<東京怪談ノベル(シングル)>
過去からの漂泊者
無性に「この土を掘り起こさなければ」という衝動に駆られ、爪が黒く染まるのも構わず木の下を掘った。
夜明けが近いのか、穴の底に下りている私の手元もはっきり見えるようになってきた。
最初に使っていた土を掘りおこす道具は、背後に放り出してしまっている。
あんな物を使っていては、傷を付けてしまう。
――何に?
そんな疑問さえすぐに意識の隅へと追いやられてしまう。
早く、早く。掘り出さなければ。
何かに急かされて両手を動かす。
――何に?
地中より染み出した水で柔らかくなった土は、豆のできた手でも容易に掘る事ができた。
慣れない作業で荒く吐いた息は白いが、寒さに凍える季節はもう過ぎている。
土にまみれた黒い指の先に、桜の花びらが落ちてきた。
そうだ。もう季節は春だから。
けれど見上げた木を夜明けの淡い光で覆う花々は――凍てつく深山の刻早い夕暮れ……闇の蒼色をしていた。
オーマ・シュヴァルツはまだ両手が土で黒ずんでいるような錯覚を覚え、無意識に白衣の裾で拭った。
――とうとう俺の夢にも出てきやがったか。
オーマには似つかわしくないため息と共に向けられた視線の先、診察室から見える中庭には一本の桜が咲いている。
他の花々に先駆け、毎年いち早くほころぶ早咲きの桜だ。
が、その花びらは柔らかな薄紅色ではなく、白を通り越し、蒼ささえ感じられる色に今年は染まっている。
咲き始めは去年と同じく桜色だったものが、満開に近付くにつれ蒼く変わっていった。
今では昼間に夜桜を眺めているようにも思える程だ。
オーマも医者とはいえ植物は専門外なので、知り合いの伝手を頼り樹医に見せたが原因はつかめなかった。
枯れかけているならまだしも、桜はいっそう艶やかに咲き誇っているのだから手の施しようがない。
桜の変化は平穏な日々に新たな波紋ももたらした。
オーマの病院に入院している患者達がうなされるようになってきたのだ。
夜毎、夢の中で蒼い桜を見るのだという。
そして夢の中でその根元を掘るのだとも。
初めは桜の異変に対する集団的な意識変調かと思っていたオーマだが、自分でもその夢を見て考えを改めた。
――あれは何かに操られてる感覚だった。
夢の中で、自分の意志とは関係なく両手が動いて地の下を目指していた。
しかし何を掘り起こしたかまでは覚えていない。
それは患者たちに聞いても同様の答えだった。
――実際掘ってみるしかねぇのかな……。
思案を繰り返すオーマの心に、酒場で耳にした迷信がよぎった。
その客が言うには、桜の木の下には死体が眠っているらしい。
あの薄紅色は、人の血を吸い上げて染まったものだというのだ。
オーマのいたゼノビアでもソーンでも、そんな迷信は聞いた事がなかった。
更に詳しく聞いてみると、それはどこか異界から流れてきた人物が言っていたようだ。
――まさかな。
一旦は苦笑したオーマだが、すぐに表情を引き締めた。
死体が怖いなどという事はないが、患者達が毎晩良く眠れずに体調を崩し始めているのだ。
――今夜あたり掘ってみる、か……。
普段なら桜の木の下には患者の誰かが花見がてら散歩しているのものだが、桜が蒼く染まってからは誰も近寄らなくなってしまった。
人気のない木の周りは、季節から取り残されているようにオーマには見えた。
日中は診察や雑事に追われ、オーマが桜の木の下を掘り始めたのは夜半を過ぎた頃だった。
春のぼんやりとともった月が、辺りを照らし出している。
見上げた桜は夢と同じ、闇に溶け込むような蒼色だ。
オーマは夢で見た場所をざくざくと掘り返していった。
そこに何かが埋まっている、という確信だけは揺るぎなくあった。
どんどん深く掘り進みながらも、何が埋まっているかはオーマにもまだわからないのだが……。
「……んんっ?」
固い物が触れた手応えを感じて、オーマはシャベルを止めた。
そこからは丁寧に手で土を払う。
夢と同じく地下水で柔らかくなった土をよけていくと、古びた小箱が見えてきた。
「ホントに埋まってやがった……」
――死体じゃなくて良かったけどな。
泥に濡れた小箱を水で洗うと、夜目でははっきりしなかった表面の細工が明らかになる。
懐かしいゼノビアの様式――だが数百年前のものだ。
刻まれた文様はゼノビアで棺に施すものだが、ソーンへ来る直前のオーマが過ごしていた時代には廃れてしまった習慣だ。
金属製の小箱もそれなりに歳月を経てきたのか、蒼錆に覆われている。
――何でこんな物がうちの庭に埋まってんだ?
