみようと思うんですが、最悪、ここで育てようと思います」
さっきまで一緒になって笑顔になっていた二人の表情が悲しく、そして自分自身の過去や考えと重ね、さらに寂しく――
「さぁ、この間に色々決めましょうか」
できるだけ明るい笑顔で聖は二人に話しかけた。
「え?」
「いつ誰が世話するとか。僕はいつでもいいですけど、リラはお花屋さん、ルディアさんはここの仕事……なかなか三人一緒に世話はできないかと思って」
「そうですね。私は昼間ずっと仕事だから夜だけしか…」
「じゃあ…私はルディアさんのお仕事中にお世話をします」
「僕は用事がなければ来ますね」
こうして三人の子育て生活がスタートした。
■□□□■
窓を開け放し、ほのかな陽気が風から伝わる午後、リラはふと、疑問に思った。
「そういえば…この子の名前は紙に書いてなかったのですか?」
あれから一週間。はじめは戸惑って赤ん坊がさらに泣き出したこともあったが、少しずつ慣れつつあった。リラは夜の間に服とおしめを縫って準備し、聖は洗礼をしてはいないが聖書を読み聞かせていた。そしてルディアはお客さんに聞いてみたり、張り紙を貼ってみたりして母親を探していた。
今はリラの担当の時間だが、ルディアが軽食とミルクを運んでくれて、部屋にいる。
「おぎゃあー!!」
「ど、どうしたの?! ミルク? おしめ?」
そして、なぜか名前の話をすると赤ん坊は泣いた。
「言われてみれば、紙にも名前が書いてなかったです。ずっと『赤ちゃんや赤ん坊』って呼んでましたもんね。私たちで決めちゃいましょうか?」
「いいですね」
赤ん坊をあやしながらリラは窓の外を見た。結局、ミルクでもおしめでもなかったのだが。
「リラ」
窓の外には、白山羊亭に向かう聖がいた。聖は此方に気づき、手を振った。片方の手には小さな箱が握られている。
「あ、聖さん! はやくはやくー!!」
ルディアは身を乗り出して叫んだ。
「あああああぶないです!」
リラと聖は同時に叫び、慌てて聖は部屋へ向かった。
聖が部屋に着くと、ルディアはリラに謝っていた。
「この子がマネしたらどうするんですかー!」
「うぅ…今度から気をつけます…」
「まぁまぁ、反省していたらいいじゃないですか。クスクス」
プンプンと怒るリラを見ると笑いが、
「ななななに、笑っているの!」
「だって♪」
「あの、三人そろったんで、赤ちゃんの名前を決めませんか?」
「おぎゃあー!」
赤ん坊はまた泣いた。
「…疑問に思っているのですが、名前の話をしたり、思ったりすると、この子すぐ泣いちゃいますね」
「でも、ずっと名前がないのは可哀想だよ…それに人って名前を貰う時にもう一度生まれるんだと思うから…皆で決めましょう」
「そうだね。じゃあ……どういう名前にしましょうか。いざ決めるとなると、何もうかんでこないけど…」
「うーん…」
「キャッ!! うっうっ」
赤ん坊はじたばたし始め見ると、鼻のあたりに白い羽が落ちていた。
「あらら…これじゃあ、くすぐったいね」
ルディアがそれを取ると、赤ん坊はまだくすぐったそうに、ごしごしと手で鼻を触っていた。
「たすく…」
「ん?」
「たすく、はどうかな。『翼』って書いて『たすく』って読むの」
「翼か。良い名前だと思うよ♪」
「私も!」
それから三人はパーティーを開いた。それはリラが、
「そうだ、名前が決まったらお誕生会をしたいですね」
「どうして、お誕生会なんですか?」
「だって、人って名前を貰う時にもう一度生まれるから。もう、捨て子じゃなくて、三人の子供だよ」
と言ったから。
三人は、それぞれプレゼントを用意して、翼はまだミルクしか飲めないから、ミルクを沢山用意して……
「翼、お誕生日おめでとう」
リラは水仙の鉢植え。聖は小さな箱に入ったロザリオ。ルディアは新しい前掛け。