オーマがこの世界、ソーンに来たのは数年前だ。
それに、異世界ゼノビアからソーンへと来た人物が他にもいるとは今まで聞いた事がなかった。
「……眺めててもしょうがねぇな。開けてみるか!」
組んだ腕を解き、オーマは豪快に言い放ち箱の蓋へと手をかける。
錆に覆われているにもかかわらず、軽い音を立てて蓋が開いた。
「これは……」
ごく、と唾を飲み込んだ音がやけに大きく感じられて、オーマは自分でも驚いた。
手の込んだ悪戯にしてはたちが悪い、と思う。
小箱の中には一体の人形が収められていた。
頭、胴体、手足とそれを包む衣服だけという簡素な作りの人形だ。
目鼻顔立ちも、髪の毛も付けられていないそれは、人型の布といった方が正しいかもしれない。
けれどオーマにはそれがヴァンサーの人形だとわかった。
何故なら人形の着ているものは、ヴァンサーのみが着用する戦闘服、ヴァレルだったのだ。
ゼノビアの守護者ヴァンサー……かつてオーマもゼノビアではそう呼ばれ、敬われると同時に忌み嫌われていた。
人形にばかり目が行っていたオーマだが、小箱の蓋の裏に封筒が挟まれている事に気が付いた。
見覚えのある、ヴァンサーソサエティの紋章が入った封蝋だ。
閉じられた封筒を開くと、中のメッセージカードにはただ一行だけゼノビア公用語が綴られていた。
『この地に住まうヴァンサーへ』
「何で、ここで俺の名前が出てくんだよ!?」
真夜中過ぎの部屋に、オーマの震える声が大きく響いた。
ようやく眠りに付いたのは明け方で、泥のような疲労感が身体中に纏わり付いていたが、患者の前に立てば普段通り接する事ができるのがオーマだった。
うなされると言っていた入院患者に、オーマは気さくな態度で話しかける。
「ばあちゃん、まだ変な夢は見んのかい?」
朝になったというのにカーテンが引かれたままなのは、部屋のすぐ外にあの桜の木があるからに違いなかった。
ベッドから身体を起こした老女が窓の外を気にしながら答えた。
「……あの桜の木の下にねぇ……」
言いにくそうに老女は続ける。
「先生が立ってる夢を見たよ」
「俺が?」
――夜中なら誰も見ちゃいないと思ったんだがな。
患者たちに余計な心配をかけたくなかったので、あえてオーマは夜中に木の下を掘り始めたのだが。
――いや。昼間もカーテン引いて、見たくないって思ってるくらいだ。
物音で夜中に起きたとしても、カーテン開けてまで見ねぇだろ。
朝の回診が進むにつれて、窓からは直接桜の木が見えない部屋の患者も、老女と同じような夢を見ている事がわかった。
「……にしても、何で俺まで皆の夢に出てこなきゃならねーんだよ」
ひらひらと手にしたメッセージカードを透かして見ていたオーマだが、ふと違和感を感じて手を止めた。
小箱の古さとは対照的に、カードやそれが入っていた封筒は比較的新しいように思える。
――だいたい、これはどこの誰から俺に宛てられた物なんだ?
ヴァンサーへ、と書かれていれば確かに俺宛かと思うが……本当にそれで正しいのか?
オーマは手始めに小箱や封筒の成分分析から手を付ける事にした。
幸いここは総合病院で、患者の検体を調べる為の用具が揃っている。
「やるからには徹底的に調べてやるか!」
白衣の袖を必要以上にまくりながらオーマは検査室へと入って行った。
数日のうちに、いくつかの事がわかった。
まず、桜が生えていた地層は自然に隆起した場所ではなく、深さからみても小箱が埋まっていたのは数年〜数十年前までの地層だった。
これは小箱の古さと一致しない。
また小箱の成分は、ソーンにはないもので構成されていた。
ゼノビアの物質に近いようだが、異界からソーンへ転移した過程で一部組成が変化していて、ゼノビアの物だと言い切れはしない。
制作年代は数百年単位で過去に作られたのだとわかったが、はっきりとした年代までは個人の研究では確かめられなかった。
中に収められた人形とそれが着るヴァレルも、同様の結果が出た。
しかしメッセージカードはごく最近、数年前にソーンで作られたものらしい。
これは小箱の古さと矛盾する。
――いや、後から箱に入れられたのか?