嬉しいのか、嬉しくないのか、まだ言葉をあまりしゃべれない翼はそれを言葉ではなく、表情で表したけど、とても嬉しそうに笑って、ミルクを沢山飲んだ。
その様子を見る三人は嬉しくて笑いあった。
本当の母親も、ましてや父親も見つからない状況の翼だが、そんな悲しいことを忘れてしまうくらい明るくて、幸せで、永遠にこの幸せが続くよう、三人は祈った。
■□□□■
あれから数ヶ月が経ってから、ある噂が流れた。
「最近、アセシナート軍の活動が活発だ」――
アセシナート軍はエルザード軍と敵対している軍で、その手口は非道であり、過去に何個もの村がやれていた。
今日は昼から雨が降り、雨宿りのために入った者がおり、いつもより客の多い店内では、今まで知らなかった者にまで、その噂が知れ渡っていた。
しかし、ルディアは過去に同じような噂がいくつも流れたが、全て嘘であったため、今回も気にとめていなかった。
突然扉が開き、男が叫ぶまで――
「大変だ! アセシナートの騎士がエルザードに紛れ込んだらしくて、今エルザードの騎士団が町中を捜索しているぜ!」
外は大雨で雷まで鳴っているが、たしかに店の前を騎士が大勢通り過ぎていた。
もちろん店の中にも入ってきた。
そのたびルディアの頭には不安が過ぎり、店長に一言言ってから二階へあがった。
「翼、いる??」
「うんっ、ルデアまま」
翼は、数ヶ月前の誕生日会以来、急速な成長をしていた。原因がわからないが、とにかくこの子の特徴として、変わらぬ愛情をそそいでいた。
不安になって聖は悪しきものの気配を探ったが、何も感じなかった。
「あ、ルディアさん」
部屋にはリラと聖もいた。どうやら三人で遊んでいたようだ。床には積み木が置いてある。
「どうしたの? ルデアまま、汗かいてる」
「ううん、なんでもないよ。ただちょっと顔を見に来ただけだよ」
「じゃあ、またね」と言って、すぐルディアは一階へ降りた。
何もなければ、それでいい。
「ルデアまま、少しおかしかったね、そう思わない? リラまま、ひじりパパ」
「そうね…たぶん、雨だから気分が落ち込んでいるのかも…」
「雨、ひどくなる一方だしね」
窓を閉めても入ってきそうなくらい、横殴りの雨。それでも騎士団は進入してきたアセシナートの騎士を探していた。
しかし、その日、見つけることはできなかった。エルザード軍の騎士たちはもう一度明日、探しに行こうとしたが、ほとんどの者が熱を出し、寝込んでしまった。
仕方がなく白山羊亭には依頼が出された。しかし昨日から降り続く雨で、依頼を受けようとする者は一人も現れなかった。
「雨さえ止んでくれれば……」
アセシナートへの恐怖か、騎士団は高熱に苦しんでいるからか、皆家に帰り、門を硬く閉ざした。中には対抗しようとする者もいたが、雨の異常な水圧によって動けなくなってしまったか、高熱を出した。
「みなさーん、お昼ご飯ですよ!」
「ありがとう御座いますっ」
異常な雨の所為で、リラと聖は昨日から家へ帰れなくなってしまったため、翼の部屋でずっと翼と遊んでいた。そして昼ごはんは四人で食べることになっていたのだ。
「わぁ、美味しそうです!」
「なんたって、ルディアお手製の料理だから!」
「ルディアままの料理だったら、お腹壊しそう」
「そんなことないよ! もう翼ったら! このっ」
翼はまた成長していた。もうどう見ても10歳くらいの少年である。
そして前に聖から貰ったロザリオを首からさげている。一見シンプルなデザインだが、小さく天使の模様が描かれていた。
「あははは♪」
「わっ! もうケンカはヨソでやってよっ」
ピカッ! ゴロゴロゴロゴロ!!!
「きゃっ!」
思わずリラは聖に抱きつく。
「うわっ。あの音じゃ近くに落ちたよ!」
翼は窓に駆け寄ったが、雨はさらに降り出しており、もう外の風景を見ることができなくなっていた。
――どこにいったの?