そしてうちの庭に埋められた……?
蒼い桜の夢はまだ患者たちに訪れている。
そして木の下に立つオーマらしき人物の輪郭も、日に日にはっきりと形を成しつつあった。
「……まったくよー」
――おっと。
つい愚痴がこぼれてオーマは額をかいた。
オーマもその夢を毎晩のように見ていて、あまり眠れない日が続いていたのだ。
夢の中、確かに背の高いヴァレルを着た男が、桜の木の下に佇んでいる。
――あれが……俺だって?
思考を反芻しているうちに、オーマは診察室の椅子で転寝を始めた。
「いい加減見飽きたぜこの夢」
眠りにつけばいつも蒼い桜を見上げている。
そしてヴァンサーを着た男の背中を眺めているのだ。
夢の中でも悪態をつくオーマに、背を向けていた男が喉の奥で笑い声を立てた。
くつくつと笑う声に合わせて肩が揺れている。
「何がおかしいんだよ!」
思わず男の肩を掴んで振り向かせたオーマは息を呑んだ。
――何だ? これは……人なのか?
姿は確かに人に近い。
が、顔の部分は常に変化し続けていて、印象が定まらないのだ。
一瞬で老人から子供、男女の性別さえも変化する。
その中にはオーマの良く知った家族、知り合い……オーマ自身の顔もあった。
けれど『それ』は確かに笑っていた。
「ようやく我を見たな、ヴァンサー。具現の力を持つ者よ」
「何で俺がヴァンサーだってわかる?」
笑い声は低くなり、囁くように『それ』が答える。
「我はヴァンサーにしか知覚できない存在ゆえに」
『それ』から手を離そうとして、オーマは逆に手首を掴まれてしまった。
そして触れた部分から『それ』の目的、真意を理解する。
意識が直接流れ込んでくるのを止められない。
かつてゼノビアに存在した『それ』はヴァンサーであったが、禁忌を犯し魂は異界へと流され、肉体はゼノビアに繋がれたのだった。
魂の流刑。
ゼノビアに残された肉体は永劫に渡り、責め苦を味わっているはずだ。
「……思い出したぜ。あの箱に刻まれた文様、あれは罪人の棺桶に刻む奴だ」
意識だけの存在になった『それ』は箱に封印されながらも、数百年の間に夢を通じて自分がソーンの人間の意識に介入できるのだと気付いた。
人の意識の影響を受けやすい桜の木の下に埋めるよう――あるいは掘りおこすよう夢で指示を与えながら、ひたすらに具現化能力を持つ者がこの世界に来るのを待っていたのだ。
自身の新たな肉体を具現化させるために。
メッセージカードは人を夢で操り、ソーンに来た後から入れさせたらしい。
「そんな風にテメェの都合だけで動く奴なんざ、どんだけ頼まれたって具現化するかよ!!」
「……頼む? 否、貴様に拒否権は無い」
叫ぶオーマの意志とは関係なく、具現化能力が発動する。
不確定だった『それ』の姿が定まり始めてきた。
――くそっ! そっちがそのつもりなら……!!
具現化の流れには逆らわず、オーマはイメージの方向をその意志で曲げた。
半分以上が実体化していた『それ』の周りから黒い板がせり上がり、棺の形に組み上がってゆく。
「お望み通り立派な奴を作ってやるぜ! 立派な……棺桶をな!!」
オーマが夢の中で封印を施してから、桜の色は元に戻り、うなされる患者もいなくなった。
――まさかホントに死体が埋まってたとはねぇ……。
死体というよりも、過去からの亡霊とでも言えばいいのか。
すっかり元通りの色合いの桜の下には、以前のようにのどかな陽射しを花びらに透かして楽しむ患者達が集っている。
夢の中での具現化は現実世界にも影響し、古びた例の小箱は黒い棺へと姿を変えていた。
隙間なく成形された棺は、その蓋が開く事もない。
――百年たっても大丈夫そうだな。いや、百人乗ってもか?
とにかく頑丈なイメージで作った棺だ。
オーマはそれを物置の奥にしまい、見頃を迎えた中庭の桜を見ようと外への扉を開いた。
(終)
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