聖は一瞬、悪しきものの気配を感じた。
■□□□■
やっと異常な雨はポツポツと小降りになり、人々は活動を再開しようと動き出した時、事件が起こった。
「きゃあああ!!」
「おのれっ、何が目的だアセシナート軍め!」
「軍って言っても、ここに二人なんだから。うふふ…まぁいいわ、もう少しで三人になるもの」
コツコツ、と靴の音が迫る。若い騎士は熱でふらふらする体に鞭打ち剣を向けた。
「私は攻撃する気なんてないの。ただ、『鈴山・シュウ』という男を探しているだけ」
「く、来るな!」
「どこに行ったか、知らない?」
今日は珍しく朝から翼の部屋に二人はいた。
――エルザード騎士団の一人が進入したアセシナートの騎士に襲われて、重症を負った。
それはアルマ通りの、まさに白山羊亭の近くで起きた。こんな事件が起こってしまえば店には客もいず、さらに翼が心配なので、この部屋に集まった。
「大丈夫です。僕が守りますから」
聖はいつでも攻撃ができるように聖書を片手に悪しきものの気配を探った。リラは翼が少しでも不安がらないように話しかけ、ルディアは非常食を作っていた。
「ねぇ、何が起こっているの?」
翼は不思議そうに尋ねたが、
「…大丈夫よ」
そう言ってリラは翼の頭を撫でた。
コツコツコツ……
誰かが階段をのぼっている。
普段は気にならない音だが、あの事件以来、道にも店にも人がほとんどいないため、音が響いていた。
コツコツコツ……
誰かが階段をのぼっている。
ルディアかと思ったが、その音は複数――
聖ははっとした。
「リラさん、聖さん、翼、逃げて……」
「ルディアさんっ?!」
扉を開けて入ってきたのはルディアと、ルディアの後ろで首に刃物を突き当てている女が一人。
「こんにちは。そして、久しぶりね。『鈴山・シュウ』やっと見つけたわ」
「えっ」
聖は力を込めて攻撃しようとしたが、
「おっと、そこのお兄さん。そんなことしたら、この子がどうなるか分かっているでしょ? 私はそこにいる『シュウ』に用事があるの」
女が指差した先にいるのは『翼』
「この子は『翼』よ。シュウなんて名前じゃないです」
「貴方は何もわかっていないわ。シュウは自由自在に年齢を操れ、姿を変えることができるの。こんな子供の姿なんて容易なこと」
リラは翼の体をぎゅっと抱きしめた。
「この子は渡さない!」
「私は攻撃する気なんてないの。おとなしくシュウを渡しなさい」
リラと女は睨み合い、
「生意気な子ね。おとなしくしないと、こんなもの当てるわよ」
女の手が光り、発光体をつくった。
「もういいよ! リラ母さん、聖父さん、ルディア母さん。ごめんなさい」
翼は動揺しているリラから離れると、女の前に立った。
「ルディア母さんを放して。それに、こんなこと聞いてないよ」
「上からの命令なの。さぁ、行くわよ」
「待って」
ルディアは放されると、リラと聖のそばに寄った。
翼はリラ、聖、ルディアの前に立って、
「今まで育ててくれてありがとう。親孝行できなくて、ごめんなさい。僕、本当のことを言うと、アセシナートの騎士なんだ。そして本当の名前は『鈴山・シュウ』
彼女の言ったとおり、僕は自由に年齢を変えられる。でもあのときは力が暴走して赤ん坊になってしまったんだ」
「うそでしょ…」
「今まで、本当に楽しかった。親なんて存在、今までなかったし、それにエルザードには良い人が沢山いるんだね。名前も今度から『翼(たすく)』にする。母さんと父さんがつけてくれたから。このロザリオも大事にするよ」
翼は笑っていたが、その笑顔はひきつっていた。
「待って、ください…」
女と翼は徐々に黒い闇に吸い込まれてゆくにつれて、翼は目に涙をため、
「ありがとう……ルディア母さん、リラ母さん、聖父さん!」
そして女と翼は消えた。
その場に残った三人は、放心状態のあと、翼が消えたことは『幻』だということを願って、翼用のベッドを見た。
そこには、三通の手紙が残されていた。
三人は、それぞれに宛てられた手紙に目を通し――
〜END〜
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1879/リラ・サファト/女性/16歳/家事?】
【1711/高遠 聖/男性/17歳/神父】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、田村鈴楼と申します。
このノベルでは赤ん坊と接して、明るく幸せで、そして最後には切なく終わる。という風にしてみたのですが、どうでしたでしょうか?
最後の手紙には何が書いてあったかは、ご想像にお任せ致します。
ご参加ありがとう御座いました!
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